「本当は焼肉食べ放題行く予定だったんだけどよォ……。駄目だな、この時期はどこも混んでる」

 八月十五日、金曜日。夕食時に愛車を走らせた火神は、運転席で飲食店の混雑具合を嘆いている。しかし、男が憂鬱な理由はそれだけでは無い。

「……こんな筈じゃ無かったのになァ」

 ――本当に、こんな筈じゃ無かったのだ。バックミラーに写る少女を眺めた火神は、溜め息をひとつ吐く。ついでに信号待ちで停止した瞬間、ハンドルに額をぶつけた。

 一昨日なまえから返事が来たのは日付が変わる少し前で、半分落ちかけていた意識が一気に覚醒した。食事のお誘いに肯定的な返事を貰い、浮かれた直後の【青峰さんも一緒良いですか?】と云う一文。【駄目だ】とは返せず、デートは保護者同伴となってしまった。

 自棄になった火神大我は、それなら焼き肉に行こうと黒子も誘った。「親戚の集まりがあるから無理です」と拒否した黒子テツヤを無理矢理車に乗せ、今に至る。

「お盆休みだからな」

 助手席に座った高校時代からのライバルは、首都高入口の渋滞情報に顔を引き吊らせた。渋滞が七十キロもあるなんて信じられない。彼からしたら"果てしない距離"である。

「お墓参り、行かなくて大丈夫ですか?」

 後部座席に乗せられた黒子は、隣に座るなまえへ問いた。男の部屋に居候なんて、親が心配しないか気になるようだ。そう言った意味では、三人の中で一番常識的で且つ世間体を気にする人物である。

「お墓遠いんで、今年も無しです」

 すっかり家出不良少女ななまえがそう答えれば、前座席から「オレも」と、二人分の低い声が聞こえる。自分以外の三人は先祖を供養する習慣が無いそうだ。

「ボクは、明日朝早くから親戚一同で墓参りです」

 黒子が連れ去られた事に対して遠回りな文句を言えば、それは独り言となった。それは何故なら、青峰が話題を別方向に切り替えていたから。

「そういやぁ火神、お前スピーチの内容考えたか?」

 隣で難しい顔をした火神は、青峰の指す【スピーチ】がMVP受賞の祝辞であると瞬時に悟る。

「ゴーストライターだ。オレは作文苦手だから」

 空腹が限界に近い火神は不機嫌そうに答える。一人で居る時は胸が張り詰め食べる気にならなかったと言うのに、こうして皆で揃うと食欲が戻った気がした。

「オレも国語は、てんで駄目だ」

 昔から文系でも理系でも無く、強いて言えば体育会系な青峰は原稿用紙一枚も埋められない。今までの取材だって、実は代筆者が居る程だ。

「青峰ェ、海外行くなら、英語でスピーチ出来るようにしとけよ? お前の方が早そうだからな」

 協会の目論見を知らされていない火神に悪気は一切無い。心の底から、青峰の方が先に世界へ羽ばたくと思っているから憎めない。だから青峰は、悔しさや羨ましさと云った【やり場の無い想い】を内に押し込める。

 さっきからチラチラと後ろをミラーで確認する火神は、咳払いをするとなまえへ話し掛ける。"スマートな年上男"らしく流暢に告げる予定だったのが、何故か言葉に詰まり噛み噛みになってしまった。

「なまえ、お……お前よォ……こないだと、その、雰囲気違うんじゃねぇの? オンナ……そう、女らしくなったな」

 自己嫌悪に陥った火神を余所に、なまえは顔が赤くなる。そして何故か青峰までもが気まずそうに咳払いをし、顔をしかめて口元を手で覆っていた。

 単純になまえが着ているタートルネックのサマーニットが「大人っぽくて似合う」と言いたかった火神だったが、意図せず二人を混乱させてしまった。

「……青峰君」

 【二人の態度】と【一緒に住んでいると云う事実】から、ある邪な憶測を立ててしまった黒子は、青峰に軽蔑の眼差しを向ける。

「何もしてねぇよ!!」

 青峰の台詞を聞いた火神は、思わずハンドルを右方向に切ってしまい車体が右車線へ乗り込んでしまう。たまたま車が居なかったから良かったものの、もし走っていたらあわや大惨事となる所だった。

「ハンドルちゃんと握れ! 馬鹿!!」

「……悪ィ」

 青峰が叱咤し、運転手は謝る。火神の鼓動が早くなったのは"事故を起こしそうになったから"だけでは無い。――青峰がなまえと過ちを犯したかもしれない事実にショックを受けているのだ。

 お洒落でタートルネックを着ていると思っていたが、もしかしたら……何かを隠したくて、もしかするのかもしれない。火神は隣でブチブチ文句を言う青毛の男を見る。本当はEDなんか、とうの昔に治っているかもしれない。

「あ゙ぁ゙〜……!!」

 悲壮感たっぷりに嘆いた運転手は、ハンドルを叩き出した。

「何だよ火神、頭おかしくなったか?」

「うるせェ! 黙ってろ!! ロリコン!!」

 火神が自己を棚上げした逆ギレをすれば、何故そこまで怒られるのか理解出来ない青峰は、頭にハテナを浮かべながら首を捻る。唯一事情を知っている黒子は、火神のリアクションが酷く愉快で、肩を震わせ笑いを堪えていた。


 …………………


 行く当ても無くブラブラと国道を北に走っていると、青峰が運転席の男へ話し掛けた。

「トイレ行きてェ、コンビニ寄れよ」

「……あぁ、ソコので良いか?」

 進行方向にある国内最大手のコンビニを顎で指した火神は、ウィンカーを左に出して小さな駐車場へ乗り上げた。辺りは暗く、光々とした店内の明かりが通路を照らす。看板の通りにエンジンを止めた火神は、車を降りると背伸びをした。普段から思っていたが、やはり青峰と火神両名が揃うと迫力ある。背が高く外人のようなルックスをした二人は、先に店内へと入って行く。黒子はなまえを待っているのだが、逆光に蒸発して消えてしまいそうに儚かった。

「花火って夏っぽいな!」

 入り口すぐの花火コーナーを中腰で眺めている火神が、黒子と少女に話し掛けた。立ち読みしているサラリーマンがコチラを横目で黙視していた。店員も煙草を補充する振りをしながらチラチラと火神の様子を見ている。赤毛の男は背を戻すと肩が商品棚を軽く越えてしまうのだ。これなら店内のどこに居てもすぐ判る。

「私も、トイレ」

 なまえは花火を眺め手に取る黒子達へそう言うと、店の奥へと急いだ。黒子がその様子を「まるで雛鳥ですね」と述べれば、火神は口を尖らせる。

 店内とトイレスペースを隔てるドアを開けると、肌が黒く背の高い男が腕を組み立っていた。男性用トイレは誰かが入っているようで、青峰は律儀に順番待ちをしていた。

 前を通りたくて「すみません」と言う前に、身を屈めたソイツに唇を塞がれる。咄嗟の事に驚き、引き剥がすように顔を逸らしたなまえは、顔が熱くなるのを感じた。

「……カメラ、付いてます」

「物欲しそうな顔してっからだ」

 文句を言えば、まるでコチラがねだったかの様な言い方をされた。公共の場なのに人目を憚らない青峰は、他人の視線を気にしない。それが悔しいなまえは何食わぬ顔で青峰の前を通り、個室に入った瞬間に顔を手で覆い、思う存分に恥ずかしさを発散させた。

 ――駐車場に戻れば火神はワゴン車に凭れ、大きなフランクフルトを二本丸ごと頬張っていた。その横で黒子が国道に流れる車の列を眺めながら、アイスを食べている。青峰はと言えば、店内の雑誌コーナーで漫画の立ち読みをしていた。相変わらず自由な男である。

「この近くに広い公園あるみたいなので、花火をする事になりました」

 咀嚼を続ける火神の代わりに、黒子がこれからの予定を伝えてくれた。なまえが頷くと、丁度青峰が雑誌を閉じ猫背のまま歩き出す。

「……みっともねぇ歩き方」

 火神はそうぼやいて、食べ終えた棒をゴミ箱へと捨てた。"あんなの"が自分のライバルだなんて納得がいかないようだ。バスケだって、モテ具合だって、頭脳だって一進一退の攻防を続けている。最も、後者になるにつれてレベルは落ちていく。

 ――もしかしたら、恋愛面ですらライバルになるのかもしれない……。頭を振った火神は、青峰大輝には【桃井さつき】と云う特別な存在が居ると、自身に言い聞かせる。

 大丈夫だ。青峰は青峰で、あの幼馴染みにぶれない恋をしている。オレの"関係ない場所"で幸せになってくれ!

 気合いを入れる為に店前でガッツポーズを決めた火神へ、自動ドアを潜った青峰は「何してんだ? オメー」と声を掛けた。





「あの、こんなに沢山花火するんですか?」

「お、おぉ。あるだけ買った」

 近場にあった自然公園は【広大な敷地面積を誇る】と案内板に書いてあった。野球用グラウンドの端で大きな花火バッグ数個と、平べったいセット数個を並べる。ざっと見ただけでも四人で遊ぶには何時間も掛かりそうだ。

「お前本ッ当に馬鹿だよな? 限度とか知らねぇの?」

「火神君、コレ余ったら持って帰っても良いですか? 明日親戚と花火します」

「そりゃ助かるぜ」

 ベンチの前に並べられた大量の花火は、コンビニのコーナーを買い占めたと言う。見た目が派手な火神は、買い物の仕方も派手だ。

 車にあったバケツへ水を汲んだ黒子が、テープで纏まった花火を丁寧にばらす。火神は数本の固まりにそのまま着火させ、余りの激しさに絶叫しながら手を離した。重なるように笑い声を上げたのは青峰で、笑い過ぎてベンチごとひっくり返り背中を強打していた。背凭れに体重を掛け過ぎた結果で、今度はそれを見た火神が地面に踞りながら爆笑した。

 敷地が広いお陰で、大声で笑っても暗闇に反響するだけである。グラウンドには自分達以外には誰も居ない。一角だけが花火で照らされ、仄かに明るい。向こう側には闇と地面が続くだけで、少しだけ怖かった。

 ――そう言えば、今年は夏らしい事……何もしてないや。楽しそうに笑う低い声に嬉しくなったなまえは、地面に座ると彼等を眺めた。

「なまえ! 座ってねぇで、お前も花火しろよ! 一杯あって捌ききれねぇ!」

「誰のせいだよ、馬ァ鹿」

 背中を擦る青峰が火神へツッコみ、沢山ある筒状の花火を並べ始めた。「そういうのは最後だろ」と文句を言う赤毛の男を後目に、自由奔放な青峰はしゃがみながら右から左へ着火させていく。

 一直線に並ぶ噴出花火は綺麗だった。二メートルを越えた光が全員の顔を照らし、それぞれが笑顔で居る。

 こんな日が毎日続きますように。吹き出す光に願いを乗せたなまえは、最後のひとつが消える前に腰を上げて三人の元へ駆けた。


 …………………


「……火神君、ボク喉が渇きました」

 黒子が手持ち花火を数本纏めて咲かそうとしている火神へ、そう声を掛ける。

「はァ? だったらコンビニで買えば良かっただろ?」

「今、喉が渇きました」

 突如の主張に「意味分かんねェ」と言った火神は、ライターで花火を燃やした。すぐに顔が照らされ暗闇に浮かぶ。

「……買って来て下さい。入り口に自販機がありました」

「自分で行けよ」

 やがて花火は消え、二人に暗闇が戻る。黒子は火元が無くなった男へ近寄り、耳打ちをする。思惑を理解した火神大我は、頬が熱くなった。

 男を放置した黒子はなまえの方を向き、今度はソチラに声を掛ける。

「火神君一人じゃ不安だから一緒に行ってあげて下さい。彼、頭弱いので」

「……ば、馬鹿にすんな」

 黒子の後ろで覇気の無い声を出した火神は、口を尖らせていた。

「……何で二人で行かせんだよ。火神甘やかすなよ」

 ベンチに座り闇に紛れてしまった真っ黒な男は、二人を見送った黒子に野次を飛ばす。花火が無ければ辺りはたちまち暗くなり、自分達が何色かさえ判らなくなる。

「キミも鈍感ですね」

「はァ?」

 一本の手持ち花火に火を着けた黒子は、緑に発光するソレを眺めながら青峰に事実を教えてやる。

「火神君、恋してるみたいです」

「火神が!??」

 少し悩んだ青峰は「相手がさつきだったら殺す」と見当違いの答えを出し、一人怒りに満ちる。彼が掴んだ花火は柄が折れ、使い物にならなくなった。そんな間違った怒りを解消する為、黒子は二人が消えた先を指差す。

「……だから二人きりにしてあげたんですよ」

 数秒黙って進行方向を眺めた青峰は、鈍感らしく声を裏返させて驚きを見せた。

「…………はいッ!??」


 ――……耳に心臓でも移植したかのように鼓動が喧しい火神は、隣を歩く少女に声を掛けた。

「危ねぇから離れんなよ」

外灯少なく地面すら満足に見えない闇夜は、二人を無口にさせる。サクサクと芝生を歩く音だけが辺りに響き、都会の真ん中じゃ虫が鳴き声すら聞こえない。


「…………青峰とは、どうだ? 楽しいか?」

 盛り上がれる話題がコレしか見当たらず、火神は仕方なしに青峰大輝を話のネタに引っ張り出した。

「青峰さん、あまり私と話さないから……怒られてばかりです」

「もう少し優しくても良いよなァ、アイツ」

 少女の寂しそうな声に、胸が締め付けられる。――あぁ、やっぱコイツは青峰を好きなのかもしれない……。

「好きな女にもあんなんだからな」

「……好きな、女?」

 火神は、自分を浅ましくて酷い人間だと責める。諦めさせる為に【青峰の一途な想い】を口に出したのだ。最低だ、卑怯だ……。でもこうでもしないと、自分の入る隙がない。

「インポになっちまう位に好きだしな……」

 向こうの足取りが少し遅くなった。フラフラと芝生を歩くなまえに自分の姿を重ねて同情した火神は、慌ててフォローをする。

「ツンデレだっけか? 素直じゃねぇ人間の事だ、青峰はソレだよ。本当に興味ねぇ人間には関わりもしねぇぞ」

「そうですか」

 無理に明るくしようとするなまえは自分と一緒だ。状況ひとつで負けるかもしれないゲームに、挑もうとしている。いつの間にか始まった……ゴールの明確なゼロサムゲーム。青峰が幸せになれば、彼女が不幸になる。彼女が幸せになれば、火神が不幸になる。不条理な世界だ。

「『やめとけ』とは言わねぇけど、ツラいぜ? あの幼馴染みを越えなきゃだ」

「……ツラいですね」

 どちらとも無しに足を止め、自販機まであと数メートルなのに二人は動き出そうとはしない。――コイツは、何を考えてココに居るのだろうか。知りたくなった火神は、目を伏せ眉を困らせた。

「――オレもツラくなりそうだ」

 火神は腰を落とし、目線をなまえと合わせる。すぐ近くに幼い顔立ちが見え、光無き今は輪郭しか捉えられない。コチラがそうなのだから、向こうもきっとそうだ。目を閉じた火神は、肩を優しく掴みキスをした。無理矢理に近いのに、今度は拒まれずに成功する。

 相手の口内へ舌を捩じ込む。意外にも拒否されず、かと言って絡む事も無くコチラが一方的に蹂躙するだけのようなキス。息苦しさに隙間から吐息を漏らし、更に深くへ入り込む……――。

 口を離した火神は、余裕ある大人びた顔を見せた。

 ――のも一瞬で、直ぐに目を丸くして大きく口を開ける。まるで自分のした事が『信じられない』と言わんばかりのリアクションだ。そして肩から手を離し、挙動不審に謝り出す。

「わわわわ、悪ィ!!  わ……わ……」

 ワァーッ!! と叫んだ火神は、自販機に向かって走り出す。置いていかれたなまえが後を追うと、火神は呆然とした顔で千円札を投入していた。そして、表情変えずコーラのボタンを押した。……お金が無くなるまで何度も。そしてまた千円札を入れ、同じ動作を繰り返す。ガチャコンガチャコン言っていた取り出し口もコーラ缶で溢れ、火神は黙々と買ったソレを取り出し地面に並べ始めた。

「……か、火神さん?」

「飲み物、飲み物買わなきゃだ……」

「大丈夫! もうコーラは良いです!」

 地面に並べられたコーラのロング缶がシュールで、逆に火神の異常行動をホラーに仕立て上げた。

「……ん? 黒子、アイツお茶だったか?」

 火神はまた千円札を投入し、今度はお茶を何度も選択していた。

 怖くなったなまえは、慌てて来た道を戻り二人に助けを求めた。三人が火神の元へ駆け寄る頃には、財布を空にした火神がお札投入口にクレジットカードを突っ込もうとしていた。黒子が引き止めに走る。

「火神君! ソレは自販機じゃ使えません!!」

 足下に並んだコーラとお茶と何故かココアに噎せる程笑った青峰は、咳き込んで苦しそうだ。

「黒子ォ……。飲み物……」

「ありますから! ボケ老人ですか! キミは!」

 泣きそうな声を出した火神へ、黒子は叱咤する。青峰は依然笑い過ぎてヒーヒー身を捩っていた。

 ――火神のこの"奇妙な行動"は、慣れない恋愛事で暴走するには余りに奇怪過ぎていて、黒子は【果たしてこの男は幸せになれるのだろうか】と、不安になったのだった。