Logic×赤褐色 企画 まぐろ作



 つい最近、隣の部屋に外人さんが引っ越してきた。

 英語喋れないし、なんか怖いからできるだけ顔を合わせないようにしているけど、隣だから向こうからあいさつに来るのも時間の問題かもしれない。

 その日のために、『へろー』の練習は毎日怠ってない。笑顔であいさつしてればどうにかなるだろうと。


 外人さんの顔はまだしっかりと見ていないけど、前に帰ってきたときエントランスホールに立っているのを見かけたことがある(とっさに隠れた)。外人さんだからか、妙に顔が整ってた。

 金髪じゃなく黒髪だったから、少しは親近感がわくけどさ。





 彼が越してきてから三日経ったけれど、まだあいさつに来る様子はない。まだ片づけで忙しいのかな。

「このまま来てくれなくてもいいんだけどなぁ〜」

 独り言をもらしながら、ゴミ袋を掴んで玄関を開けた。


「あ・・・」

「・・・」



 この瞬間ほど後悔したことはない。
 どうして部屋を出る前にちゃんと確認をしなかったんだろうか。

 まったく同時に隣の部屋の玄関が開いたと思ったら、そこからぬっと出てきた影。とっさに見てしまい、出てきた主と目が合ってしまった。

 その人は私に気づくと小さく声をあげ、すぐににこりと人のよさそうな笑みを浮かべた。私、パニック。

 手からゴミ袋が滑り落ち、冷や汗がだらだら。


 い、今こそ、練習を重ねてきた『へろー』を・・・っ。

 ぐっと拳を握って、その人を睨む勢いで見上げた。



「へ・・・!」

「◎$★/^◇~」


 さ、先を越された!!何!?この人何喋ってんの!?何語!?ヘブライ語!?

「え、えと、えと・・・っ」

 わたわたと両手を動かす。英語もヘブライ語喋れましぇん!

 親しみやすい笑みを称えたまま、なぜかこっちに寄ってくるお隣さん。なんかすごく威圧感を感じるよ。背が高いからか。


 一メートルほどのところで立ち止まった彼。なおもぺらぺらと喋り続ける。

 どうしよう、どうしよう。


 顔が熱くなる。こんなことならちゃんと英語勉強しとくんだった。

 顔を上げていられなくて俯く。


 すると、あれほど止まらなかった口がぴたりと止み、私の視界に白い手が差し出された。

 ぱっと見上げると、彼はにこりと微笑み、ほらと言いたげに手を動かした。


「・・・握手?」

 相手はこてんと首をかしげたけれど、たぶん握手だろう。

 おずおずと手をさしだし重ねると、すぐにぎゅっと握られて軽く上下に振られた。これで握手じゃなかったらすごく恥ずかしいことになるところだった。

「よ、よろしくお願いします」

 あ。これは英語で言えたのに。

 でも彼もちゃんと理解してくれたようで、こくこくと首を縦に振った。


 手を解き、彼は己の鼻面を指差した。

「トム・リドル」

 はっきりと、ひとつひとつ言ってくれたおかげで聞き違えることはなかった。

「リドルさん?」

 笑顔で頷く。この人かわいいな。

 そして次に手のひらで私を指し示した。


「ハシモト アオイ、です」

「アオイ」

 うんうんと頷きながら、アオイ、アオイと呟き続ける外人さんことリドルさん。なんか照れる。

 私がでれでれとしていると、リドルさんは何かを思い出したように手を打って、苦笑いを浮かべながら何かを言い、手を振りながら小走りで去っていってしまった。何か用事があったのを忘れてたらしい。


 姿が見えなくなるまでひらひらと手を振り、ほっこりとした気分で部屋に戻ろうとしてはっとした。


「ごみ捨て・・・」

 忘れてた・・・。

 足元に転がっていたゴミ袋を拾い上げ、私も彼を追うように廊下を早足で進んだ。






 どうにもうまく転がってくれて、リドルさんとはなかなかうまく付き合っていた。

 男の一人暮らしでそんなに手の込んだものも食べれないだろうということで、余分に作ったものを抱えて玄関を叩くということも常になった。そのたびに日本語で「ありがとう」と言われるのだから嬉しくてたまらない。

 顔もよく愛想もいいため、ちょっとしたマンションのアイドルと化した彼。なぜか私が誇らしく感じた。


 そんな風に、いまいち自分の意思が伝わりにくいということを除けば順風満帆。


 だった。



 その日はいつもどおり仕事から帰ってきて、へとへとの状態でエントランスに入った。

 するとどこか遠くない場所で、聞いたことのある声が響いてきた。一つは二階のお喋り好きなおばちゃん。そしてもう一人は・・・。

「リドルさん・・・?」

 いやでもそんなはずない。


 だって聞こえてくるのは。

「相変わらずあなた綺麗な顔してるわねぇ。おばさんにも少し分けてほしいわ」

「ははは、奥さんも十分お綺麗ですよ」

 日本語だし。
 でもこの声やっぱり。・・・いや、違う。声が似てる人なんて世の中にいっぱいいる。


 そう信じつつも、やはり気になる。

 私はこっそり、音を立てないようにして声が聞こえてくるほうを隠れながら覗き見た。


 数メートル先で談笑していたのはおばさんと、すらりとした体躯を持ったお隣さん。
 見間違えるはずもない。


「うそ・・・」


 外人特有の日本語のなまりもなく、流暢に言葉を紡いでいるのは間違いなくあの隣人。

 私の前では英語オンリーだったのに、どうして。

 どうしてどうしてどうして。ぐるぐると頭を渦巻く。

 回らない頭で考え抜いて、一つの結果にたどり着いた。



「フリ、してやがったな・・・っ」

 日本語話せないフリして私のことバカにしてたんだ・・・!
 短絡的だけど、他に理由が思いつかない!


 そうと気づけばいらいらは頂点。背筋をピンと伸ばし、眉間にしわが寄るのを我慢せずにリドルさんに背後から近づいた。


 歩いてる途中でおばさんは私に気づき、その視線を追うようにリドルさんも私を振り返った。私の怒ったような顔を見て、彼はなぜそんな表情をしているのかすぐに察知したらしい。それなのに、リドルさんは謝ってくるどころかにこりと、いや、にやりと笑った。そんな歪んだ笑み、今までしなかっただろ!

 そんなに高くはないヒールをめいっぱいガツンと鳴らし立ち止まる。


「・・・私が何を言いたいかわかってますよね」

 リドルさんはわざとらしくきょとんと目を見開き、考え込むように虚空を見上げ、そうだ!と手を打った。


「へろー、ミスアオイ」


 ブチンときた。
 力強くリドルさんを睨みつける。全然彼は臆していないけど。

「最っ低ですね」

 ふんと鼻を鳴らし、不機嫌を隠しもせずに彼に背を向けてエレベーターに早足で向かった。おばさんは終始おろおろしてた。

 早く来いよとボタンを連打しているとようやくエレベーターが到着する。扉が開くや否や中に飛び込み『5』のボタンを押した。

「・・・」

 押したはずなのになかなかドアが閉まらない。『閉』を押しても閉まらない。何か挟まっているのかと扉から顔を出し覗いた。絶句。



「・・・何やってるんですか」

「僕も乗せてもらおうと思って」


 何か挟まっていたのではなく、リドルさんが外からボタンを連打していたからであったらしい。何この人、すごく迷惑。

 しかし今は彼と一緒に密室にいたくはない。


「迷惑なので、次のを待ってくださ・・・うわ、ちょっとっ」

 私の言葉なんて耳に入れず、リドルさんはぐいぐいと私を押して中に入り込んできた。押し出そうとしたけどすでにドアは閉まりきっていて、微かなモーター音を立て始めていた。


 しかたないな・・・。


 ため息をついて、一歩後ろに下がって壁にもたれた。リドルさんは空気。空気だ。足元を見つめ、あたかもお前のことなんて眼中にねえよオーラを出してみた。けれどずばずばと感じる視線に、今何階だろうかと見上げたときちらと横目を送ってしまった。

 ばっちりと絡んだ視線。
 そらすのも癪で、目を細めて睨んでみる。

「・・・なんですか?」

「別に」


 あれ、この人こんなにむかつく人だったっけ?
 怒りに身を震わせたとき、エレベーターが到着音を鳴らした。

 (一方的に)競うようにエレベーターを出て、早足で部屋に向かう。もちろん隣だから彼もずっと同じ道であるわけで。

 ようやく部屋の前まで着く。歩きながら鍵を探さなかったことを後悔した。


 ごちゃごちゃとしたバッグの中を混ぜ繰り返しているうちに、彼も自分の部屋を優雅に開錠。むかつく。

「うー・・・」

 見つからない。廊下で中身をひっくり返したい気持ちだ。


「アオイ」

 いつも呼ばれていた妙なカタコトではなく、すらりと出された自分の名前にどきりと心臓が跳ねる。

「・・・」

 返事はせずに、警戒しながらそちらに首を回した。リドルさんは自分の部屋のドアを少し開けた状態で私を見ていた。


「気分を悪くしたのなら謝るよ」

「・・・」

 真顔で言われては怒鳴るに怒鳴れない。
 しょぼしょぼと萎んでいく怒り。それが萎みきるのを助けるように、私はため息をついた。


 もう気にしないでください。そう言おうとしたけど、その前にリドルさんが先に口を開いた。



「でも、アオイがあんまりにも『英語話せません』オーラを出すから、ちょっとからかいたくなって」

「・・・やっぱり最低ですね」


 あ、鍵見つけた。

 雑に鍵を差し込み開錠。

「アオイ―――」



 さっさと部屋に引きこもってしまおうと開けた少しの隙間から身体を滑り込ませ、施錠。玄関からリビングへ繋がる廊下の電気をつけて、自分の足先を見る。とん、とドアに背中を預けると、熱い身体に無機質なドアの冷たさが心地よかった。

「・・・」

 最後に名前を呼ばれて言われた言葉。


「料理、本当においしかったよ」


 これも私をバカにして言ったんだろうか。

 そうだとしても、異性にそんなことを言われることなんて滅多にない私には刺激が強すぎる。


「なんなのよ、もう・・・」


 押し付けた頬の熱が、ドアにゆっくりと染み渡っていった。




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