微熱に侵されていく



 すっっっごく疲れた、すぐにシャワーを浴びてベッドにダイブしてやる。そう思いながら支部への帰路を若干ふらつきながらゆったりと、いや気持ち早めに歩く。深夜帯まで差し掛かるシフトの防衛任務は結構しんどいもので、それは大学生ともなると以前よりも随分と増えてきた。疲れ切った体を伸ばすと、若干の疲労は見えるものの筋肉痛にはならないこの体の便利さに改めてありがたく思う。「最近少し運動不足じゃないのか?」なんてニヤニヤとしながらこっちを見る迅のことは無視無視。まずは部屋に戻って部屋着を取り、お風呂場へ駆け込んでその後はあったかいお茶を飲む。そして寝る。よし、完璧なプランだ。

「……なあ名前、戻ったらすぐ風呂に行くつもりだろ?」
「当たり前じゃん、迅だって汗をかいてないとはいえ早く入りたいでしょ?」
「まあそれはそうだけど、……あー、なんというか、持っていく部屋着は長袖をオススメしとく」
「長袖? まあ、多分そうするとは思うけど、どうしてよ」
「ほら、半袖着てると冷えて風邪ひいちゃうかもしれないだろ? そういう未来がちらっと見えたんだ」
「なるほどね、忠告ありがと」

 じゃ、おやすみなさい。支部にようやく辿り着き、迅に別れを告げて足早に部屋への階段を駆け上がる。お風呂用にまとめているセットを抱え、タオルを数枚と、引き出しを開けて一番近くにあった部屋着を取り出していざお風呂へ。蛇口をひねると降りかかる温かい水温にようやく落ち着いたような深いため息が出た。お風呂はやはり良い文化だ。今度小南達を誘って温泉でも行こうかな。
 そしてふと、湯船に浸かりながら思い返した。わたし、部屋着どんなやつか見ずに持ってきちゃったな。迅がああ言ってたことだし、もし半袖を持ってきていたら風邪を引いてしまうかもしれない。とりあえず充分に温まって、もし半袖の服だったら急いで部屋へ戻って布団に入れば良いかな。

「あー……やっぱり」

 湯船から上がりタオルで水分を取り、部屋着を広げてみるとやはり半袖だった。辛うじて上の服は長袖だが、下は結構な短さの半ズボンだ。仕方ない、急いで部屋に戻る方向で。そう決めて湯冷めしないようにさっと服を身につけ、濡れた髪から水滴がこぼれないよう肩にタオルをかける。そういえばこの上のスウェット、裾がすごく長いんだった。まるでワンピースのようになっているそれは、半ズボンがちらりと見える程度の長さ。その分暖かいから、むしろこれで正解だったかも。さっの荷物をまとめてドアをガチャリと開けると、

「うわっ、」
「わ、っ、……京介?」
「びっくりした、名前さんでしたか」
「ごめん勢いよく開けちゃった! 怪我とかしてない?」
「俺は大丈夫です、寧ろ驚かせてすみません」

 ちょうど目の前の廊下を通りかかったのか、京介が目を小さく見開いてこちらを見ていた。こんな時間だし、たまたま目が覚めて降りてきたというところだろうか。「今帰りですか? お疲れ様です」という言葉に感謝を返すと、暖かいお茶でも飲みませんかとちょうど良いお誘いが。元々その予定だったし、お茶をもらって部屋に戻ることにしよう。

「どのお茶がいいです? たしかこの前レイジさんが買い足してていろいろ増えてましたよ」
「えー迷うなぁ、京介はどれか飲んだ?」
「俺はプーアール茶ってやつが美味かったです」
「じゃあそれにしよっかな」

 キッチンに着くと「髪でも乾かしてて待っててください」と手際よく椅子へと連れられ、私の手には新しいタオルとドライヤー。弟達が多いからか、京介はとても世話焼きだ。年上の私にも随分と甘い。まあ疲れているしありがたくお言葉に甘えよう。キッチンの上部にある灯りだけがぼんやりと暗いリビングスペースを照らし、私が動かすドライヤーの音と、ポットのお湯が沸く音、小さく茶器のぶつかる音のみが聞こえる穏やかな夜。乾いた髪からじわりと温まる首元とお気に入りのシャンプーの香りでだんだんと眠気が襲ってくる。

「名前さん、ここで寝たら風邪ひきますよ」
「ん、ごめん……ふわぁ」
「ほらお茶ですよ、熱いので気をつけて」
「ありがと京介」

 マグカップからほわりと立ち昇る湯気と、陶器越しに伝わる熱が少しずつ温もりを伝えてくる。口を付けてちびちびと飲むと、少しクセはあるけども甘い後味にほうっと自然にため息が出た。おいしい、ぽつりと呟くと京介が嬉しそうに僅かに口角を上げた。

「そういえば、その格好寒いんじゃないですか」
「あー、そういえばそうだった。でもお風呂上がったばかりだし、お茶もあったかいから大丈夫だよ」
「けど、だいぶ短いですよね、それ」

 とりまるの指が指す先、太ももあたりに目線を落とすと、確かに上のスウェットが長めとはいえ随分と短いズボンが目に入る。座ると尚更短く見えるのは、まあ気のせいではないだろう。この後すぐ寝るから大丈夫だと返すと、少し無言になった後に京介は着ていたジャージの上着を脱いで私の足元にふわりと掛けた。

「いいよ京介、それだと京介のほうが寒くなっちゃう」
「俺は男だから大丈夫です、名前さんのほうが風邪引きやすそうですし」
「そんなにひ弱じゃないけどなぁ」
「それに、」

 若干動いたことによりずれたジャージの裾を、すらりとした長い指が私の足元を綺麗に覆うように引っ張る。指先が僅かに太ももに触れ、そのひんやりとした冷たさにびくりと身体が震えた。ふ、と小さく笑う声が聞こえたかと思うと、穏やかな低音が鼓膜を揺らす。

「……俺も男なんで、あまり無防備だと困ります。特に、それが慕う人なら尚更」

 え、いま、なんて。と、言いたいのに言葉が喉につっかえ、ぎぎぎ、と音が出そうなぐらいゆっくりと京介の方を見る。ぱちりと目線の合った瞳は、やさしくも熱を帯びていた。そして、少しだけ名残惜しそうに微笑むと、おやすみなさい、暖かくして寝てくださいね、と言い残し、まだ飲み掛けのカップを片手に扉の向こうへと消えていった。仄暗いリビングスペースには、まだぬくいお茶の入った可愛らしいピンクのマグカップと、彼の体温がじわりと伝わるジャージ、そして、口が開いたまま状況が飲み込めない私だけが取り残されている。

20220221


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