すべてはきみの思うまま



 あ、そういえば今日日直だ。登校途中の信号待ちでスマホをいじっていると、ふとそのことを思い出した。月に一度まわってくるかどうかのそれは割と忘れがちで、座席順で右端の方から回ってくる。先日席替えをしたばかりだから、今回は隣の水上くんとペアだったはず。面倒そうな一日に重いため息がひとつこぼれた。まだ人気の少ない時間帯、少し空気が澄んでいる気がして早朝の登校はわりと嫌いじゃない。

「苗字さんおはようさん、今日よろしゅうな」
「え、お、おはよう、水上くん」

 上履きの踵部分を調整しながら教室のドアを片手で開くと、まさかもう来ている人がいるとは思わなくて教室に入ると同時にかけられた声に驚いて少し声が上擦る。謎に緊張してしまい、鞄を置く音もやけに大きく鳴ってしまった。

「水上くん今日早いね、何かあったの?」
「いや、たまたま早う目ぇ覚めただけや」
「そっか」

 スマホをいじりながら答える水上くんと、教科書やノートを引き出しに入れながらぽつぽつと話しかける私。今の席になるまであまり話したことはなかったけれど、どうやら水上くんは割とお喋り好きらしい。昨日のテレビの話とか、好きな音楽とか、今日の小テストの話とか。弾むまではなくとも、途切れることなく会話はテンポよく続いていく。そして日直の話題になった時、そういえばと思い出して思わず水上くんの方を見ると、ぱちりと目があった。

「もしかして、苗字さんも今思い出したん?」
「うん、思い出した。日誌、職員室に取りに行かなきゃだよね」
「なんや、タイミングばっちりやんか」
「ふふ、ほんとだね」

 お互いに顔を見合わせて、そしてくすりと笑いがこぼれた。ガタガタと鳴る椅子をひき、ふたり並んで廊下を歩き出す。想像していたよりも高い身長に少しびっくりして、思わず「身長いくつ?」と聞くと「178センチ」と即座に回答が返ってきた。178、すごい、未知の世界じゃん。思わず羨望のため息が出る。前から数えたほうが早い私からすると羨ましい限り。

「いいなあ、身長高い人本当に羨ましい」
「苗字さんはそれぐらいがかわええで」
「え、バカにされた……?」
「いや、本心やけど」

 無機質な返答と同時に、少し乱雑に頭の上をぐしゃりと手のひらが覆う。絶対バカにしてるでしょ、と言い返そうと手をどけながら見上げると、ぴたりと抵抗する手が止まった。さっき顔を見合わせて笑った時よりもやわい笑み。普段のポーカーフェイスや村上くんたちと賑やかに話している時とも違う、今まで見たことのないその表情にどくりと心臓が音を立てた。

「どないした? 顔、真っ赤やけど」
「な、な、んでもない」

 水上くんって、こんなに優しく笑うんだ。それと同時に、どうして自分に向けてそんな顔をしたいるのかと疑問が浮かぶ。そしてその答えなんて、一つしか思い浮かばなくてぎゅっと無意識に手のひらを丸める。

「も、しかしてだけどさ」
「ん? なんや?」
「水上くんって、私のこと意外と、その、……く、クラスメイトとして! 結構好ましいと思ってくれてるのかなぁって、ふと、思いまして……」

 最後の方はもう消えそうなぐらい小さな声になっていた。自分からこんなこと聞くことなんて滅多にない、というか初めてだし。ほぼ確信があったからと言って本人からそうだと聞くまでは確実ではない。どうしよう、自意識過剰とか思われたかも。今日ほど朝早くに来たことを後悔したことはないという程に、沈黙の落ちた廊下は静けさしかなかった。

「え、っと、はは、なんちゃって」
「なんや、やっと気付いたんか」
「……え、」
「まあクラスメイトとしてじゃないけどな。苗字さんだけ、特別扱いしとるんやで」

 特別扱い、という言葉と、いたずらが成功したかのような笑み。曰く、彼がわざと日誌のことを忘れていたことも、今日を狙って早く登校したことも。全部全部、最初から彼の手のひらの上だったのだ。

「まあ、今日から覚悟しときや」
「ひ、お、お手柔らかに……!」
「さぁ、どうやろか」

 ニッと口角をあげたその顔に少しときめいてしまっていることも、今更二人きりの空間に緊張していることも、きっと彼の策略にハマっているから。また早くなった心臓のあたりをぐっと抑え、半歩ほど先を歩く水上くんを慌てて追いかける。空いた窓から吹き抜ける冷たい風が、ほてった頬にはちょうど良かった。

20221128


- ナノ -