男二人での気色悪いパーティーを提案された火神は、溜め息ながらにテーブルへシャンパングラスを二つ置いた。

 彼はさっきシャワーを浴びたばかりで、ボクサーパンツにTシャツを着ただけのスタイル。Tシャツも高校時代に部活で愛用したオレンジのモノだ。大分くたびれていたが、コレが一番肌に合う。今から来る予定の青峰とは、互いがこの格好で出迎えても問題が無い仲だ。

「……祝って欲しいなら素直に言えよ」

 明日誕生日を迎える友人をそう野次った火神は、冷蔵庫の中にケーキが無い事を思い出した。パタンとドアを閉め、買いに出るかを悩んでいるとエントランスが自身を呼び出す。

「もう来たのか? 早くねぇ?」

 今更画面を確認する事も無く、彼はマンションの玄関を解錠した。コレがミステイクだと気付いたのは、僅か数分後に出迎えた際だ。来訪者は女性で、火神の初恋の相手。パーティードレスに身を包み、いつもよりきらびやかな姿で玄関前に立っていた。

「……あの、お邪魔します」

 勢い良く玄関を開け放った火神は、静かにドアを閉めてクローゼットへダッシュした。

 数日前に『もう会わない』と言った彼女が何故玄関に居るのか、火神の頭は混乱する。そしてクローゼットに備え付けられた鏡で首元のヨレたTシャツ姿の自分を見て、恥ずかしさに悶絶した。


 ………………………


 青峰が向かった先は、とある繁華街の駅前広場だった。土曜日の夜は人に溢れ、密会にはもってこいである。頭上のビルには巨大な街頭テレビがあり、ニュースが流れている。彼が人混みを掻き分け噴水の前に辿り着くと、相手は既に到着していた。黒いポロシャツにストローハットが彼の戦闘服のようだ。

「変装してもバレバレですよ?」

 青峰はサングラスとキャップを外さず、記者の隣に座り足を投げ出す。そして鼻で笑い男にこう話し掛けた。

「別に変装じゃねぇよ。ファッションだ」

 ファッションと言う割には顔を隠しているが、正直そんな事どうでも良い。記者である彼が欲しいのは大金だ。大金になる情報だ。

「お金、用意してくれました?」

 記者が耳打ちするようにヒソリと囁けば、青峰は自分の立場を分かっていないような返事をした。

「財布に五百円しか入ってねぇ」

 その開き直ったような態度にムッとした男は、それでも表面上は怒りを見せずにネットリとした会話を続けた。

「……あぁ、情報くれるって言ってましたよね。出来れば有名な方だと有難いんですが」

「耳貸せよ」

 記者は指示通りに顔を近付け、集音レコーダーの電源を入れる。金蔓が手に入ると期待していた彼だが、相手は情報では無く顔面に唾を吹き掛けて来た。

「何するんだ!!」

 手で眉間に付いた唾を拭う。プライドを踏みにじられた記者は、取り出したハンカチを握る手に力を込めた。

「……アンタ、夕刊とか読まないのか?」

 そう言って青峰は、街頭テレビを指差す。丁度経済のニュースが終わり、エンタメの時間に切り替わったようだ。

『次のニュースです。国民的人気アイドルの熱愛が発覚!』

 歩くギャラリーは、その殆どが突然のゴシップニュースに注目する。そして若者はスマートフォンを操り、今の気持ちをネットの世界へ投げ始めた。

「――コレが、オレのやり方だ」

 青峰はそう言って立ち上がった。彼越しに見えるアイドルの熱愛スクープ。記者の顔は醜く歪んだ。


 ………………………


「……何だよ、コレ」

 ワイドショーを見て愕然とする火神は、画面に映る情報が信じられずに居た。テロップで出た『青峰大輝(20)』と云う字で、国民的人気アイドルの恋人が自分のライバルだと知る。

 画面に映った写真は、都内マンションから出て来る青峰の姿だった。キャップにサングラス、Tシャツにジーンズ。暗闇で撮られたと云うスクープ写真は鮮明で、火神には体型ですぐに青峰だと判った。

 マンションの持ち主は、国民的人気アイドルの『中島のぞみ』だった。芸能界に疎い火神でさえも顔と名前が一致する程に有名。昨年度のCMクイーンにも選ばれた飛ぶ鳥をも落とす勢いのソロアイドル。事務所は二人の交際を認めているようで、『影ながら見守りたい』と声明を発表していた。

「ち、違う番組にするか」

 慌ててリモコンを掴んだ男は、チャンネルを変えようとするがなまえは首を振ってソレを拒否した。少女は顔面が青い癖に、目をしっかりと見開き画面を刮目している。

『身長差四十センチですってね』

 コメンテーターがそう喋ると、その差にスタジオは感心の声を漏らした。国民的アイドルと天才アスリートはお似合いで、並ぶだけで"きらびやかな世界"となった。

「ガセだ! だってオレ、聞いてねぇもん!!」

 焦った火神はリモコンをテーブルに投げ、画面を指差す。アイドルと熱愛している暇など無かった筈だし、青峰の口から中島の名前を聞いた事も無い。器用に秘密を持てる奴でも無い。

「アイツ、何やってんだよ」

 頭を掻いた火神はスマホに手を伸ばし、すぐに青峰へ着信を飛ばした。しかし同じように連絡を取っている人間が居るのか、繋がる事は無かった。依然テレビは明るみに出た熱愛報道が続き、二人のプロフィールまで紹介していた。

 このスキャンダルで青峰大輝は一躍有名となった。……人気アイドルの恋人として。

「もう止めろよ!」

 火神は再び掴んだリモコンでテレビを消し、テーブルを叩きながら力強く声を掛ける。なまえは目と鼻の先が真っ赤で、青かった肌まで泣くのを堪えて紅くなっていた。

「……そんな顔してまでも、観なくて良い」

 火神は少女の頭を抱え、胸元へ招いた。フワフワした髪は綺麗で、その持ち主は震えながら泣き出してしまう。情報番組はウェザーニュースへと代わり、やがてCMに切り替わる。皮肉にも、コマーシャルの中に自分が居た。予想より時期が早く、今日から放映開始らしい。

「……あ、あのよォ」

 泣いているなまえに自分が映っている事を教えようとしたが、十五秒程度のCMは終わり消費者金融のコマーシャルに切り替わった。「あ……」と呟いた火神は、それ所じゃなさそうななまえの髪を撫でる。

 テーブルに置いたスマホが男を呼び出す。CMを見た誰かがメッセージをくれたようだ。手を伸ばした瞬間、彼の胸に身体を預けていたなまえが口を開く。

「……本当は、少しだけ火神さんに会いたかったです」

「っを!?」

 いきなりの台詞に同様した火神は、近くに置いていたシャンパングラスを指先で倒してしまった。ピンクのシャンメリーはガラステーブルに零れて広がる。『会いたかった』なんて色気めいた言葉に頬を赤くした火神は、心拍数と息が荒れるのを感じた。

「青峰さんが、もう会うなって。ソレが一番、火神さんの為になるって……」

 出てきたライバルの名前に眉を怒らせた火神は、馬鹿馬鹿しいと言いたげに「そりゃどうも」と笑った。しかし、そんなので空気は軽くならずになまえは火神の服を強く握った。

「私、自分が分からないんです。誰にでも良い顔して、フラフラしてるんです。……すぐ心変わりするし。仲良い友人にも呆れられて……」

 少女は混乱しているのか、遂には声を上げてワンワン泣き出してしまった。火神だって頭の整理が出来ずに居る。徐々に濡れる胸元に、温かさを感じた火神は不器用な励ましを呟いた。

「……だから利口になれって言ったんだ」

 火神は切ない感情ごと、なまえを逞しい腕で強く抱き締めた。


 ………………………


 九月一日。月曜日。天候、曇り。夕方からはまた雨が降るらしい。

 そんな天候の不安定な日に、アジア選手権は幕を開ける。国立体育館前には沢山の報道陣が押し掛け、またオーディエンスも多数見受けられた。

 各国の代表が次々と会場入りをした。マイクロバスが停まり、会場入り口までの数メートルに出待ちのファンや野次馬が選手達に手を振る。

 中国のバスが到着した時、ひときわ歓声が上がった。窮屈そうに長身を折り曲げ、バスから降りたスーツの男は紹豹孚。中国が生んだ四億七千万人の頂点に立つNBAスーパー選手。

 彼の後ろで降りるのを待つある選手は、《早く行けよ!》と激を飛ばす。彼は以前青峰の財布を盗んだ男だった。ソレを鼻で笑った巨男は大きな革靴でバスのステップを踏み、会場を目指した。左右に開かれたミーハーな日本人は彼に手を振りハイタッチを求める。

 そして違う意味で待ち焦がれる人物が、集団の前に姿を現した。マスコミは急いでバスの昇降口へ動く。――最後に到着したのは日本代表だった。

「……げっ!」

 先頭に立った笠松は、向けられたカメラとマイクの数に驚いて後退りをした。国内代表の主将はフラッシュが焚かれた中を、背を丸めて歩く。注目ぶりに具合が悪くなりそうだったが、バスから降りた彼を追い掛けるカメラマンは居ない。

「熱愛報道が出ましたが、何かコメントを!」

「彼女とはどのようなお付き合いを!?」

「中島さんのファンに一言!」

 口角を上げたままの青峰は一言も発する事無く、カメラの前をただ歩いた。向けられたマイクは虚しく、一瞬のインタビューは終わった。その後ろを黛が通り過ぎたが、報道陣は誰も気付かない。

 ブーイングに歓声、犯罪めいた予告の横をただ過ぎる青峰は堂々としていた。アイドルの熱狂的ファンが多数押し掛け、彼のデモを始める。プラカードを持ち、青峰大輝の代表除籍を申し出す。機動隊が彼等を止め、体育館の一部が混沌とした。

「……お前の彼女、ファンが怖いな」

 前を歩く火神がデモを指差し笑う。勿論青峰は何も言わない。横からは生卵が飛び、青峰の背中で割れスーツを汚した。怒った火神は振り向き観客の方へ歩み出すが、青峰に静止される。

「……問題起こすな。マスコミの前だ」

 火神の肩を掴んだ青峰の手に力が籠る。フン、と鼻息で怒りを飛ばした火神は再度前を向いた。背中を的当てゲームに使われ生卵がスーツを汚したのに、余裕で居られる青峰がちょっとだけ憎らしかった。

 しかし、その余裕はすぐに打ち砕かれる事となる。

「あああぁぁぁぁ!!!」

 人垣の中からリュックを背負った男が飛び出した。手には小瓶が握られている。勢い良く投球されたソレは、代表選手に向かって飛んだ。

 青峰の後ろに立つ黛が右手でソレを叩き落としたが、蓋が取れ宙で中身が飛び出す。勢い跳ねた少量の液体が手の甲に掛かった黛は、皮膚の焼ける熱い感触にポーカーフェイスを崩した。観客の方から甲高い悲鳴と混乱する声が聞こえ、多数の警備員が騒ぎを抑えようと出て来てバリケードを形成した。

 最終的に瓶はその後ろを歩いていた町田の傍に落ちて割れた。液体は酸性なのか、溶けるようなジュワジュワした音と気泡が出来る。町田は笑顔のまま肩を強張らせ固まっていた。

「黛!!!」

「テメェェェェ!!!」

 笠松が急いで黛の元へ向かい、火神は走って投げた男を追う。

「タイガ!! 止めろ!!! 駄目だ!!!」

 氷室までもが人垣に突っ込み、観客を掻き分け先を進む火神の後を追うのだが、途中警備員に止められていた。騒ぎは益々巨大なモノとなり、アチラコチラで報道カメラが回る。

 駆け付けた笠松は、焼け爛れた黛の手の甲を確認する。予想より酷くは無いが、皮膚が溶かされ痛々しい。

「火傷しただけだ」

「医務室行け! すぐに!」

 黛の軽い発言に安心する事無い笠松は、緊迫した顔で指示を出した。

「ほんの少しだ」

 怪我した本人は表面を水で流し、バンドエイドを貼れば良いと思っている。黛千尋は自分を大事にしない人物のようだ。

「いいから行け! 心配させんな!」

 その言葉に目を丸くした黛は、チームの人間にここまで身体の心配をされた事が無い。だから、笠松の様子に驚いてポカンとする。

「あ、あぁ……」

 傷口を布地で隠した黛は、警備員に連れられ医務室へ向かった。

 騒ぎの中心である青峰は、割れたガラス瓶と溢れた液体を眺めるしか出来ずに、その場へ立ち竦む。そして警備員に促され、初めて意識を戻した。


 ――控え室に通された代表選手は、混乱していた。ほぼ全員が家族や知り合いからの連絡に追われていた。何故なら、生中継に近い速度で『過激なファンが薬物テロを起こし、怪我人が出た』と報道があったからだ。

「タイガ、気持ちは分かるけど早まった行動はよせ!」

 仁王立ちした氷室は、パイプ椅子に座る弟分を叱った。だが、相手はソレに対して反発心を見せる。火神の反抗期はまだ続いているようだ。

「仲間が殺されかけたんだぜ!? 落ち着いてられっかよ!!」

「相手がもっと危険な物を持っていたらどうする!!」

 スーツのまま腕を組み、声を張り上げた氷室に言い返せない火神は椅子に深く腰掛け口を曲げた。

「すぐカッとなって行動するの改善しろ! 子供じゃないんだから!」

「タツヤが言うなよ!」

 兄貴分の言葉に反応を見せた火神は、キレると何を仕出かすか判らないヤンキー気質の氷室辰也を逆に責めるのだった。

 言い争いが始まりそうな二人を余所に、運営委員会から呼び出されていた笠松と青峰が戻って来た。笠松は真っ先に黛の手を心配する。彼の右手には包帯が巻かれ、痛々しかった。

「……大丈夫か?」

「軽い火傷だ。表面だけだから、試合には出られる」

 大袈裟な処置にウンザリした顔を見せた黛は、表面にほんの少しの火傷を追っただけで済んでいた。

「まぁ、話題にはなっただろ」

 当て擦りを最後に、黛は右手をテーブルの下に隠した。そして文庫本が捲れない代わりにスマートフォンでライトノベルの世界へと旅立って行くのだ。

「犯人はすぐ捕まった。使われた薬品は濃度の高い塩酸だった。青峰に処分は無い。開会式に出さないだけだ」

 笠松の報告に一帯がザワついた。そんなモノを生卵のように背中にぶつけられていたら、火傷で病院送りだ。顔に掛かっていたらもっと最悪だったろう。室内に緊迫した空気が流れる。

「オレは被害者だ。当然だろ」

「時期を考えろ!! 少し頭使えば判断付くだろ!!」

 青峰の反省無い態度に憤りを覚えた笠松は、選手の前で彼を怒鳴った。主将は、彼のプライベートな問題が競技全体に抵触した事を怒る。別室に居た青峰は知らないが、開会式に出る一部の国から警備体制の薄さと青峰大輝の除名が出されていた。

「売名行為だ、って言ったら?」

「ソレで死に掛けてたら、意味ねぇだろ!! 現に怪我人が出たんだぞ!!」

 笠松は、我関せずな黛を指差した。

「どうせいつかはバレるんでしょ? だったら一緒じゃん」

 毎度毎度始まる喧嘩にウンザリした紫原は、スーツのままテーブルにある駄菓子を口に運んでいた。彼は、こんなショッキングな出来事があってもほぼ全てのお菓子を一人で食べ尽くす程に肝が据わっている。

「青峰お前、女子高生にもちょっかい出してたんだろ? あんまフラフラしてんなよ」

 苦い顔をした笠松は、これ以上のスキャンダルを許さないかのように釘を刺す。涼しい顔した青峰は、平然と言い放った。

「ソッチはもう片付けた」

 その台詞を聞いた火神は立ち上がり、青峰に向かって肩を怒らせる。赤毛の彼が足を踏み出す前に、氷室が制止した。

「タイガ、……さっき注意したばかりだ」

「"片付けた"って言い方はねぇだろ?」

 火神の発言を聞こえなかったかのように振る舞う青峰は、笠松の方を向いてドアを指差した。

「もう帰って良いよな? 警護待たせてんだよ。外に」

「青峰! ちゃんと謝って説明しろ!!」

 火神は詳細の開示を求めたが、ソレも虚しく無視される。散々周囲に迷惑を掛け振り回した青峰は、誰にも謝る事無くドアの向こうへと姿を消した。