「こんな時間に何だよお前」

近くの公園にボールが弾む音が響く。バスケットゴールにガコンとぶつかる音が、すぐそこの国道を走る車の音と混じる。ベンチに腰を掛け、すっかり疲れた火神は、バスケに興じる少年を眺めていた。先ほど自分が彼を呼んだのだ。

結局アドレス帳を漁って頼れそうなのが彼しか居なかった。本当は黒子とか降旗とか、同じ学校の人間に声を掛けたかった。しかし、何と説明すれば良いか分からなかった火神はこの男を呼ぶしかなかった。

同じ都内で違う学校、深くまで首を突っ込まないアバウトな性格。適任だ。呼び出して30分程で彼はバスケットボールを抱えこの公園へとやってきた。

「悪い、青峰……」

ジャグリングの様に自在にボールを操る少年にポツリと声をかける。彼は火神の言葉を聞くと、放り投げる様にボールを遠くへ飛ばす。そのボールは公園に備え付けられたバスケットゴールへと吸い込まれていく。ボールが落ちたネットが遠くでゆらゆらしている。シュートが決まったボールはタン、タンと地面を跳ね、やがて威力を失う。

「別に良いけどよ」

そのボールを拾う事なくベンチの端に腰掛ける。パーソナルスペースを邪魔する事のない距離に、火神は少しホッとする。

「お前、顔色悪いけど無理してんじゃねぇの?」

ベンチの足元からスポーツ飲料のペットボトルを取り出し、喉を潤す。丁寧にキャップを締めると、火神へ差し出す。チャポン、と中身が揺れる。

「プレッシャーとかあんだろ。オレはずっとそんなんだったから慣れたけど」

「そんでも最初は吐いたけどな」と言葉を続けた青峰は、恥ずかしそうにケケッと笑う。彼は中学からずっと王者で居続けた。何でもなさそうな顔の裏では、試合の前になるとトイレに顔を突っ込み胃の中のモノを吐き落としていた時代があったようだ。

「……そうじゃねぇよ」

青峰から差し出されたペットボトルを受け取ると火神は否定を口にする。ペットボトルを揺らすと中の白濁した液体がゆるゆると揺れる。

「――家に……帰りたくねぇんだよ……」

額にボトルを押しあて、首を垂れる。夜の公園を照らす白色灯が青ざめた火神の顔を更に青白く彩る。情けない理由を馬鹿にする事もなく、青峰は火神に質問する。

「変な奴でも隣に越してきたか?」

「隣じゃねぇんだよ……――オレの部屋にだよ」

「はぁ?」

飲まれる事の無かったペットボトルを突き返され、ソレを受け取る。しかし、僅かなズレが生じて地面に落としてしまう。中身が入っていたペットボトルは鈍い音を立て転がる。それを拾おうとする青峰は身を屈める。

「―……んだよ」

「は?何?」

「家族を買ったんだよ!!」

火神は切羽詰まった怒鳴り声を出す。静かな公園に彼の声が響く。少し遠くでガサガサと草陰が揺れる音がする。いかがわしい行為に身を弄んでいたカップルがベンチに座った2人を睨む。そんな視線に気付く事が無い火神は青峰へと必死に語り掛ける。

「家族売りますって言うから買ったんだよ!!でも全員家族じゃなくて他人なんだよ!!でも楽しかったんだよ!リアルでさ!!でもソイツら何かがおかしいんだよ!!」

"でも"を多用している事に気付かない程、急ぎ早に説明をしている様だが、青峰の頭には状況が入ってこない。屈んだ体勢から視線を上げると、混乱する火神を見つめる。

「何なんだよ!!アイツら!!何で消えるんだよ!!」

「落ち着け、火神?……な?」

頭を抱えた火神は怒りで身体が震え、恐怖で顔面が歪む。そんな彼を青峰はなだめようとする。確かに火神の様子は逸脱していた。――大方変な宗教に担がれたのだろう。

「何かよく判んねぇけど、オレが一緒に説得してやるよ。ソイツらにさ」

背中を強く叩いてやると、本日初めて火神は笑顔を見せた。それが例え今にも消えそうな弱々しいものであったとしても、青峰の頼もしさが嬉しかった。

……………

火神は玄関の鍵を開け、ゆっくりと開ける。右詰めで規則的に並んだ靴が3足。黒く大きな革靴と華奢なパンプス、そしてリボンの様な靴ひもが洒落た白いスニーカーだ。

「……いる」

3足の靴から離すように左側へ靴を脱ぎ捨てる。

「……おじゃましまーす」

呟く様に、普段は言わない挨拶を玄関に投げ掛ける。そして火神の脱いだ場所の隣に靴を脱ぐ。

リビングを通る際に横目で見ると三人共キチンとした格好でいつもの定位置に腰掛けていた。表情は全員曇っている。

「大我、待ちなさい」

厳格な声で父親が自分を呼び止める。言われた様に足を止め、リビングに居る人物へと喧嘩腰な口調で返す。

「……何だよ」

「コッチに来なさい」

促されるままリビングへと足を進める。ブスッとした表情で偽りの家族を見渡す。――やはりチグハグだ……。そんな不機嫌を隠すこと無い火神に父親役は苛立ちを含んだ厳格な声で訪ねる。

「お前はこんな時間に何をしているんだ」

「友達連れてきただけだろ」

「誰の許可でそんな事をしているんだ!!」

怒りで目元が痙攣する。誰の許可だァ……?滅多にストレスを抱え込まない火神だからこそ、沸点を越えた時の行動は凄まじい。後々の事を考えるより先に、喉が潰れそうな位の声量で怒鳴り始めていた。

「るせぇんだよ!!ここはオレの家だ!!出ていけよ!!契約は終わりだ!!」

「何を言ってるんだ!!お前は!!」

火神は男性の胸ぐらを掴むと、顔面を近付け威圧する。至極冷たい声で淡々と言葉を吐く。

「もうごっこ遊びは終わりだって言ってんだよ。今すぐ出ていけよ……他人が家に居るなんて気持ち悪ィんだよ」

「――大我……」

『その名前を呼ぶな!』と再度怒鳴ろうとした瞬間、女性が顔を覆い、ヒステリックに泣き叫ぶ。

「他人だなんて!あんまりだわ!!」

ぎゃあぎゃあした耳障りな声がリビングに響く。その泣き声に被せるように、震えた声で俯いていた少女が呟く。

「お兄ちゃん……おかしいよ……」

「おかしいのはお前らだよ!!消えたり現れたり!!」

少女の小さな発言に火神は食らい付くが如く言い返す。こうなってしまっては形振り構っていられない。

「大我!いい加減にしなさい!!何なんだお前は!!反抗期か!?」

「消えてなんかないよ!!さっきだって、お兄ちゃんいきなり壁殴って家出ていったんだよ!?」

「さっき3人で話してたの……大我……あなた頭の何処かがおかしいのよ。疲れちゃったのよね?お医者さんに相談しましょう」

「――ふ……ざけんなよ」

狂った呼ばわりされた挙げ句に病院に相談だぁ……?男性の首もとを掴んだ腕が震える。怒りのゲージは頂点を越え、振り切れそうにまでなっている。三者が三様ではあるが、全員が火神を責めた。"自分は絶対におかしくない"その感覚が揺らぎ始める。と同時に何もかも破壊したくなった。――衝動。人はこの感情をそう呼ぶ。

「――お前ら3人で、オレを悪者にするんだな……?上等だよ……いいぜ?勝手にしやがれ……」

胸ぐらを掴んでいた手を離すと、苦しそうにしていた父親の顔が緩む。しかし火神の怒りが鎮まった訳ではない。逆であった。

フラリとリビングを出ると、固まったままの青峰と目が合う。悪い所を見られたモノだ……何かを言いたそうだけど、何から伝えればいいのか分からないらしい。口をパクパクさせている彼から目を逸らすと、その前を通り過ぎる。

無言で玄関に備え付けられた物置からゴルフバッグを取り出す。"本当の"父親が一時期ハマっていた時に愛用していたモノだ。その中から一番ゴツくて長いドライバーを取り出すと、ヘッド部分をフローリングへ引きずりながらまたリビングへと歩みを進ませる。

「何してんだよ火神!おかしいぞお前!!」

――コイツまでオレをおかしい呼ばわりかよ……。やっぱオレ、狂ってんのかな?――

「……どけよ」

突き飛ばす様に青峰を押す。彼の限界まで怒りに満ちた姿は酷く感情的で、理性など崩壊していた。見た事の無い火神の姿に青峰は再度凍り付く。

火神が強くゴルフクラブを握り締めると、全員が息を飲む。そして冷たく重いソレを振り上げ、必死に手を前に突き出しガードをする男性へと降り下ろす。ゴツン、とぶつかった箇所が鈍い音を立てる。男性は呻き、再度降り下ろされるクラブへと悲壮な眼差しを向ける。

――ゴチャリ、と不吉な音がリビングに響き渡る。それは固いドライバーが頭蓋骨を打ち砕き、脳を内側へ押し付ける音だった。パイルの様に打ち付けては離し、また打ち付ける。無表情で無惨な姿に変えていく家族を、2人の女性は身を寄せあい眺めていた。恐怖で震えているのがよく判る位にカチカチと肉体は振動していた。

あぁ、人間って頑丈なんだなぁ。だってこんなに殴っているのに全然倒れないんだからな。全然、全然割れない。――あれ?そう言えば消えるんじゃないのか?都合が悪くなったら煙の様に。おかしいじゃねぇか。何でコイツただオレに殴られてんだ?


「火神!!いい加減にしろよ!!」

青峰が火神の振り上げた手を掴むと、ギリギリと力を込める。握り締められた手首の痛みに、怒りで飛んでいた意識が戻り始める。

目の前には頭部が割れ、血とピンクと黄色の何かをはみ出させた物体がテーブルにもたれ掛かっている。眼球は衝撃で飛び出し、視神経がブラブラと肉体へと繋ぎ止めていた。死んでも尚、肉体は痙攣を止めない。肺に入った空気が口から漏れる。吸い込む事が無い、ただ口からシーシーと息が漏れていた。

「……あお、みね……?」

振り返り青峰を見据えた火神は、無意識に彼の名前を呼んでいた。しかし喉が締め付けられているように声が出せない。辛うじて出せた声は掠れていて、上ずったように半オクターブ高いモノだった。カラン、とドライバーをフローリングに落とす。血糊で黒いヘッド部分が濡れている。フローリングに赤い筋が付く。

「……オレ……どうしよ……オッサン、殴って……血塗れで……っ……」

泣き出しそうに自分を見つめる火神から青峰は目を離さなかった。いや、離せなかったのだ。

「……火神、落ち着いてくれよ。頼むから、なぁ」

喉から無理矢理絞り出すような、聞いた事が無いような声で狼狽える火神を落ち着く様に諭す。

「で、も……そこに、アレが……オレが、殺し……」

青峰は火神が指差す方をチラリと見ると怪訝そうな顔をして、彼の肩を掴み視線を合わせこう声を掛けた。

「……お前、さっきから1人で何やってんだよ」

――その言葉を聞いた瞬間、火神の頭の中で何かが弾けた。