本当はもうわかっていた



「なんか冬馬、良い匂いがするね」
「ああ、この前撮影した時のブランドの香水だな。良ければどうぞって貰ったんだよ」
「へえ、良い香りだね」
「だろ?俺も結構好きなんだ」

 爽やかでいて少しスパイシーな香りが冬馬が動くたびに鼻をくすぐる。雑誌の取材を終えて事務所へと戻ってきた冬馬は、暫く休んでいくつもりなのか私と会話をしながらソファへと沈み込んだ。あのブランド、女性用も売ってたら自分も買ってみようかなんて考えながら目の前のパソコンと再び睨み合う。年末のこの時期はどうあがいても仕事の山が捌ききれない。唸りながらもしっかり目を見開いてマウスをスクロール、キーボードを打ち込むの繰り返し作業だ。

「あ、そういえば匂いって近くにいれば結構移るらしいね」
「へえ、じゃあアンタにも移っちまうかもな」
「これぐらいの距離じゃあ流石に大丈夫でしょ」
「…なら、これぐらいならどうだよ」

 思わずぴくりと肩が震えた。声が聞こえてきたのは案外耳元に近くて、小さな呼吸音が耳にじわりと響く。ひえっと小さく悲鳴をあげて振り返ると、いつの間にかソファに座っていた筈の冬馬が背後に立っていた。

「と、冬馬、どうしたの」
「…別に。たどどれぐらい近かったら、アンタに俺の香りが移るかなって思っただけだ」
「いやいや別に移さなくていいから」
「良い香りって言ったじゃねえか」
「それとこれとは別でしょう…」

 跳ね上がった心臓を落ち着かせるように深呼吸をひとつ吐くと、先程よりも少しだけ離れた冬馬が拗ねたような表情をしているのが見える。なんでそう思ったの?と出来るだけ優しい声を意識しながら聞くと、僅かに迷った素振りを見せたあと口を尖らせながらもぼそりと理由を溢した。

「…俺の匂いが、名前からしたらなんか、良いなって思ったんだよ」
「……え、っと?」
「っだから、その!…それぐらい仲が良いって周りから思われたら嬉しいっていうか、そんな感じだ!」

 きっと私は絵に描いたようにきょとんとした顔をしていたと思う。理由が思っていたよりもずっと可愛いものだったから。それが冬馬からの言葉なら尚更だ。

「……ふふ、ふ、あはは!」
「なんだよ!笑うな!」
「だって冬馬、顔真っ赤、ふふ」
「うるせえ!」

 それだけ私と仲が良いと思ってくれてるのも嬉しかった。恥ずかしそうにそう言ってくる冬馬が可愛らしくて、相変わらずツンデレな所が面白くて思わず笑みが溢れる。そうかそうか愛い奴め。そう言いながら私よりも高い位置の頭を少し背伸びして撫でるとさらに頬が上気していく。普段は大人びている冬馬のこう言う部分をたまに見ると、普段とのギャップについついやられてしまう。私の頬はきっと誰が見てもわかるぐらい緩んでるだろうな。

「おい、近いって!」
「よしよし冬馬〜良い子だなあ」
「〜〜っ!あーもう!」

 急に声を荒げたかと思うと、頭を撫でていた右手の手首をぐいっと掴まれ、そのままくるりと反転して近くの壁へと押し付けられた。一瞬で優劣が入れ替わり、先程までとは違う鋭い視線が私を射抜いている。動こうと身じろぎをしても僅かな隙間を残して体は密着し、柔らかな髪が頬を掠めた。何が起こったのか訳が分からなくて混乱した私の肩に頭をぽすりと埋め、小さい呟きが吐息混じりに耳を撫でる。

「……なあ、俺だって男だぞ」

 そう言って私の髪を一房掬い、小さくリップ音を鳴らしてこちらを見つめる姿はまるでドラマを見ているようで、現実味がなかった。それなのに心臓の音は早まるばかり。働きすぎて疲れ果てた末の夢ならば、どうか早く醒めて。掴まれたままの右手から冬馬の体温がじわりと侵食し、これ以上熱くなってしまう前に。

20201214
木星Pになった記念


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