「こーんにーちはー」なんて明るい声が極楽満月の店に響き渡る。
確か表には休業中の札が出ていたはずなんだけれど、と思いながら、ガラリと店の扉を開けたら、其処に在ったのは此処最近良く見る何ら変わりない景色。
おや?と何も無い事に首を捻ったところで足元から「ここだよ」と声がした。
見れば其処には犬と猿と雉。桃太郎かよ!と思わず突っ込みかけたところで、そう言えば裏手の林に桃太郎さんが行っていることを思い出して、何か納得した気分になりながら私はその小さなお客さん達に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「桃太郎さんは今お出掛けしてますよ」
「違うよ、俺らお姉さんに用事があってきたんだよ」

予想もしなかった言葉に思わずぱちりと瞬きをする。
すると目の前に居た猿が犬の頭をぺちりと叩き、そうして雉がばさりと羽を広げ私に話掛けた。

「鬼灯様と話してたら素敵な人が居るって言うもんで」
「鬼灯様が、私の事を?」
「そうだよーだから冷やかし?に来たんだー」
「バカ!お前ぶっちゃけ過ぎだシロ」
「そうか、冷やかしかー」

随分とはっきりした物言いに苦笑いをする。けれどわざわざ私を求めて訪ねて来た客人を無碍に帰すわけにも行かない。さらにどうやら彼らは鬼灯様の知り合いらしい。
ふむ、と少し考えた後、どうせまだまだ誰も帰って来ないから、と私は薬剤師さんも居ない極楽満月の中へと彼らを通す事に決めた。



「え、リコさんそんな理由で此処に来たの?」
「うん、格好悪いでしょう?」
「もっと大人しい人だと思ったがな」
「あはは、私好奇心は生前から旺盛で」
「でもだからって、スッゲー理由だなー」

なんて、おもてなし様の水を囲んで座る。
本当はもっと気の利いたものでも出せたらよかったんだけれど「俺ら動物だし」と断られてしまったのだ。とは言え、何だかんだで自己紹介もそこそこに和気藹々と出来るのは全く人見知りをしない彼らのお陰と言っても過言では無い。喋っていると心地が良い、だから私は桃太郎さんにも秘密にしていた此処へ来た理由をぶっちゃけたのだ。
何故秘密にしていたか、と言われれば、非常に性も無いからだ、としか言えない。

あの日、私が現世で亡くなって3ヶ月ちょっとが過ぎた時、天国での生活範囲を広げようと探索に出掛けたのが始まり。何時もの生活圏を抜けると途端に見る物全てが真新しくなり、華やかな世界に色彩が増した。見たことの無い草木や鳥、小動物や虫など見惚れ見蕩れ歩いていたら、ふと、光る湖が見えた。
初めはただ単に高く昇る太陽に照らされているのかと思ったけれど、その光り方は太陽が反射しただけで出来る物ではない。その一点が分かってしまうと、次に湧き出てくるのは一体どうなっているのかと言う探求欲。流石に怪しいとは思いこそすれ、此処は天国。皆が一度は憧れる楽園が、その期待を裏切る事はないだろう!なんて何処からか囁かれた自分の中の悪い誘いに導かれ、私はホイホイと足を進めた。
そうして歩く事数分。辿り着いた湖は想像を遥かに絶するほど絶景で。
生前、仕事柄色々な国を巡り、それなりに絶景ポイントと言う所にも赴いた。それはどれもこれも素晴らしくて、胸がいっぱいになり、声が詰まった。
けれど此処はまたなんと言うか、流石は天国と言うべきか。
表現しようにも言葉が足りなくて、それが悔しくて唇を噛む。
其れほどまでに美しい湖を前に立ち尽くしていた時、ちゃぽん、と水が跳ねた。
何だろう、そう思って足を踏み出した時に事は起こる。
次跳ねたのはにちゃぽんなんて可愛らしい音以上の、盛大な水音。余りにもなそんな音を立てて湖に滑り落ちたのだ。私が。
本来なら驚きこそすれ、其処までは動揺しないのだが、何と言ってもこの湖にあるべき"底"が無い。しかも深部へ足を踏み抜いた訳でもなく、本当に、畔と言った方がいい。其処に"底"が無い。
藁をも縋る思いで手を伸ばしたところで、縋る藁すら見当たらず、私はあっさりと沈んでしまったのだった。

けれど流石は天国。とても高いところにある国。
どんどんと加速度を付けて沈んでいく身体は、まだ底に着かない。
其ればかりか明るかった辺りの色はグラデーションが掛かったかの如く徐々に色の層を変えていく。最早沈むと言うよりは落ちて行くと行ったほうがいい。
そう思った途端、ひゅっと全身に緊張が走った。

(死んでしまうかもしれない・・・!)

既に死んでしまっている身で思うのは実に滑稽だが、確実に頭の中を占めるのは死への恐怖感である。
1回目(と呼んでいいのか)に死んだ時は、恐怖なんて考える間もなかった。だから目を開けたときに三途之川と書かれた看板が目に入った時にほっとしたのを覚えている。
けれど今回は従来人が味わうであろう死の恐怖をまざまざと味わっているのだ。
それはまるで強力な何かが手招きをしているような。
嗚呼、死とはなんて怖いのだろう。死んだ人間が死んだら次は何処へ行くのだろう。
見えない先がより一層の恐怖を引き立て、零れた涙は落ちて行く私とは逆に高く宙へ留まる。それが眩しい光に照らされ、現世で見たことのある真っ青な空へと弾けたその時、私の身体は痛みと共に落ちるのを止めたのだ。

「それが、白澤様?」
「そうだよ」
「でもいくら白澤様でも空中で女性をキャッチなんて芸当できんの?」
「ふふ、その時は人の姿じゃ無かったの」
「なるほど、神獣の姿か」

納得した、という表情を見せるルリオさんと柿助さんとは裏腹に、シロさんは少しだけ難しそうな顔をして唸る。「でもこう、つるっと滑って行ったりしなかったの?」なんて質問をするもんだから、その姿を想像して少しだけ笑ってしまった。

「大丈夫、痛かったって言ったでしょう?」
「うん、言った」
「その時に白澤様の角が私の服を掠めて、で、破れた服が其処に引っかかったっていうわけ」

まるでクレーンゲームの、お情けで引っかかった景品みたいな。
そんな状態で引き上げられ、桃源郷はここ極楽満月の入り口まで運ばれ、そうしてそこでドサリと音は立ったけれど比較的優しく下ろされた。
初めはどういう状況なのか飲み込めなかったけれど、目の前でふわふわと揺れ動く毛を見たら、すっかり安心してしまって、掠めて怪我をししまった身体の事なんて気にする事も無くただ目の前の神獣に縋り付いてわんわんと泣いてしまったのだ。

それからは、いつの間にやらすっかり安堵したのと貧血が相まって倒れるように眠り込んだ私を介抱してくれたのが白澤様。優しく丁寧に傷の手当てをしてくださったり、動けない私に色々な話をしてくださったり。今思っても随分と親切にしてくださって、きっと一生私は彼に頭が上がらないだろう。
そんなことを思いつつ、水が入ったグラスに口をつけていると、漸く納得したとばかりの顔をしたシロさんが徐に言った。

「あの人本当に神様だったんだね」

てっきりただのメス狂いかと思った、と何やら不穏な言葉が聞こえてきて、柿助さんとルリオさんがぎょっとする。かく言う私は「メス狂いかどうかは、よくわからないけど」と苦笑いをして、そうして言葉を零す。

「私は、彼に助けてもらえて本当に良かったよ」

でなければ今の私は存在しない。恐らく"完全に"死んでしまっていただろうとは思う。
別に人生は一度きりだし、転生とか言うのは希望も期待しないけれど、どんな思いも抱えて生きてきた私という存在があんな下らない事で無くなってしまっていたらと思うと、今でも怖くて堪らないし、時折夢にだって見て飛び起きる時もある。
けれどそんな時、必ず彼は私の傍に居て、手を握ってくれるのだ。
(風邪を引くからベッドサイドで伏せて寝るのは止めて下さいとは何度も言っているんだけれど)

「ふぅん。で、リコさんは白澤様のどこが好きなの?」
「は?シロ、お前今まで何聞いてたんだよ!」
「まぁ、全然話を聞かねぇのは今に始まった事じゃねぇだろ」
「モフモフしたところかなぁ」
「そっかー」
「「・・・え?」」

今までシロさんを突っ込んでいた2匹の目が、一斉にこちらを見る。
怪訝なその眼差しは、流石不喜処勤め!と言いたくなるほど鋭い物だった。

「知らないでしょ?白澤様ってねすっごくモフモフしてるの。一度尻尾を触らせてもらった時なんてね、あまりのモフモフに思わず感動しちゃった。しかも毛の色も、真っ白じゃないんだよ。光に当たれば乳白色、陰になってるところは生成りっぽくて、グラデーションが綺麗なの。でも一本一本は多分白熊と同じで透明なんだと思う」

それにね、あのね、なんて言葉を続けて10分後。
すっかり語りすぎてしまったか、若干遠い目をして私を見る3匹を見て、漸く飛んでいた理性が戻ってくる。けれど、その理性が完全に私に蓋をする前に、私は言っておかなければならないことがあった。

「もしあの時白澤様に助けてもらって無くても、どんな姿をしていても、私はきっと白澤様に出会ったら好きになってしまうと思うの」
「桃太郎や鬼灯様じゃ駄目?」
「・・・白澤様がいいの」

1つ1つ接していく度に分かってくる。それは私の感情だとか彼の感情だとか。
そういった目には見えない何かが、日を追うごとに増えていく。
そうして息が詰まって、心臓が高鳴った時に、底抜けに優しくて、飛び切り寂しがりな彼を思い出して少しだけ寂しくなってくるの。
そろそろ帰って来てもいい頃だ。帰って来たら皆でご飯を作って一緒に食べたい。
なんて、私は白澤様の帰りがひどく待ち遠しくて仕方が無かったのだ。





林の奥で幾つか調合に使う材料を取って戻ってきた。ただ思った以上に時間がたってしまって、留守番をさせてしまったリコさんに申し訳なさを感じつつ急ぎ足で岐路についていた時、極楽満月の扉の傍で膝を抱え込むようにしてしゃがみ込む人影が1つ。
よくよく目を凝らせばそれは白澤様で、行李がその横に行儀よく置いてあった。
何をしているのか、と声を掛けようとしたその時、店の中から大変賑やかな声。
あいつら来てるのか、と思ったところで開けっ放しの店の窓の隙間から、此処最近ですっかりと聞きなれてしまった優しい声が漏れ出した。

「私、白澤様が大好きなの」

なんて、嗚呼、それでか。
膝を抱え込むようにしてしゃがみ込む白澤様をよくよく見ると、三角巾を縛る事によってより一層露わになっていた耳が赤い。
いち男子としてわからんでもないし、酷く羨ましいこの状況に俺は苦笑いをせざるを得なかった。



( 内緒ねって言葉が既に無意味だと言うのは内緒 )


*


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -