勝ち虫の末路




 いつだっただろうか。とにかくずっと前であることは確かだ。ずっとずっと前、幼い頃に、羽をもがれた蜻蛉を見た。
 地面で苦しげにバタバタともがく蜻蛉を、俺は見ていることができなかった。お前にはただ見ていることしかできないのだと、お前に出来ることなんて何もないのだと言われているような気がしていた。

「……罰当たりなことをしますね」

 当時、俺の横で、三つ年上の、俺のお目付け役であった義一は、そう呟いた。
 蜻蛉は、勝ち虫だ。その場にとどまることはあっても、決して後ろには下がらない。そんな蜻蛉の性質が、武家にとっては縁起の良いものとされ、勝ち虫と言われている。
 そんな縁起のいい虫の羽をもいだことを、彼は罰当たりだと言っているのだろう。

「なにも、してあげられないの?」

 俺は、義一にそう尋ねた。ただ見ていることしかできないのは、酷くもどかしくて嫌だった。当時俺は、この三つ上の目付け役なら、なんでも出来るのだと信じていた。
 だが、義一は首を横に振った。

「俺には、命を救うことは出来ません」

 義一は俺の隣にしゃがんで、言った。

「俺は、……命を奪う術しか、知りませんから。俺に出来ることは、こいつの命を早く絶ってやることだけです」

 その頃の俺は、まだ何も知らなくて。こんな小さな虫一つの命救ってやれないなんて、と義一を責めた。
 けれど、今なら分かる。例えば火薬で足が吹っ飛んでしまった兵がいたとしても、俺はその兵の足を生やしてやることなんて出来ない。
 俺だけじゃない。父上だって、もっと偉い奴だって、無くなったものを元に戻すことは、出来やしない。誰にも、亡くなったものを生き返らせることなんて出来やしない。



「若、蜻蛉ですよ、ほら」

 彼は自慢げにそう言ってきた。義一の指先に、赤蜻蛉が止まっている。

「なぁ、義一」
「なんです、若」
「……戦場で命を奪う俺が、蜻蛉の命を惜しむのは、いけないことだろうか」

 義一は、一瞬固まった。そして愛おしげな眼差しを蜻蛉に向けて、言った。

「……いけないことでは、ないと思いますけどねぇ」

 結局、あの時の俺は、目の前で何かが死ぬのを見るのが怖くて、蜻蛉を殺すことは出来なかった。
 赤蜻蛉は空へ飛んでいったけれど、あの時の蜻蛉は、一体どうなっただろう。




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