終電の時刻は過ぎているし、家まで遠くはないから私が歩いて帰ると言うと一緒に歩いてくれることになった。
「すみません、わざわざ送ってもらって」
「危ないですし、僕も同じ方面ですから」
気を遣ってくれるのが嬉しい。
ドキドキするのは気のせいなのだろうか。
「っくしゅん」
すっかり気を抜いていた。
何となく恥ずかしくて苦笑いをした。
「大丈夫ですか?薄着ですね」
「大丈夫ですよ」
「これ」
「え」
ふわりと肩にブラック部長の上着がかけられた。
「わ、悪いです」
急いで脱ごうとすると上着の上から肩を掴まれて、上着がかっちりと固定されてしまった。
「部長、」
「着ててください」
半ば強引な程にかけられた上着を断る事もできず、ただ落として汚したりしないように襟元を掴む。
部長のお陰で大分温かくなった。
コーヒーや他に甘いような匂いがしたけど気にしないことにした。
「昨日は…」
「昨日?」
あとわずかで私の家に着くとき、部長が唐突に口を開いた。
一体何のことだと一瞬考えたけど、すっかり忘れていた昨日の事を思い出す。
「昨日はすみません」
「いえ、謝ることなんて…」
「…」
「…」
こう言われてしまうとやっぱり昨日の事は現実だったんだと実感して、やけに意識してしまう。
「それと、」
「…」
今度は何を言われるかと身構えてしまう。
「書類整理ありがとうございました。みょうじさんがほとんどやってくれていたお陰で助かりました」
「よかったです」
「…」
「…っ」
ブラック部長が急に立ち止まる。
何かと思って私も立ち止まれば腕を掴まれ引き寄せられた。
「ぶ、ちょ…」
目を見た瞬間抵抗するのを諦めた。
こんな瞳に捕まってしまえば抵抗なんてできない。
昨日みたいに私とブラック部長の距離が縮まっても遮るものなんてない。
お互い躊躇うかのようにゆっくりと近づいた。
気が遠くなるくらい少しずつ近づく唇に焦れったさと、ほんのわずかな罪悪感。
お互いに混じり合った吐息を確認して、口付けた。
大人のキスにしては軽すぎるくらいの触れるようなキス。
一度少し唇を離してお互いを見つめ合う。
月の光が反射して色素の薄い目がキラキラと光っていた。
力の抜けた手から私にかかっている上着がするりとぬけて、肩からずれた。
また唇が近づく。
でもさっきとは違って触れる寸前の所で止まった。
「だめ、です」
私の残りわずかな理性から絞り出した声。
わかっていた、こんなの許されない。
「こんな、よくない、です」
力の入らない腕でブラック部長の肩をそっと押し返した。
このまま1日の過ちで部長と秘書という関係を崩してしまうのが怖い。
「本当に、ごめんなさい」
でも、嫌われてしまうのも怖かった。
「ありがとう、ございました」
肩から落ちかけた上着を震えた手で返して、振り返りもせずに家へと向かった。
好きになってしまうのも怖かった。
11/04/20/
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