朧気な意識の中――惰眠後の気だるい感覚がまずなまえを襲った。覚醒しきれない意識が彼女の思考を鈍らせる。耳に届くテレビの音が"女性のイヤらしい声"だと気付くと同時に、自分の上にのし掛かる男の名を呼んだ。

 せっかちなキスは二人の口回りを濡らす。ヌルヌルした唾液が余韻を残し、青峰の口と舌は下へ下へと動く。首筋に男の顔が近付いただけで、擽ったさに身体が反応した少女は恥ずかしさで目を閉じた。ビクリと跳ねるなまえをお構い無しに、男は薄い唇を女の薄い皮膚に付着させ強く吸う。

 マーキングは本能だ。所有物に名前を書くのにも似ている。自分の縄張りに居る人間は、全て所有物だ。青峰は興奮して、息を荒くした。

 夜も更け、天井に貼り付けられた"人工的な明かり"が二人を照らした。テレビからは絶えずに鼻を抜ける喘ぎが聞こえ、ベッドの上では自分のモノでは無い息遣いが聞こえる。青峰は喉を鳴らして、舌を本来の使い方とは違った方法で使用する。少しだけ芯の固くなった乳首に這わせ、形を確かめた。どちらかが身動ぎをすれば、ベッドが軋んだ。その音さえ、今は行為と気持ちを盛り上げる舞台装置だ。

「……あっ、待って」

 テレビに映る女優とはまた違う喘ぎが聞こえた。男を悦ばせる為のソレでは無く、戸惑いを隠せない艷声だ。

 右手で太股をなぞる。女性特有の柔らかさを堪能しながら、目的の場所へと指先を滑らせる。足の付け根から下着をずらし、割れた部位へ向かうと湿り気を感じた。

「……っ、ん。あっ……」

「――濡れてんな」

 雑な愛撫でも、経験が無いなまえは身体を反応させたらしい。下着を脱がせ、割れ目を人差し指と中指で刺激する。閉じられた入り口へ侵入する前に、二本指の腹で柔らかさを味わう。優しく強く緩急付けて揉むと、女は腰を浮かせた。

「っや、あぁぁ……あっ!」

 尿道口の僅か上、目立たない程に小さい性感帯を中指の先で弾いた瞬間、少女の声が大きくなった。処女でもココは感じるらしい。少し強く押すと、腰を逃がそうと暴れ始めた。右手はそのままに、左手で小さな肩を抱き喧しい口をキスで塞いだ。

 股間が膨張する感覚に腰を引いた青峰は、身体を火照らす熱を逃がそうとした。知ってる、そんなのは無意味だ。気を抜けばたちまち縮み、性欲を燻らせたままに役割を終える。

 愛しているとは思わない。

 甘えようとも思わない。

 ただ寂しい時、傍に居て欲しいとは思う。

 見ず知らずの人間を受け入れたのも、心の何処かで救いを求めていたからだろう。

 知った顔には強い自分しか見せたくない。弱い人間なんだと知られたくは無い。

 それならば火神もきっと一緒だ。――アイツとオレは似ている。

 ふと頭に浮かんだのは協会での一幕で、笠松幸男が土下座をしていた。そんな事をする人間を初めて見た青峰は、衝撃で身体が震えた。





「大人の都合で、若い人間の可能性を潰さないで下さい!!」

 その突拍子の無い行動を見下ろしているのは協会の重役で、笠松はカーペットへ額を擦り付け必死に懇願していた。二人が身を置いていた応接間には狸のような体型をした男が、威厳もたっぷりに立っている。ガラス窓から注ぐ逆光に照らされ表情が見えない。

「コイツが居なきゃ、勝てないんです……! 居ても、勝てるかどうか判りません!! でも火神一人じゃ絶対に勝てない!!」

 態勢変えない笠松は、カーペットに向かってそう声を張った。青峰は自分が何をしているのか、何故ココに居るのか分からなくなっていた。足元からフワフワする感覚は貧血に似ている。

「五人も居るじゃないか」

「向こうだって五人居る!!」

 二人と面会した重役の男は、『先生』と呼ばれる業界から天下りで入ったのだろう。バスケットボールなど一度もした事が無いように選手を見下す。この国の、この競技の、この協会は"玉転がし"としか捉えていない人間がトップに君臨する。

 仕方が無い。組織と権力とは、そう云うモノなのだ。選手として消耗されるだけの若い彼等は知らない・関係無い場所だ。だから笠松は『腐ってる』と吐き捨てた。

「何してんだよ! 頭上げろよ!」

 青峰は笠松の後頭部に向かって怒鳴る。ここまでしてもらっても、役員は顔色ひとつ変えない。段々と自分まで惨めになってくる。しかし、笠松幸男は諦めない。

「言っただろ……。オレはお前を獲得する為には、何でもするんだよ」

 悔しさで歯を食い縛ったままに笠松は唸った。野獣のような声に青峰は衝撃を受ける。

 気付いた時には笠松の隣に膝を付き、青峰は頭を下げていた。額に当たったフローリングは、予想以上に固くて痛かった。……一生涯忘れないだろうあの"屈辱"。

「……お願い、し……ッス」

 土下座がこんなに悔しいモノだと思わなかった。二十歳にして初めて苦い経験をする。砂を噛む想いとは、きっとこういう感情だ。

 ここまでしても、火神のサポートにしか回れない。なのに気付いたらこんな事をしている。何故だ……?

 青峰大輝はそれ程までに競技を愛していた。あぁ、そうだ……。本当は栄光の為にココに居るのでは無い。挑戦するのが好きなのだ。願わくは、挑戦者で居続けたい。身体が動かなくなるその日まで……。賞賛なんかオマケでしか無い。強い人間と戦いたい。勝ちたい。――自分の可能性を知りたい。

「……オレは、指を喰わえて見てるだけは…………嫌だ……です」

 立ちたい。立ちたい立ちたい立ちたい。アジア選手権と云う舞台に立ちたい。若い彼は、気持ちを爆発させるのが早い。自分の未来ある地図を、他人に仕舞われるのだけは――嫌だ。

「青峰……この選手ですが、彼はポストに置くと目立ってしまうので、トップに置きます」

 笠松は頭を上げて条件を述べた。土下座したままの青峰の背中へ手を置き、淡々と話す。


 与えるポジションはポイントガード。司令塔です

 ソコなら、火神大我を充分に引き立ててくれる

 えぇ、経験は初めてです。だからこそ、明日からでも指導を始めます。

 ――勝てます。コイツは"天才"だ。


 頭上で響くその声は、自信に満ちている。――それから先は覚えていない。気付いた時には、また笠松と二人きりだった。

「…………英断だろ?」

 乾いた笑いを響かせ笠松は青峰の顔色を伺った。無論、褐色肌の男は不満を色濃く醸し出している。

「PGなんて、ボール回しだ」

「嫌か? 不満なのか?」

「オレはポストプレイヤーだ、シュート決めてナンボの選手だ」

 青峰はシュートを繰り出し、勝利を奪うのが何よりの快感と捉える男だ。それなのにパス回しだなんて……やりたい事から一番遠い。

「皆、そうだ。誰だってシュートは決めてぇよ」

「……あっそ」

 青峰はパンツスーツに手を突っ込み嫌そうに両眉を寄せる。

「青峰ぇ、お前オールラウンダーだろ」

「他人の為に、なった事はねぇ」

 ドリブルの速さには自信がある。たかだか国内で威張っている連中程度ならディフェンスの足を崩す事も可能だ。――でも、ソレを誰かに繋げる気は更々無い。特に自分より下手な奴に渡すのなんか無駄じゃないか……。

「明日からは練習に来い」

 そう言って腕に巻いた時計で時間を確認した笠松は「ヤバイ!!」と叫び、大急ぎで協会を後にした。その背中は狭く若々しい。彼は二十三歳で全日本代表のキャプテンだ。それでも笠松幸男は文句や弱音ひとつ吐かない。人の上に立つ気が無い青峰は考えもしないが、それが主将としての器だ。

 青峰大輝が【エースの条件・定義】を持っているように、笠松幸男もまた【主将の条件・定義】を持っている。

 青峰は背中を丸めて協会から脱出した。火神に会ったらどんな顔をしてしまうのだろうか。この時は不安で仕方無かった。

 ――のだが……自宅に帰った瞬間、ソコには十六歳にキスを拒まれていた男の姿があった。





「……怖いか?」

 半勃ちとは言え、最近では一番固くなっている。これなら避妊具も付けられるし、何とか膣内にも入るだろう。パツン、と根元まで緑が毒々しいコンドームを着用し、ローションで滑るソレを女性器に付けた。

 愛撫もロクにせずに性交をするのは、前戯に時間を掛けると萎んでしまうからだ。結局、オレだって自分の快楽しか考えていないんだ。火神に殴り返されても、文句は言えねぇ。

「い、痛……っ! っ痛い!!」

 ギチギチ締め付ける膣を、芯まで固くならない男性器で無理矢理開かせる。それでも処女を消失する痛みは伴うらしい。青峰は目を閉じて必死に萎えないように意識を集中させた。背中に回った女の手が熱く、指先が褐色の肌に食い込んでいく。

 発展途上の乳房を掴み強引に揉みしだく。両手のひらに滑らかな柔らかさを感じると、固さが戻る。荒い息を相手の口に吹き込むように唇を合わせ、キスを貪った。

 肉棒を引いた瞬間に膣内から抜けてしまいそうで、ゆっくり慎重に腰を動かす。逆に押し進めるとナカで折れてしまいそうだった。それでもセックスは出来る。手を乳房から離し、胸元を重ねると、いつの間にか纏わった汗で肌が滑った。





『……オレって、女から見たらどうなんだ?』

 黒子テツヤの元にそんな電話が掛かって来たのは、風呂を出たばかりの二十一時半だった。通話相手は高校からの友人であり、その時の相棒【火神大我】だ。切羽詰まったその声が紡ぎ出した内容が意外過ぎて、黒子は自室で茫然としたのだった。

「恐いでしょうね」

 タオルで水滴を飛ばしながら黒子は正直に答える。すると、電波の向こうから溜め息を吐く雑音が聞こえた。

『恐いのか? オレ……』

 ベッドに腰掛けた黒子は、白い壁を眺めながら【それは当たり前だろう】と心の中で納得する。高過ぎる身長に、鍛え上げた身体は筋肉隆々。おまけに顔付きも凶悪だ。例えばコレが【黄瀬涼太】のように、纏う雰囲気爽やかだったら話は別だ。

「どうしたんですか? いきなり」

『……判んねぇけど、調子が悪い。青峰んトコ行ってから、グズグズだ』

 火神の声は落ち込んでいるように低く、唸りに近い。余程ショックな事があったのだろう。何時も何時も、分りやすい男だ。

「変なモノ食べたんですよ。青峰君のせいにするのは良くないです」

『変なモンかぁ。朝に食ったきりだ』

「え?」

 黒子は火神の発言に驚愕した。

『食欲、ねぇ』

「え!?」

 黒子は更に驚き声を張った。"あの火神"が食欲無いだなんて、前代未聞だ。全国大会の決勝戦前だって緊張など何処吹く風でモリモリモリモリ食していた無敵の精神なのに、食欲が無いなんて……――彼は癌かもしれない。

『協会でMVP貰って、その後青峰んトコ行ったんだよ。そっから食欲がねぇ』

 ブツブツ呟く火神を心から心配した黒子は、原因を探ろうとする。

「何で青峰君家行って食欲無くすんですか?」

『アイツ居た、JK。ライン送ったのに返事来ねぇ』

「……あぁ、青峰君の従妹さん」

 わざと間違えた解釈を述べたのだが、火神からのツッコミは無く、代わりに落ち込みを全面に出した"悲壮感漂う呟き"が聞こえて来た。

『返事、来ねぇ』

「いつ送ったんですか?」

『三十分前だ』

 その答えに目を細めた黒子は、たかだか三十分も待てずに不安がる火神の"せっかち具合"に少しだけウンザリした。

「…………テレビ観てるとか」

『オレはテレビ以下か……』

 そんな黒子のフォローも、火神をポジティブシンキングにはしなかった。今の火神は普段と違う。これは面白過ぎる。黒子テツヤは口を押さえて、表情乏しいながらに笑いを堪えた。

 こうなってしまったのも、きっと理由はひとつだろう。いやでも、火神がこんな風になってしまうなんて……黒子は思わず愉悦を感じてしまう。

「火神君、キミ……恋してるんじゃないですか?」

 ――黒子は、たったひとつの可能性を火神に告げる。

『……こい?』

 単語の意味が理解出来ないのか、キョトンとした上擦った声が向こうから聞こえた。だから黒子テツヤは「魚じゃないですよ?」と補足を入れてやる。

「ボクは良く分からないんですが……その人を見てるとドキドキするとか、考えると胸が痛いとかありました?」

『具合悪くなるぜ。寝込みそうだ』

 バタバタと受話口の遠くから騒がしい音が聞こえる。足をバタつかせて暴れているらしい。やはり彼は、何をするにも騒がしい男だ。

「……意外と繊細なんですね」

 どうやら黒子の考えた可能性が、今の火神にマッチングしてしまったようだ。――火神大我は恋に落ちてしまった。下手したら、初恋だ。しかも相手は……――。

「……高校生に手を出すような"犯罪者"にはならないで下さいね? MVPおめでとうございます」

 黒子が皮肉めいたアドバイスと直球な祝語を言えば、MVPは少しだけ調子を取り戻したかのように冗談を告げるのだった。

『お祝いは、食べ物以外で頼むぜ?』





 "犯罪者"となった青峰は、すっかり縮んだ性器からゴムを外す。ティッシュで包むように触れたのは、血液が付着していたからだ。相手はシャワーを浴びに行った。気付いたら首と胸元に沢山の痣を残し、まるでひとつの模様のようだった。とにかく萎えないように必死で、どれだけ首筋から胸を貪ったのか覚えていない。イカ臭さがゴムの香りと混ざり、行為に余韻を残した。

 頭を掻いてセックス中垂れ流していたビデオを止める。滑るようにリモコンを落として大きく溜め息を吐いた青峰は、浴室からシャワーの音が止んだ事に緊張した。ガチャリと戸が開き、幼い溜め息が聞こえる。全裸で胡座を掻いたまま挙動を停止していた男は膝の上で拳を握り俯いた。

 ――何て声を掛けて良いか判らない。同意も無く犯してしまった。強姦と一緒だ。訴えられない為にどうやって誤魔化そうか……。――と云った具合に、青峰大輝は保身に走ろうとした。通報されたら『青少年育成保護条例』に抵触し、お縄となってしまう。ロリコン野郎の前科一犯が出来上がる。

 Tシャツを羽織りワンルームに戻ったなまえは、素っ裸で唸る青峰の背中に寄り掛かった。そうしてテーブルに置いてあるスマホを手に取れば、ソレは一件だけ伝言を受信していた。

「火神さんからメッセージだ」

「……火、神?」

 様子の変わらない少女の姿を確認しようと首だけ動かし振り向くと、なまえと目が合う。泣いてはいないようで、逆に吹っ切れたような笑顔だった。

「ご飯行こう、だって」

 スマホの画面を見せた少女は朗らかに笑った。その笑顔は、張り付いた濡れた髪が艶やかだ。そして紅く染まった頬と相まって、普段より大人っぽく見えた。