特別なのはひとつだけ



 今年のバレンタインは、友人達との交換のみで終わったシンプルなものだった。けれど、私の目の前には今、宛先不明の良いお値段のするチョコレートブランドの紙袋が鎮座している。

「……これ、誰か置くところ間違えてない?」

 まだ指先が冷えるような寒さの中、いつも通り通学ラッシュ時間から少しずらして早めに登校すると、私の席にぽつんと置かれていたもの。貰うような相手もいないし、誰かがきっと席を間違えたのだと思った。そう思っていたのに、紙袋からちらりと覗くシンプルなロゴ入りのタグカードには、私の名前がきちんと綴ってあった。

 誰から、何のために? 疑問に思いながらも中を確かめようと袋に手をかけると、丁度友人達の話し声が廊下から聞こえてきて思わず紙袋をそのまま自分の通学鞄に押し込む。贈り主が誰なのか気になってはいたものの、放課後にでもゆっくり見ればいいやなんて、そう思っていたのだ。

「そういえばさ、この前のバレンタイン、どうだったの?」
「えー、……秘密!」
「その顔は絶対付き合ってるじゃん! え、いつから!?」

 女子高生たるもの、恋バナには誰だって興味津々。昼休み、気になっていた友人の恋の行方を友人達と話題にしているとちらほらと他のグループからも同じような話題が飛び交っているようで、いつもよりもクラス全体の雰囲気が少し甘酸っぱいような気がした。
 なんだかそわそわと誰かを見る男子もいれば、いつもより前髪を気にする回数が多い女の子もいて。イベントに浮かれた気分になるのも悪くはないよねと思っていると、クラスの中心の方からざわりと声があがった。

「そういえばさ、まとめてで悪ぃんだけど、全員分あるから良かったら貰ってよ」
「さすが玲王!」
「えー、ありがとう玲王くん!」

 その中でも一際目立つ容姿が視界に映り、その賑やかさの理由に納得した。御影くんは確か、本命も義理も、バレンタインに沢山のチョコを貰っていたはずだ。
 私も彼に渡そうとしていた一人だ、というのは、実は誰にも言っていない。友人達にも内緒のまま、結局渡せずにバレンタインを終えてしまったのは少し後悔している。けれど、あんなにも沢山の想いを受け取っていた様子を見れば誰だって怯んでしまうと思うんだ。少し苦い思い出になってしまったそれは、喉に小骨が引っかかるようなむず痒さを私に残していた。

 どうやら彼もホワイトデーのお返しを持ってきていたようで、周りの子達から順に「良かったらどーぞ」と配り始めた。シンプルにラッピングされた透明な袋の中には、一つ一つが美しくコーティングされたチョコレートが艶めいていた。
 全員分あるから、の言葉通り、御影くんは一人一人に一声かけては渡していく。「いつもありがとな」「この前の意見、すげぇ助かった」「今度また勉強会しようぜ」と声を掛けて行く様子は、彼の人当たりの良さが垣間見えて本当に出来た人だなと感心する。

「はい、これ苗字の分な」

 近くに座る友人達にも世間話を交えながら手渡し、次いで私の手にも可愛らしいリボンの巻かれた袋がちょこんと乗せられた。みんなと同じ、クラスメイトとしてとはいえ御影くんから貰えたという事実が嬉しくて自然と頬がゆるむ。

「ありがとう、御影くん」

 大事に食べるね、とお礼を言うと、御影くんは少し考えるそぶりをして「……まだ見てねえの?」と不思議そうに首を傾げた。まだ見てない、とはいったい何のことだろうか。思い当たる節がなくて、同じように私も首を傾げる。すると、机の横にさげた私の鞄を一瞥して、御影くんは少し口角を上げた。
 「なあ」とまるで内緒話をするかのように足を少し曲げて顔を寄せ、招かれるがままに近寄ると私の耳元に手が添えられる。御影くんの薄く笑う声が聞こえた後、わざとらしく甘く熱を帯びた声が吹き込まれた。

「……紙袋、ちゃんと見てくれたか?」

 無防備な耳元へ微かに触れた吐息が熱くて、無意識のうちにびくりと肩が跳ねる。いま、なんて、というか耳、え? 何でそれ知ってるの?
 困惑して目を丸くする私に、「別に何もしないって」とからりと笑う御影くん。何が起きたのかまだわからずに呆けていると、口パクで「今はな」と誰にも聞こえないように伝えてくるから、どういう意図でそう言ったのかもわからずに頬が赤く染まっていく。今は、ってどういうことなの。

 そして本題の、どうして紙袋のことを知っているのかを聞き返そうと口を開きかけると、御影くんはサッと体勢を元に戻し、何事も無かったかのように「じゃ、ハッピーホワイトデー!」と私と友人達に告げると、次のグループへとお菓子配りを再開した。
 何だったの今の、と悶々とする私だけをとり残し、友人達はチョコレートに夢中でこちらを見向きもしない。少しは挙動不審な友人を心配してくれないのかと打ちひしがれながら、鞄の中に貰ったチョコを入れようとチャックを開く。内ポケットの部分に貰ったチョコを入れ、そのままそっと、周りに見えないように朝入れたままの紙袋を開いた。
 紫色のリボンをほどき、鞄の中でかさりと鳴る音に目をこらすと、折り畳まれた一枚のメモ用紙が入っていることに気がついた。「放課後、三階の空き教室で待ってる」という走り書きの文字に、どくりと心臓が音をたてる。これってもしかして、そういうことなのだろうか。

「これ、を、御影くんが……?」

 小さく溢れた言葉にハッとして口を覆う。いや、そんなはずない。でも、だって。さっきの言い方からして、これをくれたのは御影くんだ。
 さっきから耳元の熱が治らなくて、きゅうと心臓が締め付けられたような感覚に戸惑う。どうしたらいいかわからなくて、つい御影くんを視線で追った。するとばちりと視線が合い、まあるい瞳が少しだけ見開く。そしてわざわざ私の席の近くを通るように歩き出し、すれ違うタイミングで小さく呟いた。

「はは、苗字、顔真っ赤。……続きはまた後でな」

 その言葉に思わず勢いよく御影くんを見ると、悪戯な笑みを浮かべながらひらりと手を振って廊下へと出ていった。
 驚き、混乱、恥じらい。いろんな感情に押し潰されてしまいそうで、机の上にへたりと顔を伏せる。放課後まで約四時間、それまできっと、私のちっぽけな頭では御影くんのことしか考えられない。

20230314


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