10桁、とは固定電話の番号だろう……個人の携帯電話が当たり前のオレらに、頻発に掛けるような固定電話なんて殆ど無い。

 ――それならば、と妙案が閃く。普段のオレだったらここで諦めてスゴスゴと帰るだろう。しかし腐敗した臭いと陰鬱な場所が思考を麻痺させる。

 結局、9個目のボタンを続けて押し、10個目で止める。これでテツの話が本当ならば繋がる筈だ。この世には存在し得ない『10桁の携帯番号』

 プップップッ……と聞こえてくる電子音が変化する。ぶわぁっと全身に鳥肌が立った。

マズい……!

 明確な理由は無いが、野性的な勘が危機を察知する。滑り落ちそうになる受話器を慌てて持ち直した丁度その時、ついに始まった……。テツの携帯番号を1つ減らした10桁の数字は、電話回線を繋いでしまったのだ。080から始まる10桁の番号なんて、存在しないのに。

プルルル………プルルル……

 3コール目と同時に、樹木がざわめくよりもずっと小さな声で呟く。今のオレが話したい相手、それを奇妙な公衆電話へと伝える。

「――10年後の、オレ」


 ………………


「ハイ、モシモシ?」

 受話器の向こうから、人の声が聴こえる。その声は低く、話し方は面倒そうで、横暴さが明け透けて見える。お世辞にも愛想が良いとは言えなかった。その声の主はおおよその察しは付く。恐怖で枯渇した喉からは声が出ず、魚の様に口をパクパクさせる事しか出来なかった。

「……悪戯か? オイ、何か言えよ」

 こちら側の沈黙へ、イライラを含んだ声をぶつけてくる。あぁ、短気な性格は少しも変わっていないようだ。

「……っ……」

 言葉を掛けようとしたと同時に、突如背後のガラス戸が大きな音を立てる。

――バン……

バン  バン


 今度は背中にぶわわわっ、と鳥肌が立った。何かが弾けたみたいな皮膚の痛みに、小さく呻く。単に突風が戸にぶつかっただけなのかもしれない。それならよくある事だ。しかし、これはどう理屈付ければいいのか。目の前に広がる緑が深い森は、葉や枝を揺らす事なく沈黙している。そう、風なんか吹いていない。

 ――泣きたくなった。急に独りである事が怖くなった。例えばここに相棒のテツや馬鹿の黄瀬が居たのなら、オレはどれだけ強気で居られただろうか。背後の音は、バン、バンからドン、ドンへ様変わりしていた。まるで掌で叩いていたモノが、じれったくなった怒りで拳へチェンジ様だった。

 ――そう言えば、『やってはいけない事がある』と言っていた気がする。最悪だ、聞き逃してしまった……。それは何なのだろうか。頭をぶん回し【何が起こっても振り返らない】に準ずるモノだろう、と結論付ける。一般的によくあるセオリーだ。そしてその後に続く、もしソレをやぶったら……――。

 足がガクガクする。先程から電話の相手は何も語らないし、語りかけてこなくなっていた。背後の気配へと集中していたオレはそれにさえも気付かないでいた。無限に続くと錯覚させる沈黙に、耳鳴りがする。この空間に存在する"音"と云われるモノは、はぁ―はぁ―と、恐怖により荒くなるオレの息遣いと、何物かが自分の存在を訴えかけるようにガラスを叩き続ける音だけ。それ以外はどこかに置いてきてしまった様だ。

 視線をほんの少し、背後へずらす。きっと後ろに立つ何者かを真っ正面から見たら耐えられないだろう。でもこのまま日が暮れるのを待つのはもっと嫌だ……。そういった葛藤が生み出した"逃げ道"が僅かな視線移動だった。しかしオレはその"逃げ道"にさえも後悔する事となる。

 ――見なければ良かった。

「―――うっ……」

 口から飛び出そうとする悲鳴を右手で押さえつける。そこに見たのは、大きな人間の足だった。膝から下しか見えないが、それは裸足で、砂利の上に立っている。恐らくは男性のモノだ。木の枝と見間違う程にガリガリで、肌の色は苔が生えたように緑。所々が黒ずんでいる。

 確信を持って言える。……これは生きた人間では無い。

 そもそも音もたてずに、そこに立つなんて不可能だ。ドン、ドンと規則的に叩かれたガラス戸がその威力の分だけ揺れる。余りに現実離れした光景に足がすくむ。

 極度の興奮状態に頭の裏がチカチカする。大きく息を吸う度に臭気が鼻口へ入り込み吐きそうになる。身体を少しでも動かしたら、ソイツも動きそうで口元を押さえた右手を外す事さえ出来ない。瞬きを忘れた眼球は乾き、涙で視界が濡れる。

 ガラス越しのソイツは叩くのをやめたようで、しばらくの無音状態が続く。静か過ぎてキー―ン、と痛い位に耳鳴りがした。もう狂ったように大声で泣きたかった。パニック状態のオレとは対照的に、向こうは何のアクションも起こさずただソコに突っ立っている。

 突然視界にある不気味な足は、膝をゆっくりと折り曲げ始めた。音もたてずに、ソイツは体制を変え始めた。

 ――コイツ……オレの視界に入ってくるつもりだ……!!

 ゆっくりと枯れ枝の様な腕が見えてくる。骨に貼り付く緑色した皮。肉と言われるモノはおおよそ無いと言える。ガリガリな腕が段々と地面に向かって降りてくる。着ている服も、ボロ布と言うのが一番しっくり来るだろう。元が何色だか判らない程に黒ずんでいるシャツが汚ならしい。


 肩がゆっくり、ゆっくりと視界に映る。


 次は顔だ……。


「うわあぁぁぁぁああ!!」


 ついに溢れ出た絶叫が静かな空間を切り裂く。声を出したと同時に両目を強く瞑る。絶叫と同時に公衆電話が電子音を鳴らしていたが、それは自分の放った絶叫に飲まれてほんの微かなモノとなった。


ピーピピー……


 何分経ったのだろう。目を瞑り、立ち竦んだままで時間だけが過ぎ去っていく。何のアクションも起こらない。公衆電話が差し込まれた残高0のテレホンカードを吐き出し、役割を終えただけだ。

 目を開けると、ソコには何も居ない。ボックスの外にいた何物かは、終話と同時に煙の様に居なくなった。周りには腐ったコンビニ袋があるだけだ。

 ガラス戸を入って来た時同様に勢いよく開け、外へ飛び出す。新鮮な空気に生きている心地良さを感じる。緊張状態が抜けない足を転けそうになりながらも必死に動かし、自転車の元へ走り寄る。

 素早くサドルに腰掛け、グリップを握ると、手汗で滑る。震える手でぎっちり掴むと、地面を蹴り坂道を一気に下る。そのまま一度も振り替える事なく、電話ボックスを後にする。


 ………………


「……そうですか、試したんですか」

 テツを馴染みの公園に呼び出した頃には日没が近く、空は綺麗なオレンジ色に変化していた。

「まさかキミがいの一番に試すとは。……いや、予想はしていましたが」

「手の込んだ悪戯だって思うだろ……」

 キイ、キイと軋む音を立てながらテツを乗せたブランコは前後へ動く。

「……それで、どうだったんですか? 誰に掛けたんですか? …………繋がりました?」

 何時もの抑揚の無い声で聞いてくる。その喋り方はまるで興味はある様だが、関心は無さそうに聞こえる。

「……繋がる訳ねぇだろ……とんだ無駄足だ」

 目を伏せ、嘘を口にする。――浮き世離れした真実とは、紛い物と紙一重だ。事実をありのまま述べたとしてもきっとテツは信じないだろう。

「青峰君、幽霊とかそう言うのに縁が無さそうですからね」

 やっぱりですか、と言いたげな冗談を言う。すうっと静かにブランコから降りたテツは、さて帰ろうとオレに背を向け、歩き出そうとする。その背中に聞きたかった事をぶつける。その為に、ここに呼んだのだから。

「……やっちゃいけない事って、何だ?」

 テツが降りたブランコは、無人なのに惰性でキイ、キイ……とその身を揺すり続ける。まるで見えない誰かが乗っているみたいだ。相手がゆっくりと振り返る。夕日に照らされて、身体がオレンジ色に支配されている。

「……未来の自分へ掛けてはいけない、だった気がします」

 返ってきた言葉に息を飲んだ。表情が強張り、思わず目を伏せる。そして震えそうな声を抑えながら、最後にもう1つだけ質問をする。

「……それ、破ったら……どうなる……?」

 オレの変化で全てを察したのか、少しだけ口角を上げたテツは背中を向け、帰りがてらにこう言い残して行った。


「……掛けている途中、死んだ後の自分が……迎えに来るらしいですよ」


 ………………


 風が頬を撫でる。急に笑いが込み上げてくる。

 何だ、あの汚い化け物はオレか! 死んだらああなっちまうのか!! あんなにガリガリになっちまって、目も当てられねぇな。

 ハハハハハハハ、と声に出して笑う。笑いは止まらない。日が暮れ出して大分空が暗くなってきた。長い長い影は役割を終えたように消えていく。それでも笑いは止まらない。


――あれ……?
そういえば、あの化け物……
あんな見てくれだったが

結構若く見えたぜ……?