暑苦しいサマースーツをベッドに投げ、ネクタイを緩める。ついでにベルトも外しながら、青峰はテーブルに散らかされた学習用具に文句を言った。

「片せよ、ソレ。オレ英文見ると頭痛すんだよ」

 どうせ火神はわざとらしく英文を読んだりしたのだろう。アイツは鼻持ちならなくて、生け簀かない男だ。――勿論ソレは正解で、なまえはベッドから腰を上げずに青峰に話し掛けた。

「火神さんって外国に住んでたんですね。発音キレイでした」

「キスも挨拶代わりだ」

 身を緩くさせた青峰は、少女の横に腰掛けて火神のアメリカイズムをおちょくった。そのまま笑うなまえ目掛けて顔を近付け、唇に軽いキスを落とす。

「……オレだと嫌がらないんだな」

 飛んでこない手のひらを小馬鹿にし、腰を浮かして部屋を出た。その後は顔を真っ赤にした年下の女に向かって、洗濯乾燥機に入れていたワイシャツと下着を投げる。

「メシ食いに行くから準備しろよ」


 …………………


「…………ファミレスですか」

 席に通された制服姿の女子高生は、近場のチェーン店に不満そうな顔をした。

「牛丼屋の方が良いか?」

「いえ、別に」

 青峰の皮肉にむすくれた返しをしてグランドメニューを開く。奢りは嬉しいし感謝すべきだが、スーツと制服姿でファミレスだなんてムードが無い。折角お互いに正装をしているのだから、もう少しお洒落な店に行きたかった。

「お前さ、彼氏どうすんだ?」

 同じようにメニューのグリルコーナーに目を通しながら、青峰は連れの女に話し掛けた。店員が水を持って頭を下げる。二人の関係性を疑問視した女性ウェイターは鼻から下を盆で隠した。

「どうする……って?」

「好きなヤツ、居るんだろ?」

 コップの水を口に含んだ青峰は、なまえがドキリとする質問をした。確かに昨日、少女は風呂場でそう言った。――その好きな相手には数日前気持ちを伝えた筈なのに、彼はそれを聞かなかったかのように振る舞う。まるで深く関わらぬよう逃げる男の態度に、何も言えないなまえはメニューを捲る。

「キープにすんなら別れてやれ」

 大袈裟に音を立ててグラスを叩き付けた青峰は、理由は知らないがなまえの彼氏を心配していた。

「何て言えば良いか、分からないんです。どうやったら、傷付かないかなって……」

「充分傷付けてんだろ」

 ワイシャツ姿の男は腕を組み目の前の女子高生を睨む。突如始まった説教はなまえの脆い感情に突き刺さる。

「黙ってりゃ離れるだろうなんて、お前どんだけ自分が可愛いんだ?」

 メニューも開いたままに俯いて黙ってしまう女は、青峰の容赦無い言葉に打ちのめされる。それは正しい。一般論だ。そして、彼女の行動は間違っていると指摘するのだ。

「お前の好きなヤツが誰だか、興味ねぇけど……ソイツにも悪いとか思えよ」

「……ごめんなさい」

 謝る言葉が震えていた。投げ掛ける言葉は冷たい。泣くのを我慢しているのだろう、強張った表情で食べたいモノを探している。こんなに傷付いても、彼女はまだ青峰の傍を所望するのだろうか。

「オレに謝ってどうすんだよ」

 そう呟いた青峰は、無表情のままに俯いてメニューを捲る。

 ――最低だ。オレは何をしているんだ。これじゃあ八つ当たりだ。

 午前中を思い出し、胸がムカムカした。不安定な気持ちをなまえと云う少女にぶつけてストレスを発散させる。弱い人間を叩き落ち込ませ、自分を優位に立たせる。そんな優越感で嫌な事を払拭しようとした。

 ――最低だ。オレは……。





「……何で協会が、火神をゴリ推しするか、判るか?」

 応接間は綺麗だが、殺風景な部屋だった。学校によくある校長室から無駄を削いだらこうなるだろう。赤い絨毯に高そうな革のソファー。いつしかの優勝旗が端に飾られているだけだ。目の前のガラス窓は広く、室内灯の意味を無くしていた。そんな部屋に二人きりにされた笠松は、しっくり来ない賞を受けた火神の話題を口にした。

「さぁな、興味もねぇ」

 深く腰掛け、だらしの無い青峰が雑に答える。そんな"怖い物知らずの後輩"を横目で見つめた笠松は、予想外な答えを口に出した。

「――来季からアメリカに移籍するからだよ、本人には言うなよ?」

「…………アメリカ?」

 姿勢を崩さない笠松は、座っているだけなのに威厳がある。図体なんか青峰より一回りも小さいのに、『背負うモノが違うのだ』と言いたげに意思の強そうな眉を吊り上げている。

 そんな男が嘘や冗談を言う筈がない。――なら、コレは本当の話なのだろう。

 火神大我はアジア選手権を経て海外へと挑戦するチケットを手に入れた。単純に悔しい。自分も肩さえ傷めなければ……――確実に火神のポジションには【青峰大輝】が居たのだろう。

「国内最強に仕立て上げて、電撃移籍で話題を浚うつもりだ」

「――NBAか」

 幼い頃から夢見てた大舞台。最高のお膳立てをして貰い、歓声と興味の中でステージに立つのだろう。余裕こいて笑みを顔に貼り付けた青峰は、その内側には嫉妬にまみれた醜い自分が居ると勘付いた。

「さっきロビーに居たスポーツブランドも、火神が広告塔になる筈だ。派手なプロモーションだよなぁ」

「枕営業でもしたか? 火神のヤツ」

 肩で笑い、口から漏れた声が震えていないのに安堵した。目から上は、とっくの前から笑っていない。

「……なぁ、青峰」

 少しだけ姿勢を正した青峰へ、渇いて貼り付きそうな喉を振り絞った笠松が低く呟いた。

「そのシナリオに、火神より更に"最強な選手"が出て来るとしたら……お前なら、どうする?」

 ――青峰は座ったままに固まった。その姿を確認する事なく、そっぽ向いた主将は吐き捨てるように台詞を述べる。

「……腐ってんだよ、この世界は」

 頭が上手く働かない。――耳鳴りが響く。結局自分は、協会の準備したシナリオに邪魔な存在らしい。選考から漏れたのは、肩が壊れているからじゃない。もっと深く、汚い理由があった……――。


 青峰大輝の才能は、周りを潰す。


 これから始まる一人のプレイヤーの花舞台。経済効果も期待されるだろう。話題があればマスコミも扱いが良くなる。バスケットボールと云う競技に感心を持つ人間も出だろう。見た目もプレイもド派手で、馬鹿が付く位に正直な火神は、大衆から愛されるに相応しい選手になる筈だ。

 だからオレは、外されたのか……。ライバルとして何年も互いを追い越し追い抜かれて来た。それが今、外部からの介入を以て引き離されようとしている。圧倒的な"権力"を前にしたら、"実力"など――無意味だ。

 神様は、火神大我を愛し、青峰大輝を見捨てた。

「今から……お前を一軍のレギュラーに上げるように頼むんだよ」

 今日呼び出した理由を初めて告げた笠松は、青峰の顔を見て男の意思を探る。

「……余計な事、すんな」

 視線泳ぐ青峰は、貧乏揺すりを始めた。ストレスが正常心を蝕み、言葉の意味を遮断する。知りたくない。代表で自分が果たす役割を……。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

「分かってんだろ……?  それが何を意味す……――」

「止めろって言ってんだろ!!!」

 怒鳴って笠松の発言を遮った青峰は、拳を握り立ち上がる。

「火神の、引き立て役だろ……? お前も! オレも!! 手柄は全部火神のモンだ!!」

 青峰の……いや、日本代表選手の役割は単純。【火神大我と云う御輿を担ぐ】――それだけだ。やがて彼に待ち受ける大舞台へ誘導してやるのだ。花を添えてやるのだ。ただソレだけの、舞台裏の人間だ。

「誰がシュート決めても新聞に載んのも火神だ! 紹豹孚からボール奪っても……アイツを防いでも、オレにスポットは当たらねぇんだろ!?」

 脳裏に浮かぶのは新聞の一面を飾る火神の勇姿。ソレが『偽り』だと誰が批判するだろうか……? 大衆からすれば、与えられた結果が全てだ。真実など無意味で無価値だ。人を踏み台にして讃えられる記事を目の当たりにした火神は、一体何を思うのだろうか。

「お前が必要なんだ!」

「馬鹿かテメェは!! 犬は犬らしく首輪付けて大人しくしてろってか!!?」

 唾を飛ばし、拒否の姿勢を見せる。小さい頃から飽きずにバスケをして来た。――誰の為に? 他ならぬ、自分の為にだ。

 天才は、常に凡人には理解し難い苦悩を抱えている。【今よりも上のステージに立ちたい】と云う向上心がやがて己を苦しめ、道を歪め、思考を狭く醜くする。

「……火神はお前が居なきゃ、叩かれたまま負けてアメリカだぞ」

「知らねぇよ、それはそれでアイツのせいだ」

 笠松が火神を心配するのは"お人好し"だからだ。青峰はソコまで立派な人間では無い。自分が一番可愛いし、自分が一番大事だ。

「二度とオレに連絡すんな」

 青峰はそう釘を刺し、腰掛けていたソファーから身を翻して出口へ向かった。笠松はそんな"天才プレイヤー"へ皮肉を投げる。

「……逃げんのか? まるでガキだな」

 鋭利な言葉を背中に突き付けられた青峰は、ノブを握ったまま足を止めた。





「……大丈夫ですか?」

 フォークを握ったまま固まった青峰の顔を、なまえは不安げに覗く。焼けた鉄板がソースを熱し焦がしていた。普段からさして美味いとも思わないハンバーグは、味がしなかった。フォークだけで細切れにし、口に運んでは飲み込む。噛んでも、喉を過ぎる頃には味を忘れる。いつの間にか空になった鉄板にフォークを投げて『ご馳走様』を伝えた。

「食べるの、早いですね」

 パンを千切り口に運んだ少女は、余り箸が進んでいなかった。そう言えば、中学生の時から「食べるのが早い」と言われていた気がする。アイスなんか典型的で、皆が半分食べている間、青峰は既に棒を捨てていた。

 目の前の女が白くてフカフカしたパンを口に含む。それを見ているだけで只のテーブルパンが美味そうに見えて、勝手にひとつ拝借する。「あ……」と言ったきりで、なまえは奪われた主食の文句を言わなかった。

 でもやっぱり、口に含んでも味は無かった。向こうが食べている時は酷く美味しそうだったのに――。頬杖を付いて少女を眺める。チキンステーキをナイフで食べる分だけ小さく切り、フォークで刺す。あぁ、旨そうだ。オレもチキンステーキにすりゃ良かった……。

「何ですか?」

「旨そうだな、ソレ」

「食べます? どうぞ」

 青峰は少しだけ身を前に乗り出すと、口を開けた。そのまま放り込まれるのを待っていると、なまえは震える手でフォークでステーキを運んだ。端から見たらカップルのような餌付けシーンに十六歳の少女は緊張していた。





 珍しく湯槽にお湯を張り汗を流した青峰は、窓を開けて換気していたワンルームに戻る。同居人が居ても生活スタイルは変わらない。灰色のボクサーパンツだけを履き、頭をタオルで拭いながらテレビを付ける。台風が近いのか、窓からは涼しい風が吹きカーテンを揺らす。

 片せと命令しても未だ広げられている参考書を覗き、文字の多さにウンザリした顔を見せた。しかし相手は寝息を立てて夢の中だ。横になっていつの間にか寝てしまったようで、汗と汚れを流してもいない。

 借りてきたディスクをプレイヤーに入れ、外部入力に切り換える。始まった映像はアダルト作品で、彼と同じ年頃の女優がセーラー服を着ていた。童顔な顔に薄い化粧。染めていない黒髪に純粋無垢そうな笑顔。その癖、男に触られるのには慣れている。わざとらしく身体をビクビクさせている様子に、少し興奮した。

 何でこんな作品借りちまったんだろうか……。タイプと全然違う童顔であどけない素人臭いAV女優を、膝を立てて眺める。

 背後のベッドでは未だに一人の少女が寝息を立てている。自分のTシャツを着て、露になった太ももと色気の無い下着。枕元に散らばった髪が、身動きする度に形を変える。テレビからは水が空気と混じる淫靡な音と、上擦った喘ぎと、不快な男優の言葉責めが聞こえた。

 ベッドに乗った青峰は眠るなまえの上に覆い被さる。顎を掴み仰向けにすると、唇を重ねた。背徳感が身を焦がす。起きたとしても行為を止めるつもりは無い。食事を奢り、何泊も居させてやるんだから見返りを求めても良いだろう。

 閉じられた唇を舌で無理矢理抉じ開ければ、重なった歯が行く手を阻んだ。これ以上口内を犯せないのなら仕方が無い。唇を離し、少し強引にTシャツを捲る。相手が呻いて眉を潜めたが青峰が手を止める事は無かった。白い肌が蛍光灯に照らされた。黄色いブラに納まる小さな胸を下着ごと掴んで捏ねる。乳房が柔らかく潰れ、ワイヤーの固さが手のひらを押し返す。指を過ぎるレースの感触がウザったい。コレが勝負下着と言うのなら、女のウブさに驚きそうだ。

 フロントに付いたらホックを外し、色素薄い乳首と対面する。反応はまだ無く、指で摘まめば芯は柔らかかった。直で柔肌を掴み、さっきより強く胸を揉みしだく。ココまですれば、相手もようやく目を覚ました。

「……青峰さ――」

 目と口を半分開いたなまえの唇をキスで塞ぐ。寝起きで状況を理解しきれない女は、ソレを甘んじて受け入れた。