まるで馬鹿げた
   メロドラマ

始まりはいつも君から

「あぁ、宮地。お前昨日やらかしたみたいだな?」

 一人の男がそう声を掛けられ、溜め息を吐いた。宮地と呼ばれた彼は、大学の学生食堂でかけうどんを啜り先に席を確保してくれた友人の前に座る。

「バイト入ったんだよ、急に」

 黒い塗り箸を手に取りラーメンに突っ込んだ宮地は、もうすぐ食べ終えそうな友人に昨日の出来事を無駄なく伝えた。

 合コン始まってすぐ、人員が足りないバイト先からの着信。三十分後、彼はガソリンスタンドで笑顔と燃料を売り、ついでにメンバーズカードの販促までしていた。宮地は自分の行動に間違いは無いと信じている。

「だからって合コン抜け出すかよ?」

 にぎやかな学食はほとんどが埋まっていて、遠くで男女混合グループの充実した笑い声がした。男同士で湿気た昼食を取る二人からしたら、耳障り以外の何者でも無い。

「それに、ウチのバスサーはバイト禁止じゃねぇの?」

「だからコッソリ抜け出すしか無かったんだろ」

 二人は大学のバスケットボールのサークルに属していた。全国でもトップクラスの実力を持ち、恋愛禁止・バイト禁止・掛け持ち禁止……と、鬼のようなルールがある。内最初の二つを破りそうだった宮地は箸をどんぶりに入れたまま頭を垂れた。

 かけうどんを食べ終えた友人はともかく、宮地清志は推薦で入学した特待生だ。高校は、学力高く強豪で有名な秀徳高校を問題無く卒業。最後の戦歴は全国三位。中々に恵まれた履歴だ。

 つい最近も、惨敗はしたがアメリカ相手に代表チームを組んだ事もある。アレは一種のトラウマになってはいるが、だからと言ってバスケから逃げたりはしない。『世の中には更に強い人間が居る』と言い聞かせ納得するのに、数週間は要した。果たせるのなら、リベンジだってしたい。

「前原怒ってたんだけど。あの後、白けてすぐ解散したって」

「オレのせいにすんなよ……」

 自慢じゃないが、宮地清志はモテる。明るい髪に、芸能人のように派手で整った顔付き。更に頭も体格も良く、カーストの頂点に立つサークルのレギュラー。愛想も良く、笑顔が眩しい。……身長が高過ぎる位しか欠点が無い。友人達からすれば、合コンの人寄せ看板になって貰うのに丁度良い。

 そんな男が、学食で野郎二人でランチ……。モテる癖に縁に恵まれない。それがこの男、宮地清志。十八歳と九ヵ月。

「そう言えばさぁ、入学してすぐの新歓コンパで写真撮ったじゃん。宮地の」

 思い出したかのように塗り箸で宮地を指した友人は、一ヶ月前の出来事を記憶から呼び起こしてくれた。

「人がべろんべろんのぐでんぐでんになってる所をどうもな?」

 宮地は口角を上げ、自身の恥態を悦んで撮影していたサークルメンバーを皮肉る。後日写真を見せられ、二度とこの人達とは呑まないと誓ったモノだ。人生初の飲酒は違法で、制限より二年ばかし早かった。ちなみに、あれ以来呑んでいない。

「アレで先輩が応募したって」

「はぁ? 何に?」

 予想外の展開に目を丸くした宮地は、顔を上げて驚いた顔を見せる。そうして彼は、未成年飲酒の証拠を世に放たれた事にショックと焦りを覚えた。

「何だっけ? 何かのケーブルテレビ」

「何勝手に人の名前と写真使ってんだよ! 轢くぞ!」

 ワックスで整えた後頭部を掻き毟り一部をボサボサにした宮地は、何時からか癖になったお決まりの台詞を口にしていた。

「免許も無いのに、どうやって轢くんですかねぇ」

 友人が至極マトモなツッコミをすると同時に、ジーンズに入れていた携帯が宮地を呼び出した。入学と同時に買い換えた最先端の機器を操作し、通話を始める。

「ハイ、宮地です」

『あぁ、宮地君。悪いけどさぁ、今から来れない? 高橋また体調不良で休んで』

 嫌な事は続くモノである。高橋とは、昨日も体調不良だと言って休んだ二十歳のフリーターだ。しかし、宮地は知っている。最近高橋に彼女が出来た事を……。

「……オレ今日サークルだから五時までしか無理っすよ?」

 学食の壁に掲げられた時計で現在時刻が正午である事を確認した宮地は、店長に勤務可能な時間を伝える。サークルは夕方六時からで、今日はもう一コマしか授業が無い。

『それでも良いから、頼むよ』

「……分かりました。三十分後に」

 相手からのお礼を聞き、すぐに電話を切る。目の前の友人が不思議そうな顔で宮地を見た。

「お前、サークルの前にバイト行くの?」

「出席カードとノート頼んで良いか?」

 そのズルを咎めるように目を細めた友人に、ラーメンと共に頼んでいたハーフサイズのカレーライスを差し出してやる。

「コレやるから」

 カレー皿を手に取りズルを了承した友人は、宮地のトレイに乗ったスプーンを掴みながら彼に言葉を掛けた。

「忙しいですねぇ。彼女作る暇もねぇな」

「合コンする暇もねぇ」

 せっかくの器量を活用する場所が無い男は、急いでラーメンを食べ終えると、挨拶も告げず友人の前から立ち去った。


  2


 さて……急遽バイトを入れた宮地は、現在キャンパスの廊下を走っていた。この年齢になれば【廊下を走るな】と言う常識的標語を聞かなくなるモノだ。しかし、彼はそんな常識など忘れたかのようにダッシュをしている。昼休みが終わり講義に向かう人々の流れを逆流し、ぶつかっては謝っていた。

 そうやってよそ見をしていると、ある人物が胸元に衝突して来た。正面から激突してしまった男は、自身の高身長を感謝した。相手の肩を掴み怪我を心配すると、ソレは知り合いの女性だった。

「……みやじくん」

「悪ィ。急いでんだ」

 宮地はテキトウに謝りその場を急ごうとするのだが、相手は空気が読めないのか彼のシャツの裾を掴んで来た。

 思いがけない妨害に顔を歪めてしまった宮地は、掴まれた裾を見て足を止める。それと同時に笑顔を見せた少女はゆったりとした口調で言葉を続けた。

「わたしね、アイドルになったの」

「――はぁ? 地下ドルか?」

 冗談に似た方向に怪訝な顔をしたイケメンは、裾を離されたのを黙視で確認する。そして残酷ではあるが、報告に大したリアクションもせずその場を急ごうとした。

「日が暮れちまう。またな」

「あとでねぇ」

 動作がトロい少女は、優雅に手を振り送り出してくれた。その仕草がアイドルのイメージとは掛け離れていて、宮地は鼻で笑った。大方、アイドルフリークの自分へアピールする為の嘘だろう。

「……アイドル? 冗談だろ?」

 とにかく、宮地は先を急いだ。急いでいる内に、先程ぶつかった彼女の"些細な嘘"など忘れてしまうのだった。


   3


 その日の夜。バイト後にサークルと言う激しいスケジュールをこなした宮地は疲弊した身体を引き摺り、単身者用のアパートに向かった。この春から念願の一人暮らしを始めた彼は、何故か自室の前でたむろっている三人の男性に驚く。集られる理由を思い付かないごく普通の大学生は、『今日は厄日だ』と皮肉りながらお客さんに声を掛けた。

「何か用っすか?」

「……宮地、清志君?」

 サングラスにポロシャツと云う時代錯誤にバブリーな格好をした男性に名前を呼ばれ、宮地清志は身構えた。借金取りに宗教、受信料の徴収に募金……考えられる全ての可能性を模索した彼は、腰を落とし高校時代少しだけ習った柔道の構えを取る。しかし、事態はそのどれもに属さなかった。

「おめでとう! キミね、企画に選ばれたんだよ! ちょっと部屋入っても良いかな」

 来訪者が新手の押し掛け……訪問販売だと悟った宮地は、後退りをして挙動を不審にさせた。

「ななな、何が? 何で!」

「まぁまぁ、中で話しようか」

 馴れ馴れしい口調で歩幅を詰めるバブル男は、指をパチリと鳴らして口角を上げた。その仕草が気味悪く、宮地の頭にアラートが鳴り響く。

「いや、無理だって! 意味分かんねぇ!」

「え? だって応募したんだよね?」

「何に!?」

 応募と言う言葉に聞き覚えがある宮地は、記憶を辿り五秒後に答えを出すのに成功した。そうだ……。アレは今日の学食での話だ。

 『そう言えばさぁ、こないだの新歓コンパで写真撮ったじゃん。宮地の』

 『アレで先輩が応募したって』

 事態が飲み込めた宮地は、頭を抱えて吠えた。

「オレじゃねぇ!!」


   4


「――カメラ二台!?」

 差し出された名刺には聞いた事もないケーブルテレビの名前が書かれていた。そして二人のアシスタントが、家庭用を少し大きくしたようなカメラを固定していた。……両方、窓際のベッドに向かって。瞬間、アダルトビデオを連想した宮地は少しだけ頬を赤らめた。

「モニタリングじゃ少ない方だよ? ウチ金無いから」

 宮地の部屋は八畳ワンルームの一階。部屋の奥にセミダブルのベッドがあり、手前にテレビとローテーブル、クッションが地べたに置かれた普通の部屋だ。現在はローテーブルが取り払われ、カメラが一台鎮座していた。もう一台は無理矢理テレビの上に固定されて、ベッドを見下ろす形となっている。アングル的に間違いなくアダルトな撮影だ……。

「何の企画かも教えてくんねぇし……」

 宮地は、貰った名刺を隅に追いやられたテーブルの上に置く。するとプロデューサーと名乗ったバブル男が脇腹を肘で小突いて来た。この男は、仕草まで古臭い。

「またまたぁ〜。皆そうやってしらばっくれるんだよね、最初は」

「だぁかぁらぁ!!」

 しらばっくれるも何も、勝手に応募され聞いた事もない番組に協力的になってやってるのに、相手は詳細の開示もしてくれない。部屋の内装を変えられ隅に立ち尽くすしかない宮地は、その秘密を明かしてくれないやり方に苛立っていた。

「本日の主役入りまーす!」

 一人のアシスタントがワンルームのドアから顔を出し、声を張り上げた。スタジオ収録時の癖だろう。アパートでやられたら、騒音以外の何物でも無い。両隣の住人を心配した宮地は、口元を引き吊らせる。そして、そんな家主の心情にも気付かないアシスタントに続いて、一人の女性が部屋に顔を覗かせた。

「みやじくぅん」

 アダルトスタジオに模様替えされた彼のワンルームに一人の女性が入って来た。彼女は薄着の上に大きく派手な原色をしたジャンパーを着ている。その姿がテレビで良く見る出番待ちの女優のようで、宮地は大きな目をパチパチさせた。

「……は!? 文子?」

「さっきぶりぃ」

 朗らかに声を返した女性は、昼に廊下で衝突した彼女だった。

「何でお前居んの? 主役?」

 まさか自分の部屋に女性が来るなんて夢にも思わなかった宮地は、彼女を指差して首を捻った。部活後のシャワーでワックスを落とした蜂蜜色の髪が揺れる。

「二人知り合いなの? 大丈夫? 気まずくない?」

 不安気な顔をしたプロデューサーは、文子に質問をした。ちなみに、彼女に出演の相手を選ばせたのは彼だ。

「うぅん。みやじくんがいたから、あっ……て、えらんだのぉ」

「あぁ、そうか。ありがとよ」

 最悪なチョイスだ……と呆れ顔をした宮地は、御座なりに礼を述べて人より近い場所にある天井を仰いだ。既に視界に入っていない文子はニコニコと微笑むだけだ。

「よろしくねぇ」



「みやじくぅん、あたまなでてあげるぅ」

「いいよ。ガキじゃあるまいし」

 ベッドに腰掛け頬杖付いた宮地は、電源を落とされたカメラを眺めていた。左隣に立つ少女は、わざとらしく頬を膨らませた。アイドルならともかく、知り合いのあざとい仕草が鼻に付いた宮地は、ウンザリした顔をする。

「なでるのぉ」

「……ホラよ」

 しぶしぶ頭を下げた宮地は、意味不明な彼女の願いに従ってやった。ぶりッ子電波女の言いなりになった気がして面白くないが、話が進まないよりはマシである。

 しかし、そんな不貞腐れた彼の頂上に飛んで来たのは、垂直に降り下ろされたチョップだった。頭をカチ割られるような急な打撃。そして続く、耳を疑うような台詞。

「――お前、何で頭下げてんの?」

「……え?」

 宮地が打撲箇所を擦りながら顔を上げると、ほわほわした喋りで人を苛つかせていた少女は、腕を組んで仁王立ちしていた。目まぐるしい展開の変化に、キャパシティがMAXを突破しそうな宮地は、口を開けて少女の変化に驚く。その間抜けな様子にイラついたのか、少女は更に厳しい口調で言葉を続けた。

「だから、何で頭を下げてんの?」

 声質まで変わり果て、早口気味で怒りを伝えて来る文子は、宮地に理不尽な問い掛けを続ける。彼女の意図が掴めない男は、呟くように答えた。

「ソッチが下げろって……」

「頭下げてって言われたら、頭下げんの? 馬ッ鹿じゃないの? じゃあ、アンタ死ねって言われたら死ぬの?」

 機関銃のように始まったその猛攻が、負けず嫌いの宮地に火を付けた。立ち上がって、自分より大分背の低い文子へ言い返し始める。

「理論が無茶苦茶過ぎんだろ!!」