シュガースパイス・リスタート



 “男女間に友情は成立すると思う?”、という質問をされたら、私は「成立する」と迷わず答えていた。私と友人達がその最たる例だとも思っていた。だからこそ、男女の仲になるなんてこれっぽっちも考えたことがなかった。 
 ――今、この瞬間を迎えるまでは。

「俺さ、名前のことが好きなんだ」

 淡い街灯に照らされ、紫水晶のような瞳が熱を帯びて揺れる。私はただ、その美しいきらめきを見つめ返すだけで精一杯だった。



「…………なぎ、どうしよう」
「しらない」
「ねえ、薄情すぎない?」

 玲王と私と凪、高校生の時から続く三人での程よい距離感の友情は、大学生になり生活リズムが少し変わった今でも尚、変わらずに良い関係を続けられていた。その関係性が急に変化しようとしていたのは、昨日の夜、玲王からの突然の告白があったからだ。

「だって知らなかったし、そんなふうに思ったこともなかったし」
「へえ」
「玲王は確かに良いやつだけど、恋人というよりは頼れる兄みたいな存在というか」
「はぁ」
「家族の次に会ってるのが二人だから、ほぼ家族のように思っていたというか」
「そう」

 昨日は少し前に公開された映画を見たくて、凪は興味が無さげなジャンルだったから二人で行こうかと約束をして玲王が車を出してくれた。映画を見て、適当にイタリアンで夜ご飯を済ませて、帰りながら飲もうかとテイクアウトの珈琲を買って。そして車へと戻る途中、今度の週末には凪と三人でたこパでもしようかと話していた時に「……あのさ、」と少し緊張した表情を浮かべた玲王は想いを告げたのだ。
 いきなりのことで呆然と立ち竦む私に「急にごめんな。……ゆっくりで良いから、俺のこと意識して欲しい」と言うと、いつも通りの空気感を醸し出すように明るく振る舞い、当然のように私を家まで送ってから帰って行った。
 玲王の車が見えなくなるまでぼんやりと見つめ、ふらふらとした足取りで部屋の鍵を開け、着替えもろくにせずベッドへとダイブする。どうしよう、信じられない。まさかあの高校時代からモテまくって、大学ではファンクラブができそうな勢いの玲王が、私のことを好きだなんて想像もできなくて。
 悶々と眠れない夜を過ごし、明朝から「奢るから来て」と凪を近くのファミレスへと呼び付け、欠伸をしながら気怠そうに現れた凪にそれはもう勢いよくべらべらと話した。玲王もきっと、私が凪に話すことなんてお見通しだろうから遠慮なく全てを吐き出させてもらった。

「ねえさっきから興味なさすぎ。あ、ポテトすこしちょうだい」
「ナゲットと交換ね」
「交渉成立」
 
 お互いの皿にフォークを伸ばし、ジャンキーな味付けに舌鼓を打つ。いつもだったら、玲王が「お前らは放っておいたらすぐ食生活が乱れるな」と呆れた顔を浮かべて小言を挟み、「まあまあ落ち着きなよ」と口元へご飯を運んであげるとなんだかんだで嬉しそうに食べ、「食べるのめんどくさい」とごねる凪の口元へ雛鳥に餌やりをするように慣れた手つきで食べさせる。そんなお決まりの流れがもう気軽にはできないのかと思うと、寂しさで少しだけ泣きそうになった。

「……もう、今までみたいな感じには戻れないよね」

 ドリンクバーの氷が溶けて薄くなったコーラを一気に飲み干す。そして、スマホの写真フォルダから沢山の思い出をスクロールした。
 三人で初めて電車を乗り継いで行ったTDL、二人のサッカーの試合をサプライズで見に行った弾丸旅行、運転免許をとってはしゃぎまくった玲王と地図アプリが全然読めない凪による地獄のデスドライブ、調子に乗って頼みすぎた配達ピザに胃が圧迫された夜。
 どれもこれも、楽しかった記憶が浮かんで自然と笑みが溢れた。そして、玲王とのツーショットが表示されてスクロールする指がぴたりと止まる。二人で凪の誕生日祝いを買いに行った時の写真。ふざけてサングラスを掛けて頬が触れそうなほど近い距離で撮ったそれを見て、初めて醸し出された昨夜の甘い雰囲気のことを思い出した。……いったいいつから玲王は私のことを好きでいてくれたんだろうか。

「まあ、今までみたいな距離感でいるのは多分無理でしょ」

 凪がストローでぐるりとレモンティーを混ぜる。からん、と氷が溶けて沈む音がやけに耳へと響いた。
 何も言わないけれど、凪は玲王の気持ちに気づいていたのだろうか。「はっきり無理って言わないでよ……」とテーブルに突っ伏しながら言うと、「玲王も、そのくらい覚悟して伝えたんじゃない」と返されて胸が締め付けられるような感覚にぐっと唇を噛む。
 ……そうだよね。玲王だってきっと、私たちとの仲を気まずくさせたいわけじゃない。ゆっくりで良いと、そう言って笑ってくれた彼の優しさは、近くで見てきた私たちが一番よく知っているはずだから。

「ねえ、凪」
「なに?」
「……私がどんな答えを出しても、また三人で過ごしてくれる?」

 伏せていた顔をあげ、少しの不安を滲ませてストレートに聞いてみる。遠回しに聞くよりも、凪にはまっすぐに聞いた方がちゃんとした答えをくれるとわかっていたから。
 私の問いを聞いて少し目を丸くした凪は、わずかに考えるそぶりをした後、「まあ、二人がそう望むなら」と答えてレモンティーを啜った。「……そっか」とこぼれた相槌は、思ったよりもずっと喜びの滲むものだった。

「……でも、変わったのは玲王だけじゃないよ」
「え?」

 どういう意味? と尋ねると、あたたかな指先が私の冷えた手に触れて、そのままゆるりと絡み合い体温が伝う。いつの間に手を取られていたのかと私よりも大きな凪の手を思わず見つめると、そのままぐらりと視界が揺れて上半身がぐっと彼の方へ引き寄せられた。まだ客足の少ない時間帯の店内で、がたりとテーブルの揺れる音が響く。

「――安全圏だって、油断してた? 俺も、ずっと前から名前のこと好きなんだけど」

 繋がれたままの指先が、逃がさないと訴えているかのように強く握られる。鼻先が触れてしまいそうなほどの距離で見えた薄灰色は、昨日見た玲王の瞳と同じ感情を宿していた。

20230215


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