昨年の秋、駅前に建てられたこのショッピングモールは巨大で、シネコンや各種有名ブランド店、スーパー銭湯までテナントに入っていた。隣接された駅とパチンコ店のお陰で、誰でも気軽に一日中楽しめる複合施設となっている。 六人で話題の映画を観てすぐ、仲人カップルは姿を消した。恋愛映画らしからぬ刺激的な内容にムラムラしたのかもしれない。今頃は、ラブホで熱い時間を過ごしている筈だ。 トイレに立った女子を待つ宮地と友人は、グッタリしながら化粧室前のベンチに腰掛けていた。なんせ人が多い。女子トイレには列が出来ている。 「宮地、ソッチどう?」 「……まぁ、いい子なんじゃね?」 背凭れにだらしなく身体を預けた宮地は、友人の質問に答えた。はみ出したトイレ待ちの女子達が、器量良しな宮地をチラチラ見て静かに盛り上がっている。その光景さえ面白くない友人は、隣のイケメンへ文句を言った。 「ミスコンでも物足りねぇの? めっちゃ可愛いじゃん」 「そういうんじゃねぇよ」 画面の消えたスマートフォンを眺め、宮地清志は溜め息を吐いた。マナーモードのまま戻さないサイレントな電子機器は、誰からも連絡が無い事を教えてくれた。 文子が姿を見せなくなって今日で十日目……。最初は帰宅する度に彼女が居るのではないかと警戒したが、五日も過ぎれば気にならなくなっていた。大学にも姿を見せない文子は、まるで自分の前から消えたようだ。次の台本は昨日燃えるゴミに捨てた。 「オレ、今日童貞卒業出来っかも……!」 半袖のネルシャツを掴まれ引っ張られた宮地は「はぁ?」と上擦った声を上げた。友人は自分に宛がわれた合コン相手を大層気に入ったようで、こんな公共の場で童貞なのをひけらかす程に興奮している。 「お前、好きな奴に捧げるんじゃねぇの?」 「逆にだ、宮地。抱いたら好きになるかも〜」 ポジティブなのか馬鹿なのか、はたまた考えに芯が無いのか……彼は今夜に"いかがわしい希望"を持っているようだ。 「……羨ましい貞操観念だな」 「あぁー緊張する。この後どうしよう」 「落ち着けよ!」 宮地は上着を引っ張る友人の手を掴み、引き剥がそうとした。これ以上ブランドモノをグイグイ伸ばされたら、着れなくなってしまう。 「女って良い匂いするんだな。柔らかいのかな?」 「あぁ……。柔らかいんじゃね?」 優しい宮地君は、ウンザリした顔で友人の妄想に付き合ってやる。女子トイレの列は相変わらずだし、彼女達も中々出て来ない。イライラしてきた宮地はスニーカーで床を鳴らし始めた。 「格好付けてんなよ」 友人は宮地を馬鹿にする。これ以上隣のイケメンに熱い視線が集るのが面白くないようだ。 「格好付けてんじゃねぇよ。格好良いんだ……よ」 そんな自尊心を感じるボケを言った宮地だが、ツッコミ役の友人は役割を放棄し立ち上がる。彼の視線の先では、合コン相手が手を振っていた。……ソレは、友情より愛情を優先された瞬間だった。 「ゴメンね、待った?」 大分時間を食った彼女は、友人の肩に手を置きながら聞いていた。 「いや、宮地と話してたから。大丈夫」 「ありがと! この後、どうする?」 あのカップルのケバい彼女が連れて来たのは、お嬢様のような清楚な女達だった。並んで歩き始めた二人は、宮地に軽い挨拶をした。『美女と凡人』。……そんなタイトルを付けた宮地は、座ったまま二人を見送る。 「ご、ご飯とか! 腹減らない?」 「緊張してるの?可愛い〜」 彼等の会話は初対面らしい初々しさがあった。緊張した友人が、冷静な女性にリードされている。 「……大丈夫か? アイツ」 友人を心配した宮地は一人、女子トイレの前に取り残された。順番待ちの列から視線が刺さり、つい下を向いて暗いままのスマホを眺めてしまう。 「宮地君、ごめんなさい。お化粧崩れてたから」 やっとこさトイレから姿を現した相手は、イケメンに似合う美少女だった。ライトアップされていないのに、身嗜みや持ち物が洗練され輝いて見える。流石はミスコン入賞者。華奢なティアラが似合いそうだ。 「飯食いに行く? 腹減っただろ」 電子機器のマナーモードを解除した宮地は立ち上がり、相手にこれからの予定を伺った。彼の一言で合コンは終了。ここからは一対一のデートとなる。 2 「宮地君、大人っぽくなったね」 そう言ったミスコン女は口元を手で隠し笑った。彼女は育ちが良いのか、こうやって女性らしい仕草が咄嗟に出る。遅い昼食を食べた二人は、駅前をブラリブラリと歩いた。天気は良いが風が無く、直射日光が肌に刺さる。 「……そりゃ、もう大学生だし」 道は細くなり、ビル群が増え、周囲は殺風景になっていく。頭上には電線が無数に走り、ゴチャゴチャした外観を生み出していた。 「高校生の時は、いつも誰かに呼び出されてたね」 素っ気ない宮地の横を歩く女学生は、同高だった事を思い出して当時を懐かしむ。 「彼女だけには困らなかったな。後半は部活・部活・部活で恋愛どころじゃなかったけど」 今と大して違いは無いが、中学時代から宮地清志はとにかくモテた。……だが意外にも、交際期間は短い。キスもせずに別れるのが殆どで、羨ましいと嘆いたクラスメイトが逆に羨ましかった。だって彼は、彼女と何年も付き合っていたから……。 『何で付き合ってるのか、分かんない』 そう言われては、別れるの繰り返し。若い彼は数人目でやっと悟った。 ――好きな人間の一番になりたいから、付き合うのか……。 バスケ以上に夢中となれる彼女が出来ず、彼は"アイドル"なんて偶像崇拝に逃げた。可愛い子が大衆用の笑顔で自分を癒し励まし、『私を一番にして』なんて言わないから。 「……あの時は、声掛けるのが恥ずかしくて」 「ミスコン入賞者が?」 隣の女性を笑った宮地は、笑顔で皮肉を言う。女生徒は鞄の持ち手を握り、目を伏せ恥ずかしそうにした。 「……可愛くなれるように、頑張ったの。エステ行ったり……宮地君の隣に立ちたくて」 その台詞は宮地を冷静にさせた。――その努力分は、還元しなきゃいけないのだろう。コイツだって、どうせ一番になりたがる。二番手三番手にしたら友達に『彼氏が冷たい』って愚痴を言うのだ。 そのクレバーな考えは、モテる人生が生み出した副作用だった。 「宮地君……ココ」 女子生徒は立ち止まり、顔を困らせた。その台詞で周囲を見た宮地は、驚く。フラフラした彼等は、こんな昼間っからラブホ街に迷い込んでいた。オフィス街に隣接している如何わしいゾーンに慌てた男は、相手に弁解を始めた。 「べっ、別に……! そういう事………っ!」 彼は、本当に何もする気が無い。十日前に途中までした相手に逃げられ、落ち込んでいるからだ。宮地はたったソレだけで、自分のテクニックに自信が無くなっていた。 相手の女性は恥ずかしそうに目配せをする。その視線の意味を知る宮地は唸って周囲を見渡す。喫茶店でもあれば入って、場を誤魔化す事が出来るから。 周囲をキョロキョロしていると、駅側から腕を組んだ男女がやって来た。きっとこういう場所に用事がある人間だ。気まずくなった宮地は近付く男女から視線を外そうとしたのだが、女性側に見覚えがある事に気付いた。 ――彼は、その神様の悪戯を恨んだ。よりによって……女はつい先日、肌を重ねた人物だったからだ。 「オイ、お前……」 無視した少女は、わざとらしく年配のスーツ男に密着して宮地の前を通りすぎた。その媚びた仕草に腹から怒りが込み上げた宮地は、目元が痙攣しているのに気付いた。 「……お知り合い?」 清楚で可憐な女子学生は首を傾け、鬼のような形相となった宮地に優しく問う。しかしその声すら聞こえない宮地は、仲睦まじい二人の後ろ姿を睨み続ける。 「……悪ィ、ちょっとココで待ってろ」 「え?」 ミスコン女を置き去りにした宮地は、結局その二人の男女を追った。そして二人がホテルの入り口前に立った瞬間を見図らい、声を掛ける。 「文子! 何してんだ!」 立ち止まり一度だけ天を仰いだ少女は、ヒールでアスファルトを叩きながら振り返り、乱暴な口調で罵声を飛ばす。 「何? アンタこそ彼女ほっといて何してんの?」 そう言ってコチラを睨んだ文子は、やはり気付いていたらしい。そりゃ、あんな至近距離ですれ違えば当然だ。 「彼女じゃ……そんな事より何考えてんだよ!」 宮地は言い訳するのも途中で面倒になり、彼女の肩に手を回す団塊世代の男を指差した。 「誰だよ? このオッサン」 「プロダクションの社長! 打ち合わせに来たんだよ! 馬鹿宮地!! 恥かかせんじゃねぇよ!! 馬鹿!!」 てっきり援助交際でもしているのかと思っていた宮地は、勘違いを謝る事なく彼女に喰って掛かった。 「打ち合わせって……こんな所でか!?」 信じられない男子学生は、今度は背の高い変わった形をしたビルを指差す。入り口には料金表が提示されていて、如何にもラブホテルらしい外観である。 微妙な場面を知り合いに目撃され焦っているのか、それとも苛立っているのか文子は突き放す言葉をストレートにぶつける。 「お前ともう関わりたくねぇんだよ!! あの番組は降板したの!! 話掛けんな!!」 スーツの男は宮地に名刺を差し出した。制作会社の取締役らしく、聞いた事もない会社名に整った顔をしかめた男子学生は、文子に向かって文句を呟いた。 「……んだよ、ソレ。勝手だな」 舌打ちした宮地は、名刺をジーンズのポケットにしまう。そして彼女を冷たい目線で見下した。 「……だから、傲慢女は嫌いなんだよ」 左足を軸に、癖となったターンでホテルの入り口から背を向けた宮地は、置いてきたミスコン女の元に向かう。ジーンズのポケットに突っ込んだ右手は、貰った名刺をクシャクシャに握り潰していた。 「……どうしたの? 文子ちゃん」 遠ざかる宮地の背中を見つめたまま動けない文子は、プロダクションの社長から声を掛けられ意識を戻した。 「すみません。大学の同級生が……」 そう言って無礼を謝るのだが、男は大して気にしていないようだ。ニコリと笑って朗らかにビジネスの話を始めた。 「現役大学生だからねぇ。大丈夫、何もしないから。企画についてお話しようね」 「はい! お願いします!」 ホテルの入り口で深々と頭を下げた文子は、スカートを握り震える手を必死に押さえた。 「――宮地君のお知り合いって、そ……そういう仕事の子?」 戻った宮地を出迎えたのは、引いた顔する女子学生だった。投げ遣りになった男は、ポツリと呟いた。 「学科が一緒なだけだ」 「なんか、そんな感じの子だったね。身体売るのに抵抗無いって言うか……」 別にあの傲慢暴力女が誰にどう思われようがそんなのどうでも良い。だけどイライラが収まらない宮地は、ホテル街で声を荒くした。 「あのさ! オレ悪いけど、彼女作る気ねぇから!」 突然キレた想い人に身体を強張らせた美少女は、声を震わせた。 「そんな……私ただ、一緒にご飯食べたり出来れば……」 「サークルとバイトと、ダチと遊ぶので予定詰まってるから、月イチでしか遊べねぇよ?」 宮地は『お前を一番には考えられない』と遠回しに相手へ告げた。 「み、宮地君と会えるなら!」 「連絡もしねぇよ? ラインとか既読も付かねぇだろうし」 最低な事を言っている自覚はある。だけど言わなきゃ気が済まなかったし、上記の条件を飲んで貰わなくては交際すら出来ない。 「……良いよ、ソレでも」 泣くのを堪えるような声で条件を飲もうとする相手へ、宮地は溜め息で別の条件を当てた。……ソレは最悪で最低で、低俗な条件だ。 「じゃあヤりたい時だけ呼ぶのは? 良いのか?」 「み、宮地君となら」 ……ソレじゃ、さっきのアイツと何も変わらねぇだろ? その言葉を飲み込んだ宮地は、両目を擦り疲れた頭を左右に振った。 「悪ィ。オレ、短気だからさ、ノホホンお嬢様は似合わねぇんだわ」 どうせ条件突き付けて付き合ったって、いつか一番にして貰えない事を批難されるに違いない。過去の傾向から不安を拭えない宮地は、何時からか男女交際にトラウマに似た何かを抱えていた。 「……宮地君、でも私」 「もっと良い男探せよ。その方が、幸せになれんだろ」 そうやって相手を遠ざけた宮地は、さよならも言わずに本日のデートを終了させた。ポケットに手を入れると、丸めた名刺が入っていて、彼を更に苛立たせた。 3 モヤモヤした気持ちを、バッティングセンターで何時間もバットを振り発散した宮地は、ベンチに腰掛けて壁に後頭部を打ち付けた。思ったより痛くて「……何だよ」と独り言を漏らす。打率成績はそれなりで、バット握っていた手を眺めた。 どうせだったら、変にモテないよう野球部入って、黒焦げになって坊主にすりゃ良かった……。そう思ったのだが、バスケが好きな彼はバスケットボールの重さを思い出して競技が恋しくなる。 ひとつの事には努力を注げても、ふたつの事は同時に出来ない。やがて男は、チヤホヤされる快感を捨て、部活に情熱を注ぐようになった……――。 宮地はフラフラした足取りで夜の道を歩いた。閑静な住宅街は家の明かりが安心感をくれる。高校を卒業してすぐ、木村に彼女が出来たらしい。今も彼は交際を続けているのだろうか……。 アパートの前に着いた宮地は、玄関を見て溜め息を吐いた。 「……帰れよ。邪魔」 家主は、ドアに凭れ体育座りをしている人間に冷たい言葉をぶつける。何も言わないソイツは、小さく身動ぎをしただけで退かない。――来訪者は、さっき自分を斬って捨てた文子だった。 「……何なんだよ。ワガママ暴力女」 そう言えば、脛に蹴りが飛ぶ。急所を直撃し、骨から痺れるような痛みに顔を歪めた宮地は、殴ってやろうかと拳を振り上げた。その拳は、ドアを殴って終了した。 「アンタは良いよね?」 「八つ当たりに付き合う余裕ねぇんだよ。邪魔だっつーの」 体育座りで動かない文子の手を掴んだ宮地は、無理矢理立たせようとした。鼻を啜って立ち上がった少女は男を睨む。……頬を涙で濡らしながら。 「……何があったんだよ」 嗚咽を漏らして、グシャグシャになった顔と髪を整えず文子はただ泣いた。睫毛が濡れ、瞳が潤んで涙が落ちた。 「わたしっ……も、やだ……」 鍵を回しドアを開けた宮地は、泣き止まない少女へこう聞いた。 「あのジジィに何かされたのか?」 ちょっと強引に華奢な背中を押し、メソメソ泣く少女を部屋に入れる。足元がおぼつかないなりに入室した文子は、また鼻を啜り質問に答えた。 「……打ち合わせしただけ」 「あっそ、心配して損したじゃねぇか」 部屋の照明を付け、相手にティッシュを差し出す。台詞とは裏腹に、宮地は彼なりに文子へ気を遣っていた。 「……私、チヤホヤされたくて……グラビアオーディション受けたの」 「アイドルって、グラドルかよ」 "アイドル"の概要を聞かなかった男は、その一言で彼女の活躍するカテゴリーを知った。正直、身体だけで売り込むグラビアアイドルは彼の興味の対象外だ。 「でも……! AV女優になりたい訳じゃない!!!」 その叫びに、一瞬だけ時が止まる。本日文子に舞い込んだ仕事の内容は、グラビアの域を超えた別ジャンルのモノだった。 「……AV? お前が? 無理無理」 そう言って顔の前で手首を左右に振った宮地は、彼女の発言を笑った。それは展開に思考が追い付かず、勝手に冗談と思い込んだ結果だ。目の前の経験無い同級生が、AVで全世界に性行為を晒すなんて……きっとジョークに決まっている。 「私、学校しばらく休むから。……準備しなきゃだし、整形とか」 「冗談キツくね?」 『冗談です』とも言わない彼女は、ティッシュボックスをテーブルに置いて少しだけ笑った。 「次会う時は、違う顔かもね? 可愛くなってても、惚れんなよ? 馬鹿宮地」 その言葉が、冗談を真実に変えた気がした。笑顔を消した男は、混乱を表面に出す。 元々、彼女とはAVの真似事をさせられていた。ここから先、どれだけ過激になるかは知らない。今もまだ、カメラの中には行為が映像としてデータ化され残っている。 そんな彼女にAVの撮影話が舞い込むのは、時間の問題だったのかもしれない……。 「待てよ! 意味判んねぇ! 何だソレ? オレにどうしろって言うんだよ!」 宮地の混乱した声に振り返った文子は、いつもの傲慢な暴力女でも無く、カバのようにとぼけた馬鹿女でも無く……一人の傷付いた女性だった。 「……助けて」 立ち止まった宮地は、目を見開き驚愕と困惑した表情を貼り付ける。そして同時に、自分は彼女に何もしてやれないと知るのだった。 嘘でもヒーローのような言葉を掛けて欲しかった彼女は、鼻を啜って指先で涙を拭いた。ワンルームのドアはノブが冷たくて、そして軽かった。 「待てって言ってんだろ!! 馬鹿女!!」 無視され背を向けられたのは本日二回目。相手に声が届かないんじゃない。相手に拒絶されているのだ。 ……どうせ追い掛けても何もしてやれない。シンとした部屋に佇んだ宮地は、背後のベッドを見れずに居た。十日前を思い出して、やりきれなくなるからだ。 「ああぁぁぁ!!! クソッ!!!」 声の限り叫んだ宮地は、喉と耳の痛みを感じた。大声を出したせいか頭まで痛い。……だけど、ソレは"立ち止まっていて良い"言い訳にはならなかった。 一度閉まったドアを開け、彼は追い掛けた。どうせお互いを傷付けるだけだと知っているのに、馬鹿だと思いながらも宮地は走り出す。靴を履くのも惜しく、スニーカーを掴んで靴下のまま外に飛び出した。 |