一等星に少しのわがままを



「とりあえず、いい加減二人で話しなよ」

 そう言って誠士郎は呆然とする私たちを残してドアを閉めた。丁寧なことに外側から鍵までかけて。重く肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出し、意を決して後ろに立っているはずの御影くんへと振り返った。



 そもそも、事の発端はいつだったか。幼馴染の私と誠士郎は、学校で一緒に過ごすことが多かった。それは小学生からずっと変わらない事で、中学、高校と同じ学校に在籍していればそれはもう日常と化していた。休み時間にはめんどくさがりな誠士郎の口にご飯を突っ込んだり、一緒にスマホゲームをしたり、どうでもいいような話をしたり。帰りは途中まで一緒に帰ったり、たまに泊まったり。そんな日常が変わったのは、誠士郎に「サッカーしようぜ!」と某アニメのように誘ってきた彼が現れてからだ。

「苗字は凪の扱いが上手いな」
「まあ、幼馴染だからね」

 W杯という大きな夢を掲げた彼は、凪と共に世界を目指すのだと、静かに揺らめく炎を灯したような瞳で語っていた。その美しくもギラギラとした輝きが眩しくて、ふとした瞬間の少しあどけない表情が可愛くて、シュートを決めた時の嬉しそうにはしゃぐ姿が愛おしくて。私は、いつの間にか御影くんに恋をしてしまっていた。

 想いを伝えたいだとか、恋人になりたいだとか、そんな大層なことは考えられなかった。ただ誠士郎と御影くんと3人で過ごす時間が好きで、その雰囲気を私なんかのちっぽけな想いで壊したくなかったのだ。
 そんな臆病な私の気持ちを誠士郎はいつの間にか見抜いていた。放課後のグラウンド近くで部活に行く誠士郎をなんとなく見送りに来ていた時に、ふと「名前、玲王は言わないとわかんないよ」と言われてしまい開いた口が塞がらなかった。あの恋愛の“れ”の字すら今まで口にしなかったあの誠士郎が、私の想いに気が付いていたのだと言うのだから。

「誠士郎、お願い。絶対に御影くんには言わないで」

 きょとんとした顔の誠士郎に手を合わせ、どうしても言わないでほしいと懇願する。もしかしたら私の態度が分かりやすかった?それとも幼馴染だから誠士郎には私の変化が分かってしまった?どちらにせよ、誠士郎が御影くんに口を滑らせてしまったらもう誤魔化しきれない。
 御影くんが、楽しそうにサッカーの話をするところが好きだ。誠士郎のついでだろうけど私にも優しく接してくれるところが好きだ。年相応に声をあげてイタズラそうに笑う姿が好きだ。だからこそ、御影くんの邪魔をしたくない。W杯を目指すなら恋愛なんてきっと二の次で、大好きなサッカーを一番に考えてほしいから。つっかえながらも懸命にそう伝えると、不服そうな表情を浮かべて誠士郎は首をこてんと傾げた。

「名前はさ、玲王のこと邪魔したくないっていうけど、玲王って名前のこと、」
「ストップだ、凪」

 ──涼やかな声が背後から聞こえ、ひやりと冷たい汗が背中を伝った気がした。聞き間違えるはずもない、私が好きな落ち着いたトーンの声。「あ、玲王」と普通に顔を上げて反応する誠士郎が、今だけは凄く恨めしかった。

「放課後だってのになかなか部活に来ないから探しにきた。サボりか?」
「いや、名前と話したら行くつもりだった」
「そっか。……なあ、苗字、」

 そっと肩に置かれた右手にぴくりと身体が震えた。どこまで聞いていたの、なんて聞く勇気もなくて。後ろを振り向いて目を合わせてしまったら、抑えつけていた気持ちが溢れ出てしまうかもしれなくて。心の中でごめんと謝罪を述べ、御影くんの手を軽く振り払った。

「私、帰るね」
「は? ちょっと待っ」
「二人とも部活頑張って!」
「苗字!」

 歪む視界に、鼻の奥がキュッと痛む。きっと明日からは、今までのような関係ではいられない。そう考えるとまたひとつ涙が落ちて、アスファルトへと吸い込まれていった。

「……明日から、どうしよう」

 ぽつりと溢れた言葉は、自分が思っていたよりもじめじめと重く吐き出された。

 翌朝、気怠い身体を引きずるように登校し、緩慢な動きで靴箱から上履きを雑に落とす。あの後いくら考えても元に戻る方法なんて考えられなかったし、きっと御影くんだってもう気が付いてしまっただろう。ため息が重く吐き出され、寝不足に加えて泣き腫らしたせいで、視界がぼやけ足元がふらついた。ぐらりと力が抜けて一度しゃがみ込みそうになったその時、背後から腕を引かれて誰かの温もりに包み込まれた。

「っと、危ねえ。苗字、大丈夫か?」
「、あ」

 耳元に流れ込む声が、すぐ側でくすぐるような吐息が熱い。昨日と同じ、振り返らなくたってわかる。唇が触れそうなほど近い耳が熱を帯び、心臓がどくりと音を立てた。制服からふわりと漂う、煌びやかでどこか落ち着く香りが懐かしくて。
 まるで後ろから抱きしめられたかのような体勢に頬が熱くなり、心配の声に胸を痛めながらも目を合わせる事なく支えてくれていた腕から抜け出した。消え入りそうな声で「……ありがとう」と呟いた声は届いただろうか。

「顔色悪いな、保健室まで送るよ」
「だ、大丈夫、平気だから」

 それじゃあ、と一歩踏み出した瞬間、「……あのさ、昨日のことなんだけど」と掛けられた言葉にぎしりと身体が固まる。いっそ無かったことにしてくれたら、なんていう僅かな希望はどうやら叶わなかったみたいだ。優しい君のことだから、言葉を選んで傷つけないように返事をくれるかもしれない。けれど、その言葉さえ今は、聞いてしまったら立ち直れそうにないから。「……ごめん、また今度ね」とまた御影くんの顔も見ずにその場を離れた。

 その後も、休み時間や選択授業の移動、放課後までずっと、御影くんは私を気にかけて探してくれていた。居ないと伝えてほしいと頼んだ友人にまで「……本当にいいの?」と聞かれるのだから、きっと私の気持ちは周りから見てとても分かり易かったのだろう。声に出す元気すらなくて、力なくこくりと首を縦に振った。

 そんな日々が二週間ほど続き、御影くんが探しにくる頻度が減ってきた頃。御影くんを避けることで誠士郎とも顔を合わせない日々が続いた。強いて言えば、メッセージアプリのやり取りはたまに返していたぐらい。御影くんから届く「元気か?」「今日は凪の調子が悪かった」「少し話せないか?」などのメッセージには、既読のみを付けては閉じてを繰り返していた。
 正直に言って、ここ数日は油断をしていた自負がある。メッセージの回数も、遠くで見かける回数すらも遠のいていたから。あの御影くんも、ここまで徹底したら流石に諦めるだろうと。けれど、私は御影くんと、そして幼馴染の行動力を侮っていたようだ。

「名前、ちょっと来て」
「え、せ、誠士郎?」

 帰り支度をしていた放課後の教室、いきなりドアが勢いよく開いて周辺で駄弁っていたクラスメイトがびくりと反応した。普段通りのゆったりとした動き、けれど確実に逃さないという自信に満ちたグレーの瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。そして、手を引かれながら私よりも随分と大きくなった背を見て思い出した。幼い頃から、かくれんぼだけは誠士郎に必ず見つけられていたということを。

 「離して」と何度伝えても腕を掴む力は緩むことなく、無言のまま連れてこられたのはグラウンドに建てられた部室棟。何度か来たことのある、見覚えのある景色に段々と嫌な予感が止まらなくなっていく。
 きっと、いや絶対に、御影くんがここにいる。

「ねえ、せいしろ、」
「俺さ、名前のことも、玲王のことも、どっちも好きなんだよね」
「……え?」

 サッカー部の部室の前、ようやく足を止めた誠士郎はようやく口を開いて、私の方へと顔を向けた。いつもの無表情な顔からは相変わらず心情が読み取りにくいけれど、少しだけ、怒っていることは長年の付き合いで感じ取れた。めったに怒らない、「怒るほうがしんどい」なんて言っていた誠士郎が私に対して僅かではあるが怒りを向けている。どうしたものかと唇を振るわせようとしたその瞬間、部室のドアがゆっくりと開いた。

「凪? お前ドアの前で何してんの?」



 そうして無理やり部室の中へと押し込まれた私と、何も知らなかったであろう御影くんは室内へと強制的に二人きりにさせられた。「話終わるまで開けないから」という声がドア越しに鈍く響き、やがて小さく聞こえてきたスマホゲームの音声にこれはテコでも動かないつもりだと察した。ひとつ深呼吸をして、ゆっくりと振り返る。久しぶりに真正面から見た御影くんは、想像していたよりもずっと柔らかな表情をしていた。

「なんか、久しぶりだな」
「そう、だね」

 私が避けていたことはもうとっくに分かっていて、その上で“久しぶり”と言ってくれる御影くんは相変わらず優しい。きっと、あの日から逃げ続けていた答えを今受け取らなければいけないのだろう。まだ抱えていたかった淡い恋心が、きりりと悲鳴をあげている。誠士郎の幼馴染でなければもっと早くに終わりを告げられていただろうから。俯いて部室の床を見つめてしまう私に、御影くんはぽつりと話し始めた。

「俺さ、苗字に避けられてるのは流石に分かってた」
「……うん」
「けど、なんで避けられてるかは最初わかんなくて」
「ご、ごめんなさい」
「いや、あの時は俺もタイミングが悪かったと言うか、……っあー、もう!」

 急に大きな声を出した御影くんにびくりと肩が揺れる。逃げ続けた私に対して怒ってしまったのかな。そっと顔色を伺うように伏せていた視線をあげると、頬を熟れた桃のようにぽっと染めて片手で額を抑えた、初めて見る御影くんの姿があった。

「……苗字の前だと、全然格好つかねぇ」

 くしゃりと照れくさそうに、恥ずかしそうに笑みをこぼして目を逸らす。耳までじわりと赤く染めたそのいじらしい姿に、鼓動がしだいに早まっていく。もしかして、無視しても、避けても、御影くんがずっと私を気にかけてくれていたのは。あまりにもあり得ないと避け続けていた考えが頭をよぎって、ほんのすこしだけ期待に胸が高鳴った。もしもそうじゃなくたって、今なら言える気がする。きっと、御影くんなら伝えても大丈夫だって。本当に今更ながら、彼と向き合ったことでやっとそう思えたのだ。

「御影、くん」
「……なに?」
「今まで、避けててごめん」
「んなこともう良いって。……俺も、もっと早く苗字とちゃんと話せばよかったって後悔してる」

 赤みを残しながらふわりと微笑む姿に、どくりと心臓が脈を打った。君に恋してしまった日からずっと、伝えたかった言葉を唇に乗せるため口を開く。

「私ね、御影くんのことが、」
「ストップだ、苗字」

 あの日、誠士郎が何か言い掛けていた言葉を遮るのと同じように言いとどめた。言葉を紡ごうとした唇には、白く細いけれど少し荒れた指先がそっと添えられた。ふに、とやわく沈む指を見つめる熱を帯びた眼差しが、西陽と混じり美しく揺らめく。

「あの日からずっと、言いたかった。苗字、お前が好きだよ」

 お前もそうだろ?と私に問う御影くんは、先程までの真っ赤な顔からは想像できないほど、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。

「っ、私も、御影くんがすき」

 やっといえたその一言は、返事を聞いてすぐ勢いよく抱きついてきた御影くんの胸元へと消えていった。「っしゃ!」と嬉しそうにはしゃぐ姿に、本当に私のことが好きなのだと実感が湧いてぽっとまた頬が色づく。さらりと靡くバイオレットから覗くまだ色付いた耳元が、御影くんのあのいじらしいほど可愛らしい姿が嘘では無かったことを表していた。きっとこれは、誠士郎だって知らないし、教えてあげない。私だけが見ることができる、普段よりもちょっとだけ可愛らしい君のことを。

 ドア越しに部活動の掛け声に混じって小さく鳴り響くゲームクリアのBGMと、「おめでと」という誠士郎の声が聞こえた気がした。

20230207


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