とある病状末期患者の話。




 こんにちは。あ、いや、こんにちはじゃあないかもしれないな。とりあえず、初めましてではないけど。
 俺は、例の真面目な好青年です。知ってるだろ。え? 自分で好青年って言うなって? お前、あいつみたいなこと言うなぁ。いいか、自分で言わなきゃ、誰も言ってくれないんだよ。不思議なことに。
 だったら死神みたいな大鎌なんて持つなよ、ってこの前言われたんだけど。手放す気はそうそうない。こいつにはいろいろ思い出があってな。
 さて、それじゃあ俺の初恋の話でもするとしよう。聞きたくないなら、今のうちに帰りな。

 俺の初恋は、多分中学校一年生の時だ。結構遅いと自分では思う。
 女は甘ったるい声で媚びてきて、そのくせ裏では何を言っているか分からない恐ろしい生き物だと思っていたから、自分から近づくことなんてしなかった。裏で何を言っているのか分からないというのは、男も同じなんだけれど、とにかく女は扱いづらい、面倒くさい生き物だと思っていた。
 俺がそんな風に思っていても、まあ自分で言うのもなんだが、俺は顔がいい方なので、女の方が寄ってくるのである。鼻にかかったようなうっとおしい声でくだらないことを言う。時に訳の分からない小言を言う。突っぱねれば文句を言う。女と関わるのはとにかく面倒くさかった。
 中坊が分かったような台詞を言うなよ、と今は思うけど。

 彼女は、俺が今まで関わってきた女とは、完全に異なる種類の人だった。

 初めて会ったのは、俺が何か病気をして、医者に行った時だ。彼女は俺の隣りに座って、「一人?」と笑いかけてきた。

「まだ中学生よね。一人で病院来れるなんて、偉いわ」

 いつもの俺だったら、子供扱いするな、と怒鳴っていたと思うけれど、何となく彼女の笑顔を見ていると毒気が抜かれてしまって。はァ、ありがとうございます、なんて酷く大人しい返事をしたのだ。
 とても大人びた人だった。多分俺とは七つか八つくらい年が離れていたんじゃないだろうか。二十歳前後の、線の細い、綺麗な人だった。
 彼女に会った日は、単純にも何となく世界が明るく見えてしまって、始終口元が緩んでいた、と友人に言われた。
 うん? 俺に友人がいるのかって? いるさ、一人くらいは。
 ……まあ、俺の友達の話は置いておいて。それから俺の病気が治るまで、そうさな、二ヶ月くらいか、俺は毎日病院で彼女と話してたわけだ。で、話しているうちに、彼女はかなり重い病気を患ってるってことが分かった。
 彼女は明るく振舞っていたけれど、心の底で死を恐れていることも、分かっていた。

「私、いつまで生きていられるんでしょうね」

 そう言って笑った彼女は、いつにもまして綺麗だった。

「私が死んだら、誰か悲しんでくれると思う?」
「……俺は、泣くぞ」

 嬉しい、と言って彼女はまた笑った。
 彼女が死ぬ話をするのは、嫌だった。目の前で笑っている彼女が、いなくなることなんて想像できなかった。

「私ね、怖いの。私が生きてたことを、皆が忘れてしまうことが怖いの。皆と生きてたことを、私が忘れてしまうことが怖いの」

 誰だったか、その人を覚えている人が誰もいなくなった時、本当の死が訪れるのだ、と言っていた気がする。
 きっと彼女も、本当の死が怖いのだろう。

「あなたのその鎌は、私の恐怖を消せるのかしら?」

 心臓が止まった気がした。
 実際に止まっていたら、こうして話せるわけもないから、飽くまで気がしただけなんだけど。彼女に大鎌が見えているとは思っていなかった。いつも持ち歩いているけど、気付いた人なんて今までいなかったんだから。(だから、あいつが大鎌見えてるって知った時も、結構驚いてたんだけど。)
 恐怖を消せるかどうかと聞かれれば、答えは可だ。俺が鎌を一振りすれば、簡単に全ての感情を奪い去れる。だが、俺がそれをやるかと言われれば、否だ。
 みっともないけど、俺は泣いた。後にも先にも、泣いたのはその一度っきりだ。

「ごめんなさい、変なこと言って」
「い、や」

 なんだか無性に恥ずかしかったから、俺は学生服の袖で乱暴に涙を拭おうとしたんだけど。す、と目元に白いハンカチを当てられた。
 使って、と彼女は笑った。

「……俺、忘れないから」
「……ええ」
「俺が生きてる限りは、あんたのことを覚えてる人が、必ずいるから」
「……ええ」
「だからあんたは、感情を忘れたりなんか、するなよ」

 感情を消し去った人間は、死んでいるのと変わらない。俺は彼女に、最期まで生きていて欲しかった。

 しばらくして、病院から彼女はいなくなった。代わりに、彼女の両親だろうか、夫婦が病院で俺を待っていた。俺を見るなり、母親の方が頭を下げた。
 彼女はずっと、俺の話をして楽しそうに笑っていた、と父親の方に聞かされて、少し、嬉しくなった。それと同時に、二人がここにいる理由を理解して、悲しくなった。
 葬儀には行かないと伝えた。彼女の死に顔を見るのは、何となく嫌だった。
 別れ際に、彼女からだと、手紙を手渡された。彼女の字は、とても整っていて、読みやすい、綺麗な字だった。手紙の内容は、言わないけどな。

 病院で少しの期間話したという、たったそれだけの関係だった。
 それでも、確かに俺は彼女のことが好きだった。

 それで、だな。若くして死んでしまった彼女のためというか何というか、俺は生きている奴らには、残った寿命を大切にしてほしいんだよ。
 もちろん生きていて辛いことは沢山あるだろうし、本当に死にたくなるぐらいなこともあるかもしれない。疲れた時には逃げてもいいし、誰かに相談することもいいし、だけどな、絶対に生きることだけは止めないでほしいんだよ。
 偽善と言われるかもしれないけど、それでもいい。俺はそういう思いをしたことがないから、部外者が何を言ってるんだ、と言われるかもしれないけどさ。
 人が生まれたからには、意味があると思うんだ。ただ辛い思いをして死ぬだけの役目なんて、ないと思うんだ。だから、自分が生まれた意味を考えて、生きてほしい。
 ああ、まとまらなくて、すまない。要するに、寿命が尽きるまでは、必死こいて生きていろってことかなぁ。

 延々と話して、悪かったな。また会えるのを、楽しみにしてるよ。じゃあな。




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