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「まったくもって不甲斐無い!穴があったら入りたい!」
「ちょうどよくそこに爆破して出来た穴があるから入るなら勝手にしろよ」
「やめてください宇髄先生。きっと煉獄先生、本当に穴に入っちゃいます」

 そもそも、どうして美術教師が学校で爆破行為を?とも思ったが、名前はおあつらえ向きに空いた穴に飛び込もうとする煉獄のシャツを掴んで止める事に専念する。ぽっかり空いた穴から階下の教室の机にぱらぱらと床の欠片が降り注いだ。


 とりあえず、呼ばれたからには美術室に向かわねばと彼女と煉獄は二人で扉を開けた。何やら石膏で珍妙な胸像を制作していた宇髄は物音に顔を上げ、入り口に立つ二人を見て納得気に頷いた。
 煉獄と宇髄の視線のやり取りに、宇髄もまた「前世」なるものを持っているのを察した名前は気まずそうに爪先を上げ下げする。

「それで、揃って美術室に来たってか」
「すまない、すぐにでも彼女と話し合わねばと思った」
「まあ大した用事じゃないから良いけどよ。なんだおまえ、泣いてんのか?」
「泣いてません」
「すまん、俺のせいだ!」

 そうして煉獄が穴を求め出して冒頭に至る。
 咄嗟に掴んだ煉獄の背中は広く逞しく、こんなに立派な体なら穴の直径が小さいし落下する事はないかな、と見当違いに思う彼女とは相反して、煉獄は背に当たった細い指の感触に露骨に動揺して動きを止めた。
 面白いもんが見れたとニヤついた宇髄に茶化される前に、大きな咳ばらいをした煉獄がやんわりと振り返り彼女の手を外す。

「宇髄、先におまえの用事を済ませろ」
「ん?ああ、そうだったそうだった。おまえまだ部活決めてないんだろ?」
「はい。この学校は必ず部活動に入らないといけないのは知ってるんですけど、部活動が多すぎて悩んでいました」
「なら美術部に入らねえか?ちょうど部員が足りてなくてな」

 美術部は慢性的な部員不足に悩まされていた。
 学校でも随一の人気を誇る宇髄が顧問にも関わらず、美術部に在籍する生徒の数は少ない。入部者は多いのだが、同じぐらい退部者が多いのだ。
 それはなぜか?無残に床に空いた穴を見れば理由は明々白々である。
 宇髄天元、この男は教師でありながら有名な芸術家の言葉を乱用し、むやみやたらに校舎を爆発させる悪癖を持っていた。今は床に穴が空いているがこの前は壁に穴を空け、その前は雨の日に天井に穴を空け美術室を水浸しにした過去を持つ超一級問題児ならぬ超一級問題教師だった。
 宇髄の端正な顔に釣られて入部した女子生徒も、爆破という身の危険を感じてすぐに部を辞めていく。賢明な判断だった。

「私あんまり絵が上手くないですよ?」
「別にいいんだよ、とりあえずどっかに入部しときゃ良いんだから」
「いや待て俺は反対する!」

 煉獄は教師としても人間としても宇髄を信頼し、良き友だと昔も今も思っている。だがしかし、爆破癖のある男の元にみすみす名前を行かせるのはよろしくない。
 爆発音の度に彼女の安否にハラハラさせられるのは命がいくつあっても足りなかった。

「そもそも君が入りたい部活はないのか?」
「アオイちゃんが華道部はどうかって」
「ならば華道部に入ろう!」

 華道部の顧問は胡蝶カナエだ、カナエになら安心して名前を任せられると半ば強引に入部の話を押し切ろうとする。そんな煉獄の熱気に気圧された彼女が反射的に首を縦に振る。せっかく部員、もとい自由に使える生徒が増えるチャンスを失った宇髄はつまらなそうだ。
 一件落着となれば話も済んだから帰れ、と宇髄は二人を美術室から追い出し再び胸像と睨めっこを始める。背後のドアからガコン!ドゴン!と美術室に似つかわしく無い轟音がするのを聞かないふりをして、煉獄は彼女に手を差し出した。

「え?」
「む?」

 完全に無意識だった。
 宇髄と他愛なく話し、胡蝶姉妹の話題を挙げていたせいで脳が昔に立ち戻り、妻と出歩く際に手を繋いでいたあの頃に引き摺られて煉獄はつい、同じように手の平を上にしてしまったのだ。
 まだ生徒も残っている学校で女生徒と手を繋いで歩く姿を見られたら十中八九アウトだ。ハラスメントが問題視される現代、自分の軽率な行動に釘を刺して煉獄はゆっくり手を戻した。
 名前は煉獄の挙動の意味が分からずキョトンとしている。あの頃であれば、彼女は躊躇いも無く手を重ねていたのだがと、つい往生際の悪い思いが煉獄の頭をよぎった。

 職員室の近くにある生徒指導室の明かりを点け、煉獄は彼女に座るよう促した。
 いよいよパンドラの箱を開くのだ。
 自分の意思で箱の蓋に手を掛けたものの、緊張と恐怖と一匙の興奮で名前の表情が強張る。それは煉獄も同じであり、どこから話を切り出せばいいのか「記憶」を丁寧に紐解き、整理する。

「先生、お話の前に親に遅くなるって連絡を入れてもいいですか」
「もちろんだ。君はご両親と一緒に暮らしているのだったか」
「はい、父と母と三人です」

 あの頃の名前は両親を鬼に殺され、天涯孤独の身だった。スマートフォンを取り出して画面を操作する今の彼女には、機械を通した向こうに温かな家庭があるのだと煉獄は安心する。
 連絡を取り終えると名前はスマートフォンを鞄に仕舞い、両手を膝の上に乗せて煉獄の顔を見た。わずかに唇を震わせ、逸る呼吸をなんとか落ち着かせて、彼の口から記憶が語られるのを待っている。
 煉獄もしっかり体をの正面を彼女に向けて、一瞬だけ強く瞼を閉じ、覚悟を決めて口を開いた。

「これから言う事は、冗談や嘘ではなく俺の本心だという事だけは分かってほしい」
「……はい」
「俺や宇髄、冨岡は今とは違う時代の自分……平たく言う『前世』の記憶を持っている」


 時は大正時代。
 日本には人間を食べる鬼と呼ばれる怪物がいた事。煉獄、宇髄、冨岡と同じ名前、同じ容姿をした人物が鬼を狩る鬼殺隊という組織に所属していた事。
 そして鬼狩りとして生きる中で、煉獄は鬼に襲われた一人の少女に出会った事。その少女と心を通わせ、煉獄が十八歳の時に少女と夫婦となった事。
 しかしその一年後、煉獄の最愛の妻は事故で亡くなった事。
 そして煉獄もまた、その一年後に鬼との戦いで命を落とした事。
 今の煉獄杏寿郎として過ごす中で記憶が甦り、ずっと妻を探していた事。

 煉獄は出来るだけ感情を差し込まないよう、歴史の教科書を読み上げるように淡々と事実だけを掻い摘んで話した。実際、煉獄の「記憶」も所々が曖昧なものである為、名前に説明した以上の仔細を語る事は出来ない。
 途中で肩を揺らしたり、怪訝な表情をしたり、物語に目を潤ませたりと、彼女は感情を揺さぶられながら真摯に煉獄の言葉に耳を傾けた。
 煉獄は懐かしむ。「妻」も、自分の土産話に一喜一憂して、ころころと表情を変えていた。

「君は、俺の……大正時代に生きた煉獄杏寿郎の妻に瓜二つだ。名前も、姿も、声も、何もかも」

 抑えきれない愛慕の情が煉獄から溢れ、それは空気を伝って名前の全身を熱く震わせた。