謝肉宴の後は少し寂しい空気が流れる。
まだ歌や踊り、燃える松明、喜びの声で溢れているけれど、始まった当初からは比べものにならないほど静かになった。もうあと2時間もすれば閑散として人々は普通の生活へと戻っていくのだろう。
また空に昇る月は大きく明るく蒼いというのに。

ガチャガチャと空いたお皿を引いて洗い場まで持って行く。
もう結構な回数往復した気がする、と思いながらお皿を置くと、ガシャガシャとお皿を洗っていたラシームさんがぱっと顔を上げて笑顔で私に言った。

「悪いね、リコ」
「気にしないで」
「しかし随分と働かせてしまったな」
「いつものことよ」
「ハハ、そう言ってくれるなら頼もしい」

しかしもう夜も遅いから終わりにしてくれればいい、そう言うラシームさんに、でも、と言葉を返そうとしたら、後ろから私と同じようにお皿を持ってきたファラフさんに、後は私たちがやっておくわ!と背中を押されたので、ならばお言葉に甘えて、と私は宴が終息しつつある中央市を抜けて、市街地へと歩き出した。



+++



ガヤガヤと人々の笑い声と、漂う酒と食べ物の良い匂いが近づき遠ざかる。
ふと左を見ると、いつもなら落ち着いた佇まいの建物にいつ施されたのか、オラミーを模した飾り付けがされているのが見えた。また右へ視線を泳がすと食客であろう異国の方が物珍しいのか焼きパパゴレッヤ(チリソースで味付けをしている)に手を伸ばしている。そして屈強な男達を前に踊り終わった踊り子が花を片手に誘い出し、余程騒いだのだろう、子供は母親の腕の中でうとうとと微睡んでいた。
シンドリアのこの世界が好きだ、まぁ世界を余り見たことがない私が大それた事を言うのもなんだけど、と視線を前に向け歩いていると、不意に後ろから、リコ!と私の名前を呼ぶのが聞こえた。
誰だろうと、振り向いた私の目は思わず見開いてしまった。

「シ、シンドバッド王!」
「やぁ、今日の宴は存分に楽しんだかね?」

とん、と余りにも気軽に肩へ乗せられた右手に、思わず身構えてオロオロとしてしまった私を見てか、シンドバッド王はニコリと微笑みながら、嗚呼すまないね、なんて零した。

「俺の優秀な部下達が揃って君に傾倒しているモノで。どうしても君とは距離が近い気がしてしまってな。驚かせてしまったかい?」
「い、いえ!そんな滅相もございません!!」

私の方こそいつも大変お世話になっておりまして!と深々と頭を下げる私に、シンドバッド王は相変わらず微笑みを湛え、顔を上げなさい、と諭してくださり、そうして宴の事やら私の仕事の事。明日の天気の事などを親しげにお話くださるのだった。
シンドバッド王とは七海の覇者であり、シンドリアという国を一代で築き、そうして現在に至るまで賢明な商を担い、他国の信頼を置き、不可侵という名大を持って豊かで安寧な土地として治めておられる方で。
何よりも、常に人と平等に接してくださる方で。今も王宮に仕える一侍女の私の名前を知り、こうして気さくに話しかけてくださるお方。なんて素晴らしい方!と半ば夢うつつかのように惚けている私を余所に、シンドバッド王はニコニコとしたまま次から次へと話を続け、そして急に真剣なお顔付きになられたかと思えば、声を潜めて言った。

「――で、どうなんだい?」
「どう、とは?」

またまたー!隠しても無駄だぞー!うんぬんかんぬん。
まるで平民の女性が騒ぎ立てるようなそんな高揚感を隠し持った声色に私は少し眉を顰める(バシバシと無遠慮に叩かれた背中が少し痛かったのもあるけれど)が、そんな私を余所に、シンドバッド王は相も変わらずニコニコと話を続ける。少しばかりニコニコが下衆な雰囲気纏っているような気がしないでもないが、と思ったモノの言葉に出来るわけもなく私はシンドバッド王にされるがままだった。

「うちの部下が最近浮ついていてね。何か心当たりはないかい?」
「いえ心当たりもなにも、どなたの事か見当が」
「成る程、君に遠回しは通用しないのか。ならば単刀直入に聞こうではないか!うちのジャ・・・」

そうシンドバッド王が仰って、口を開いて息を吐き出し、音を作り上げる瞬間。手前。
ヒュン!と凄い勢いで何かが私たちの間に割り込んで、そして傍らにあった酒の入っている壺を割った。

「え?え?」
「ははは、どうやら終わりのようだ」

突然割れた壺に動揺を隠せない私と対照的に、やれやれと困ったように腰に手を当て振り返ったシンドバッド王はごく自然に言ってのける。

「お迎えご苦労。ジャーファルくん」
「全く、探しましたよシンドバッド王」
「おっと、その溢れ出る殺意は仕舞ってくれないか」
「貴方が彼女から手を離せば仕舞いましょう」

ニコニコ、と、しているんだと思う。
それは漂う空気から察するけれど、そこから何かお互いに違うモノが流れている気がする(けど、何か見当も付かない)。取り敢えず、割れた壺から視線を上げ、シンドバッド王へと向き直ると、王の大きな背中越しに彼の姿が目に入った。

「ジャーファル様?」
「こんばんは、リコ」

ご無事でしたか?と笑うジャーファル様と、酷い男だなお前は!と嘆くシンドバッド王。一体何があったのか良くはわからないけれど、ジャーファル様が来られるならば理由は1つしかない。

「シンドバッド王」
「ん?なんだい?リコ」
「また職務放棄ですか?」
「無礼だな!」

だがしかし反論は出来ん!よって君の発言も許そう!とシンドバッド王は豪快に笑い(元より本気になどしていないのは明白だ)、その後ろに控えるジャーファル様は大きくため息を吐く。そして、何事もないなら、ほら、シン様行きますよ!とシンドバッド王のきらびやかな装飾の付いた服を結構ぞんざいに掴み、ずるずると引き摺ろうとした所で、シンドバッド王が至極真面目な声色でジャーファル様を呼んだ。

「何ですか。逃しませんよ今夜は」
「随分積極的な言葉だが、生憎女性にしか興味ないのでな」
「奇遇ですね、私もいくら王とて願い下げです」
「・・・そんなに俺が嫌いか君は」

などと夫婦漫才のような遣り取りを微笑ましく見守っていた私を余所になにやらヒソヒソと喋り始めるお二方。
夜も遅いというのにお元気ですねー、と上を仰ぐと先程とは星の位置が随分とずれているように感じた。
さらに宴の名残も薄れ、甘い花で溢れていた中央市場はすっかりと乗ってきた潮風に掻き消されていて、時間が経っていることが伺えた。明日の出勤は早くはないと言えど、そろそろ家に帰られば。だがしかし王様が帰らない限り帰れないわけで・・・。どうしたものか、と唸っていたら、リコとジャーファル様の柔らかい声がした。

「もう夜も遅い。貴女は家路につきなさい」
「!、はい」
「とは言え夜道は危険ですので、私が送ります」
「ぇ、ですが、シンドバッド王が・・・」
「俺は強いから心配はいらんぞ!」
「また逃亡されたら・・・」
「えぇー!そっち!」

チラリと向けた視線をジャーファル様に向けると、ジャーファル様は声と同じように柔らかく笑う。そうして、大丈夫です、と立ちつくしている私に手を差し伸べる。

「釘なら刺しておきました」
「流石ですね、ジャーファル様」
「と、いうことですので、シン。ちゃんと貴方は王宮へお帰り下さいよ」
「わかっているさ、その代わり後で聞くからな!」

はいはい、と立ち去ってゆくシンドバッド王の姿を一瞥して見送った後、改めてジャーファル様はもう一度私に手を差し伸べた。

「行きましょう」

断る理由なんてなく、私はそっと手を差し出す。
すると何の躊躇いもなしに、ジャーファル様は私の手を取って市街地へと歩き出す。
相変わらず中央市場には宴の名残があって、そうして空には蒼い月がある。
そんな少し寂しいような照れくさいような帰り道、はぐれないようにと私も足を踏み出したのだった。



(感謝したまえ!ジャーファルくん!)


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