島民

 島民は学校を卒業すると第二種任務に就くことが義務付けられている。
 剣司さんは医者、咲良さんは先生。私の通う楽園にはマスターとして春日井先輩、アルバイトに操、調理師として一騎先輩が働いている。
 本を読むのが好きな私は、遠見先輩が司書を務める図書館で司書見習いをしていた。本当は作家も良いなあと思っていたんだけど、自分が書いたものを人に見せるのは恥ずかしくてやめた。それでもたまに感じたことや思ったことをノートに書き溜めて、誰に読んでもらうでもなくアルヴィスの私室に鍵をかけて厳重に保管している。

「名前!」
「やっば見つかった……!」

 見習いの仕事が終わり、さーてこのままアルヴィスに寄って訓練して泊まろう! と目論んでいたら、三番出入り口に立ちはだかる私の書類上の母、近藤咲良。周りの島民たちは「またか」といった雰囲気を醸し出して私たち二人を遠巻きに見物し、そそくさ逃げていく。私と咲良さんの問答は島の名物化されているようだった。人の窮地を勝手に出し物にしないでもらいたい。
 さっきまで話していた同じ司書見習いの友だちを隠れ蓑にしてこの場の脱出を図ったが、勢いよく向いた右側にはもう誰もいなかった。なにもない空間に右手を突き出して、裏切り者―! とむなしく吠える。遠くの誰かが笑う声がした。

「あんたこの前もどさくさに紛れて家に戻らなかったでしょう。今日こそ家に戻りなさい!」
「だってあの時はいきなりファフナーに乗って、メディカルチェックとかバイタルがなんだで家に帰れなかったんだもん。不可抗力!」
「言い訳は結構。訓練が終わったら即家に戻ること、いいわね」
「でも……」
「いいいわね!」
「はい……」

 咲良さんのフェストゥムより怖い形相はマジだ、マジで怒ってる。この状態の咲良さんに下手に反抗するときつい一本背負いを食らわせられるのを経験則で知っているので、今日のところは大人しく引き下がった。
 珍しく殊勝な態度に咲良さんは大いに満足しアルヴィスへの扉に手をかざした。道路に盛り出た通路が放射状に口を開ける。魅入られるようにふらっと足を運んだ私の腕を咲良さんが力強く引いた。

「あのー、咲良さん……?」

 左足をアルヴィスに突っ込んだ状態で咲良さんを見る。肘あたりを掴んでいる咲良さんの手が二の腕に上り、むぎゅむぎゅ揉んで肉付きを確かめる。咲良さんの眉頭に皺が増えた。もしかして太ったとか。最近は御門先輩に投げ倒されたり水鏡先輩のロードワークに引き回されたり、運動量も倍以上増えて贅肉は減ったと思っていたのは都合のいい幻だった……?

「ご飯食べてるの?」
「食べてるけど」
「あんた昔から動いた後はあんまりご飯食べられないでしょ。今日は食べやすい素麺とか準備しててあげるから、ちゃんと食べなさいね」
「うん……」
「返事はうんじゃなくて、はい!」
「はーい」

 咲良さんが私の世話を焼くようになったのは家に引き取られるより前、操の前のコアが島にやって来た頃。皆城乙姫ちゃんが新たな命を得たことでコアの研究が盛んになり、コアに関連する兵器―ノルンの開発に携わっていた母の仕事は多忙を極めた。
 家に帰るのが遅くなる時は私もアルヴィスに連れて行かれ、現在私室に利用させてもらっている部屋で母を待った。それが難しいと、私は要さんの家に預けられたのだ。
 咲良さんはその時重度の同化現象から回復したばかりにも関わらず、母に置いて行かれたとむつける私を道場に連れ出して、心の強さは体の強さ! と柔道を教えてくれたりした。ぼろぼろの体に活を入れ真っすぐ背筋を正す咲良さんの姿に、八歳の私も十六歳の私もまったく敵う気がしない。



「美羽ちゃんと総士くん、こんにちは」
「こんにちは、名前お姉ちゃん」
「……どうも」

 アルヴィスの制服に着替えて私室に寄る途中、反対側から小さな二人組が歩いてきた。日野美羽ちゃんと皆城総士くん。二人とも実年齢は十歳未満のはずなのに、外見は私とそう変わらなかった。おかしい。私も二人と同じものを食べて育っているのに。咲良さんの言う通り私ももっと食べれば大きくなれるのか。

「美羽ちゃんも今から訓練?」
「うん、今日は真矢お姉ちゃんとシミュレーション訓練するんだ」
「総士くんも一緒?」
「……はい」

 総士くんは私と目を合わせようとせずそっぽを向いたままぶっきらぼうに答えた。いかにも年ごろの男の子な反応と、それ以上の色濃い拒絶に頬をかく。自分の気持ちを言葉にするのが下手くそなのでこのよそよそしさに親近感がわくが、私の方がまだ愛想がある。
 でもそれは致し方ない反応だった。だって総士くんは今まで別な島で暮らして、一騎先輩をはじめとしたエレメント、ひいては竜宮島の意思によって唐突にその生活を終わらせられたのだから。憎みたくもなる。対面したニヒトの黒い破壊衝動を思い出して、背が寒くなった。あれは元の島への愛情が大きい分反比例して膨れ上がった総士くんの憎しみそのもの。
 フェストゥムである操やエレメントの春日井先輩と過ごす時間に安らぎを感じている私には、総士くんがフェストゥムと暮らした毎日に愛着を覚える気持ちがなんとなく分かる気がした。

「名前お姉ちゃんはどこに行くの」
「私は痛覚訓練。やだなー、痛いのは」
「パイロットのくせに痛みが怖いなんて、中途半端な奴だな」
「総士!」
「事実を言ったまでだ」

 おっしゃる通りで恥ずかしい。総士くんをたしなめる美羽ちゃんには申し訳なく思う。総士くんの言葉は真実だ。
 私はすぐ痛みにひるんでしまう。この前の実戦でその課題は浮き彫りになった。本来、機体との痛覚の共有はファフナーとの一体感を高めるものだというのに、私は痛みを感じるとそこから逃げようとしてしまう。人の気持ちから逃げるのと同じ、悪い癖。
 総士くんは初めて乗ったマークニヒトをあそこまで乗りこなしていたんだから、わたわた覚束ない動きのジブリールは滑稽に見えたに違いない。

「あんた、あのオレンジの機体に乗ってたんだろ」
「ジブリールね」
「僕はあんたより先に、ファフナーを僕のものにしてやる」

 今日初めて総士くんと目が合った。挑戦的な瞳で見上げる生意気な表情に私も思わず腕を組んでふんぞり返る。

「それじゃあ競争ね。私と総士くん、どっちが先に一人前のパイロットになれるのか!」
「ふん、受けて立ってやる!」

 宣言してやや経って、総士くんの実年齢はまだ五歳だと思い出し落ち込んだ。
 操といい総士くんといい、年下とばかり張り合っている自分が一番子どもじゃないか。


 なまぬるい海の中を彷徨っている。
 見上げれば細かな光が弾ける海面が。見下ろせば鋭く尖る岩が並んだ海底が。
 絡みつく水の重さに逆らって足を蹴る。体は素直に天へ昇った。途方もない質量の海を抜け出し、肺を軽やかな空気で満たすために海の上へ泳いでいく。さあ、もう少しで鼻先が海面をとらえる。あと一回、海水を蹴れば明るい光が私を待っている。
 ところが私の脚はそこで動きを止めてしまった。ゆらゆら揺れる外の世界はすぐそこにあるのに、途端に億劫な気持ちになって再び海の奥へ沈む。
 明るい光を浴びたいのに、そこでどんな風にいればいいのか、私には分からなかった。

 メディテーション訓練の後は道場で実戦訓練。刀を素振りする総士くんの傍ら御門先輩に投げられ、倒され、大変な一日だった。近接戦闘に特化したジブリールの特性上、私の訓練比重は対人寄りになる。そのせいで体には擦り傷や打撲が絶えなかった。朝起きて午前は第二種任務に従事し、午後はアルヴィスで訓練、日が暮れるまで道場で体と精神を鍛えて、へとへとになって眠る。最近はほぼ毎日こんな感じ。
 やっと慣れてきた海神島の隘路を歩きながら、私は右の手のひらを太陽に掲げパイロットの証であるリング状の鬱血痕を見つめた。左右五本の指についたそれは、初めてファフナーに乗った日よりも不健康な色みが増してきている。

「また色が濃くなった」

 今朝のメディテーションで見た心象風景を思い出した。
 明るい陽を目指してもがくのに、その優しさが近づくと怖くなって尻込みする。そういう自分の心を表した海。
 あんな風に見せつけなくたって自分でよく分かっている。誰かとつながりたいのに、うまくいかない。自分の気持ちを正直に話すのが苦手で、大切な人たちを大切にできない。

「はあ……」

 脳みそも体もくたくただった。
 訓練を終えた体には甘いものが一番効く。だから帰りは楽園に寄って春日井先輩のアイスオレと一騎先輩のケーキを食べて自分を元気づけるのがルーティンになっていたのだけれど、総士くんの奪還で力を使った影響なのか、最近春日井先輩と一騎先輩はボレアリオスで眠る日が増えた。マスターと調理人が休みとなれば喫茶楽園も休まざるを得なくなり、私の至福のひと時もご無沙汰になっている。
 今日は開いてるかな、とわずかな希望を持って楽園の前を通るも店内は薄暗く人のいる気配はない。黒板には「本日休業」の文字。
 剣司さんにそれとなく二人が眠る原因について尋ねたことがある。春日井先輩の力は毒。その毒はフェストゥムを侵し、使うほど膨れ上がって、最後には周囲の人も侵してしまうらしい。強い力の代償らしいけど、あんなに優しい春日井先輩が周りの人を傷つける姿は想像できなかった。

「名前!」
「操」
「ごめん。今日はお店、お休みなんだ」

 楽園の扉を眺めていた私の後ろにいつの間にか操が立っていた。

「一騎先輩と春日井先輩は操の船で寝てる?」
「うん。次の朝には起きると思う」
「じゃあ明日また来るね」
「待って!」

 隣を通り過ぎて近藤家に帰ろうとした私の手を引いて操は大きな声を上げた。彼の足元にじゃれついていた数匹の野良猫が驚いてぱっと散っていく。

「お店はお休みだけど、中に入ってよ。俺、甲洋からお願いされてるんだ」
「お店のお留守番でも頼まれてるの?」
「ううん、名前をお願いされてる」

 私をお願いされてるって、なに? 春日井先輩から操にお願いされるようなこと、あったっけ?
 思わぬ発言に呆けた私の手を引いた操はポケットから鍵を取り出して、それを楽園の鍵穴に差し込んだ。ガチャガチャ音をたてて不慣れそうなのに、操は得意げな口調で「俺もこのお店の人だからね!」と自慢してくる。操の第二種任務は楽園のアルバイターだもんね。キーホルダーも何もついていない素朴な鍵は、大事な場所を守る役目を任された一騎先輩と春日井先輩からの信頼の証なのね。
 嬉しそうな操がやっと鍵を開けて私を店内に促す。誰もいない少し冷えたお店の中を突っ切り、いつものカウンター席についてキッチンでちょこまか働く操の姿を目で追った。

「ちょっと待ってて」
「待ってるからコップ落としたりしないようにね」

 つま先立ちで開けた戸棚からグラスを取り出す操の背中にはらはらする。手伝おうにも彼がなにを目的にキッチンに立つのか分からないから、大人しく椅子の上で見守るしかなかった。
 操はグラスを手に持ったまま冷蔵庫の前に立ち、カランカランと氷を重ねていく。次に大きな扉を開けて中から何かのボトルを取り出し、それを両手で支えながらゆっくり慎重にその液体をグラスに注いだ。
 たどたどしい動きに、なんだか家で衛一郎くんの成長を見守っている気持ちが重なる。気の強い咲良さんとは違い、衛一郎くんは優しさ故に大人しい子だった。咲良さんや剣司さん、私の後ろについて回って歩く姿を思い出して、あんなに小さかったのになあ、と本当の家族のように感慨深くなる。
 衛一郎くんは私と血のつながりがないことをちゃんと分かっていた。それでも私を「お姉ちゃん」と呼び、慕ってくれていることが嬉しいような心苦しいような、難しい感情が私に生まれて、近藤家から飛び出してアルヴィス暮らしを始めた。
 咲良さんと剣司さんにはとても感謝している。私に本気で向き合い家族として育ててくれた。だからこそ、近藤家に混ざる自分の存在が許せなかった。家族のあたたかさと幸せを知っているから、その邪魔をしたくない。

「はい、どうぞ」

 重苦しい気持ちにふさいでいた私の目の前に操が置いたのは、なみなみ注がれたアイスオレだった。一所懸命に作っていたのはこれだったのかと驚き、でも、一騎先輩と春日井先輩はいないのにどうやって操が。

「どう、驚いた?」
「驚いたよ、これ操が作ったの?」
「甲洋がアイスコーヒーを作っておいたんだ! あとは牛乳と混ぜればできるって」
「さっき混ぜてたのはコーヒーとミルクだったんだ。すごいね操」
「名前が初めてのお客さんだよ。どう、おいしい?」
「まだ飲んでない」
「はやく飲んで!」

 自作の(とはいえアイスコーヒーを準備していたのは春日井先輩だけど)アイスオレを飲んでもらうのが待ちきれない操が、カウンターに身を乗り出してきらきら瞳を光らせる。私は苦笑して透明なストローに口をつけた。一口啜ってじゅうぶんに味わってごくんと飲み込む。

「どう?」
「うん、美味しいよ」
「やったあ。甲洋が言ったとおりだ!」
「春日井先輩が?」
「自分が眠ってる時に名前が楽園に来たら出すようにってお願いされたんだ。つらい顔をしてたら、名前はこれを飲みたい時だって。そしたら本当に名前が悲しい顔して立ってるんだもん、驚いたよ。でもよかった、飲んだら元気になった!」

 いつものアイスオレよりミルクが多めで、ちょっとガムシロップが入った、甘い味わいが口いっぱいに広がる。春日井先輩がそんな事を思ってこのアイスオレを準備していたなんて、嬉しいを通り過ぎて、泣きそうになった。私が一方的に好きになって、自分勝手に楽園に通い詰めて、迷惑だったらどうしようと思っていたから。春日井先輩の心の中に、このひとつまみの砂糖ぐらいでも自分の存在を覚えてもらっていたのが嬉しい。

「ちょっと砂糖を入れたのは、俺のアイディアだからね」
「そっか、うん、うん……ありがとう。すっごく美味しい」
「えへへ。いいね、誰かに、自分のつくったものがおいしいって、言ってもらえるの」