夕方から眠っていたなまえは、朝方近くに目が覚めた。汗を掻いた身体は干からび、水分が欲しくなる。向こうはいつ寝たのか、今日も上半身裸にタオルケットだけを羽織り、鼾も掻かず眠りに就いていた。

 そしてテーブルの上には空になった平皿が乗っていて、なまえは顔が綻んだ。付け合わせまで綺麗に召し上がった様子を見ると、もしかしたら彼は所謂"ツンデレ"に属する性格なのかもしれない。

 軽い脱水症状を引き起こし、飲み物が欲しくなったなまえは冷蔵庫まで静かに足を運ばせた。睡眠が深いのか、ベッドを共にする男は起きる気配が全く無い。

 ついでにと食器をシンクに置き、スーパーで買って貰ったお茶をペットボトルから直接飲んだ。小さく息を吐くと、渇いた身体に水分が染み渡る。閉めきられて熱気の籠る廊下は、そこに居るだけで夏を感じさせてくれた。

 ペットボトルを手に涼しい部屋へ戻った少女は、相手を起こさないよう一人分空いたベッドに寝そべる。こうやって自分の居場所を作って貰える事が、"同棲"を彷彿とさせてくれる。胸の内が擽ったいなまえは、青峰のうなじを眺めた。間近で男性を見た事が無い彼女は、その造りに感動する。

 ほぼ毎日ジムに通い肉体も大事な"商品"である青峰大輝は、同年代と比べ無駄が無ければ不足も無い。世界最高峰の舞台を目指す男は、目標体重を90kg以上と定めるのだが、ここ六年で2kgしか増えて居ない。ウエイトを増やしても、独特のモーションの速さは失いたくない贅沢な選手は、その分慎重に肉体造りをしていた。

 そんな惚れ惚れする程に強固な肉体を持つ青峰が寝返りを打ち、コチラを振り向く。同時に丸太のように太い腕が彼女にのし掛かった。薄暗い部屋の中で、予想外に抱きすくめられたなまえは、温かさと重さを二の腕越しに感じる。男は寝ていても眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情を崩さない。

 腕の下に何かがあるのに違和感を覚えたのか、青峰はうっすらと目を開ける。そして、顔の前に眉を下げ困った顔をした少女を見て目を開く。

「……んあぁ、悪ィ」

 数秒間瞬きを繰り返した男は、そう言って腕を離し背を向けてしまう。

「……青峰さん?」

「んだよ、寝ろよ」

 掠れた声で返事が帰って来る。彼の背中は広く、自分なんかすっぽりと隠れてしまいそうだ。指先で皮膚をなぞると、少しだけザラザラしている。背中を擽られた男は、咳払いをして行為を止めさせた。

「好きなタイプとか……いますか?」

「堀北マイちゃん」

 それは厳ついイメージに似つかわしく無い返答だった。対象のグラビアアイドルはどちらかと言えば幼顔の可愛い寄りで、奇遇にもなまえは『似てるね』と言われた事もある。中学も入りたての頃、しかも当時の担任に……だ。

「好きな人も、似てた?」

 そう聞けば、質問と答えの間に無言が訪れた。

「んな訳ねぇだろ。アイツ、ブスだもん」

「じゃあ何で……――」

 "ブス"と云う台詞に希望が見えたなまえは、更に問い詰めたくなった。しかしソレは不機嫌そうな男の声によって遮られるのだった。

「寝かせてくれ。疲れてんだ、オレは」

 これ以上に嫌われる覚悟もないなまえは、寂しそうに敷き布団に突っ伏す。どうせなら枕も買えば良かった……。万年床のマットレスは、この部屋独特の香りがした。

 青峰大輝が惚れていた女性の見てくれがそんなに良くは無いと知った少女は、頑張れば自分にも歩がある気がして嬉しくなった。

 ――もしかしたらトンでも無く才女だったりして、青峰を理論詰めで叱り飛ばすような気の強い女性かもしれない。それなら男に振り向いて貰えない……。賢くない高校生のモヤモヤは、晴れないままに朝を迎えた。





「昼夜逆転したんだろ」

「……困ります、ソレは」

 朝日により完璧に目が醒めていたなまえは、起き抜けの男からそう言われる。寝癖で片側がボサボサになった青峰は、今日も気温が高くなり始めてから起床する。眠れなかった居候身分は、結局スマホを弄る事により時間を潰していた。アプリゲームに興じる少女へ、後頭部を掻いて意識を覚醒させようとする青峰が声を掛けた。

「――彼氏、別れてねぇんだな」

 その言葉に、なまえはタッチする右手を止めた。バッティングゲームは空振りとなり、あっという間にゲームオーバー。レコードに残りもしない負け戦となった。

「メッセージが見えた」

 画面を注視したまま動かない少女へ、青峰は知った原因を教えてやる。

「何でお前ココに居んの?」

 上半身を起こし片膝を立てた青峰は、自身のボクサーパンツを眺めるのだが、朝特有の生理現象は見られなかった。

「…………知りたかったから」

「――は?」

 間が空いてはいたが、なまえは素直に【自分がココに来た理由】を話した。

「だって、大人なんだもん。青峰さんも……この間の人も……」

「意味判んねェ」

 嘘や偽りは無い。ただ、どう伝えれば良いのかが判らない。夏の、湿度を含んだ熱に身体が動かされた。刺激が欲しくなった。――『何で』を突き詰めれば、平凡過ぎる自分の日常に箔を付けたかったのだ。大人の世界に飛び込む事で、周りの学生の差を付けたかった。

 浅ましい。醜い。今に自信が持てず、ただ情けない――。

「知りたかったんです。大人の世界が……」

 なまえの手からスマホを取り上げた青峰は、その精密機器を枕に投げた。そして手持ちぶさたになった少女に向かって、男は残酷な現実を突き付ける。

「それで彼氏に隠れてお泊まりか? いい御身分だな」

 "彼氏"と云う単語に胸が痛む。地元で部活動に励む彼は、未だに自分からの連絡を待っている筈だ。応援してくれているのに――私はこうして返事も返さず、彼氏の知らない男のすぐ近くに居る。

「正直なのは褒めてやる」

 低い声が甘さを作る。余裕さえ感じる風格が、声帯から発せられる度に女はこの男の声に魅了された。少女が抗わないのを本能で察したのか、青峰は言いたい事を直球で投げ傷付ける。

「――お前の戯言にオレを巻き込むの、止めてくんねぇ?」

「そんな……――」

 顔を上げて"戯言"と云う単語を否定するのだが、男の鋭い目付きにそれ以上を牽制され口を接ぐんだ。

「別にオレ、性欲が無い訳じゃねぇんだけど」

 男は白人のような女子高生の手首を掴み、自身の股間へと誘導した。強引に引っ張った為に、上半身が前のめりになったなまえの身体を片手で支えると、ユラユラと揺れていた髪の向こうから指示を出す。

「勃たせろよ」

 下着越しに触れた男性器は、柔らかくて温かい。ゴワゴワしているのは睾丸に纏う陰毛だ。男性は、こんなに重たそうなモノを足の間に下げているのだ。女性からしたら信じられない。

 部屋の空気が鋭くなった。耳にまで鼓動の音が響く。緊張するといつもこうだ。高揚すると心臓の音が強まり、意識が更に昂るのだ。

 柔らかさを確かめるように弄くれば、目の前で自分に視線を刺す男の口から息が漏れた。半開きになった薄い唇は吐息に乗せ、相手へ快楽を伝える。

「――胸、見せろ……」

 最早命令になっている青峰の催促へ、少女は肩を震わせた。

「見せろっつてんだよ」

 青峰は、空いた手で発展途上の膨らみを鷲掴みにする。触られただけで先端がジンジンするのは、生理前だからだろう。なまえは更に眉を困らせた。

「でも、明るいのイヤ」

「――お前、拒める立場か?」

 男はサディスティックな傾向にあるのか、肉棒が僅かに芯を持つ。手のひらでソレがピクリと反応するのを感じたなまえは手を引き、離そうとする。

「離して良いなんて、言ってねぇだろ」

 ――逃げられない、拒めない。男は幼い彼女からしたら、魅力的過ぎた。このまま優しさの欠片もない劣情へ貞操を捧げるのだろう。互いが息を荒くし、冷やされた部屋で汗を掻く程に体温を上昇させる。なまえは、まるで言葉を忘れたように意味の無い手淫を続けた。

 胸の先端をシャツ越しに摘ままれ、引っ張られる。千切れそうな痛みに身体が反応して、小さく跳ねた。

「顔、上げろよ」

 女の乳首を指で弾いた青峰は、なまえの唇を欲するのだった。理由なんて無い。無いのが嫌なら後付けしてやれば良い……――。顔を近付け、目を瞑り触れるのを待つ浮気女を見つめる。

 そして、二人のキスは――玄関から響いた呼び出しベルにより邪魔されたのだった。

 ピタリと顔を止め、ワンルームのドアの向こうを睨んだ青峰は、玄関がドンドンと叩かれる音に来訪者の目星を付ける。

「……火神の野ン郎」

 ノソリと立ち上がり全ての行為を中断した青峰は、下着越しに臀部を掻きながら何も着ずに客人の応対へと向かう。

「うるせェんだよ」

 青峰がキレ気味に勢い良く開ければ、玄関に立っていた火神はドアがぶつからないよう、器用に避けた。赤毛が眩しい来訪者は黒いポロシャツに、クリーム色した七分の短パン、足元はクロックスでシンプルに決めていた。僅かに反らしていた顎と上半身を戻した火神は、青峰の乱暴な出迎えに笑顔を見せた。

「よォ、青峰。早く開けろよ。溶けるかと思ったぜ」

 パンツ一丁と云う格好に突っ込みもしない心の広い来訪者は、遠慮も無しにズカズカと部屋に上がり込む。そして冷気を逃さぬよう閉じられたワンルームの扉を開け、中に居た女の姿に数回瞬きをした。それはつい先日、ドライブがてらに隣県まで連れていった高校生だった。

「…………年下趣味でも出来たのか?」

 背後の青峰へ軽蔑を含んだ視線を送った火神は、背中を蹴られ入室した。

「勝手に入って来んじゃねぇよ。相変わらず、空気の読めねェ"馬鹿"だなお前は」

 やたらに"馬鹿"を強調した青峰は、火神を批難した。目元が見えない赤毛の男は、外人のように肩を上げて口をへの字に曲げる。

「黒子が知ったらドン引くだろうな」

 サングラスを外しポロシャツの胸ポケットへしまった火神は、勢い良くベッドへ腰掛けた。ガタイ良く重量ある赤毛の男は、壊す勢いで寝具を軋ませる。

「絶対言うなよ、マジで」

 腕を汲み入り口のドアに凭れた青峰は、火神に凶悪な目付きを投げて牽制した。

「お前、こういうのも観るんだな。こんなの借りたの初めてなんじゃねぇ?」

 ヒラヒラとレンタルパッケージを振った火神の手には【女子●生、生中出し】の文字。視線を一点に集めた赤毛の男は、用が無くなったソレを床に放った。そして横に座るなまえへ、耳打ちする真似をしながらごく普通の声量で話す。

「青峰コイツ、ババァフェチだ」

「そりゃお前だろ、バカガミ」

 当然火神の内緒話は青峰の耳にも届いたようで、"ババァ趣味"なんて誤解を生みそうな紹介をされた男は、そう言い返したのだった。

「お久しぶりです」

「結局戻って来たのか」

 なまえが頭を下げれば、火神はニカッと笑い歯並びの良さを見せてきた。その太陽のような笑顔に、夏らしさを見た。

「何の用だよ」

 無粋に会話を邪魔した青峰は、客人を部屋から排除しようとする。

「あぁ、海に誘おうと思ってよォ」

「一人で行ってろ」

 誘いを冷たく一蹴した青峰は、プイと横を向く。人の意見を聞かない火神は、指を折り勝手に話を進めた。

「正確には黒子とお前とオレの三人だ」

「暑いからやァだ」

「だから涼みに行くんだろ? ナンパしようぜ」

「まぁたテツに怒られんだろ」

「黒子もオンナ慣れしてねェからなァ」

 バリバリと頬を掻いた火神は、横目でなまえを眺める。少女は気付いていないが、シャツの下はノーブラで乳房の先端が浮き上がっている。それにこのベッドの乱れ具合だ。乳繰り合っていたと認識されても、言い訳出来ない。

「ま、青峰は現役高校生の上でサーフィンするのに忙しそうだな」

 ニヤリと不適な笑みを見せた火神は、青峰へ卑猥さを連想する言葉遊びをぶつけた。小鼻をヒクリと上げた青峰は、男へ負け犬のように惨めな台詞を吠える。

「言う事、ジジ臭ェぞ」

「インポの癖に、性欲だけは盛んだな」

 完全に上位に立った火神は、そんな感じで尚も言葉の砲撃を止めない。青峰の人権なんて、犬の餌だ。ドッグフードにされた青峰は、歯を食い縛り唸る。

「……テメェ、コイツにソレ言っただろ」

「あぁ、理由もついでに教えてやった」

「殺すぞ!」

「海かコートの上で死にてェもんだ」

 テンポの良い二人の会話は、青峰の「フン」と鳴らした鼻息で終了した。

「――青峰。今日、オレん家の近くでバーベキューやるから来いよ。19時な」

 強引を絵に描けば、きっと火神大我が出来上がるだろう。相手がうんともすんとも言わない内に、火神は夕げからの約束を押し付けた。

「お前も来るか?」

 今度はなまえの方を向き、優しい口調で問い掛ける。歓迎を体言するような笑顔に、少女は安心感を持てた。しかし、火神がその笑顔の下にある扇情的な光景を視線に入れている事に、ウブな彼女は気付かない。

「ソレだけ言いに来たのかよ」

「テメェが釣れねェからだろ?」

 立ち上がった火神は室内にも関わらずサングラスを装着し、短パンのポケットへ左手を突っ込む。そうして右手を軽く振り、まるで映画のように挨拶をする。

「夕方までは勃たねェ身体で、サーフィン楽しんでろよ。コ・コ・で・な?」

 青毛の男と擦れ違い様に顔を突き付け、最後まで青峰の"勃起不全"を馬鹿にした火神は、口元をニヤケさせながら玄関を後にした。

 目尻までひくつかせ苛立ちを抑える青峰は、玄関に塩を撒きたくなる程火神大我の余裕を恨んでいるようだ。

「クソ野郎だな、アイツ」

 火神の来訪で少しだけ空気が柔らかくなった。出来ればもっと居て欲しかった。――そんな考えを持ったのがバレたのか、青峰がぶっきらぼうに声を掛けてきた。

「丁度良い。お前そのまんまアイツん家泊まれよ」

「…………やだ」

 なまえはシーツを強く掴み、冷たい対応へ立ち向かった。男は自分に背中を見せ、表情判らぬままに退居を求める。

「大人の世界味わいてェなら、相手が火神でも良いだろ」

「…………やだ。青、峰さんが……良い」

 舌打ちの後に溜め息まで吐いた男は、やれ面倒そうに少女へ目線を向ける。それは警戒心の強い、猜疑心に溢れたモノだった。

「オレに拘る理由は何だ」

 逞しい身体から不快感を露にした青峰は、泣きそうに俯いたなまえへ更に問い掛け続けた。多分、答えは出ている。ただ"ソレ"は、目の前に座る少女が言って良い言葉では無い。

「『惚れたから』とか言ったら、二度とココに入れねぇからな」

 だから、代わりに男が"ソレ"を口に出し……相手を厳しく突き放した。男は片手間で愛され満足するなんて、そんな安売りしない主義だ。

「――迷惑なんだよ、そういうの」

 最後の言葉はなまえの胸に深く突き刺さり、大きな目からは涙の粒が落ちた。