「滑りやすくなっておりますので、お気をつけ下さいまし」

笑顔が素敵な下女が朝方言っていたのを思い出したのは、珍しく晴れた空を不自然な格好で仰いだ午後だった。あ、と思った瞬間にずだだだだだ!と静かな城内には似つかわしくない大きな音が響く。何事かと情報処理能力が追い付いていない脳に唯一追い付くのはびりりとした痺れのような痛み。それを感じ取って漸く、嗚呼、転んでしまったのかと得心がいった次の瞬間に「大丈夫ですか?」と心配そうに覗き込む年を召された庭師さんを見て「だ、大丈夫です・・・」とどんどん湧き出る羞恥心。
本当は大丈夫ではない見られた恥ずかしさで死んでしまいそうだ。だから出来れば放って置いて欲しいのだけれど、本当に心配そうに見つめられたら無碍に出来るわけも無く。そっと差し出された手を掴み、私は立ち上がろうと足に力を込めたその時。

「〜〜っっ?!」

思わず顰めた顔に、庭師さんも驚く。そうして半ば涙目で足を抑えた私を見て「捻ったかも知れませんな」と1人ごちると、「お待ちなさい」と制して足早に私の前から立ち去る。流石にこの様子ではどこにも行けないだろう、と辺りを見回すと先程ぶちまけてしまったらしい巻物が転がり、所々汚れてしまっていた。日頃みたいに雨が降っていたらもっと悲惨なことになっていたに違いないが、いやしかしそれでも・・・と要らぬ想像をする。
すると簡単なお遣いすら出来ないのか、とネチネチ小言を言われてしまう姿が簡単に思い起こされて憂鬱になっていく私に反して、相変わらず煌帝国の空は青々としており、時折心地の良い風が吹き抜けさえもした。
それが心底腹立たしく、心底呆れてしまう。

「はぁー」

実に情けなく漏れるため息。
ただ違うのはそのため息は私のもではない。
ふ、と顔を上げて確認したのは、実に嫌そうな顔をして私を見下している黄文様とニコニコとやり遂げました!的な顔で笑う庭師さん。

「いやぁ、丁度黄文様が通りかかられてのぉ」

助かった助かった!わしじゃぁ年を取りすぎてて運べんのでなぁ!と言われるといよいよ私は何も返せず、はぁ、とぎこちなく返事をした。






よりにもよって、と口から零す、気付いているのかいないのか。
黄文様は私以上につらつらと嫌味を零す。

「自分の身に起こることも占えんのか」
「自分は視ない主義なんです」
「ならせめて足元くらい見ろ」
「結構な巻物を運んでたんで」
「少しずつ運べばいいだろう」
「そりゃぁ、ごもっともですけど」
「けど、とは何だリコお前」
「いいえ、何でもありません」

うぐぐ、と言葉に詰まる私を見てか、それともこの珍妙な光景を見てか、すれ違い様に文官様が笑いながら「黄文、もう少し優しくしてやれよー」なんて声をかけて去っていく。そうだそうだと内心賛同するも、黄文様は「うるせー」などと返す(親しい間柄なのだろうか)ので、成る程優しくしては下さらないのかとちょっと悲しくなったのは内緒だ。
なんて、そうこうしている内に広い城内の一角、医務室へと差し掛かり、木で出来た戸を黄文様が引こうと手を掛けた時、ガラリと一歩早く戸が開いた音がして、私はぱちりと瞬きをした。

「どうしました黄文、」

さま、とつむぐ口が言葉が留まってしまうのは仕方が無い。
ひょい、と何気なく顔を出した先には、私を見上げる色違いの大きな目。

「は、白龍皇子様?!」

あわあわと慌てる私と正反対に、白龍皇子様は私と頭を下げる黄文様をざっと見て状況を何となく察したのか、嗚呼、なんて柔らかな声を漏らす。そうして出てこようとした部屋へ一歩下がり、「こちらへ」などと案内をする。その声に従うようにして進んで、漸く黄文様の背中から降りて、いざ手当て!となった時、想像をはるかに超える提案に目が丸くなる。

「俺がしましょう」
「なりません!皇子の手を煩わせるなんて・・・!」
「気にしなくていい。丁度自分の手当てが終わったんだ」
「しかし!!」

とんでもない!と言わんばかりに喰らい付く黄文様を他所に、てきぱきと手を進める白龍皇子様は、椅子に座っている私の顔を見て「先日、姉上が世話になったようなので」とにこりと笑った。あまりにも隙が無いその丁寧な笑顔に、思わずどきりとしたところで、白龍皇子様の後ろで黄文様が物凄い顔をしていたのが見えて、いろんな意味でどきりとした。



白龍皇子様の手際の良さはそれはもう素晴らしいものだった。
黄文様にいくらか指示をした後、持ってきてもらったぬるま湯で汚れやわずかばかりの血を拭い、そうして氷の入った袋を私の足に当てた。
そうして冷やしている間に、どこからか取ってきたのであろう薬草に漬けた布を程よい大きさに切り包帯とともに巻いて固定する。しかも痛くないようにと気を遣って下さるばかりか「柳の木の下にいるのを良く見掛けます」だなんて話しかけてくれた。
煌帝国は末端の末端の末端の立場の私ことをそこまで!と感激していた夢のような時間はあっという間に過ぎ行き、「では、また伺います」と綺麗な笑顔が戸の向こうへ消えたその時、思い切りガシリと頭を手で掴まれる。

「ぃぃぃいいたいいたいいたい!」
「顔がだらしない」
「うぎゃぁあ痛い!ごめんなさい!ごめんなさい!」

分不相応でした!!!と声を上げる私を見てか、漸く手を離した黄文様はとんでもなく大きなため息を吐いて、そうして私を見下ろす。

「いつ粗相をしでかすかと肝を冷やした」
「貴方は私を一体なんだと・・・」
「お陰で寿命が縮んだ」
「何もそこまで」
「無事で良かった」
「っ、」
「私の出世街道!」
「そっちか!!」

ほんの一瞬、何かドキッとした気がしないでもない。でもそれはやっぱり幻で、結局は黄文様は黄文様でしかなくて、廊下で文官様に言ったように優しくなどはしてくれないのだ。
あからさまにほっとしている黄文様の脛を思い切り蹴飛ばすが、痛いのは私の足ばかりで、痛みに耐えながら黄文様を睨むように顔を上げると黄文様は「鍛え方が違うわ馬鹿者」とこれまた嫌味たらしく笑う。
「少しは私の心配もしてくれてもいいじゃないか、」と零したら黄文様の手がぐしゃりと私の頭を髪を混ぜこぜにして、そうして別にその言葉に対して返事があるわけでもなく、ただ一言「もう行くぞ」と促すばかりだった。



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