困ったことにあの日から上手く眠れないのだ。
羊を数えても星を数えても帳は降りずに、ただ濃紺の世界が徐々に白み、消えて行くのを見守るばかりで。その反面、少し微睡んだまま挑む昼は余りにも優しく温かいので思わずぐらぐらと地面に吸い込まれていくような感覚に、どうにか足を踏ん張って耐える。
そんな私の滑稽な姿にも関わらず、私の側を通り過ぎる人々は優しい。

体調が悪そうだ、とスパルトス様に言われた。
お疲れですか?とモルジアナに言われた(様付けは不慣れだと言われたので失礼ながら敬語を取っ払った)。
大丈夫?とアリババ様に言われた。
その他にも、少し休んだら?とか、顔色が悪いよ、とか、数え切れないくらいの人に言われたので、きっと私はよっぽどなのだろう。そうして何よりも、それほどにも私は私自身が知らない間に混乱していたのだ。

事の始まりは思い出せる。
だが、ここでは思い出さない(だって死んじゃうかもしれない!)。

「はぁー、」

どうしたものか、と時折強く吹き込む風に弄ばれる髪を押さえながら呟いた時、手に、指に、髪飾りが触れた。
それはジャーファル様がわざわざ私に買って与えて下さったもの。ご褒美、と勝手に思いこんでいたが、それはどうやら贈り物だったと知ったその数日前から、髪飾りに触る度心臓がドキドキと怪しく揺れる。

「でもなぁ」

だけどなぁ、と1人でうにゃうにゃと項垂れる。
その度にシンドリアの風までもがわざわざ私を心配するように頭の上を撫でていくので、何とも言えない気持ちのまま項垂れていた顔を上げた、時。


バチン、って視線があった。


中庭を見下ろす回廊の上で項垂れ、しょぼくれていた私の目と、中庭をシンドバッド王を筆頭に悠然と横切られていた側近の内の1人に過ぎなかった彼、こと、ジャーファル様の深い深い色をした目。
距離は絶対ある。普段ならきっと気付かないような、そんな距離なのにバチンと。
まるで留め具でずれないように合わせられたように、隙間にピタリと埋められたように、間違いなく目が合ったのだ。
そうしてそう自覚した瞬間から湧き上がる自惚れと確証のない情報と、体全部の血液。
ボッと燃え上がった火のように一気に上がる体温と乾く口と、鳴りやまない心音と忙しない足音。

「し、仕事に戻らなくちゃ」

そう言うや否や、私は落ち着き無くバタバタと大きな音を立てながらその場を後にした。






+++





「リコー」

間延びしたヤムライハ様の声に、掛けていたモップの手を止め振り返る。
すると相変わらずお美しいヤムライハ様が、お茶にしましょう?と首を傾げ可愛らしく言うので、私は早々に片付け、お茶を運び、そうしてセッティングも済ませてヤムライハ様に美味しいお茶とお菓子を差し出し、今日はレームの茶葉を使ったお茶ですよ、なんて言いながら他愛ない話でお茶の時間を過ごしていたら、キラリと沈んできた太陽の光が窓の隙間を縫って部屋に差し込み、反射する。
嗚呼、もうこんな時間か・・・と席を立とうとした私の横で、ヤムライハ様がクスリと笑ってそうして言う。

「綺麗ね」
「え?」
「その髪飾り。夕日の色に反射してとっても綺麗」
「ぇ、っと」
「貴女にとっても似合うわよ、リコ」

流石ジャーファルさんね、だなんて、ヤムライハ様はとても楽しそうに私の髪に、髪飾りに軽く触れながら続ける。

「アラジンくんが言ってたの。リコの髪飾りはジャーファルさんが買ったんだって。あ、勿論アラジンくんは言い触らすような子じゃないわ。なんたって私の弟子ですもの!だけどこの間あんまりにも楽しそうにしていたからつい聞いてしまったの。そうしたら私が想像も付かない展開だったもの。ジャーファルさんったら抜け目ないんだからっていうか、いつの間に私の大事な大事なリコに言い寄っていたのかしら。まぁ、そんなこんなでつい長話をしてしまってね。ぁ、でも心配しないで?私だって言い触らしたりなんかしないし・・・って、リコ?」

続ける、はずだったのだろう。
だけど止まってしまったのだ。

相変わらずキラキラと差し込む夕日が反射して部屋と髪飾りを照らす。
髪飾りのガラス玉の様な部分はその夕日をより良く分解して、太陽そのものの光の粒へと拡散し、ヤムライハ様の瞳をもっと綺麗に魅せる。
そんなとっても素敵な空間の中で私は、昼間と同じように項垂れていたのだ。

「・・・リコ、どうしたの?」
「ヤムライハ様、私・・・」



(思わず、涙が出るほどに)


*


×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -