さわやかな笑みを浮かべて、幼い女の子に風船を手渡す黒髪の青年の右手には、凶悪そうな大鎌が握られているのだった。 僕――あ、いや、俺は、そんなそいつを見て、即座に立ち去ろうとしました。だけど見つかりました。はい残念。 左手に色とりどりの風船、右手に大きな鎌だなんて、ミスマッチにも程がある、と俺は思った。女の子が嬉しそうに風船を持って走り去るのを追っかけて行って、後ろから鎌を突き刺すんじゃないかとか。ちょっと想像しただけで冷や汗が出る。そいつがそんなことをしないのは、俺自身の体験上よく知っているけれど。 だってこいつの鎌は、魂なんて狩れないんだから。 つかつかと近づいてきて、俺に風船を押し付け、いきなり俺の袖をたくし上げた。たまたま長袖を着ていた上にぴったりサイズだったものだから、摩擦で擦れて痛かった。 そいつは俺の手首をまじまじと見つめて、呟いた。 「切ってないな」 「は?」 数秒経ってから、手首を切っていないかどうかを確認されたのだと気付いた。 「っていうかお前今逃げようとしやがったなコラ」 そう言ってそいつ―― 以前会った自称・真面目な好青年は俺の髪を掴んだ。 そいつの目つきはお世辞にもいいとは言えないから、傍から見たら風船配りのお兄さんにカツアゲされる少年の図に見えるのだろう。何ともおかしな組み合わせだ。 「あいだだだだだ! ちょ、あんた自称・真面目な好青年じゃなかったのかよ!! 痛いわ!!」 「……髪、切ったんだな」 「え?」 「ついでに眼鏡も止めたんだな」 口調も変わったな、元気そうだな、と、そいつは少し口元に笑みを浮かべながら呟いた。 もしかしてこいつは、俺のことを心配していたのだろうか。まるで自分のことのように嬉しそうに笑うこいつを見て、俺はふとそんなことを思った。 「ありがとう」 笑っている自称・真面目な好青年に向かって、俺は言った。彼は、目を見開いて、とても驚いた顔をしていた。俺は、深々と頭を下げた。 「よせよ、最終的に死ぬか死なないかを決めたのはお前だ。俺は何もしちゃいねぇ」 「あんたがあそこでお節介にもしゃしゃり出てきてくれたから、俺は踏みとどまれたんだよ」 俺は、笑った。 あの時の自分は、こんな風に笑えるなんて、夢にも思っていなかったはずだ。 俺の心臓は今も変わらず脈打っていて、俺は笑っている。 生きていたから、分かったことが沢山ある。 そして生きているのは、こいつが止めてくれたおかげだ。感謝したって、しきれない。 「あんたは本当に、真面目な好青年だったんだな」 「うっせーバカ」 俺から風船をひったくって、そいつは顔を背けた。 「やるよ」 ぐ、と風船の束から取り出した赤い風船を押し付けて、そいつは踵を返した。子供じゃあるまいし、と言おうと思ったけれど、とりあえず、いただいておくことにした。 「ありがとう」 |