小夜にひとつ囁きを



 昼休み終了の五分前、休憩室でスマホを弄っていたら友人からの「今日飲みに行かない?」の誘いのメッセージが送られてきた。丁度飲みに行きたかったのでとてもナイスなタイミング。
 すぐに「了解」のゆるいスタンプを返信をして、手元のアイスコーヒーをストローから啜る。今日は華金、明日の心配もなくお酒を飲めることにウキウキとしながら、午後の業務も頑張りますかと肩を軽く回した。

「お疲れ様でした、お先に失礼します」

 定時と共にパソコンの電源を切り、最近買ったお気に入りのトレンチコートを羽織って早足で退勤する。待ち合わせ場所の駅まで電車に揺られながら、友人に「今向かってるよ」とメッセージを送り、そのまま別の友人とのトーク画面を開いて「土日ひま?」と聞いてみた。明日明後日は特に用事もないし、たまには映画でも見に行きたいところ。すぐに送られてきた「あー、まだわかんねぇな」の文字に泣いてるうさぎのスタンプを返すと、どうやら忙しいのか既読無視をされた。珍しいこともあるものだと思っていると、目的地の駅名がアナウンスされて慌ててドア付近へと駆け寄る。返信を確認するのは後にして、とりあえずは今日の飲みを楽しみますか。

「ごめんお待たせ!」
「全然! ……むしろ、私の方がごめん」
「え、何が?」

 待ち合わせ場所に着き友人を見つけて声をかけると、いきなり罰の悪そうな顔をして手を合わせるのだから、どういうことかと困惑した。予約が取れなかったとか、何か不都合でもあったのかと聞いても曖昧な返事しか返ってこなくてますます疑問が浮かぶ。とりあえず移動しようよと手を引くと、「本当にごめん、断れなくて……」という友人の弱々しい声になんだか嫌な予感がした。

「あ、やっと来た。もう揃ってるよ、早く!」

 店に着くとどこか見覚えのある顔が見え、その気合の入った服装とメイクで全てを察した。友人の気まずそうな顔の理由も、何故か久しぶりに会うはずの大学時代の同じサークルだった女子がこの場にいて当然のように私たちへ声を掛けたことも。

「…………あー、なるほどね」
「ほんっとごめん、今度何か奢る」
「ヒルトンのアフタヌーンティー」
「給料日前にキツ……いや、奢らせてください、ほんとごめん」

 恐らくこれは合コンで、友人は元同級生にせっつかれて人数合わせで私を誘ったのだろう。確か二人は同じ会社で働いていたはずだし。仕方ない、今日はとりあえず相槌を打ちながら大人しく食事を楽しむしかない。アフタヌーンティーの奢りも確定したことだし。申し訳なさそうにする友人の背を叩いて「もう良いからメソメソしない」と言うと、ようやく立ち直ってきたようでそっとため息を吐いた。あの女の子、ちょっと面倒くさい性格してたから断れなかったんだろうな。

「あれ、男性って二人なの?」
「今もう一人のやつ呼び出してるんだよね。一番イケメンだから期待してて良いよ」
「えー、本当ですか!」

 イケメンという言葉にテンションが目に見えて上がる様子に友人と苦笑いをこぼし、とりあえず乾杯して自己紹介でもと一人の男性が進行してくれた。どうやら男性達はスポーツ関係の仕事をしているようで、合コン主催の女の子とは商品の開発チームで一緒に仕事をしたらしい。へえ、とあんまり興味はないけれど相槌を打ちグラスを傾ける。一応合コンだし、可愛らしいものを頼むべきかなとカルーアミルクを頼んだけれど、やっぱり私はビールやハイボールの方が好きだな。

「悪りぃ遅れた!」
「お、待ってたぞ御影!」

 暫くすると急に個室の扉がガラリと開き、明るいトーンの声色が賑やかな空気に自然と入り込んだ。どこかで聞いたことのある声、と視線を向けると、どう見ても見覚えのある顔に口元へ運ぼうとしていた箸がピタリと止まる。サラサラのセンター分けの髪、周りの男性よりも少し高い背、シンプルだけど質が良い物だとわかる私服。──どこからどう見ても、御影玲王じゃん。

「……なあ、お前ら以外にもいるなんて聞いてないんだけど」
「ごめんって、でもお前女子がいるって聞いたら来ないだろ? せっかくだし楽しもうぜ」

 コイツサッカー選手でそこそこ有名なんだぜ、と得意げに紹介する男性達、優良物件な彼に明らかに目の色を変えた女の子、そしてプチ有名人の登場に驚きで目を見開いた友人。そして、どういうことだと困惑の表情を浮かべる御影玲王と、驚きで摘んでいたトマトが箸からぽろりとこぼれ落ちる私。こんな温度差が激しいことってある?

 彼の到着で盛り上がる他の人たちとは裏腹に、一番奥の席で私一人がだらだらと冷や汗をかいていた。私にとっての御影玲王は、サッカー選手でも、優良物件の男性でもない。高校の同級生で、今も繋がりのある友人の一人。つい先程までメッセージのやりとりをしていた程度には、付き合いの深い人物だった。

「とりあえず全員揃ったし、席替えしませんか?」

 主催の彼女の一声で席替えをする為に全員一度立ち、一瞬だけ目がばっちりと合う。スッと細められた瞳は、確実に「後で事情聞かせろよ」と語っていて、その美しいアメジストから逃れるように静かに目線を逸らした。
 別に彼氏でもないし、お互いに恋人がいないことも知ってる。だからやましい事は何一つないのに、どうしてか彼からの視線が痛い。男漁りに来たと思われるのも不本意だし、本当になんでたまたま被るかな。深いため息が出て、既に帰りたい気持ちを必死に抑えつける。もしかして、彼がさっき返信が出来なかったのは急いでここに向かっていたからだろうか。

「よろしくね」
「あ、はい。えっと、よろしくお願いします」

 隣に座った男性と軽く挨拶を交わしながら、現状を整理したくてタブレットのメニューを見るフリをして頭を必死に働かせる。
 私も玲王と同じ状況で来ただけなんだよと訴えようにも、あのハイスペック男と知り合いだと思われたらきっと角が立つ。主催の彼女は明らかに玲王狙いだし、後々の対応が確実に面倒くさい。ここは知らぬ存ぜぬを突き通し、後で事情を説明する方が得策だ。
 絶対余計なことは言うなよという意味を込め、玲王の方をちらりと見てにこりと笑顔で牽制を飛ばし、グラスをぐっと傾ける。飲み放題の残り時間は後一時間程度、どうか何も起こりませんように。



 最初は私と同じく合コンと知らないでこの場に来た玲王も、今では笑顔で談笑する程度には楽しんでいるようだった。まあ多分、半分ぐらい作り笑いではあるんだろうけど。

「えー、御影さん凄い人なんですね!」
「いや全然、俺よりも凄い奴はいっぱいいるんで」
「そうなんですね、でも私、運動神経良い人って憧れます。凄く素敵」

 語尾にハートマークが付いてそうな彼女に凄いなと思わず感心し、タッチパネルから追加のお酒と食事を注文する。普段あまり飲まないカクテルばかり飲んでいるからか、少しだけほろ酔いになってきて気分も良くなってきた。
 甘いお酒もたまには良いなとファジーネーブルに口を付け、隣の男性の、……名前なんだっけ、確か……山田さん。山田さんの話に相槌を打ち、お酒を飲むを繰り返していると、全体の話題として好みのタイプは何かという話がいつの間にか始まっていた。

「御影さんはどんな女性がタイプですか?」
「タイプ? あー、……大人っぽい人、とか」
「あー、お前そんな感じするわ」
「……けど、最近はちょっと違うタイプが好きなんだよな」
「え、例えばどんな例があったんですか? 知りたいな」

 玲王の好み、まあ多分清楚系かなと某アイドルグループ系の女の子を思い浮かべていると、またじとりとした視線が注がれた。視線一つで女の子は察することもできるんだから本当に勘弁して欲しい。気が付かないふりをするのも結構キツいんだけど。あまりこっちを見るなという意味を込めてまたニコリと笑みを貼り付けると、玲王は口角をゆるりと上げて今までよりもずっと甘い声で話し出した。

「少し意地っ張りで、私生活は割とだらし無くて、面倒くさがりな面もある。……けど、誰よりも笑顔が可愛くて、俺のことが絶対好きなのに気が付いてなくて、普段はビールばっかり飲んでるのに、今日は可愛こぶってカクテル飲むようなやつ」

 今まで和気藹々としていた個室内が、合コンではあり得ないほどの静寂に包まれた。
 飲酒したことにより少し上気した頬、とろんとした恋する乙女のような瞳。そして、明らかに誰かを名指ししたその話。どう見たって彼は、好きな人の話をしている事が明らかだった。そして、その視線の先にいるのは紛れもなく私だけで。

「え、っと、……御影、さん?」
「…………すみません、私、お手洗い行ってきますね」
「え、ちょっと!」
「ごめん、後で説明するから」

 困惑したような、少し苛ついたような声色を出す女の子の声に、これはまずいと感じてガタリと椅子を鳴らす。とりあえず、今すぐにこの席から離れたい。ずっと刺さっていた視線の意味も、玲王が何を言ってるかも、酔いがまわり始めた脳みそでは深く考えられなくて。
 とりあえずこの場から抜けるというその一心で席を立ち、引き留める友人に謝ってから鞄を持って個室を出ようとしたその時、背後から伸ばされた腕にぐっと引き寄せられた。何が起きたのかと呆けていると、嗅ぎ慣れた爽やかな柑橘の香りがふわりと漂ってひゅっと喉が鳴る。

「悪りぃ、超どタイプな子見つけたからお持ち帰りさせてもらうわ」
「…………え、っと、御影、さん?」
「なんだよ名前、随分と他人行儀じゃん。あ、俺とコイツの分これで払っといて。余りはそのまま会計に使って良いから」

 そう言って諭吉を三枚程高そうな財布から抜き出すと、「じゃあまたな」と私の肩を抱いたままいつの間にかコートを着た玲王が私ごと店の外へと歩き出す。背後から聞こえる静止の声も、私の「え、な、何してんの?」という声も全て無視。スタスタと長い足は全く止まることはなく、店を出るとそのまま駅の方面へと向かい始めた。

「……あの、御影さん」
「呼び方、もう良いだろそれ」
「…………玲王、ねえ、そろそろ離してよ」
「絶対離さねえ」

 店から随分と距離も空き、そろそろ離してと伝えると力がさっきよりも強まる。腕や胸元を押して抵抗してもびくともしない。どことなく怒っているような気がする。でも私だって急に連れ出されたこととか、なんであんな言い方したのとか、焦りや怒りの気持ちでいっぱいで。けれどそれよりも、一番は先程の玲王の発言の真意が分からなくて。何から言えば良いのかと口を開いては閉じてを繰り返していた。

 多分、おそらく。玲王はあの場から早く抜け出したくて、その口実に私を使った。私なら勘違いしないし、抜けた後はすぐ解散もできるし飲み直しても良い。だからきっと、あの言葉に恋情なんてない。そう頭ではわかっているのに、それしかあり得ないのに。先程の声色と表情に、少しだけ期待してしまっている私がいるのも否定できなかった。

「……玲王、もう離して」
「ダメ」
「……なんで、…………駄目なのに、勘違いしちゃいそうになるじゃん」

 アルコールのせいかゆるんだ涙腺に、飲食街のネオンがちかちかと眩しい。目元を擦ろうと手を動かすと、肩を抱いていた玲王の手がそれを阻止した。そのまま手のひらが触れ合って、指がきゅっと絡み合う。隣をゆっくりと見上げると、玲王は優しく微笑んだ。

「勘違い、してくれねぇの?」

 穏やかに凪いだ瞳が、私だけを映し出す。まっすぐな熱い視線が、目を逸らすことすら許してくれない。
 多分、ずっと。ずっと前から、玲王のことが好きだった。友人の距離感から抜け出せなくて、今の関係性を崩したくなくて。心の奥底の方に閉じ込めていた感情が確かにあった。私ですら見失いそうになっていた恋心を、玲王は今、丁寧に掬い上げようとしてくれている。あとは私が、その一歩を踏み出すだけ。

「……勘違い、したい。私、玲王のことが好きだから」
「知ってる、……やっと言ってくれたな」

 俺も好き、という囁きのような声が耳を擽り、繋がれたままの手が引かれて静かに唇が重なる。まるで自分のものだと主張するかのように強く抱きしめられた腕の中は、きっと私が一番焦がれた場所だった。

20230312


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