「鬼灯様」
「何です」
「もう無理です」

ぐすん、と零した涙はあっさりと無視されて、その代わりにと言わんばかりの書類は高く高く目の前へと詰まれる。
嗚呼私が何をしたのかと問えば、「粗相です」と至極あっさりとした言葉が返ってくる。ええそうです、私粗相を犯しました。亡者を1人逃がしてしまいました。だからこうして終わりの見えない始末書を延々と書くに至っているのです。

始まりは三途之川。
奪衣婆が暇の時に限って忙しくなっていた其処は、当然の如く懸衣翁がツアーで不在。
誰かに手伝ってもらえばよかったなんて考えが及ぶよりも前にぞろぞろと渡って来る亡者を前にてんやわんやあれやこれやとしていた所、一瞬の隙をつかれて1人の亡者が逃げ出した。しかしてんてこ舞い状態の私がそれに当然気付くわけが無く。そもそも新卒上がりの私がたって1人でぞろぞろとやってくる亡者の群れに対抗するなんて甚だ無理な話で、結局結果としてまんまと1人が消え去った。
その後は烏天狗警察が出動し、辺りは大捜査網。しかしどうやってなのか一向に逃げた亡者は姿が見えず。ウーウーと高らかに鳴るサイレンは止まない。

「せめて少しばかり休憩を」
「休むより筆を動かすほうが早く帰れますよ」
「けれどもう手が動かないんですー」

そこからは物凄い勢いでやって来た鬼灯様に殴られ叱られいびられ、そうして始末書の海に沈む羽目になったのだ。最初は気の毒になぁと遠巻きに見ていた同僚たちも退勤時間が来るとさっさと家に帰っていく。ノー残業の素晴らしい獄卒、超ホワイト。

「お腹も空いた」
「貴女さっき定食食べたじゃないですか」
「お手洗いに」
「行ったでしょう、10分前に」
「喉が」
「目の前のそれはお水じゃないんですか」

ああいえばこういう。
とは言え正論につき、私はすっかり黙り込むしかない。
かと言えど、もうちょっとも手が動かないのは本当で、少しばかり休みたいのも本当で。そう思えば思うほど怠けたいという正直な頭はあれやこれやと策を巡らせる。
正直此れをそのまま始末書に向ければと思うものの、嫌な事からは逃げたくなるのが本能で。

「やだー」

べちん、とついに筆を置く。
随分と子供染みた行為だとは分かっていても、こればっかりはしょうがない。
そうしてそのままだらりと机に身を投げ出せば、隣で書き物をしていた鬼灯様の手も止まった。

「早く起きなさい」
「いやだ」
「終らないでしょう」
「明日やります」
「貴女の明日はいつなんですか」
「来世です」

とどのつまり、もう嫌なものは嫌なのだ。
そりゃぁ私が悪いけれども、反省は十分したし、制裁も十分受けた。
閻魔様だって、「もうそれくらいにしておいてあげたら?」なんて言って下さった。(けれど鬼灯様が容赦してくださらなかった)
だと言うのに、目の前には終わりの見えそうも無い始末書始末書始末書始末書!!

「せめて飴でも下さいよ」
「はい?」
「飴ですよ、飴ー!!こんな鞭だらけでビシバシ扱かれたってやる気沸きません!!」
「反省が足りてない気がするのは間違いでしょうか」

はぁー、なんて深いため息が聞こえる。
そのため息に少しばかり怯むし、何処からか罪悪感なる物が芽生えてくる。
よくよく考えれば、今この定時が終って既に3時間。殆どの獄卒衆達が帰っていった地獄のお部屋に2人きり。
よもやまさか鬼灯様は私の為に残ってくれてたのではないだろうかという考えが過ぎる。ともすればこんな所で駄々を捏ねてる私はとんだ迷惑野郎なんじゃないだろうか!
うわぁああ!と思わず頭を抱える。その真実に辿り着きたくなかった!!!とばかりに唸っていたところで、頭の上からとってもいい声(バリトン)が降って来た。

「リコさん」
「はい」
「良いからさっさと始末書済ませなさい」
「はい」
「あと」
「はい」

なんでしょう、と上を向いたその一瞬、瞬きなんてそんなの全然追い付かなかった。
ただ、ちゅ、と軽い音を立てて離れた唇は少しばかり冷たくて。

「私甘やかすの苦手なんで、今は飴、其れきりにしてください」

金魚草みたいに口をパクパク動かす。
流石におぎゃぁぁと悲鳴なんかは出なかったけれど、兎にも角にも悲鳴の変わりといわんばかりに心臓が動く。

「あと私別に貴女の為に残ってる訳ではなくて、単に仕事が溜まってるだけですので」

気にしなくても良い、と言うその声色がとっても優しかったのは、きっと私には出来ない気遣いというモノなんだろう。



(嗚呼、なんて狡いヒトなんだろうか・・・!)


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