隠しきれていると思っていたのは彼女だけ



 同じクラスの御影玲王くんは、まるで少女漫画に出てくる王子様のようにキラキラとしている。容姿端麗、成績優秀、才色兼備、この世の全ての賛辞が彼にはとてもよく似合う。おまけに実家はお金持ちで、男女問わず友好的。あまりにも完璧すぎる存在に、私の中ではプチ芸能人枠の人物だ。

 そんな御影くんのことが、今までとは違う意味で気になり始めたのはつい最近のこと。ある意味有名な別クラスの万年寝太郎こと凪くんとサッカーを始めてからだ。
 サッカーを始めた御影くんは、何より一番にサッカーと凪くんを優先した。今まで定期的に行われていた様子の勉強会も、放課後数人でカフェテラスで少し難しい話題で盛り上がることも、全部器用にこなしてはいるけど以前よりもグンとその時間は減っているようだった。
 私はその集まりに入ったことはないし、御影くんと話したことも両手で数える程度だろう。関わりだってそんなに深くない、ただのクラスメイト。けれど、初めて好きなものを見つけたようは、宝物を手にして喜ぶ子供のような笑顔を偶然見てしまったその瞬間、いとも簡単にすとんと恋に落ちてしまったのだ。

「御影くん、今日もかっこいい……」
「はいはい、今日もう何度目よ」
「六回目」
「まだ朝なんですけど」

 それからは授業中にバレない程度に後ろから見つめたり、部活中のグラウンドを教室から眺めて目に焼き付けたり、ひそかに憧れに近い恋心を抱きながら私なりにこの恋を楽しんでいた。きっと、これはアイドルに恋をするような感覚に近かったのだと思う。好きだけれどそばにいたいわけじゃなくて、叶うわけないけれど想うだけは許してほしい。そんな淡い気持ちに頬を緩ませていたのだ。──そう、その筈だったんだけれど。

「お、俺の席ここか。苗字、隣よろしくな」
「は、は、い……」
「なに、緊張してんの?」
「い、いいえ、あの、はい」
「はは、どっちだよそれ」

 高校生活でも重要なクラスのイベントといえばなんだろうか。そう、それは席替えである。私にとっては死活問題の席替えだ。友人の近くか、もしくは優しい人の近く、あとは後ろの方の席になりますようにと祈って握りしめた簡易な紙製のくじ。そっと開いて見えた数字は大当たりの一番後ろの特等席で、よっしゃとガッツポーズを思わず決める。けれど、移動した先の右側のお隣さん、それはまさかの御影玲王くんその人だったのだ。

「終わった、私もう右側一生見れない」
「いや大袈裟すぎでしょ、玲王くん結構フレンドリーだし大丈夫だって」
「無理……、だって推しが隣にいるって考えてみてよ。あのアイドルの……なんだっけ、韓国の。あの人が隣にいると思ってよ。それと同じだよ」
「いやめちゃくちゃ喜ぶけど?」
「感覚の違い……!!」

 一番廊下側が御影くん、その隣が私。私はもう後ろのドアから教室を出られないことを悟った。だってずっと遠くから見ていたのに、今まで隣どころか近くになったことだってなかったのに、急すぎる最前列での直視は本当に無理。ずっと御影くんのことしか考えられなくなってしまうじゃないか……!
 授業中、昼休み、放課後、そのどれもがずっと御影くんの隣。それだけで心臓はいつだってうるさくて、シャーペンを握る手に力が入り無駄に何本も芯をダメにしてしまった。今日の帰り文房具買いに行こうかな、と遠い目をしていると、くすりと控えめに笑う声が聞こえてきた。なんか、御影くんが楽しそうに笑ってる。
 思わずギギギと錆びた機械のような音が出そうな動きで右隣を横目で見てみると、綺麗なぱっちりとした目とかちりと視線が合う。吸い込まれそうなほど綺麗なその瞳に、思わず惚けたようにじっと見つめてしまった。きりりとした眉毛も、透明感あふれる肌も、すらりとした長い足も。全部が今、触れられそうな距離にあった。

「……おい、……おい、苗字、大丈夫か? 次当てられるぞ」
「………………ハッ、……ご、ごめん、ありがとう御影くん」
「ん、ほらそこ。87ページ」

 ぼんやりしてたけど大丈夫か? と心配そうな表情を浮かべる御影くんにハッと現実へと意識が戻り、慌てて目線を逸らす。初めてこんな距離で、まっすぐに彼を見た気がする。そしてこんな挙動不審な女にも優しい。御影くんは本当に出来た人だ。
 指差されたページは御影くんの言う通りすぐ私に順番が回ってきて、座った後にあらためて「あ、あの、ありがとう……」と消え入りそうな声で伝えると、「気にすんな、もし俺が困ってた時は苗字が助けてくれよ?」とニヤリと笑うからまた心臓が騒がしくなった。苦しい、尊い、好き。絶対このこと後で友達に話すと心に決め、集中して授業へと向き合った。



「ハァ……みかげくん……好き……」
「アンタ告白はしないの?」
「無理に決まってるじゃん、絶対笑われて終わりだよ」
「アンタの中の玲王くんどんな人なのよ」
「無意味に期待はさせないタイプの振り方をする人」
「あー、……ちょっと分かるかも」
「でしょ」

 席替えから数日、御影くんの隣になってようやく呼吸が少し楽に行えるようになってきた。最初の頃は緊張で本当に不審者極まりない女だったと思うので、御影くんにはお目汚しをしてしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。今の所の一番の変人ポイントは相互採点の時の署名欄を見て「エッ、字めちゃくちゃ綺麗……というか御影玲王って名前かっこよすぎ……?」という気持ちを精一杯我慢して唇を噛み締めていた時だと思う。あの後ちょっとだけ口の中に鉄の味がした。

「名前、今日私部活あるから先出るよ?」
「うん、がんばって」
「アンタ帰宅部なんだし、サッカー部のマネージャーとかやってみれば?」
「むり、近すぎて絶対仕事にならない」
「まあ、それもそうね」

 暗くならないうちに帰りなよ、と言いながら教室を出ていく友人に手を振り、ぺたりと机へと顔を伏せる。窓際から聞こえてくる部活動の音に耳をすませ、御影くんはサッカーやってる頃かなと彼のユニフォーム姿に想いを馳せた。かっこいい、凪くんとのコンビネーションが決まった時の嬉しそうな顔もとても可愛らしくて好き。

「あー、御影くん……かっこいいな……」
「へえ、どんなところが?」
「どんなとこって、……そりゃあいろいろあるけど、やっぱり一番は楽しそうにサッカーをしてるところかな」
「金持ちなとことか、顔とかじゃなくて?」
「無邪気にはしゃいでるところがちょっと可愛くて、シュートを決めたりストイックに練習している時の真剣な顔がかっこいいの」
「ふーん、そうなんだ」

 そうなの、どんな御影くんも素敵だけど、やっぱり一番は自分の好きなものと向き合ってる彼の素顔が好き。そこまで考えて、ふと、私今誰と話してるんだっけと疑問が浮かぶ。どんなところ、と聞かれてつい答えてしまったけれど、明らかにかけられた声は男性のもので先程まで一緒にいた友人の声でも、別のクラスの友人の声でもない。
 そして、随分と嬉しそうな返事の声色を思い返し、最近よく聴くようになった声と同じである気がしてサッと顔から熱が引いていく。待って、もしかして。もしかしなくても。

「……あの、もしかして、そこにおられるのは御影くんでしょうか……?」
「そうだけど?」
「アッ……………」

 終わった、終わりです。私の人生終わりました。最悪すぎる展開に先程までのほほんと惚気るように口を開いていた私の口を縫い付けてやりたくなった。どうしよう、伏せてる顔もう絶対あげられないんだけど。
 ぐるぐると言い訳や逃げ道を頭の中で探す私に、「とりあえず顔上げろよ」という声がかかり、ぐっと迫りくる自己嫌悪による吐き気を抑えつけるようにのろのろと顔を上げる。謝ろう、土下座でもなんでもして謝ろう。そして席を変えてもらおう。視力とか言い訳付けてでもそうする。そう決心して顔を上げ切ると、自分の席に座りこちらを見る御影くんが視界に入った。

「み、御影くん……」
「ん?」
「その、……ほ、本当にごめん、……気持ち悪いよね」
「え、なんで?」
「え、え? いやだって、こんな勝手に、かっこいいだのここが良いだの言われて、……その、キモくない?」
「全然、むしろ嬉しいけど」
「エッ」

 ゆるりと唇が弧を描き、滲み出る嬉しさを隠しきれないと言ったように声を弾ませる御影くんに、想像と180度違う表情に混乱が収まらない。どういうこと、嬉しいって何。なんでそんなに優しい顔をしてるの。

「そうやってずっとさ、頭の中全部俺のことでいっぱいにしてたらいいじゃん」

 頬杖をつき、悪戯っ子のような顔でそう言った御影くんに「へ……?」と気の抜けたような声が溢れた。どうして、どういうことなの、と言葉がぐるぐると頭の中を回っては消えていく。というか御影くんは、それってどういう意味で言ってるの。

「お前ってほんと、全部顔に出るよな」
「え、そ、そんなことは」
「ま、わかりやすくて俺は好きだけど」
「え、……え?」

 パニックになる私を面白そうに見つめ、ニッと花が咲くように笑う。それだけで単純な私の恋心は弾むように鼓動を早め、じわりと広がる甘い苦しさにぎゅっと指先を丸めた。

「俺、お前のことが好きなの。苗字もそうだろ?」

 ──その瞬間、確実に私の心臓は一度その動きをぴたりと止めていた。
 今、御影くん、私に向けて好きって言った? 好きってなんだっけ。好き、え、私のことを好き?
 驚きで空いたままの口が塞がらず、喉がからからに乾いていく。再び動き出した心臓は、御影くんに聞こえてしまいそうなほどうるさく鼓動を刻んでいた。

「はぇ…………? え、ゆ、夢? ドッキリ? え、何これ、どうしたらいいのこれ」
「だぁから、夢でもドッキリでもねえって」

 ガタンと御影くんが椅子から立ち上がる音に肩をびくつかせると、「小動物かよ」とクスリと笑うからその優しい笑みに惑わされてしまいそうになる。本当に、だってそんなこと、あり得ない。

「だからさ、苗字もちゃんと言ってよ。俺のこと好きだって」
「か、かお、ちか、……!」
「わざと近づけてんの」

 隣から私の前の席へと座り直すと、ぐっとこちらへと身を乗り出してくるから、その距離感にぶわりと頬が紅潮していく。綺麗なアメジストのような瞳も、サラサラでとても良い香りのする髪の毛も、きめの細やかな肌も、全部が間近に感じられて心臓が壊れてしまいそうなほどに煩い。

「ほら、早く」
「そ、そんなこと、言われても」
「…………なぁ、言って?」

 細いけれど骨張った男の子らしい指先が私の髪の毛を一房掬い、そのまま唇に寄せると可愛らしいリップ音が鳴り響いた。そんなキザな行動も、御影くんだからこそ似合ってしまうのだろう。ずるい、かっこいい、そんなの反則だ……!

「す、……っ」
「す?」
「す、…………すき……めっちゃ好きです……」
「……っはは、やっと言ってくれた」

 「よくできました」と言うと、御影くんは私の頭を髪が乱れない程度に撫でて満足げに頷いた。頭を撫でるのも上手いなんておかしい、神は御影くんに何物も与えすぎじゃないのか。
 現実とは思えない一連の流れに未だ動揺しながらもほてりの治らない頬に手の甲を当てて隠すように冷やしていると、ふいに影に覆われてそのまま視界が手のひらで隠された。そして、額に柔くて暖かい温もりがふにりと当たり「え、え!?」とまた言葉にならない単語未満の声が飛び出す。え、何今の。何が起きたの。
 見えないことで何が起こったのかわからないままハテナを浮かべる私の滑稽な姿を見て、御影くんのケラケラと楽しそうに笑う声が二人きりの教室に響く。暖かな手のひらが動いたことで光が差すと、少し眩しくて目を細めた。そして、紫の瞳と目がばっちりと合うと、わざとらしく唇の端をぺろりと舐める舌に先程の感触がフラッシュバックする。もしかしてさっきの柔らかいのは、御影くんの、

「ご褒美、なんてな?」
「………………むり…………供給過多…………」
「え? ……あ、おい! しっかりしろ!」

 オーバーヒートで茹ってしまった脳内に耐えきれず、くらりと視界が暗転する。両思いだなんて絶対にあり得ない、そう思って密かに想っていたことは実は本人にはバレバレで、そして御影くんから好きだと言われるなんて、どんな贅沢な夢なんだろうか。夢ならば醒めないで、と願いながら意識がぷつりと落ちていった。

 目が覚めたとき、花のような香りに包まれて「お、起きたか。おはよ、名前」と愛おしそうに私を見て微笑む御影くんを見て固まってしまうことも、膝枕をされていることに気がついて畏れ多くて体がガクガクと震えてしまうことも、リムジンに揺らられてそのまま放課後デートに連れ去られてしまうことも、幸せそうな顔をして夢見心地真っ只中な私はまだ知らない。

20230301


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