どうやら今日は、君の不戦勝



※原作150話あたり


「……おい、名前」
「はっ、は、はい」
「昨日お前、今日は片付けておくから! って言ってたよなぁ?」
「…………はい」
「何なんだよこの惨状は!」
「ご、ごめんなさい!!」

 俺の幼馴染は片付けという作業がとんでもないほど下手だ。それはもう、片付けた日の夜には既に何かが散らかっているぐらいには下手くそ。毎日のように「アンタ部屋の片付けしなさい!」と母親に怒られることを幼い頃から何度聞いたことだろう。
 それは高校生になった今でも変わることはなく、二週間の休暇で久しぶりに訪れた名前の部屋は今日も相変わらず物で溢れかえっていた。

「このぬいぐるみは?」
「……かわいくてたまに撫でてるので捨てたくない」
「……じゃあこのプリントは?」
「あっ、それ明日のテスト範囲のやつ……探してたありがとう……」
「これぐらいスマホで写真撮ったら捨てろ。この箱は?」
「それは可愛くて何か入れ物に使おうかなって取っておいたやつ……」
「絶対お前使わねぇ。処分な」
「え、……あ、こ、これ! これ入れておく! 最近買ったヘアオイル!」
「んなもんそのまま鏡の近く置いとけばいいだろ!」
「た、たしかに……」

 しゅん、と落ち込む姿に少し罰が悪い気持ちになりつつも、いやコイツの為なのだと口から出かけた「仕方ないな」と一言を飲み込む。いやそもそも物を捨てきれない名前が悪いのだから、俺は手伝いをしているだけのこと。断捨離には思い切りが必要だ。“捨てる”という行為自体が苦手で、いざという時に踏み切れない優柔不断な性格は昔からちっとも変わらなかった。

「……ハァ、せっかくの休日だってのに何やってんだか」
「ご、ごめんね玲王くん」
「ん、いーよ。もう慣れてるし」
「う、ご、ごめん」
「違うだろ? こういう時は何て言うんだ?」
「え、……あ! あ、ありがとう玲王くん……!」
「おう。ほら、早く片付けて出掛けるぞ」
「う、うん!」

 曇り空が吹き飛んで晴天になったかのような笑顔になった名前に、やっぱりなんだかんだ言って自分は彼女に甘いのだと改めて自覚した。
 普段の学業や素行は特に問題はなく、むしろ優等生である彼女の唯一といっていいほどの欠点を家族以外では俺だけが知っている。その事実は、幼い頃から大事に抱えてきた、腹の底からぐつぐつと湧き上がるような独占欲を少しだけ穏やかにしてくれた。──そう、今この瞬間までは。

「そういえばね、昨日凪くんと電話したら、凪くんも片付けが下手なんだって言っててね。実は恥ずかしくて内緒にしてるんだけど、私も苦手で今部屋すごいことになってるんだって話になったの」
「……は?」
「この前も玲王くんに怒られちゃったんだ、秘密だよって話したら、俺も怒られたことあるんだって言って。私達ちょっと似てるね、なんて話を、……玲王くん?」

 机の上に重なった書類を分別する手が止まり、名前の言った言葉が頭の中でリフレインする。内緒、秘密。そんな話をいつ、凪としていたんだろう。
 今まで、名前とそんな話ができるやつなんていなかった。悪い虫は名前が気がつく前に追い払ったし、女友達だって少しでも不穏なことを言う奴は近づけないようにした。日常的に名前が一緒にいる友人は、しっかりと下調べも済んでいる問題のない奴らばかりだ。たまに情報提供だってしてくれる。大手企業の一人娘な名前は、学校生活では完璧なご令嬢としての姿を見せている。本人もそのように心がけて生活している。だからこそ、そんな話を誰かにするわけなんてない。そう、思っていた。
 ──なのに、それなのに。よりによって、なんで凪に話したんだよ。俺だけしか知らないはずだったのに。どうして。
 抑え込んだはずの独占欲がじわりと湧き上がる。こいつだけは、名前だけは誰にも渡したくない。宝物にだって渡せない、俺だけのかわいいかわいい女の子なんだ。

「……れ、れお、くん? どうしたの?」
「…………お前も、俺を捨てるのか?」
「え、どういう、……ひゃっ」

 細くたおやかな腕を掴み、壁際へと強く押し付ける。俺の突然の行動にびくりと震える体は、俺の体躯で覆い被さってしまえるほどに小さくて庇護欲が擽られる。どうやら様子がおかしいとでも思ったのか、俺のことを心配しながらも抜け出そうともがく姿を見て心臓が音を早まっていく。……こうやって閉じ込めておけば、俺だけを見てくれるんじゃないか、そんな気がして。

「なぁ、名前」
「れ、れおくん、どうしたの?」
「お前だけは、俺のことを、」
「え!? えっと、玲王くん、その、……お、お腹とか腕とか、どこか痛いの!?」
「……は?」
「だ、だって、」

 俺が苦しそうな表情を浮かべているから、と瞳を揺らし上目遣いでこちらを見上げる。
 ──そうだ、昔からこいつはずっとそうだった。どれだけ俺から叱られたって、機嫌が悪くてそっぽ向かれたって、結局は俺のことを一番心配してくれて、一番近くに居てくれた。さまざまな与えられたものに飽きてしまった時も、つまらない日常にこんなもんかと諦めそうになった時も、俺がサッカーを始めた時も、ずっと。
 そんな名前が俺から離れるなんて、おそらく俺も名前も想像したことなんてない。隣にいるのがずっと、当たり前だったから。

「…………ふ、ハハッ! お前は本当、こういうとこだけは馬鹿だよな」
「え、え?」

 見当違いの答えを出す名前の困惑ぶりを見て、少しだけ思考が冷めていく。「……わりぃ、ちょっと冷静じゃなかった」と言って握りしめていた手をそっと離した。
 少し赤くなってしまった細っこい腕に、どれだけ力を入れてしまっていたのだと自省する。そして、絶対に痛かったはずなのに何も言わずに俺のことを心配してくれた名前のことを思うと、心臓がぎゅうと痛いぐらいに締め付けられた。

「……名前ごめんな、痛かっただろ」
「え? あ、ああ! 全然大丈夫だよ」
「でも、」
「大丈夫、本当だよ。玲王くんなら酷いことしないって信じてるから」

 これは私の肌が白いから目立っちゃってるだけ! あ、う、運動はちゃんとしてるよ!? さ、散歩を週に二回、……いや一回ぐらいだけど。
 目を泳がせながらそう言う名前に、いつの間にか肩に入っていた力がゆっくりと抜けていく。
 俺は、ずっと勘違いをしていた。名前には俺がいなきゃダメだと小さい頃からずっと思い込んでいた。けれど、それは逆だ。俺が、名前がいないとダメだったんだ。

「……なあ、名前、」
「なあに? 玲王くん
「俺さ、名前のことが、」
「うん、……っあ! 待って!」
「え?」
「あ、あああ! だめ!」

 ──幼馴染はもう、卒業しよう。あまりにも幼馴染として重ねすぎてしまった年月に区切りをつけ、男女としての一歩を踏み出したい。
 そう続けようとした言葉は名前の口から溢れ出す悲鳴に遮られ、その直後、クローゼットからズザザッという音と共に収納されていたはずの物が雪崩れのように溢れかえった。どう見ても詰め込みすぎて溢れてしまったその荷物たちを見て、自然と低い声が喉から震え出す。

「……おい、名前」
「あ、……え、ええと」
「……片付いてないとはいえ、前よりはマシだなって思っていたんだが、」
「ひ、れ、れおくん、かお、こわ」
「説明、してもらえるか?」

 この時に浮かべた笑顔は、ここ数年で一番の良い笑顔だったと思う。

「うう、……絶対バレないと思ってたのに……」
「お前、少しは反省しろよ……」

 ぐすぐすと泣きながら片付ける名前と、小言を言いつつもしっかりと手伝ってしまう俺。結局、こいつのせいでいつものペースに元通り。どうしてこうも上手くいかないのかとため息を吐く。けれど、こちらを申し訳なさそうに、まるで犬の耳がぺしょんと垂れたように見てくるこいつのことが愛おしくてたまらないのだから、俺は今日もまた「仕方ないな」の言葉を吐き出した。
 せっかく久しぶりに会えたのだからと出かけようと約束していたはずの人気のカフェも、俺達の関係が進展するのも、どうやら明日以降に持ち越しになりそうだ。

20230220


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