教室は現在昼休みで賑やかだ。本日の『お昼の放送』はリクエストアワーで、要望があった音楽が流されている。興味の無い生徒達は、話に笑いを弾ませた。

「――どう? カテキョの先生」

 机を四つ並べ弁当に箸を刺す仲良し四人組。リーダー的存在の少女は、なまえにそう聞いた。このグループは、クラスに措ける"ヒラエルキー"の上位層に属する為華やかだ。リーダー格の少女は超名門校バスケ部の高校生と付き合っていて、クラスの男子の"夜のお供"にもされている。

「どう……って、普通?」

 家庭教師の顔を思い出そうとしても、朧気にしか出て来ない。彼には特徴が無く、掴み所が全く存在しない。たった数回の面会じゃ、意識に残らないのだ。

「ねぇ、例えば誰に似てる? 芸能人とかさぁ!」

 また別の友人が明るい声を弾ませ聞いてくる。彼女も彼氏持ちで、隣のクラスの男子と手を繋ぎ帰っているのをよく見掛けた。

「…………判んない」

「え?」

「何か、どんな顔してたっけ? 思い出せない」

 頭を捻って唸るなまえへ、隣に座る穏やかそうな友人が声を掛けた。四人の仲で一番可愛く、頭脳明晰。塾に恐ろしく頭の良い彼氏が居る。

「相変わらずオトボケなんだね、なまえちゃん」

「本当だって! 薄いって言うか……。んんー……、特徴が無い」

「じゃあ写真撮って来てよ」

 明るくムードメーカーな友人が、スマホのカメラで食べ掛けの弁当を撮影する。この時、手の甲を向けたピースが然り気無く写り込むのがポイントだ。コレは『楽しい時間を過ごしています』と云う間接的なアピールだから、絶対必要。彼女は直ぐ様SNSへ画像をアップロードしていた。

「絶対、嫌がると思う」

 飲み物を口にして黛千尋の反応を想像する。何故家庭教師になったのか疑う程に愛想無い男は、シミュレーションの中でも嫌がっていた。


 ……………………


「写真撮って良いですか?」

 自室で勉学に励むなまえが質問した。

「死んッでもヤダ」

 文庫本に目を通していた黛が即答した。

 丁度、今日は家庭教師の来る日だった。しかしあと三十分程で、ソレも終了する。

「友達が先生の事見たいって」

「あぁ、そうか」

 スマホを構えたなまえへ、黛は「撮ったらもう来ねぇからな」と釘を刺した。

 大きく欠伸をした黛が、頭を左右に振って眠気を飛ばす。静かな室内での読書は好きだが、疲弊した身体では睡魔に負けそうだ。

「……眠いなら寝て良いよ?」

 黛は重い目蓋を擦り頭を左右に振って拒否をするのだが、後ろにあるベッドは手招きをする。

 ――数分後、寝具に横たわった家庭教師は、職務を放棄して寝息を立ててしまった。彼はココ最近、大学の試験に向けて仮眠程度にしか睡眠を取っていなかった。

 なまえはペンを置き、ベッドに近寄る。起きたら不機嫌になりそうだが、『コッチ来るな』とは言われていない。壁側を向き眠る男の肩を数回叩き、初めて名を呼ぶ。

「……黛センセ?」

 寝返りを打ち、仰向けになった黛の姿に胸が高鳴った。

 生気の無い瞳のせいで気付かなかったが、男の顔立ちは平均以上に整っていた。特徴が無いと言う事は、特別目に付く悪い部分も無いと云う事だ。長い前髪を左右に流し、額を見せて目を閉じる姿はいつもと違う。枕が変わり寝苦しいのか、不快そうに眉をしかめるのが格好良い。

 男はTシャツを腰元まで捲って、腹部をバリバリ掻いた。そんなだらしない仕草も、割れた腹筋が全てを奪う。黛は学生時代、過酷な運動部へ所属していたし、シックスパックを覆い隠す脂肪も少ない。引き締まるのも当前だ。ウエスト周りだけならば、世間で言う"細マッチョ"に分類される。

 普段の頼り無さそうな姿とのギャップに、なまえはドキドキした。この位の年代の女子は、中性的な顔立ち・薄い体躯に実は筋肉も兼ね備えている男がタイプだ。勿論彼女も例外では無い。眠りこけた黛に、理想である"少女漫画のヒーロー像"を重ねた。――現実の彼は、友人もろくに居ないボッチ学生なのに。

 少女漫画なら、ココで寝惚けた相手の腕が伸び抱き寄せられるのがセオリーだが、黛はそんな気配すら見せない。現実とはこんなモノである。

「――写真!」

 思い立ったなまえは、カメラを構え一枚だけシャッターを切る。ライトアップの知識も何も無い、素人らしい出来の盗撮写真を保存した。

 再度顔を覗くと、薄い唇がムニャムニャと動く。半開きの唇は隙だらけ……。少女はこのままキスしようかの一線で悩む。

 不穏な気配を感じて起きた黛は、一瞬だけ薄い目を見開いて固まった。エロガキに、至近距離から顔を覗き込まれている。どう見ても夜這いに似ている光景に、死んだ魚のような瞳でなまえを見た。

 黛は無表情のまま、教え子から視線を外さない。至近距離で見つめ合っているのに甘い雰囲気にならないのは、流石黛千尋と言った所だ。

「もっと寝てて良いですよ」

 覆い被さろうとするなまえの肩を押して、上半身を起こす。邪険にされても落ち込まない"タフな精神"の相手は、笑顔でスマホの画面を見せてきた。黛は、ソコに写る自分の寝顔に頭を抱えた。こんな所で眠りこけるなんて、彼の一生に措ける一番の不覚だ……。

「寝顔、可愛いんですね」

「……消せよ」

 額に置いていた手のひらで顔を擦り、寝起きの頭脳を起こし始める。

「友達に見せたら」

 ……訴えるぞ。

「チューすれば良かったぁ」

 二度と来ねぇ。

「ねぇ、来週って月曜日に変更出来ませんか?」

 もう来ねぇって。

「ピザでも取りましょうよ!」

 食いモンで釣るな。

 そうやって脳内でマセガキと会話をするのだが、相手は無視されていると思ったのか、拗ねて黙ってしまう。鼻腔から大きく息を吐いた黛は、眠い目を擦った後に口を開いた。

「……火曜に何かあんのか?」

 構われて嬉しそうな彼女は、笑顔をフルスロットルにして答え始める。

「違います、違います。月曜にお母さんね、お父さんトコに行くんだって。出雲に単身赴任してるから泊まりです。火曜の夜に二人で帰るって」

「あっ、そ……」

 出雲が島根県にある事も、島根県が何処にあるかも知らない黛は興味が無さそうに顔ごと目線を下げた。

「だから、月曜は私一人でお留守番なんだぁ」

 その台詞に再度顔を上げた黛は、何時もより神妙そうな顔を見せる。

「……マズイだろ。ソレ」

 最近、この一帯で集団での空き巣が多いと警告が出ていた。外国人グループが留守宅を狙い、つい先週鉢合わせした老人が重体で見付かっている。犯人は未だに捕まらない。こんなか弱い……体型だけは平均的中学生の彼女が一人で夜を過ごすなんて、親は心配しないのだろうか。

「だから、先生をボディーガードにしようかなって!」

 なまえは遠足前のようなウキウキした表情で、黛に警備を願い出た。当たり前だが、それはすぐに却下されるのだった。

「無理。オレ、腕っぷしねぇし」

 黛がベッドから降り元の定位置に座れば、なまえはベッドの隅に腰掛けた。家庭教師はいつもベッドの前に座っていた為、今はスカートから覗く彼女の生足が横にある状態だ。

「一人よりはマシですよ」

「……友達呼べよ」

「中学生だけのお泊まりは、禁止なんですぅ〜」

 なまえは足先で男の横腹を擽るのだが、直ぐに甲をピシャリと叩かれていた。

「一人は危ねぇだろ」

 普段は冷徹でも、黛だって人間だ。時には可愛い……くはないが、教え子を心配だってする。

「先生居るから大丈夫!」

 ベッドから降りて横に腰掛け擦り寄ってきたなまえは、右腕に手を回して抱き着く。明確なスキンシップに身を引き締める黛は、引き剥がそうと腕を振った。

「チューして?」

「嫌だ」

 本日何回目かの拒否か覚えていないが、今度の相手は今まで以上に大胆だった。彼女は黛の首筋に顔を近付け、実力行使に出る。

「……っ!?」

 舌で舐め上げられた首筋から、痺れる快感が流れた。突然始まった愛撫に、全身が熱くなる。黛は初めての甘く痺れる感覚に飲まれないよう、肘の皮膚を捻って堪えた。

「月曜日にしてよー」

「……駄目だ、親が居る火曜にしろ」

「するって言うまで止めないもん!」

 恐れを知らないマセガキを甘く見ていたようだ。彼女は耳殻に唇を付け合わせて来た。どこで覚えた知識かは知らないが、黛千尋には刺激が強過ぎる。じんわり纏う快感にポーカーフェイスも崩れ始めた。

「……オイ、やめ――」

 中学生の癖にこんな交渉術を使うなんて、彼女は営業か風俗に将来を見出だせば良いだろう。

「キスして? 月曜日にして?」

「やめろ、って……」

 突き飛ばそうと密かに構えるが、ギリギリで手を止めた黛は、遂に折れる事を覚えた。

「分かった! 月曜に来る!」

「やったー!!」

 愛撫を止め唇を離し、両手を上げて万歳をしたなまえは、意見の通った喜びを全身で表現した。

「キスは?」

 羞恥も無く唇を突き出す相手へイラッとはしたが、大人な黛クンは怒りを堪えてやる。

「してやるから、目を瞑れ」

 従順に目を瞑ったなまえだが、黛はそのままリュックを背負い部屋を退室するのだった。

 そんな放置された彼女のスマホに、友人達からメッセージが届いていた。三人の意見を総評すると、こうだ。

【なんかフツーだけど、まぁかっこいぃかもね】


 …………………


 土曜日は、考査に向けて自習を行う予定だった。昼過ぎに起きた黛は、寝過ぎに後悔する間も無く、近くの図書館へ向かう。ギリギリで個室のブースを確保出来、神に感謝した。周囲は自分と同じ学生で溢れ、筆記する音やキーボードを打つ音に溢れた。

 そんな学生として充実した一日は、夕方の閉館時間と共に終了した。出口からボンヤリ出て来た大学生を、一人の"とある少年"が待ち構えていた。

 夕日に照らされ、足元に長い影を作った"彼"の襲来に驚いた黛は、喉を鳴らし唾を飲む。さっき覚えた論理を頭で反芻させ、少年に気付かない振りをした。

「……何故メールを返さない?」

 その少年は黛の背中に声を掛けた。

「何で返さなきゃいけねぇんだよ」

 歩みを止めない黛は、彼の存在に腹が立っていた。顔では冷静を装っていたが、強く握った拳がソレを物語る。

「まだ怒っているのか?」

「臆病者に何のようだよ」

 足を止め、後ろを向いた黛は元チームメイトを見下す。丁度黛千尋の後ろから夕日が顔を覗かせ、その眩しさにブレザー姿の少年は目を細めた。

「何故バスケを辞めた?」

「飽きたから」

 単刀直入に聞かれ、単刀直入な返事を投げた黛。二人の膠着状態は続く。

「才能を潰すのか?」

「誰かの代わりは嫌だから」

 黛の呟きを鼻で笑った少年は、歪な笑顔を見せる。彼の頭は赤で染まり、夕日が照らすオレンジの空に溶けそうだ。

「ホラ、怒ってるじゃないか」

「だったら関わらないでくれ!」

 赤毛の少年は、会った時からこうだった。人の行動を読むのが巧い。今日黛がココに居るのも予測していた。まるで全てを知っているかのようで気味が悪い。黛は目を背け、また少年に背中を見せた。

「黛さんがバスケを辞めたと言うなら、ボクは見る目が無かったんだと自分に言い聞かせるしか無い」

 少年は独り言のように呟いた。黛は足すら動かせず、地面に張られたコンクリートのタイルをただ眺めた。前方に顔を上げれば夕日が目を刺し、背後を向けば忌々しい過去が自分を見据えている。進路を断たれた黛は、その場に立ち竦む。

「付き合ってくれ」

 "忌々しい過去"が、背後から声を掛けた。


 …………………


 その少年――赤司征十郎に連れられた場所は、近場のファミレスだった。晩飯前のこの時間は賑やかで、黛を少しだけ安心させる。しかし、赤毛の少年が向かった先には"会いたくない人物"がもう一人座っていた。その相手は手招きで男達を呼ぶ途中、端正な顔を歪ませた。

「……黛サン、何で居るの?」

 実渕玲央。洛山高校三年、バスケ部。彼は黛を歓迎してはいないようだ。

「《用事があって》って、この事?」

 実渕は隣に腰掛けて腕を組む赤司にそう問い掛けるが、聞かれた少年はソレを無視して、逆に自分が質問を掛けた。

「二人はどうした?」

「自転車で来るって、ニケツして。馬鹿よねぇ、補導されれば良いのに」

 根武谷永吉と、葉山小太郎は一台の自転車に乗り合いコチラへ向かうと言う。だから実渕は、浅はかな彼等を子供扱いし馬鹿にした。

「どうなの? 大学生活は?」

 サラサラの黒髪を流し、綺麗な男は質問を投げた。この場に措ける『どうなの?』とは、勉学の具合を質してる訳では無さそうだ。

 黛千尋は答えない。グランドメニューに目を通し、興味もないカロリーを確認した。すると実渕は、彼の愛想の無さに呆れソッポを向いた。

 腰の落ち着いた三人は物静かな時間を共有するが、数秒後――"とある二人"の来店によりその静けさは打ち砕かれる事になる。店内に響くような大声で笑い出した"その二人"は、酷く目立っていた。

「お前本ッとジャンケン弱ェな!!」

「そんな筈は……あぁー、でも弱いかも」

 一台の自転車に乗って来た彼等は、信号待ちの度にジャンケンをし、漕ぎ役を決めていたようだ。どちらがより多くを漕いだのかは、明白だった。

 猫のように爛々と光る目をした少年が頭を掻く。その隣の巨男は、剃り込みの入った坊主頭に褐色肌。風貌の凶悪さに、レジの近くに居た園児がビクリと固まった。泣く子も黙る根武谷は、葉山の弱点を教えてやる。

「最初にパーしか出さねェからな?」

「もっと早く教えてよー……」

 早口気味に捲し天を仰いだ葉山は、芝居が大袈裟過ぎるムードメーカーだ。直ぐコチラに気付き、馴れ馴れしく黛の隣に座り出す根武谷と葉山。

「懐かしい顔が居るじゃねぇか。新入部員か?」

 黙れマッスル黒ゴリラ。檻に返すぞ。そうだ、格子をガチャガチャ揺すらぬよう、電流を流そう。……黛は物騒な発想を思い付く。彼の頭の中の根武谷永吉は、褐色を越して黒焦げになっていた。

「なぁ、どうなんだよ? ダイガクセーって。楽しいのか?」

 電気ショックにより炭にされた根武谷は、黛の肩に太い腕を載せる。だが、ソレは瞬時にはね退けられた。冷たいOBの態度をフォローするが如く、実渕が褐色肌の男に話し掛ける。

「さっき聞いたけど、答えてくんないのよ」

「バコバコしてんだろ? そりゃバスケする暇ねぇよなァ!」

 エアセックスを見立てて腰を振った根武谷は、下品に笑った。ゴリラの方がまだ上品である。向かいに座る美意識の高い実渕が、露骨に嫌な顔をする。

「何? エッチな話?」

 葉山が目を輝かせて食い付いた。コートの中では最強でも、普段の彼等はイチ高校生だ。性の話題には興味がそそられる。

「ダイガクセーってのはな、入学したら新歓コンパでヤれるらしいぜ? ココ乾く暇もねぇよ!!」

 根武谷が葉山の股間を鷲掴みにし軽く揉めば、握られた方は「マジでー?」と笑い、周囲の迷惑になる程騒がしくする。まるで台風だ。実渕は完全に他人の振り、赤司は腕を組み目を閉じ下らない話が終わるのを待っていた。黛は妄想で自分の世界に入る。

「黛サン、ヤリヤリマン?」

「何だよソレ」

 そんな問い掛けをする葉山を、眉頭ひとつ動かさない黛は面倒そうに流した。

 うだつの上がらない凡人が正義のヒーローになって、美少女と……ついでに世界を救う妄想は何度かした事がある。でも、そんな恥知らずなヒーローに変身した覚えは無い。

 相変わらずクールに拒絶する黛。面白くない実渕は、頬杖付いたまま先輩を鼻で笑った。

「――ヤダ。もしかして……まだ童貞なの?」

 その質疑に反応を示さない黛を"童貞"だと決め付けた実渕は、高らかに笑った。

「あんな本ばっか読んでるからよ?」

 うるさいカマ野郎。お前はその喋り方をどうにかしろ。――後輩から趣味を否定された黛は、心の中で思い切り悪態を付く。

「……本題に入っていいか?」

 目を開けた赤司が口を開けば、その場の全員に緊張感が走る。彼等は赤司によく躾られていた。無意識下であるが、こんな風に表情を真面目なモノにするのだ。

「――次、優勝出来なければ……ボクはバスケを引退する」

 赤司は肝の据わった目で全員に視線を流し、驚愕の言葉を告げる。そのいきなりの台詞に、各々は違った反応を見せた。

「本気で言ってるの?」

「思い切ったじゃねぇか」

「絶対負けらんないね?」

 実渕は驚き、根武谷は鼻で笑う。そして葉山は愉快そうな顔をした。しかし、黛だけは表情を一切変えずに立ち上がるのだった。

「……帰る。関係者だけで話し合ってくれ」

 ――赤司は、本当に辞めるに違いない。誰に引き止められても、例え世界中の人間が引退を拒否しても……構わずに足を洗うだろう。元来、彼は他人にも自分にも厳しい所がある。今の決意表明は彼にとっての戒めであり、罰でもある。

 それに、この少年は恐らく……自分が生涯を掛けて"築き上げたモノ"を躊躇いも無く棄てられる人間だ。黛とは違う。己の打ち立てた信念に真っ直ぐだ。

「千尋、お前も関係しているんだ。原点を振り返らなければ未来には進めない」

 ……また利用だけする気か。黛千尋は一刻も早く離席したいのだが、根武谷と葉山が道を塞いでいる。彼等に視線を投げても、退こうともしない。

「……オレにとっては、只の過去だ」

 震える声を抑え、喉から声を出すので必死だった。

「あっそ。なら聞く振りだけすれば良いじゃない。……座りなさいよ」

 実渕が黛を長い睫毛の下から睨む。彼は時折、年上に対しても容赦無い。それは礼節に掛けている訳でなく、洛山高校の性質を表していた。完全なる実力主義は、年功すら無きモノにする。引退してもソレは身に染み、黛は黙って腰を下ろした。

「五人目のレギュラーが未確定だ。……突破口になる人材が居ない」

 現在、洛山高校のレギュラー及びスターティングメンバーは上記の四人しか決まっていない。誰も黛が抜けた穴を埋める事が出来ずに居る。

 それは単に"周囲のレベルが低い"訳では無い。名門校らしく、部員のアベレージは高い。技術だけで言えば黛千尋よりずっと高く、他校ならエースを張れる人材だって居る。

「個人個人の技術力は高いんだけどねぇ……」

 実渕が言う。彼等が欲しいのは"特出した非凡さ"だ。レギュラー全員に"異質な才能"が無ければ、誠凛高校や【キセキの世代】獲得校に圧倒的強さを見せ付ける事が出来ない。

「黛サン、けっこー凄い人」

 葉山が黛を指差し、プレイを共にした先輩を讃える。男の透明さは突き抜けて特異なモノであり、唯一無二の体質だと思っていた【黒子テツヤ】を一度は凌いだ。

 しかし、そんな賞賛も、黛には届かない。

「……忙しいんだよ。レポートとか」

 黛は"絶交"を表したくて、窓の外に視線を逃がす。そんな態度にも臆せず、根武谷が嫌味な事を口にした。

「バコバコしなきゃだしな?」

 ニヤニヤ顔の葉山が「ワァーオ」と陽気な反応を見せた。苛立った黛は、わざと嘘を付く。

「あぁ、バコバコするのにも忙しい」

 まさかの返答に、根武谷は目が飛び出るんじゃないかと云う位かっ開いた。表情少ない黛千尋は、言う事言う事が『何処まで本当か』判別しにくいのだ。

「……ヤリヤリマンじゃん」

 葉山が頭を抱えた。また冗談の過ぎる話が始まるようだ。強引にソレを阻止したのは、赤司の一言だった。

「……千尋、お前は何故バスケを辞めた」

 ――……何で気付かねぇんだよ。

 黛は、能面の裏に哀しみを貼り付けた。