もやもやしているものを情けなくも全て吐き出したのに、ヤムライハ様は優しく私の頭を撫でて、そうして、馬鹿ね、なんてとても柔かい声で言ったあと、ぽつりぽつりと教えてくれた。
それはね、恋っていうのよ、と消化しきれない気持ちに名前を付けてくれたのだった。





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さて、これが恋だと知った次の日からだ。
相変わらずシンドリアの空も海も真っ青で痛いくらいに澄んでいるし、小鳥も動物も楽しそうに声を出し、行き交う人は誰も彼も笑顔だ。それは何も市街地に限ったことでなく、王宮だって、たくさんの笑顔でいっぱいで息を吸い込む度にふわふわと心地の良い感覚に包まれる。嗚呼!なんて素晴らしい日!と思わず両の手を広げて包み込みたい衝動に駆られるくらいに浮かれている私の気持ちと、ぱたぱたと逸る様に足を動かす私の行動とは反面、一向に見つからないのだ。
誰が、なんて言わずもがな。
少しでも姿を拝見したくてヤムライハ様からの用事を言付かる度にきょろきょろと忙しなく首を動かす。
そうしてちらちらと様々な場所に目を向けているのに、一体何が起こっているのか、さっぱりと姿を見ることが出来なかった。
一日目は、まぁそういう日もあるだろうと思ったし、二日目はお仕事忙しいのだろうなと思った。三日目はよっぽど大変なお仕事が溜まっているのだろうな、と思い、四日目は今日も会えなかったな、なんて勝手に感傷に浸る。だけど、それが一週間、十日、半月と経つ度に、ぐるぐると煮え切らない感情が渦巻く。
もしかして、嫌われてしまったのかもしれない、迷惑をかけてしまったのかもしれない、だなんていう酷く自意識過剰なソレと、官服の方々と擦れ違う度に勝手に落胆してしまう、失礼極まりないソレが日を追うごとに私の中で積もり積もっていくのを感じ、何となく、一人うじうじと吐き出すために私は広い長い廊下を歩き、大鐘のある塔へと登った。

こつん、と足音を立てる度、びゅぅ、と吹き抜ける風。
はぁ、と吐き出す度、きらりと光りを増すシンドリアの太陽。
その心地よさの比例に疲れを感じる間もなく開けた頂上へ辿り着いた私の目に入ったのは、ただただ広いシンドリア王国の全貌。海から森、郊外から市街地へと続く一本の道。
あまりの素晴らしさに、わ、と声を漏らした後、今度から此処は私のお気に入りスポットにしよう!などと実に小さい事を考えて思わず苦笑いした、その時だった。

「あれ?」
「え?」

ふと、ヤムライハ様が言ったことを思い出す。
「いつか巡り巡って時期が来るわ」だなんて言うとても優しい言葉。
そして、その時期は今なんだなって思わずにいられなかった、だなんて思ってしまった私はなんて傲慢なのだろうか。

「休憩ですか?リコ」
「、ジャーファル様こそ」
「いえ、私はシン王を――って、まぁ、そうですね」

けれど「リコも居ますし、休憩しましょうか」などと仰るジャーファル様を見ると、その傲慢なソレも許されるのではないか、などととんでもなく愚かしいことを考えながら、私はどきどきと密かに跳ねる心臓を治めつつ、音もなく静かに私の横に立ったジャーファル様を見上げた。
シンドリアの太陽に照らされた彼の髪の毛はキラキラと不思議な色で反射する。
クーフィーヤで出来た影が、お顔立ちをより繊細にさせる。
ぱちぱちと瞬きの度に揺れる睫毛がとても綺麗で、思わず羨ましいなぁと呟きそうになった。

「、」

なった、のだけど。
思わず首を傾げてしまいそうになる程に、肝心な言葉が出てこない事に気が付いたのだ。
あれ程まで探し回ったというのに。あれ程まで会いたいと思ったというのに。だのに、肝心な時に、一切の言葉が湿り気を失って口の中ですっかり干からびて出てこないのだ。
まるで魚のように、思わずぱくぱくと口を動かす。
けれど「あ」とも「ん」とも言葉は出てこなくて、少しずつ焦り始める私を見て不審に思ったのだろう、ジャーファル様はリコ?と私の名前を呼んだ。

「どうかしました?」

いいえ、と言葉にしたかったのに。
全くを持ってあの時と同じ状態になってしまっている事に気付いて私はぎくりとする。
あの時、ヤムライハ様の前で抑えきれなくて泣いてしまった時のように、急に感情が上手く表現できなくなってしまったのだ。

「・・・リコ?」

黙り込んでしまった私を訝しむ様に、ジャーファル様の深い深い色をした目がゆっくりと私の弱い目と合う。
ばちりと、まるで電気を流したように視線が心臓へと突き刺さって、泣きたいわけじゃないのに、急に泣きたくなってしまった。

「ジャーファル様、ゎ、私、はっ」

泣きたいわけじゃ、ないんです、と泣きながら言った私の矛盾した涙を、ジャーファル様の指が掬ったのを感じた。
恋を知った、だなんて大口を叩いていた癖に、私は恋について何も知らない事を知った。
そして、恋ってやつが思っていたよりもとても厄介で醜いものだって事を、泣き止む事のない涙をもって知った。



(あと、彼の指先が暖かい事も知った)


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