誰よりも春が似合うあなた



 もし、どの季節が好きかって聞かれたら、迷いなく「春」だと答えるかな。そう言うと夏油くんは少し不思議そうな顔をした。
 
「君、花粉症だろう。それなのに春が好きなのかい?」
「花粉症はたしかに嫌だな。でもね、暖かくて心地いい柔らかな雰囲気が好き」
「はは、随分と抽象的だね」
「国語は苦手なんだ、許してよ」
 
 次の試験大丈夫? なんて楽しげに笑う姿に少し頬を膨らませる。誰だって苦手分野はあるものだ。次のテスト、夏油くんには絶対に勝つ。心にそう決めて帰路の歩みを進めていく。寮までの道には桜の木が多くてこの時期には既に満開、今度皆で花見でもしたら楽しそう。先程まで膨らんでいた頬はすぐにゆるんでしまった。
 
「じゃあさ、夏油くんは好きな季節は何かって聞かれたらどう答える? やっぱり名前に入ってるから夏?」
「そんな安直なこと言わないよ。そうだな……」
 
 長い睫毛を伏せ、頬に手を当てて考える姿を横目で見やる。滑らかな髪がさらりと揺れ、自然と目を奪われた。時折風が吹き、小さな花吹雪があたり一面に咲き乱れては落ちていく。髪にひらりと降った花弁が黒髪に映え、淡くも力強い美しさが感じ取れた。ああ、やっぱり桜は君に似合う。去年初めて会った時からずっとそう思ってた。だから私は春が好きなんだ。
 
「……私も、名前と同じく春かな」
「お、同じだね。理由は? さっきああ言ったからにはさぞ素敵な理由があるんでしょう?」
「おっと、ハードルを上げ過ぎたかな。……理由、ね」
 
 そう言って何かを探すように辺りを軽く見渡すと、近くの木の枝からもう落ちてきそうな花冠をそっと摘んだ。こちらを振り返り、「じっとしていて」というひそやかな声と共に空いていた一人分程の距離をぐっと詰められる。長い指先が急に首元を撫で僅かに震えると、楽しそうにくすりと笑う音がまた擽ったい。私の髪を耳に掛け、ゆっくりと花びらが潰れないように耳元に添えた。
 
「この花が、好きな子にとてもよく似合うから、だよ」
 
 柔らかな風が木々を揺らし、淡い春色の雨が降り注ぐ。今までにない近さ、じわりと伝わる熱、ほんのりと甘い香りに眩暈がしそうだ。
 思わず顔を伏せると、まるで目を逸らすなというかのように頬に手が添えられた。シロップを煮詰めたような甘くどろりとした視線が私を捉えて離さない。見上げた宝石のように美しい瞳は、真っ直ぐと私を射抜いていた。

20210224


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