友愛にピリオドを打つ為に



「おい名前、説明しろ」
「いや、あの……」
「説明」
「…………ハイ……」

 玄関のドアを開けると、そこには日本の至宝が立っていました。なんてレアな経験、多分冴の家族と私ぐらいしか経験したことないんじゃないだろうか。しかも今回は何故か随分とお怒りの様子で、一言「入るぞ」と告げて遠慮もなく家に入る冴に、私はただ肯定の返事を返すしかなかった。

「……お前、酒臭ぇな」
「あー、その、昨日ヤケ酒しちゃったというか」
「バカだろ」
「おっしゃるとおりです……」

 手土産だと渡されたケーキの箱をあけ、電気ポッドでお湯を沸かして少し良いお値段の紅茶の茶葉を用意する。さっき珈琲は飲んだし、ケーキには紅茶を合わせる方が好みだ。
 冴はいつも家にくる時、どこか外で会う時、空港に迎えに行く時など、私に土産だと言って何か物を渡してくれる。それは可愛らしいお菓子だったり、スペインのちょっと変わった置き物だったり、カトラリーなどの日用品だったりと様々だ。最初のうちは遠慮していたけど、「お前がいらねぇなら捨てる」なんて真顔で言うのだから、今では遠慮なく貰うことにしている。
 家の中に入り少し苛立ちも落ち着いたのか、冴はサングラスと上着を椅子に掛けると我が物顔で私の部屋のクッションを背にして床に座った。潰されたシロクマのクッションの顔がぐにゃりと伸びてなんだか可哀想なことになっている。

「冴、どっちにする?」
「どっちでもいい、お前が先に選べ」
「え、どうしよう……チョコも苺も美味しそうなんだよね……」

 冴が今日買ってきてくれたのは二種類のケーキ。ツヤツヤのチョコレートでコーティングされたオペラも、ピスタチオがアクセントになっている苺のタルトも、どちらも美味しそうでとても悩ましい。
 口を尖らせてながら悩んでいると、スマホに目を向けていた冴が急に立ち上がりキッチンの方へと向かう。何か欲しいものでもあったかなと見守っていると、カトラリーの中からナイフを取り出してこちらへと戻ってきた。なるほど、その手があったか。

「……冴って、結構私に甘いよね」
「そうかもな」

 半分に切られたケーキを互いの皿に乗せて欲張りセットにしてくれた冴に冗談でそう言うと、珍しく肯定の返事が返ってきて思わず目を丸くした。当の本人は相変わらずしれっとした顔でタルトにフォークを刺している。聞き間違いや気のせいかと思ったけれど、紅茶を一口飲んで「俺がこんなに構ってる奴、お前ぐらいだしな」と続けるのだから、私はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
 
「……珍しい、明日雪でも降るの?」
「もう春だろ」
「正論すぎて痛い。優しいのか冷たいのかどっちなのよ」

 結局は彼の気まぐれなのだろうと結論付け、ため息を一つ吐いてフォークをオペラに突き刺す。とろりとしたチョコレートが舌の上で蕩けて、くどすぎない甘さに自然と口角があがる。美味しいと口にすると、冴はわかりにくいけれど少しだけ嬉しそうに目を細めた。

「で、結局あれはどういうことだ」
「あー、……えっと、それって昨日の玲王のインタビューのこと、……であってる?」
「それ以外に何があんだよ」
「ですよねー……」

 ケーキの美味しさで誤魔化されてくれないかな、と思ったけれどやっぱり無理なようで、元々冴が家へ来たであろう原因の話に強制的に戻された。じとりとした目線に渋々と口を開き、事の顛末を話し出す。私は本当に何も知らなかったこと、玲王は彼女とは言っていないがワザとあんな言い方をしていたのだということ、私と玲王は付き合っていないということ。そして、

「……それでその、……今朝、急に玲王に告白されたっていう……そんな感じです」
「………………へえ」
「……あの、冴さん……顔が怖いです……」

 話をしていくうちに段々と表情が険しくなっていく冴と、だらだらと冷や汗をかいて顔色が悪くなっていく私。いや、私何もしてないんですけど。というかメッセージの時から思ってたけど、冴はなんでこんなに怒ってるの。
 そのワケが全然思いつかなくって、けれど多分心配してくれているんだろうなという事だけはわかった。というか、学生の頃に一度話したかどうかぐらいの従兄弟の存在をよく覚えていたな。当の本人である私でさえも話したことを忘れてたぐらいだし。

「……お前は、」
「は、はいっ」
「御影のことが好きなのか?」
「え? い、いや、玲王のことは幼馴染としてしか見たことなくて」

 少しの静寂の後、急に問われた質問につっかえながらも返答する。そもそも冴の口から「好き」という単語が出てくるなんて思わなくて、その意外性に目を瞬かせた。
 昔からサッカーしか見えてない、恋愛なんて微塵も興味がない。それなのに女の子にはとてもモテた冴は、当時ほぼ学校に来ていなかったのに冴の靴箱や机の引き出し、ロッカーにはラブレターや差し入れが溢れんばかりの日もあったぐらいだ。同級生の男の子たちはきっと涙していたことだろう。
 そんな昔のことに思いを馳せていると、長い睫毛に縁取られた美しい緑色が私を見つめた。

「でも、告白されて意識し始めた。……違うか?」
「え、……な、なんでわかるの……?」
「お前、チョロいからな」
「ちょ、チョロくないし!……多分」

 勢いで否定はしたけれど、先程までの心の揺れようを見抜かれたような気がして視線が泳ぐ。「チョロくはないけど、……でも私だって好意を向けられたら嬉しいし、……」と煮え切らない態度の私を見て、冴は深くため息を吐いた。

「やっぱりチョロいじゃねえか。簡単に尻尾振りやがって」
「振ってないし、私どっちかと言うと猫派だし」
「そういう話じゃねえんだよ」

 呆れたようにもう一度ため息を吐くと、「……で、お前これからどうすんだ」という問いが投げかけられ、どうするとは? と首を傾げる。冴曰く、私の友人ですら勘付くような言い方をされたのだから、スクープやゴシップが大好きな日本の報道陣は私の元へそのうち辿り着く。そうなると、どういうことになるのか。

「……身バレして、周りにも好奇の目で見られるし、今の生活が崩れる、……とか?」
「だろうな。最悪職場にも押しかける奴はいるし、自宅にだって張り込まれる。世間は御影の想い人がどんな奴なのか、知りたくて仕方ないだろうよ」

 玲王の想いを知って、先程まで少しでも浮かれていた自分から一気に現実を直視させられた気がした。冴の言うことは正しくて、きっとそれは玲王と結ばれるのなら気にせずに過ごせばいいだけ。けれど、私が玲王を選ばなかったとしたら、それは世間からただ好奇の目に晒されるという恐怖を味わうだけだ。

「……勝手に暴かれて、勝手に失望されたりするのかな」
「そうかもな」
「そっか……、それで冴は、心配してくれたんだね」

 時計の針が進む音がカチカチと小さく響く。二人して黙り込んでしまった室内に、どこか気まずい空気が流れた。
 冴はそんなに口数が多くない。けれど話せば応えてくれるし、話すことが嫌いなわけでもない。だからこそ、二人でもいても気が楽な友人だった。けれど今回はどうしてかその歯車が噛み合わないようで、どこかいつもと違う冴の様子にケーキを食べることで違和感を飲みこんだ。

「……俺が、お前を攫ってやろうか」
「…………え?」

 冴の突拍子もない発言に、手から離れたフォークがぽろりと机から転がり落ちる。カチャンと音を立てて床に落ちたそれを見つめながら、頭の中で今の言葉の意味を考えた。攫う、攫うって何を、……お前、私を?

「俺が相手なら誰も文句は言わねえだろ」
「ま、って。待って冴。攫うって、どういうこと?」
「俺が名前を連れてスペインに行く、そういう意味だ」

 冴が相手なら誰も文句を言わない、冴が私を連れてスペインに行く。
 言われた内容を、同じように繰り返して言葉に出す。それってなんか、友人の距離感にしてはどこかニュアンスがおかしい。流石に冗談だよね、と言いかけた口は、冴の表情を見て開くことなくそのまま唇を軽く噛む。だって冴の顔、どう見ても冗談じゃなくて本気だった。

「それ、は、……とても素敵なプランだけど、私そんなに稼いでもないし、それに冴だって恋人とかいるでしょ?」
「生憎、誰かさんのせいで恋人はここ数年いない」
「……あの、冴さん。その、……誰かさんって?」

 刺々しい言い方に少し嫌な予感がして、恐る恐る“誰かさん”について問いかける。すると冴は黙ったまま、細く長いけれど、かすり傷や豆など努力の証が見える骨張った指が私の頬にするりと絡んだ。頬にかかる髪が耳へとかけられ、その動きがくすぐったくて身を捩るとエメラルドがきゅっと細められる。そして息をひとつ吐いて、真っ直ぐと私を見つめながら口を開いた。

「お前」
「……お前、って…………私?」

 当たり前だと言うように首を上下に振る冴に、私の存在は冴の中で優先順位が高いものだったのだと改めて実感する。今までそんなそぶりもなかったのに。だって、こんなにも私に対しての気持ちを言葉に出されたのも、冴から私に触れてきたのも、全部が初めてのことだった。

「互いにメリットしかない。何か問題あるか?」
「いや、えっと、……でもほら、私と冴は友達だし、友人とはいえ男女が一緒に住むのはちょっと……ね?」
「……友達、か」

 どこか寂しさを含んだような呟きに首を傾げていると、触れたままの頬から後頭部に手がまわされ、そのまま美しい瞳との距離が数センチの距離まで近づいた。冴の長い睫毛が触れそうなほどの距離にドッと心音が煩くなり、頭の中で警鐘が鳴り響く。
 すぐそばで薄く開きかけた唇を見て、はやる心臓とは裏腹に、どこか冷静に今の状況を把握している私がいた。先程冴が言った通り、私はおそらくチョロい人間だ。好意を向けられたら嬉しくて好きになるし、敵意を向けられたらすぐにその人を苦手になってしまう。だからこそ、彼が次に言おうとしている言葉を聞いてしまったらもう、元の二人には戻れない気がした。

「冴、ねえ冴、待って……」

 私の静止の声も、ぐっと胸元を押す力も、全てが 今の彼の前では無力だ。回された手に力が入り、鼻先同士が触れあう。熱を帯びた瞳は、私を離してくれる気なんて一切無かった。

「俺はずっと、一人の女として見てたけど」

20230308


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