やさしい罪の味



「……おなか、すいたかも」

 くるる、と小さく悲鳴をあげるお腹をさすり、のそりと起き上がって薄暗い室内に目を細めた。うっすらと見える壁にかけた時計の針は二時を過ぎたあたり。なんとも微妙な時間に目が覚めてしまったようだ。
 食欲を我慢して寝るべきなんだろうけれど、今日食べたものといえば、朝にヨーグルト、昼にハムサンドと珈琲、そして夕方は映画を見る時に食べたポップコーンのみ。一人で過ごす休日はどうしても手抜きがちになってしまうのはご愛嬌。
 ポップコーンでお腹いっぱいになったのを良いことに、夜ご飯も食べていなかったことが今更になって響いている。今夜は寝てしまって、起きたら朝ごはんをちょっと豪勢にするぐらいが丁度いいし身体にも良いことはわかっている。けれど、きゅるると可哀想に鳴く私のお腹を放ってはおけなかった。中途半端に覚醒していた脳みそは、既に空腹を意識したことではっきりと冴え渡っている。

「あれ、名前。起きてたの?」
「……けんじくん?」

 僅かに寝室の扉の開く音がして振り返ると、薄暗い部屋にリビングからの明かりが差し込んだ。随分と疲れた顔をしながらも、少し驚いている様子にふにゃりと笑みが溢れる。どうやら起きた甲斐があったようだ。

「おかえりなさい」
「ふふ、ちょっと寝ぼけてるね。ただいま」

 ぴんと跳ねた前髪を押さえつけるように大きな手が頭を撫で、そのまま額に「眠そうなとこもかわいいね」と言いながら少しだけかさついた唇が触れる。いつも研二くんは可愛いと言ってくれるけれど、寝起きの顔まで可愛いと思うのはちょっぴり贔屓目だと思う。
 今日は元々、帰りが遅くなると聞いていた。どうやら事件が一つ解決したようで、始末書に追われているらしい。お巡りさんはいつだって大変そうだ。朝よりもよれて皺のついたシャツが疲労具合を伝えてくる。お疲れ様の気持ちを込めて、すぐ近くにある頭をわしゃわしゃとかき撫でた。

「ごめん、俺が起こしちゃったかな?」
「ううん、大丈夫。その、……実は、少しお腹が空いちゃって」

 鞄を受け取りながらそう言うと、研二くんは少しじとりとした目で「またご飯食べるのサボったの?」と言った。最近夏バテ気味で、一人でいると食事を疎かにしがちなのはこの前指摘されたばかり。お菓子のせいだなんて言うとまた怒られてしまうから、「昼は食べたよ、ポアロで」と言うと、研二くんはちょっとだけムッとした顔になった。安室さんじゃなくハムサンド目当てで行ってるから許してほしい。

「俺も行きたかったな、ポアロ」
「今日もハムサンドが絶品だったよ」
「うわー、久しぶりに食べたくなってきた」

 今度は一緒に行こうねと誘うと、「もちろん」と嬉しそうに笑った。なんやかんだ言っても、きっと安室さんのことは友人として好きなんだろうな。

「お風呂はどうする?」
「パッと入ってくるから待ってて」

 そう言って烏の行水でシャワーを浴びてラフな格好に着替えた研二くんは、水を飲みながら冷蔵庫を開けると少し考えるように首を傾げた。ビールでも飲むのかなと眺めていると、「ほら、名前も一緒に考えて」とくすくすと笑いながら手招きをする。一緒に考える、ってもしかして。

「実は俺も、お腹すいてたんだよね」
「ふふ、お揃いだ」

 どうやら研二くんもお腹を空かせていたらしい。二人で冷蔵庫と調味料、そしてストックを置いてる棚を見て、「ラーメン!」と声が重なる。ちょっと大きくなってしまった声に、お互い目を合わせて小さく笑った。

「卵は入れる?」
「いれたい! ゆで卵の作り置きまだあったかな」
「お、ネギもあるじゃん。あとはー……あ、これも良いんじゃない?」
「厚切りハム……、研二くん天才?」
「それほどでも」

 そうして出来上がった、あるもので作った即席ラーメン。作り置きの味玉(しかも半熟!)、刻んだ小ネギ、少し火を通した厚切りハム、味付き海苔を添えたら完璧だ。ふわりと漂う醤油ベースの香りがたまらなくて、またお腹が小さく音を奏でる。

「研二くんはお仕事頑張ってきたから、食べても実質カロリーゼロだね」
「じゃあ名前も、俺のこと待っててくれたからカロリーゼロだ」

 私はたまたま起きただけなのに、にこにこと笑ってそう言う。研二くんは、私のことを甘やかしすぎなのだ。けれど、何度そう言っても「そりゃそうだよ、可愛い俺の彼女だもん」と毎回返すのだから、きっと彼には一生敵わない。深夜に二人で食べるラーメンは、一人で食べるよりもずっとおいしくて、やさしい味がした。

20230903


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