角砂糖3つ、ミルクは多め。

「おや、奇遇だね」
「あ、こんにちは夏さん。この香りは……珈琲ですか?」
「正解、氷室さんも飲むかい?」
「良いんですか? 是非お願いしたいです!」

 目覚ましも付けずにゆったりと起きた休日。遅めの朝食を取ろうかと共有スペースに向かうと、そこにはすでに先客がいた。先日任務を共にしたひとつ学年が上の先輩、夏油傑さん。夏さん、という呼び名で呼ぶきっかけは、可愛いからだと本人には伝えたが、本当は最初に"げとう"と読めなかったのが原因だ。本人には絶対に秘密だけど。あれから見かける事はあっても話す事は無く、久しぶりの再会というやつだった。私服姿の夏さんは勿論初めて見るけれど、ゆるいスウェットでも着こなしてしまうのだからイケメンってやつは凄い。

 芳ばしい香りが漂い、お湯が少しずつ注がれる音が心地よく耳を撫でる。どうやら豆から挽いているようで、本格的に淹れる様子はどこぞのバリスタのよう。某チェーン店で働く夏さんを想像して、バレないように少しだけ笑った。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」

 両手でしっかりと持った少し大きめのマグカップは、プリントされた熊の柄が愛らしい。息を吹きかけて冷ましながらこくりと飲み込む。じんわりと舌に広がる独特のやわらかな苦さ、飲むことでふわりと鼻に抜ける華やかな香り。すごく美味しい、思わず頬がゆるりとほどけていくようだ。

「はは、随分と美味しそうに飲むね」
「だってこれ、すごく美味しいです……! 隠し味とかあったりします?」
「特に何も。そんなに喜んで貰えるなら淹れた甲斐があったよ」

 やっぱり豆からだと美味しさが違うのだろうか。普段飲んでいるインスタントの珈琲より数倍は美味しく感じた。普段は絶対に砂糖とミルク必須な私でも、もしかしたら全部飲みきれるかも。マグカップに残る珈琲をちゃぷりと揺らすと、水面に映る自分の嬉しそうな顔が見えてさらに笑みが深まっていく。

「あ、もしかしたら夏さんと一緒に飲めたから、っていうのもあるかもしれないですね」
「私と?」
「はい、とっても嬉しいのでそれも原因のひとつかなと思って」
「ふふ、君は変わってるよね」
「そんなことありませんよ〜、普通です!」
「……この前の任務で私の術式を見ただろう。我ながら気色悪い。そんな相手と話すのが、嫌じゃないのかい?」
「え? 全然、むしろ凄いなと思いますよ」

 先日の合同任務で見た術式。呪霊操術と呼ばれるそれは、想像していたよりずっと大変そうな術式だった。帰り道に聞いた話によると、吐瀉物を処理した雑巾みたいな味だなんて。それでも、聞くだけでも食べることを避けたいものを摂取してまでも自らの力に変え闘う。そんな姿は、どの呪術師にも負けないぐらいに強くて、眩いほどかっこよかったのだ。

「夏さんは、とってもカッコよくて強い、素敵な呪術師さんです」
「カッコよくて、強い……?」
「はい! まるで、ヒーローみたいですね」

 人知れず苦労しながらも誰かのために戦う、まさに日曜の朝に放送されるようなヒーローみたい。そんな感想を述べた私の何がおかしかったのか、夏さんはどこか嬉しそうな表情を浮かべながらも優しく笑った。

「ふふ、君は、……変わってるっていうよりも、面白いって言う方が正しいかもしれないな」
「え、私面白いですか? なんだか照れますね」

 そんなことないですよぉ、なんて返しながらも、楽しく会話が弾んでいることが嬉しくてにやにやと口元はゆるむ。数少ない先輩のひとりと仲良くなれるのは、誰だって嬉しいだろう。顔が良くて優しいひとなら尚更、だなんていう下心は、私だって花の女子高生なのだから許して欲しい。なんて考えながら美味しい珈琲に舌鼓を打ちつつも、やはり飲み慣れていないブラックコーヒーは私のまだ幼い子供舌には早かったようで段々と苦さが際立ってくる。眉を顰めたことに気が付いたのか、顔を覗き込むようにして夏さんがこちらを見つめていた。

「それ、無理しなくても良いよ?」
「な、なんのことですか?」
「コーヒー、いつもは砂糖やミルクを入れているんじゃないか? 氷室専用と書かれたインスタントの瓶の横に置いてるやつ」

 もしかして、最初から知っていて……? 目線でそう問うと、夏さんはにっこりと、そして少し意地悪そうに「勿論」と応えた。その笑顔は任務の時よりもずっと年相応の男の子らしくて、大人っぽく見えてもこの人はひとつしか歳が変わらないんだと改めて実感する。それと同時に小さくとくりと音を立てた心臓。甘く広がりそうな痛みを誤魔化すように、少しぬるくなった残りの珈琲を一気に飲み干した。

「……今度は角砂糖3つ、ミルクたっぷりのカフェオレも飲ませて下さい」
「わかった、覚えておくよ」
「約束ですからね!」

 ゆびきりげんまん、です。そう言って差し出した左手の小指に、やっぱり夏さんは楽しげに笑って自分の小指をゆるりと絡めた。真正面から見据えるその瞳を、もっと近くで見てみたいと思ったのは、わがまますぎるだろうか。
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