「何で……ソレ……」

 雨音だけが室内を騒がしくした夜更け。口を開いた黛は、下に敷いた彼女の口から出た言葉に挙動が不審になる。

「友達の彼氏が、写真で見たって……。バスケ部の彼氏。部室に写真、飾ってあるみたいですよ」

 "バスケ部の彼氏"とは、洛山に行ったと言っていた人物だろう。思わぬ場所から出身校を割り出され、黛の視線が泳いだ。

「人違いかもしれないけど、先生によく似てるって言ってた……」

 ポツリポツリと紡がれる昨日の出来事。「アンタの家庭教師、何者?」から始まった友人の話は、なまえを驚愕させた。

 写メを送った丁度その時、彼女と時間を共にしていた洛山の彼氏は「俺は写真でしか見た事無いけど……」と、特徴捉えられない見た目。名前が女みたいで、"オハグロ"みたいな変わった苗字……等【洛山のシックスマン】と呼ばれた男の特徴をつらつらと並べ、盗撮のような写メに写る姿とその名前に類似点を見付けたのだった。

「何で嘘付いたの?」

 寂しそうな少女の目が、洛山のシックスマンを責める。

「……嘘、じゃない」

 咄嗟に出てきた言葉は、またしても嘘だ。どれが真実で、どれが偽りなのか……。きっと彼の口から出る情報は、全てが"嘘"なんだ。

「……私、洛山には行かない事にしたんです」

「ソレが良いだろうな。全寮制は、息苦しい」

 ようやく洛山へ通っていた事を認めた黛は、泳がせていた瞳を少女に向けた。

「嘘付いたのは、何で?」

「……洛山には、良い思い出が……無いからだ」

「バスケ部だったんですね?」

 黛の首が僅かに上下する。灰色の髪が揺れ、薄い唇が開いた。

「レギュラーだった」

「え? ソレって凄……――」

 賞賛するなまえの口を塞ぐのに、手のひらで覆った。普通ならキスでもするのがベストだろうが、生憎黛はそんな器用に少女漫画のような展開へと持ち込めない。黙って見つめたまま動かない二人は、端から見ればまるで恋人のような時間を過ごす。

 先に動いたのはなまえだった。沈黙が続く室内で、上に乗った相手の頬を指先でなぞった。ゆるゆる顔面を撫で、そのまま黛千尋の唇のカタチを確認する。口元から離れた男の手が、ゆっくりと少女の頭を撫でた。そんな大人なコミュニケーションは、降りてきたキスで幕を閉じる。

 ――再び始まる行為の続きは、益々過激になった。広げた足の間に愛しい相手の右手が動き、薄暗い闇の中で未熟ながら濡れる女性器の触診していた。せっかく買った下着はリボンが解かれ、布団の中に消えた。

 クリトリスへ直接指先が触れると、なまえの身体はビクリと跳ねる。二人とも緊張による息苦しさで、頭の中が破裂しそうだ。誰にも見せた事の無い場所が二本の指で開かれる。いつの間にか雨は止み、静かな室内に響く息遣いで向こうの興奮を感じ合えるのだった。

 下着ごと半ズボンを脱いで股間を露出させた黛は、衣類を布団の中から床に捨てる。大きさにあまり自信の無い男性器だが、きっと彼女は比較対象も知らない。

 陰部と陰部を合わせると、なまえの身体は腕の中で震えた。重なり合い軽いキスをしているだけなのに、まるでドラマのようだ。

 黛は、合わせた下半身を深く押し進める。しかし経験の無い男は、処女を簡単に貫けない。彼の肉棒は肉壁にぶつかり、侵入を阻まれた。それでも濡れた陰部に竿が擦れると気持ちが良い。そのままヌルリヌルリと性器だけを擦り合わせ、柔らかい入口の厚い肉触を堪能した。

 空いた手でなまえの乳房を揉みしだく。すると、ずっと硬直していた少女の口から喘ぎが漏れた。

「――せんせ……、っ気持ち良い……」

 その色っぽい感想を聞いた瞬間、黛は性器の先から欲を吐いた。陰部へ挿入もせず、素股状態だけで呆気なく絶頂を迎えてしまった。

 黛はグッタリした身体を二本の腕で支え、前髪を垂らしハァハァと息を整えた。腕の力を抜いて少女の上にのし掛かると、頭を撫でられた。腹に自分の精液が付着する感触が、顔を歪ませる程に気持ち悪い。

「……気持ち良かった?」

 気恥ずかしさで感想も言えない黛は、乱れた息を戻す為に口を閉じる。だが、息苦しさが深くなり最終的には溜め息で誤魔化しながら息を吐いた。

 ……初めての性交が、挿入無しに終わってしまった。普段から性欲も乏しい男は、二発目を出す体力も無い。情けなさになまえの顔も見れずに、ずっと敷き布団に額を押し付けたままだ。

 組み敷いた相手から「重いです」と言われ、初めて身体を退かして横に寝そべる。前髪を掻き上げ余韻に意識を委ねると、なまえが裸のまま擦り寄ってきた。腹部を撫でながら、排出された黛の精液の手触りに感想を述べ始める。

「思ったより、サラサラしてます」

 指の臭いを嗅いで「くさい!」と驚きの声を上げる少女に、テーブルに乗っていたティッシュを差し出してやる。

 ――月明かりだけが照らした暗闇の中。微笑んだ相手の顔は、今までで一番可愛く思えた。


 …………………


「……おはようございます」

 窓の外は恐ろしく青い。そんな天候に恵まれた朝、床に敷いた来客用布団の上。自分に寄り添うように横たわった中学生が、ニコニコしながら朝の挨拶を述べる。低血圧で朝が苦手は黛は目もろくに開けず、なまえに背中を見せるよう寝返りを打った。

「朝から無視ですか?」

 背中の皮膚を叩かれ、ペチペチと音が鳴る。黛は擽ったい刺激に紛れ口を開いた。

「服、着ろよ」

「あっ!」

 結局そのまま寝てしまった二人は、全裸で朝を迎えていた。二人の服はアチラコチラに散らばり、乱れた一夜を生々しくする。

「は、裸のまま、寝ちゃいましたね!」

 急に気恥ずかしくなったのか、なまえは愛想笑いで羞恥を誤魔化し始めた。黛は、左腕を枕にしたまま何も言わない。

「私、こういうの……初めてだから、何て言うか……えっと……」

 昨夜の性交は失敗に終わった。理由は両者に経験と知識が不足していたから……。なまえはソレを一生懸命フォローしようとするが、黛からしたら傷口に塩を塗られる気分だ。

「……やめろ」

「し、シアワセだなぁー……って」

 言い終わってすぐ、気まずい沈黙が流れた。黛は逃げるように背を丸め、肩まで毛布を掛けた。

「一生のお願いがあります」

 首を捻り後ろを見た男の顔は、怪訝そうにしかめたモノだった。拒否を全面に出されているのにも関わらず、めげないなまえは要求を口にする。

「……名前、呼んで?」

 大きく溜め息を吐いた黛は、要求通り相手の名を呼んでやった。

「…………なまえ、ちゃん」

 呼び捨て出来ず敬称を付けた相手を、なまえはケタケタと笑った。日差しが差し込み、彼女の肌にうっすらと影を落とした。

「ちゃん付けですか? 裸で寝たのに?」

「うるせ……」

 再度そっぽを向いた黛千尋は、相手の腕が腰元に回るのに驚いた。小さな手のひらが腹部を撫で、背後から嬉しそうな声が弾んだ。

「先生、腹筋割れてる」

「肉が無いからな」

 ウゥ……と呻いたなまえは、自分のウエストを押さえて隠した。そして話題を逸らそうとする。

「…………朝ご飯、食べます?」

「食い過ぎると太るぞ」

「食べ過ぎないもん!」

 フフッ……と笑みを溢した黛を、素早くキャミソールを着終えたなまえは信じられないと云った顔で見る。

「先生、笑った!」

「そりゃ笑うよ、人間だからな」

 クツクツと肩を揺らし自分を嘲笑う男に、少女は唇を尖らせ頬を膨らませる。

「先生って、ツンデレですよね?」

「違う」

 笑いを引っ込めピシャリと言い放ち、黛は自分がそんな属性では無いと拒否する。

「絶ッ対、ツンデレ」

「デレないから違う」

「……ツンは認めるんですね」

「遅刻すんぞ、受験生」

 薄い上半身を起こしTシャツを掴んだ男は、何も準備を始めないなまえに嫌味を言う。彼女はやっと布団の中から年不相応な下着を探し出して、ササッとしまう。

「先生……また来てくれる?」

 制服に着替えた中学生は、同じく着替え終えた教師を心配そうに見つめる。

「何で、そんな事聞くんだよ」

「だって……」

 理由を言う前になまえの頭を乱暴に掻き乱された。黛は、やんわりと口角を上げる。それでも彼の印象薄い目は、本当に自分を見ているのか不安になったなまえは、笑う事が出来ずに居た。

 ……その三日後、彼女の不安は的中する事となる。「また来る」の約束も一切しなかった黛は、煙のように姿を消した。


  +  +  +


「今日から教師を勤めます、陣内です。前任が退職と言う事で、急ですが」

「まぁ……、黛先生辞めてしまったんですか」

 次の木曜日。いつもより頑張って髪を纏めたなまえは、玄関に立つ男性の声に失望して階段の途中で足を止めた。

 母親から名前を呼ばれ、玄関へ足を運ばせる。スーツ姿の男性は、マセた少女に笑い掛ける。

「よろしくね、なまえちゃん」

「…………はい、お願いします」

 気落ちしているのを悟られないよう、なまえは無理矢理笑みを作る。

 ――"彼"は、最後まで嘘付きだった。何も痕跡を残さない彼は、印象も薄く記憶から直ぐに消えてしまいそうだった。あの夜さえ夢だったのだと、何時かは思い込んでしまいそうで、授業中だと言うのに少女は問題集に涙を落とした。


 …………………


 足早に夏の余韻が去り、秋が駆け足で通り過ぎようとしていた。そんな日常をバスケットボールと云う室内競技で彩る葉山小太郎は、全寮制である洛山高校に籍を置いている。三年生の彼は、この春から四人部屋から二人部屋へと移っていた。ソレがこの高校の、三年生に措ける"最大の特権"だ。

「葉山、お客さん」

 ドアの向こうから誰かが自分を呼ぶ。ベッドに胡座を掻いていた葉山は『別に鍵無いんだから、勝手に入ってくれば良いのに』と、律儀なその"誰か"を心の中で批難する。

「待ってて! 今イイトコ……!」

 カチャカチャボタンと十字キーを打ち、画面の中でモンスターを追い詰める。向かい合って座るルームメイトも、葉山と同じで通信で同じクエストに興じている。朝早くから始まる練習も夕方で終了する、素晴らしい休日の有意義な使い方だ。

 葉山の制止を無視した相手は、ドアを開けた。休日だと言うのに洛山の制服をキッチリ着こなした人物が、勝手に部屋へと進入する。

 ルームメイトは、一瞬制服だけが宙に浮いているのかと目を疑った。後ろ姿も際立って印象が無い。目を逸らしたら、そこにもう居ないような儚さ。まるで幽霊だ。

 葉山に向かって、幽霊のような男は声を掛けた。特徴の掴みにくい、澄んだ声が耳に届く。

「時間は取らせない」

 顔を上げた葉山小太郎は、自分の前に立つ人物を見て固まった。だってソイツは……もうこの高校には居ない筈の人物だったから。一ヶ月前……絶望の表情でトイレの床に座り込んだ"彼"の姿を思い出した。

 ポカンとした表情の葉山からゲーム機を奪った男は、ボタンを器用に押す。手慣れた動きでモンスターに攻撃を繰り出し、僅か数分でクエストを完了させていた。そして身体を捻り、後ろに腰掛けていたルームメイトへ要求を告げた。

「席を外してくれ」

 偉そうに命令する入室者にムッとしたルームメイトは、侵入者の館内用スリッパを見た。そして一年生の使用しているカラーリングに眉を潜める。だが、葉山が「ワリィ」と頭を下げるから仕方無しに生意気な後輩の言う事に従う。彼は、その色が昨年度までの上級生が使用していた事を忘れているようだ。


「……不法侵入じゃん」

 二人になった室内で、いきなり不貞腐れた顔になった葉山は壁へ背を付ける。曲がりなりに黛を歓迎しない意思を全面に出す。

「ゲーム機の持ち込みは禁止だ」

 差し出された校則違反のブツを手に取った葉山は、気まずそうに枕の下へ隠した。

「他の皆、呼ぶ?」

「……会いたくない」

 黛は懐かしくも思う部屋を見渡す。壁に掛けられたユニフォームの背番号は、同じチームに居た頃から変わっていない。

「んで、用は何?」

「――部室に飾ってる写真、アレは何だ?」

 ココに来る前……。部室にも足を運んだ。誰かが隠した鍵の場所は変わっていなくて、案外アッサリと侵入出来た。そして、ソコに飾られた昨年度のWC決勝戦後の写真を見た。……小さくはあるが、同じモノを自分も持っている。捨てたいと何度も思ったが、結局机の奥底に隠したままだ。

「さぁね? 外す事無いって命令されてる」

 腕を頭の後ろに回した葉山は、遠回しに"赤司のせいだ"と伝えた。

「なぁ……、葉山」

「何? 理由が知りたいなら他の奴ン所行きなよ」

 突き放すような事を口にし、他人となった相手から顔を剃らす。一年前と何かが変わってしまった黛千尋が、葉山に"最初で最後の願い"を告げた。

「――オレを殴ってくれ」

 葉山小太郎は、その"急な願い"に目を見開いた。