なまえが地元へ戻った次の日にも、佐久間は彼女に会いたいと約束を取り付けた。ソレは彼氏なら当然な行動だ。彼は週末の間、連絡無い寂しさを部活や友人で紛らわせていた。 「――東京、楽しかった?」 「これ、貰ったの。あげる」 彼女から差し出された二枚のチケットを手に取れば、やたらに格好良いロゴと毎日嫌と言う程目にしている球技用のボールが描かれている。 「決勝戦じゃん! 良いの? どうしたのコレ?」 顔を上げた佐久間は、表情を綻ばせる。現在バスケに熱中している少年からしたら、プロの技を間近で感じられる絶好の機会だ。開催日と対戦チームの書かれたチケットを一通り眺めた彼氏は、ある名前を呟いた。 「青峰大輝のチームかぁ」 「……え?」 自分の彼女がその選手とひとつ屋根の下で暮らす、そんなお伽噺のような出来事を知らない佐久間は、反応に対して親切にレクチャーを始めた。 「あぁ、バスケの選手だよ。この試合に出るんだけど……大丈夫なのかなぁ?」 「何かしたの? その人?」 眉を潜めた彼女が首を傾げて問い掛けてくる。その仕草に可愛らしさを感じた少年は、期待に答えたくて昨夜【青峰大輝】について知り得た情報の中から"特に印象に残ったモノ"を数点繋ぎ合わせ伝えた。 「取材とかファンへの態度が悪いって、滅茶苦茶叩かれてる。何だか成績も伸び悩んでるみたいだし」 高校生の彼は、日本代表が発表された事を情報ブログで知った。ソコは情報発信だけで無く、閲覧者がコメントを書き込み・意見を交換する場所ともなっている。その中に【青峰大輝】についての記事があり、内容と言えばコメントを含め、目を覆いたくなるモノばかりだった。 代表から落ちた瞬間、今までの称賛から手のひらを返されたように青峰のバッシングは始まった。ネットの世界は恐ろしい。ネガティブな記事がネガティブな意見を呼ぶ。最早それは匿名達の玩具にも似ている。 「その青峰って人、凄いの?」 意外な食い付きに驚いた佐久間は、マニアでも何でも無い。青峰はおろかプロの世界についての知識は乏しい。結局、友人との世間話を咲かせる程度に詰めているだけだ。彼には彼の世界がある。地区大会を勝ち抜き、県大会で強豪相手に苦戦する程度にまでは実力がある高校だが、ソコで全てが止まる。 「凄いらしいんだけど……肩壊してからは、さっぱりだって。ネットにそう書いてあったよ」 だから、他人の意見しか情報を伝えられない。地区での強いチームについて答えられても、それは彼女が知りたい答えでは無い。 「……私、帰るね?」 立ち上がりチケットの一枚を相手へ手渡したなまえは、踵を返して彼氏の前を後にした。 「え? も、もう?」 何日か振りに連絡を貰ってやっと会えたのに、彼女は何処か冷たい。貰ったチケットを眺め、そろそろ次のステップへ進むべきなのだと少年は考える。 制服のポケットを探り、避妊具を取り出した佐久間は、若い男子にしては珍しく苦い顔をして溜め息を吐いた。 八月五日。天気、快晴。太陽が益々勢力を上げ、今日も沢山の人間が熱中症で倒れたとニュースで流れていた。 そんな日の夕方、ある巨大スポーツ施設に二十五名のバスケットボール選手が招集された。"第一アリーナ"と掲げられた大きな室内運動場。競技用に天井から吊るされたゴールの下には多数のプレイヤーが集い、各々に自主練を始めていた。 シューズが床に擦れ、ボールが弾む。地べたに座って読書の世界に引きこもった【黛千尋】は、振動を臀部に感じていた。心境の変化か、目立ちたい欲求の表れか――彼は色素の薄いサラサラな髪をカチューシャでアップにし、額を出している。感情の読めない鋭い目元がよく映える。 最後にやって来た男は、アリーナに居る全員の目を惹いた。それはソイツが常識無くハンバーガーを頬張りながらやって来たからじゃない。男がスタメン候補の中で最も"エース"に近く、MVPにも抜擢される程実力があるからだ。 "スーパーエース"が不在の中、成り上がりでエースとなった【火神大我】は、肩から提げたスポーツバッグを隅に放り投げた。そして食べ終えた包み紙を握り潰し、キョロキョロ周囲を見渡すが……ゴミ箱は設置されて居ないようだ。驚愕して口を開けた火神は、手のひらの塵紙をソソクサと自身のバッグへ入れた。 「――相変わらず目立つ男だ。タイガ」 懐かしい声に懐かしい呼び名。思わず振り向いて満面の笑みを見せた火神は、背後に立った男の名を呼んだ。 「タツヤ! スゲェなお前ェ! 代表かよォ!!」 その男、【氷室辰也】は高校時代から少しだけ髪を伸ばし、後ろでひとつに括っていた。益々色男になった幼馴染みは、変わらぬ笑顔で火神に答えた。 「彼、選抜入りしたんだね。驚いた」 氷室が指差した先には、洛山高校のPF・黛千尋が居た。会うのは四年振りだが、未だに影が薄い【黒子テツヤ】とは違い、今はもう普通に彼の存在を認識出来る。 「オレ、挨拶してくる」 そう言って火神は氷室の肩を叩くと、その場を離れる。氷室は、変わらぬ好奇心を持つ火神を微笑ましく見送った。実力が逆転し差が開いても、二人の立場は何時までも"兄と弟"だ。 挨拶代わりに黛の前でヤンキー座りをして目線を合わせた火神は、彼の持っている本の表紙をジロジロ眺める。一般的には失礼にあたる行為なのだが、黛は眉の位置ひとつも変えない。ついでに読んでいる小説のタイトルを、目の前の文明も知らなそうな野蛮人へ教えてやった。 「【女子高生を拾ったら魔界大王の娘だった】」 「……何だソリャ?」 【魔界大王】なんて不可思議な単語に興味をそそられない火神は、訝しげに眉を動かした。 「今、一番勢いあるラノベだ。ファンタジーと日常的恋愛の融合がジュブナイルさえも精巧にする」 黛の感想がサッパリ理解出来ない脳筋火神は、口元を引き吊らせ中腰から立ち上がり、肩を竦めながら首を振った。 「女子高生拾ったら、そのナントカナイルちゃんが生まれんのか?」 「ジュブナイル。小説のカテゴリだ」 少年期を題材にしたティーンテイジ向けの小説を一般的にジュブナイルと呼ぶのだが、そんなの火神は初めて聞いた。 「国語は死ぬ程苦手なんだよ、オレ」 「だろうな」 火神はわざとらしく小説をたしなむ男を指差し「何故ならば、身体がヒヨッコになっちまうからだ」と、格好付けた張りのある声でおちょくりだす。 ウマが合わなそうな二人は、互いを敵視し始めた。火花散らすソレを止めたのは今さっきやって来た【笠松幸男】で、二人の頭をバインダーでひっ叩いた。特に火神は、角で後頭部を打たれ悶絶する。 「集合だ!! モタモタするな!!」 お調子者火神とは比べ物にならない位に張った声で集合を掛けた笠松は、その小さめな体格から想像出来ない程に威厳があった。彼は現在、リーグ三位チームのキャプテンだ。二十三歳と云う若さで代表の主将に選ばれた。 選考された人物の八十パーセントが二十五歳以下と云う編成に、【世代交代】と云う言葉が過る。スポーツの世界は生存競争が過酷だ。次のアジア選手権までに、この場に居る何人の選手が残るかすら判らない。だからこそ、全員が身を削って己を出し切るのだ。 「早速だが、レギュラーを発表する。残りの半数は二軍だ」 笠松は、バインダーに書かれた名前を読み上げていく。十名が名を呼ばれ、映えあるレギュラーとして輝かしいステージに立つ。そして笠松は、更に漏れた人間の名前も全て読み上げた。 「二軍だからってだらけるな! やる事は沢山あるぞ!! チャンスもだ!!」 「ハイッ!!」と揃った返事が響く。唯一返さなかったのは紫原と黛で、困った顔した氷室が二人の肩を叩いた。 笠松幸男は周囲を見回すのだが、この場には一軍、二軍、控え合わせて二十四名しか居ない。フンと鼻を鳴らしたキャプテンは、レギュラーにさえ選出されなかった"スーパーエース"を惜しんだ。どうやらその男は、チームよりも自身のプライドを選んだようだ。 スタメン候補の長身男が頭上から笠松へ嫌な台詞を吐いた。ソイツの名は【紫原敦】。かつて一世を風靡した"キセキの世代"、唯一の代表だ。だからこそ紫原は主将に喰って掛かれる。 「……勝てんの? 無理じゃん。一ヶ月しか調整期間無いし」 氷室とは逆に、高校時代より些か短めになった紫色の髪が首を傾げた方向へ流れる。 「――紫原、帰っていいぞ?」 代表の主将は、日本一背が高く安定感のあるセンターへ低い声でそう告げた。予想外の返答に、紫原は威圧感を全面に出した。 「……はぁ?」 「そんな事を考えている選手は必要無い!! 戦う前から言い訳抜かす奴に、チームを任せられるか!!?」 「言い訳? 事実じゃん」 「アツシ……やめろ」 氷室が紫原をたしなめる。そんな氷室だって、本当は紫原と同じ心境を抱えている。彼だけじゃない、全員がそう思っている筈だ。他国の選手とは、フィジカル面が違い過ぎる。ソレをこんな付け焼き刃のような期間で超えろだなんて――無理がある。 「甘い考えは捨てろ!! お前らの代わりは幾らでも居るんだ!!」 『幾らでも居る』と云う言葉に不快感を示した紫原は、威嚇のように笠松へ冷たい視線を向けた。しかし、そんな威しにだって彼の熱血は怯まない。 「スタメンだから・レギュラーだからって慢心するのはやめろ! そんな選手が足を引っ張るんだ!!」 笠松は怒鳴り続ける。真っ直ぐ自分を見る四十六の瞳に負けないような目力で、代表選手達に喝を入れ続けるのだ。 「特にスタメン! 紫原! 氷室! 火神! 黛!」 早々とスターティングメンバーを発表した笠松は、四人を前に来るよう顎で命令する。 「お前ら、自分は何時外されても可笑しくないと思え。――席は、常に四つだ! オレも含めて!」 「何だソレ」と呟いたのは、依然として本から視線を外さない黛だ。全員の前に出されても、彼は読書をやめない。そんな舐めた態度を見せる優秀選手に、笠松は己の予想を告げてやる。 「お前のそのユニフォーム、虎視眈々と狙っている奴が存在するんだよ。――……この場に居るとは限らないけどな」 意味深なその言葉に、二十三名全員が飲まれた。"この場に居ない……"。ソレは最大且つ、最低なヒントである。 「――……青峰だろ?」 緊張感漂う低い声で答えを呟いたのは火神だ。その台詞のせいで、シンとしたアリーナは不気味な程、"圧迫感"に溢れた。 紫原は顎を上げたついでに背筋が伸び、氷室は目を見開き信じられないと言わんばかりだ。黛はライトノベルから目を離して笠松を注視し、火神は拳を握り口角を上げた。 「アイツは……選考に落ちた」 そう皆の気持ちを代弁した黛は、丁度可愛い挿絵の見えるページから指を進めない。――その男は"過去"になった。だから、【青峰大輝】は絶対に戻って来ない。 「そう思って油断してると、あっという間にベンチに座ってるぞ、黛」 両腕を組んだ笠松から名指しで非難されたその選手は、悔しさを乗せ唇を噛んだ。 「……ならウダウダしてないで、始めてくれよな」 文庫本を閉じた黛は、他の誰よりも顔が強張っていた。 ――彼は知っている。自分がこの立場に居られるのは、実力があるからじゃない。運が良かっただけだ。周りの目立った人間が、バスケを辞めたから……相対的に持ち上がっただけだ。 だからこそ青峰大輝が状況を覆しレギュラーに入れば、黛千尋が真っ先に外される。こんな場所でライトノベルを読んでいたのだって、余裕を見せたかっただけだ。舐められたら終わる……――。一番怯えているのが自分だと悟られぬように、本を強く握った。 そんな様子を横目で捕らえた火神は、頭の後ろで手を組みリラックスした体勢を作った。そして黛へと声を掛けるのだった。 「顔色、悪いんじゃねぇの? "黒子もどき"さんよォ」 「ソイツの名前をオレの前で言うな!!!」 火神に向かって怒鳴り声を上げた黛は、遂にライトノベルを握り潰した。クシャクシャになった【女子高生を拾ったら魔界大王の娘だった】は、可愛い表紙の女の子が困った顔して怒っていた。姿勢もそのままに火神は、思わぬ台詞に目が泳いだ黛千尋を睨む。 「――……ウォームアップから、始めるぞ」 ギスギスした二人を止めたのは、またしても笠松幸男だ。踵を返し、アリーナの中央へ歩き出す。二十三名はその後ろを着いて行くのだが、全員が不安を隠せないでいた。 そのうち誰かが小さく呟いた。 ――こんなんで、オリンピック行けんのかよ……。 八月五日。夕食時のファミレスに呼び出された影の薄い少年は、目の前に座るサングラスの男へひとつの質問を投げた。 「ボクに用事って、何ですか?」 二人の右隣は夕焼けが広がり、空の半分が蒼く染まる。あと一時間もすれば夜へと姿を変えるだろう。店の中も沢山の人々で溢れ、商売繁盛と言った所だ。 似合わない装飾用眼鏡をずらし周囲を確認した青峰大輝は、さっきまで自分に張り付いていたカメラマンを三つ向こうの席に捕らえた。 「オレにバスケを教えろ」 「馬鹿にしてるんですか?」 青峰からバスケを教わる事があっても、青峰へバスケを教える事は無い。それは、相手が自分より遥かに優れた才能を持っていると確信しているからだ。なのに、男は「バスケを教えろ」とぬかす。だから黒子は上記の台詞を呆れながらに告げたのだ。 「……言い方が悪かった。下手な奴が練習する時って、まず何をするんだ?」 「さようなら」 失礼に失礼を重ねた青峰を見捨てる気で黒子は席を立つ。すると、向かいに腰掛けた男は右手で宙を掻き慌て始めた。 「ちょっ……!? テ、テツ!?」 その姿に嘲りが無いと知った黒子は、再度席に着いて無表情のままに質問を続ける。 「コーチでも始めるつもりですか?」 「イチからバスケを始めたいんだよ」 「意味が分かりません」 青峰の飾り気の無い言葉を切って捨てた黒子テツヤは、彼が何を言いたいのか理解出来ずに居た。 「土曜までに、やらなきゃいけねぇ事がある」 混雑気味の店内は、遠くで女性の笑い声が聞こえる。居酒屋のような陽気な甲高いモノとは違う、小さな笑いの重なりが大きな音を作り出す。その声に紛れ、青峰はサングラスで余計強面になった顔を近付け、"やらなきゃいけねぇ事"を黒子に教えた。 「無理です。時間が足りません」 黒子は真っ先に否定した。その挑戦は無謀過ぎる。いくら青峰程の"天才"であっても、数日で何とか出来るようなモノでは無い。 「無理じゃねぇ、オレなら可能だ」 「だからって、何でボクに頼むんですか?」 ウンウンと考え始めた青峰は、顎に置いた手を外し指を鳴らした後、ビシッと黒子を指差した。 「下手糞だった癖に、一番巧くなったからだ」 「喜んで良いんですか? ソレ」 「好きにしろ」 溜め息を吐きながらリュックサックからノートを取り出した黒子は、一枚を雑に破り中学時代から続けてきた帝光中二軍以下の自主トレーニング内容を書き出した。ソレは全てが基礎中の基礎で、最初から一軍の輝かしい世界に居た青峰は絶対に知らない"最下層の人間達"が、手っ取り早くボールに慣れるよう組まれたメニューだった。 「……ボクは、赤司君に認めて貰うまでそれなりに時間があったんです。キミにはそこまでの時間が無い」 書き終えた内容を推敲し、青峰へと差し出す。紙を手に取った青峰は一覧を眺め「お前ら、こんな事してたのか?」と、基本内容を馬鹿にする。 「やっぱり無理ですよ、青峰君」 黒子の淡い瞳が目の前の天才へと刺さる。そうして彼は何度も青峰の決意を否定し続ける。 幾ら自身が行った訓練を教えたとしても、それを男が求める形にするには数ヶ月は掛かる。更に、この青峰大輝は"完璧"を求めた。その場しのぎでお座なりの出来じゃ満足はしないだろう。 「――数日で『全てのプレイを左手でする』なんて……そんなの出来っこ無いです」 確かに両利きの選手は多数存在する。しかしソレはシュート・パス・ドリブルに適応しているだけで、青峰が目指す『全ての動作を左手で』とはレベルが違う。ボールに向かって咄嗟に出るのは利き手だし、スティールだってシュートブロックだって、慣れていない手で叩けばファールを取られる可能性が飛躍的に上がる。 それらを踏まえて呟いた黒子を流した青峰は、席から立ち上がる。その向けられた心配を他所に、男は右手で伝票を摘まんだ。 |