間に挟まれた昼休憩。食後にチームから抜けた佐久間と友人は、二階の観客席へ腰掛けた。周囲にはチラホラと見学者が座り、知らない高校の奴等まで観戦に居る。勿論、全員バスケ部だ。決勝で洛山に敗退した秀徳の連中も居た。更には近場に住む女子生徒まで見学に来ており、アチラコチラで騒がしくはしゃいでいる。

「何で彼女と別れたの?」

 隣の椅子に深く腰掛けた友人は、足を前に投げ出してそう聞いた。

「関係無いだろ」

 佐久間は御座なりに答えながらコートを眺めた。先程間近で見た青峰大輝のスーパープレイを思い返す。青い髪は丸く刈られ、似合わないと思った。だけど男の技巧は誰よりも巧みで、すぐに会場全ての人間を魅了した。凡人の佐久間には一生出来ない事だ。

「小倉が見たって。こないだ二人で帰ってるトコ」

 小倉と云う名に聞き覚えが無い佐久間は、記憶から呼び起こそうとして難しい顔をする。助け船のように友人は「陸上部の」と補足をくれた。だから彼は思い出す事が出来た。

「あの日に別れた」

 軽々しくも忌々しそうに言葉を吐いた佐久間へ、驚いた顔を見せながら友人は問い掛ける。

「何で?」

「……なまえちゃんに、俺は勿体無いんだってさ」

「はぁ?」

 フラれた理由にピンとこないのか、友人は眉をひそめて隣の少年を見つめた。そして何故か、佐久間は顎がシャープで横顔の映える人間だと思った。だからきっとこの男は女子から人気がある。正面は綺麗でも、横顔まで整った日本人は少ない。

「俺の事好きな奴が他にも沢山居るから、別れたいってさ」

 彼に見とれていた友人は、佐久間の頭を叩いた。そして嫌味を嫌味らしく口に出す。

「モテるって大変そうですねぇ〜?」

 そんなモテモテ男である佐久間の傍に、二名の女子生徒がやって来た。彼女らは同学年の男子バスケ部マネージャーだ。入りたてで知識は浅く、雑用ばかりで部員の前にはほとんど姿を見せない。

「佐久間君! 彼女と別れたって本当?」

 どこから噂を聞いたのか、二つ結びの少女が質問をした。面倒な佐久間は返事をせずに、誰も居ないコートを眺める。

「俺もフリーだけど?」

 そう言って自己をアピールする友人には、残酷な答えが飛んで来た。

「あっそ。どうでも良い情報をあんがと」

 友人は、またしても佐久間の頭を叩いた。

「プロ選手って凄いんだね。ってかさ、対戦してる相手って高校生なの?」

 もう片方のマネージャーが聞く。彼女はショートカットで、目が大きい。彼女の質問には、またしても友人が答えた。彼は人当たりが良い。だからと言ってモテる訳では無い。

「IH優勝。日本一の高校だよ」

「「高校生に見えな〜い」」

 その場に華やかな声が響いた。二人の女子生徒は、洛山高校の外見を楽しそうに批評し始めた。やれ何番がイケメンだ、ガタイ良い、怖い……。見た目で日本一の選手達の順位を決め始める。オリジナルなランキング作成は、年頃の少女達からすれば楽しい行為である。

 佐久間は、バスケ部のマネージャーなのに、IH優勝校の名も知らない彼女達に少しだけ腹が立った。自分らの聖域に足を踏み入れるなら、最低限の知識は身に付けて欲しい。男を漁りたいなら、他を当たってくれ。

 しかし、ふと思い立った佐久間は、二人のマネージャーに質問をした。

「……あのさ。女子って、あんな感じの……青峰選手みたいなのがタイプなの?」

 彼から憤りを持たれた事へ気付かない少女達は、佐久間の口にした"聞き慣れない選手名"に首を捻る。

「あんな感じの? 誰?」

「居たじゃん。前半だけ出てた、スゲェ巧い人」

 その説明で対象の選手が判明したのか、ショートカットのマネージャーは大きな目を笑わせた。

「あぁ、あの黒い人? 凄かったね! バスケってあんな動きするんだ! 曲芸かと思った」

「どっちかって言うと、黒髪の人の方が格好良かったぁ。髪の毛サラサラ」

「分かる〜! イケメ〜ン!!」

 もう片方の少女が氷室辰也を賞賛すると、二人はまた外見についてのトークを始めてしまった。呆気に取られた佐久間の肩を叩いた友人は、こう冗談を言った。

「青峰大輝を好きなのは、俺だよ?」


 ………………………


 昼休憩が終了し、本日の主役達が再びコートに姿を見せた。氷室がギャラリーに向かって手を振ると黄色い歓声が上がる。「ケッ」と言ったのは笠松で、学生時代の後輩を思い出していた。その後輩も、ギャラリーに手を振るのが好きだった。

 二軍側コートがざわめきを起こす。ベンチに座った葉山は、向こう側のエリアを見て立ち上がる。彼は、コートの間に引かれたネットから厳しい目線を黛へと投げた。その隣に立つのは、エース番号を背負う火神大我だった。

「……温存かよ」

「そういう事だ。悪いな、葉山」

 黛は、自身と火神を憎々しそうに睨む葉山に声を掛けた。そりゃそうだ。自分らのしている事は、彼が一生懸命育てたチームを馬鹿にしたようなモノだ。やっと出て来た憎き男は、いきなりにも二軍を荒らそうとしている。

 葉山からしたらそう見えるかもしれないが……本当は違う。黛千尋も二軍へ降格させられたのだ。先程の練習試合、アシストに回ったとは言え得点は一桁。三十分で一桁だ。点を生み出せない選手は、コートに立つ意味が無い。仕方無く、火神の隣に整列した背番号9は、小さく溜め息を吐いた。

 整列した瞬間、洛山の二軍選手は目の前に立ったある男の存在に全身が震えた。少しくすんだ赤毛の男は今まで見た選手の中でも群を抜いたオーラを持っていた。腕も太く、少しだけ撫で肩なのを上手く隠している。遂に、自分達の前に強者が姿を現したようだ。引き出した気分になった洛山の二軍選手は、自然に口角が上がる。

 左手を腰に当てた火神は、握手の為に右手を差し出した。……何故か隣に立つ黛へと。

「……ホラ」

「何だよ?」

 黛からは上目で無感情な視線を投げられた。ソレが拒絶の意を示しているようで、少しだけ怖じ気付く火神だが手を引く事無く、ぶっきらぼうに言葉を投げた。

「あ、握手だよ!」

 握手を催促された黛千尋は口をだらしなく開け、少しだけ眉を下げた。その顔に火神はツッコミを入れる。

「露骨に嫌な顔すんな!!」

 片方が気乗りしなくとも、二人は握手を交わした。しかし手を離した黛は、火神に見られないようユニフォームで手のひらを擦っていた。ソレを目撃した洛山の選手は、咳払いで笑いを誤魔化す。


「……気になるか? 火神と黛」

 両コートで試合が始まり、五分が過ぎた。吹き出た汗を5番のユニフォームで拭った青峰は、隣を走る笠松に問い掛けられた。向こう側の得点板を見た青峰は、開始早々動かなくなった事へ視点を向けた。

「点が膠着してる」

「青峰、コッチに集中しろ」

 得点を決めた代表チームは、ディフェンスの為に下がった。笠松はそう注意したが、そんな言葉は無用のようだ。青峰の目線は既に、張り付くべき高校生選手へと向いていた。

 二試合目。目論見通り青峰と紫原のマークが厳しくなった。それでもディフェンスを弾き飛ばす紫原は得点を重ねる。しかし相手も一流校だ。徐々に彼へのパスの進路を絶ち始めた。そうなれば、紫原はリバウンドの為に居るようなモノだ。気配を消し、中継ぎの出来る黛が抜けた事はデカい。

 このカードで状況を打破するには、青峰を中心にチームを動かすしか無い。しかし、笠松はソレを嫌がる。その男には制限があるからだ。

「無茶なシュート打つな」

 洛山側のタイムにより、各選手はベンチへ引いた。パイプ椅子に座り、タオルで汗を拭う。

 主将は、右肩を数度回す青峰へ声を掛けた。しかし、相手は一回睨んだだけで、命令を聞く気がないようだ。青峰は笠松に問う。

「……他に誰が点を取るんだよ」

「氷室が居る」

「だけじゃ足りねぇだろ。馬鹿か、後半考えろ」

 青峰は得点掲示板を見た。現在の点差は十七点、コチラがリードしている。得点の六割を青峰が叩き出していた。このタイムアウト、洛山側は一人の天才をどうやって止めるか話し合っているのだろう。

「オレが居る内に三十点以上引き離さないと、負けんだよ。判ってんだろ?」

 三枚のディフェンスすら意味の無いモノにする彼は、今後もフォームの無いプレイを使用する腹づもりだ。

「でも、止めろ」

 自身が出る試合は一戦たりとも黒星にしたくない青峰は、タオルで顔面を拭いながらその高過ぎるプライドを保とうとする。

「キャプテンが、この試合を捨てる気かよ?」

「……どっちも捨てさせねぇよ」

 そう言って笠松はタオルを後方に投げ、立ち上がる。同時に背を伸ばした氷室は、向こう側の様子を気にしていた。

「タイガ、調子が良さそうだ」

「火神、単純だからね〜」

 紫原が頬を掻きながら氷室の話題に乗っかった。

「二軍って、さっきの点差いくつだ?」

 主将のその質問には、氷室が軽快に答えた。

「十二点差」

 最悪な結果に、笠松は首を下げて笑った。

 ――二軍の前半戦が終了したらしく、マネージャーの女子生徒が葉山の元にスコアを持ってきた。手に取り内容を確認する。【58‐30】。洛山は負けている。特にシュートは3Pが大半で、恐らくゴール下のシュートは殆どが叩き落とされているのだろう。――背番号7番の、火神大我によって……。

「火神大我かぁ。あぁ、そんな名前だった気がする」

 葉山はそう言って向こう側を睨んだ。野生に似た闘争心が燃えて身を焦がす。


 火神の様子が変化したのは、後半が始まってすぐだった。体勢が何処と無く野性的になった。両手をダラリと垂らし、睨みながらブツブツと何かを呟く。不気味を越して何かを秘めた雰囲気に、ディフェンスへ回った洛山側選手は恐怖すら感じた。

 まだだ……。まだ、いける。オレは、更に上を持っている。

 火神はそうやって体内で噛み合わず止まっていた歯車の調整を始めた。選手が自身の感覚を歯車に例える事は少なくない。火神もその一人だった。

 次第に周囲の動きが遅く見える。時が自分の味方に付いた体感は、自在に時計の針を動かせる感覚に似ている。

 ……久々だ。本当は、もう二度と"本気を超えたプレイ"が出来るとは思えなかった。

 情熱は、部活と云うアマチュア時代に置いてきてしまった。きっとまだ誠凛高校の部室にあるのだろう。……ならば取りに行けば良い。出向かなくとも、記憶の中で手を伸ばせば良い。どうせソレには実体が無い。必要なのは、欲しいと強く願う気持ちだ。

 己の全てを引き出せる熱い感情が内から込み上げる。火神は、歯を食い縛った。


 ――……だってオレは、世界で一番強い。


 全身を果てしない自信で包んだ瞬間、火神の存在感は周囲を圧迫した。

 センタープレイヤーへパスを引き出そうとした黛は何故だか判らないが、身体を翻し火神へとボールを出した。左足で踏ん張り腰を無理に捻った為、筋肉が悲鳴を上げる。それでも彼は、火神へパスを出した。明確に勝利を掴める気がしたから。

 青峰は隣のコートを眺め、右肩を押さえた。火神が羨ましかった。自分には出来ない事を出来るからだ。自分がゾーンを発動させれば、確実に右肩を破壊する。……今の火神大我と戦ったら、負けるかもしれない。そんな弱々しく下らない想像を鼻で笑った青峰は、ディフェンスの為に体勢を低くした。

 火神の覚醒は、チームの何かを変える。そう願っていた笠松は、エースの変化に安堵した顔を見せた。ようやく、アイツが本気を出した。

 ココが、日本代表のスタート地点だ。





 その少女は、長い坂に疲弊しながらも根気よく登り会場へと辿り着いた。駐車場には沢山のバスと車が停まる。親に送迎を頼めば良かったと後悔した彼女は、施設の奥にある大きなアリーナへ足を運んだ。

 昨日の火神は様子がおかしかった。自信に満ちたオーラがくすみ、投げ遣りにもなっていたのだ。男は身を固くしたなまえには何もせず、ベッドに横たわり睡眠を貪り始めた。彼女は一応青峰へ電話をしたのだが、彼が出る事は無かった。

 ザワついた会場内。アリーナの席はほぼ満員で、立ち見まで居る。会場の雰囲気は、月始めに見たリーグ戦ファイナルを彷彿させた。

「なまえちゃん! 一人!?」

 ビクリと肩が跳ねたなまえは、声の方を向く。二階席の手すりに掴まっていたのは、数日前に別れた元彼氏だった。彼女が気まずいのは、一人で見に来たからでは無い。――二階席の向こう……。アリーナには青峰大輝が居る。並んでその選手を応援するのは、憚られた。

「コッチ、来れば?」

 佐久間は微笑んで彼女に手招きをした。隣に立つ友人は、元恋人を呼ぶ彼を小さな声で批難する。

「何考えてんだよ」

 一緒に居た女子生徒は、分かりやすい程に不機嫌な顔をしていた。漂う空気が重い。

「別に良いじゃん。青峰大輝、凄かったよ?」

 既にコート内から外され、ベンチ席で頬杖付き座っている男の名を呼ぶと、少女の肩が震えた。友人は、何故か佐久間に彼女の事を質問をする。

「え? バスケ知ってんの?」

「ファンなんだってさ。好きみたい。俺、負けた」

 佐久間のその言い方は、まるで日本代表選手がなまえの心を奪ったようだ。まぁ……年頃の女の子なら、住む世界が違う人間に夢を見てもおかしくは無い。

「何? ソレでフラれた訳?」

「まぁね、青峰大輝に負けた」

 冗談だと思った友人は、爆笑してこう言い放った。

「お前のライバルスゲェな! スーパーエースだ」


 ………………………


「……一軍選手は、パスが出しやすい」

 試合後、火神にそう言ったのは二軍でPGを務める町田だった。彼は一応、笠松のバックアップとしてレギュラーに控えている。この男の雰囲気に、高校時代の先輩を思い出した火神は、小さく頭を下げた。

 今回のスコアは【101‐52】。火神のディフェンスは、試合が進むに連れて容赦無くなっていた。会場のギャラリーからは「大人気無い」とブーイングが起きたが、手加減など正当な勝負に関係無い。

「……駄洒落、言うんスか?」

 火神は何となくで町田に声を掛けた。伊月センパイの影を重ねながら……――。

「駄洒落?」

「いや、あの。……何でもねェっス」

 歯切れ悪くなったチームのエースは、首に掛けたタオルで顔を擦り誤魔化す。町田はその様子に言葉を返した。

「勝たせてくれんなら、いくらでも」

 火神はスコアボードを親指で指す。たった二人が入れ代わっただけで、日本代表の二軍は大差を付けた。"天才"とは、周囲へ多大な影響を見せる人間の事を言うのだ。

「あんな感情、持っちゃいかんじょう」

 そう言って町田は、アリーナから控え室に戻る。代表としての尊厳を取り戻せた彼は、笑顔だった。

 一仕事を終えた火神は観客席の方へ歩み、大声である少女の名を呼んだ。

「オイ! なまえ!!」

 途端に二階席が二階ザワザワとひしめき立った。佐久間達の隣で手すりを掴んでいたなまえは、急な展開に顔が赤くなる。――まさか、応援しに来た事を気付かれていたなんて……。彼女は周りが自身を刺す目線に居たたまれなくなった。

「来てたんなら言えよ! ありがとな!!」

 慌ててその場を逃げるなまえは、アリーナから脱出するまで背中に突き刺さる周囲の好奇心に追われた。

「……か、火神大我と知り合いなの? え? なまえさん!?」

 佐久間の友人は、目の前で起こった展開に追い付けずパニックを起こしていた。そして佐久間は、手すりから身を乗り出し赤毛の選手を目で追うのだった。

「……やっぱロリコンじゃん」

 火神を視界に入れた紫原は、そう呟く。一軍のベンチに座る選手達は、更にドンヨリしていた。得点掲示板を見ると、スコアは【85‐79】。明らかに試合自体のレベルが下がっている。紫原を徹底的にマークされたのが響いた。落胆した笠松は、顔を洗いにその場を離れているようだ。

「タイガ。今のアピールは、やり過ぎだ」

 頭にタオルを被せ、上半身をもたげていた氷室が、先程の行動を戒めた。逃げた選手が一番大事な時期に、女性へアピールするだなんて……マスコミから批難されてもおかしくない。

「先手を打っただけだ」

 氷室の隣のパイプ椅子を掴んだ火神は、ガチャンと音を立てる程雑に腰掛けた。ソレと同時に、顔面をタオルで隠し天井を仰いでいた青峰が嫌味を飛ばす。

「復活して、調子に乗ったか?」

 余裕の表情を見せる火神は、二つ先に座る青峰に向かって小馬鹿にしたような台詞を吐いた。

「エースの座もなまえも、オレのモンだぜ」

「……バスケと女を同等に語んのか。落ちぶれたな、火神」

 余裕のあったエースは、青峰のその一言で表情を変える。立ち上がった火神は青峰の前に立ち、男のタオルを奪い取った。そうして眩しさに目を瞑った青峰へ、見下した視線を送る。

 すぐに目を開け睨み返した青峰だが、天井からの逆光で相手の顔は見えなかった。それでも威圧に負ける青峰では無い。いつも唐突に始まる睨めっこには慣れている。褐色のスーパーエースにタオルを投げ返した火神は決意を告げた。

「欲しいモンは、全部手に入れてェだけだ」

「奪ってやろうか?」

 青峰は、わざとらしく挑発的な言葉を投げた。火神は見下したままその場を歩き去る。最後に挑発し返す言葉を残し……――。

「やってみろ、ポンコツインポ野郎」

 表情変えず彼を見送った青峰は、再度タオルを顔に掛け天井を仰ぐ。そして奥歯を強く噛み締めた。