ずっと前から、知ってたよ



 わたしには、ひとつ年上の幼馴染がいる。
 何をするにも一言目には「めんどくさい」が口癖で、身の回りのことは最低限しかやらない。ゲームと漫画と睡眠だけで生きていけると豪語するようなナマケモノで、大きな体からは想像できないほどのダメ男っぷり。ご飯が三食ゼリー飲料だった時には流石に引いた。この男、生活力が無さすぎる。

「名前、何読んでるの」
「今日からできる自堕落生活からの脱却」
「もしかしてそれ、おれのこと?」
「もしかしなくても誠士郎しかいないでしょ」

 肩にのし、ともたれ掛かる誠士郎に「重い」と言って肩からずり落とすと、「ぐえっ」と潰れたカエルのような声を出して床に沈んだ。そのままうとうととし出してしまうのだから、本当に同じ生き物で、しかも年上なのかと幾度も疑ってしまう。今日も今日とて変わらぬそのポーカーフェイスへ向けて、デコピンをひとつ飛ばした。





 物心ついた時からそばにいて、そのダメダメさを知っている私は、誠士郎の周囲の人達の中でも人一倍「私がなんとかしないと……!」という使命感に駆られていた。幼稚園の時に道端で寝そうになった時には肩を貸し、おやつの時間は雛鳥のように口を開けている誠士郎にたまごボーロを投げ入れ、小学校低学年の集団下校時には手を繋いで帰った。

 中学生になった時、はじめて先輩と後輩という立場になった。在学期間も一年ずれるし、小学校までと違って学年の壁はとても分厚い。だからこそ、誠士郎が自立するチャンスではないかと入学式を迎える誠士郎を見て喜ばしく思った。齢11歳にして子離れの寂しさを少し感じてしまうほどには、誠士郎と過ごしていた時間はとても長かった。
 ──しかし、私は凪誠士郎という男のこと甘く見ていた。

「ただいま名前、一緒に昼寝しよ」
「……誠士郎、今日早帰りの日だっけ?」
「あー、……たぶんそう」
「絶対うそじゃん」

 ある日は、いつの間にか帰宅して、制服を脱ぎ散らかしたままベットへダイブし、「イタリアにはシエスタって文化があるらしいよ」なんて屁理屈を言っていたし、

「ねえ誠士郎、宿題とかないの?」
「んー、あとでやる」
「それ言ってやった試しないでしょ」

 中学進学を機に買ってもらったスマホを肌身離さず持ち歩いてはゲーム三昧。

「あれ、今日って給食ないんじゃなかった?」
「そうなの? 寝てたからわかんない」
「……お昼ご飯は?」
「えー、……あー、メロンパンたべた」

 小学校では「好き嫌いせず食べなさい」という先生の指導があったが、中学生になってまでそんな指摘をするような人はいない。

 そう、誠士郎は中学生になっても、ほとんどその生活リズムを変えることはなかった。それはつまり、私の生活もほとんど変わらないことを示していた。





 そして、高校生になった今も、どうしてか県外の進学校へ二人して通うことになった。最初の一年は誠士郎一人で暮らしていたはずでは? と思う人もいるかもしれない。しかし、それは私が土日にせっせと通ったからこそ成り立っていた生活なのだとわかって欲しい。本当に大変だった、部活とか委員会とかに所属していなかったからこそできた荒技だ。もう二度としたくない。

「あー、……おなかすいた」
「何食べたいの?」
「オムライス」
「はいはい、ほらそこ退いて」

 ぐう、という割と大きめの音が部屋に響き、わがままボーイからの催促が入った。ゼリー生活をしていた時よりは随分とマシになった食欲に、ひそかに安堵のため息を吐く。
 高校二年生になり、誠士郎は最近サッカーを始めた。あのめんどくさがりやな誠士郎が、スポーツに取り組むなんて! 昔の私が聞いたなら「え、今日エイプリルフールじゃないけど」と言うに決まっている。それぐらい私には衝撃的で、誠士郎も少しは成長したんだなとまた母性がくすぐられた。
 しかしそこはやはり誠士郎と言ったところか、一人でしっかりとこなせるはずもなく、サッカーに誘ったという御影さんのお陰で誠士郎の今の生活は成り立っている。同世代の、しかも同性の友人が面倒を見てくれるだなんて、なんと喜ばしいことか!

 これで私の負担も少しは減るだろうと、そう思っていた。しかし、現実はそんなに甘くない。

「ケチャップライスとバターライスどっちにする?」
「名前のすきなほう」
「じゃあケチャップね」

 現に今も、誠士郎の部屋でご飯を作り、ここ最近はもっぱら土日のほとんどをここで過ごしていることがその証拠だ。じゅわりと色付く朱色を慣れた手付きで炒め、薄焼きたまごを作って軽く巻いたら簡単なオムライスの完成。誠士郎は昔から、何食べたいかと聞くとよくオムライスをリクエストする。素朴な味がお気に入りらしい。テキパキと料理を手際よく作れるようになったことは、誠士郎のお世話をするようになってからの数少ないメリットのひとつだ。

「んま」
「よかったね」

 お世話してくれる人が増えたとはいえ、普段の学校生活では御影さんが、土日は私はと分業になってしまっただけで、普段とやっていることはほとんど変わらなかったのだ。むしろ御影さんは友人のためにそれだけやってあげることが本当にすごい。絶対に面倒見がいい人だ。あんまり話したことはないけれど。

 今日は課題もあるしそろそろ帰るね、と後片付けをしながら伝えると、私よりも遅く食べ終えた誠士郎は、あくびを一つした後に「あ、そうだ」と言って通学鞄を引っ張り出している様子が見えた。水道水の流れる音でかき消されているが、何か探しているようでがさごそと中身を漁っているか。あ、タオルが出てきてる、明日は絶対に中に入ってるやつを全部引っ張り出してしまおうと今決意した。

「お、あった」
「とりあえずそのタオルは洗面所に置いてきなよ、ってうわ、っ、」

 いつの間に後ろに立っていたのだろうか。ゆらりと長身の体躯が影を作り、私を見下ろしていた。洗い物をしていた私の手をわりと雑に掴んでそのまま流水で泡を全て洗い流し、ペーパータオルで拭いてからくるりと体を回転させて正面から誠士郎と向き合う。
 「急に何、どうかした?」と声をかけると、「あー、……えっと」と珍しく誠士郎にしては歯切れの悪い声がこぼれた。そして、ふらふらと視線を左右に漂わせた後、何かを決意したかのように軽く唇を噛むと、後ろ手に持っていたものを私へと押し付けた。

「……これ、名前に」
「え、……なにこれ、チョコ?」

 高級そうな白に金でブランド名が記された紙袋と、その中に見える可愛らしいピンク色のリボンと透明なケースに入った色とりどりのチョコレートたち。美しさと愛らしさを兼ね備えたそれは、どう見てもバレンタイン向けのチョコレートだった。

「海外では、男が女の子に渡すのが普通なんだって玲王が言ってた」
「そ、れは確かに、そうだけど、」
「だから、俺からあげる」

 ……すきだよ、名前。
 そう言って、私の手に紙袋を握らせる誠士郎は、とてもやさしい表情で頬をゆるませた。

 きっと、今までの私だったら「はいはいありがと、私も好きだよ。いつもの感謝ってことね」と簡単に受け取っていただろう。けれど、これは確実に“男として”誠士郎が私に用意したものだとわかる。
 ──だって本当は、ずっと前から気付いていたのだ。私にしか見せない無防備な顔も、本当はやろうと思えば一人でなんでも器用にこなせるタイプだということも、誠士郎が、たまにどうしようもなく愛おしいという瞳で私を見つめていたことも。
 全部全部、見ないフリをしていた。幼馴染だったら、ずっとこのままの関係でいられる。恋人には、どうしても終わりがある。それが、本当はずっと怖くて。ずっと、私の気持ちからも目を背けていた。

「なんで、なんで言っちゃうの、……っ、だって、!」

 じわりと涙で視界が滲み、頬を熱く濡らしていく。乱雑に指先で水滴を拭うと、誠士郎は少しだけ迷ってから話し出した。

「……名前がさ、今の距離感を壊したくないって思ってたの、ほんとはわかってた」
「っ、え」
「わかってて、その上でやっぱりその先に進みたいって、そう思ったから」

 だから、俺から一生離れないでよ。
 そう懇願する声は、私を見つめる瞳は、誰がどう見たって愛おしい人に対する慈しみで溢れていた。

 ──いつの日か、夢見ていたことがある。
 なんだかんだ言って困った時には「何かあった?」と暖かい声を掛けてくれて、泣いてる時には静かにそばにいてくれた。そんな誠士郎と、もしも一歩先の関係になれたら。
 素敵なお嫁さんになりたい、というありきたりな夢でいつも思い描いていたのは、彼の隣で幸せそうに笑う私の姿だった。

「……せいしろう、」
「なに?」
「わたしも、せいしろうがすき」
「……うん、知ってる。俺も、名前がすき」

 ずっと前から、知ってたよ。
 顔を見合わせ、同じ言葉を口にすると思わずくすりと笑みが溢れた。
 幼馴染から恋人へ、二人揃って最初の一歩を歩き出す。初めてゆっくりと重なった唇は、少し甘いオムライスの味がした。

20230214


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