「待ってください、なまえさん」
呼び出された執務室を出ようとしたところで呼び止められた。
振り返らずにドアを開けようとしたけれど何故だか手が止まって動かなかった。
「ちゃんと話がしたいんです」
「…」
あの夜あんなに泣いて、やっと落ち着いてきたのに、また目頭が熱くなりだした。
「僕は…なまえさんが好きなんです」
「…」
「愛してます」
その言葉に視界がぼやけた。
泣くもんか、と変に意地をはって唇を噛んだ。
だって、あんまりだ。
「私を馬鹿にでもしていたんですか?」
震える口から出たのはひねくれた言葉。
こうでもして自分から遠ざけなきゃ私が苦しいから。
「馬鹿にしてると思うんですか?」
「…」
「傷つけてすみません、でも」
「言い訳はやめてください」
嫌いになれなくなるから。
「なまえさん、」
「やめてくださ」
後ろから暖かい体温に包まれた。
「許してください」
「嫌です」
「お願いです」
「だって、許しても帰るんじゃないですか」
帰ってしまったら許しても、終わっちゃうじゃない。
恋しくなるより、辛くなるより、嫌いになって別れた方が楽じゃない。
「離したくない」
「別れましょう」
「何故ですか?僕の事、好きじゃないんですか?」
「好き…でした」
嘘。
今も好き、自分でも驚くほどブラック部長が好き。
でも、自分でも嫌になるほど私が大切だった。
だから苦しい思いをしたくない。
だから嘘をついた。
「僕は、好きです」
やめてよ。
その言葉を聞く度に私の中のさまざまな不安定なものがグラつく。
必死にそれらを止めようとしていたけど、涙だけは抑えられなかった。
「泣かないでください」
振り向かない私の首筋にキスをした。
そんなことするから涙が止まらないっていうのに。
プルルルルル…
突然、私達を引き裂くように執務室の電話が鳴り響いた。
「出てください」
「でも」
「ここは会社ですよ、出てください…部長」
このどうしようもない状況を脱出できたことは確かに喜ばしいことだったけど、離れていく体温に一際涙が出た。
そして、ブラック部長が電話を終える前に涙を拭いて執務室を出た。
出発前々夜。
送別会なんか来たくなかった。
断れなかった私はただ注がれたウーロンハイを飲んでいた。
「じゃ、最後に部長へ一言!代表はやっぱり部長秘書よね!なまえ!」
こうなることも分かってたから嫌だったのに。
ここに私情を挟む気もない私は立ち上がって形式的な挨拶を述べる。
ブラック部長からの視線は痛いほど感じたけど、私からは絶対に目を合わせない。
人前で泣くなんてごめんだから。
挨拶が終わってからも、私は誰かと話す気も起きずにグラスについた露を指でなぞった。
「部長ー、引っ越しの準備とか大丈夫だったんですか?」
「大丈夫ですよ、もう先に向こうへ送ったんです」
そんな誰かとの会話が耳に入ってきて、空っぽのブラック部長の部屋を想像して、やっぱりどうしようもなく寂しくなった。
11/05/13/
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