いつかの星空に溺れる

※死亡表現注意
※過去→現代(フィリピンマイキー軸)


「冬の夜空はね、空気が澄んでいて、星がとっても綺麗に見えるの」
「ふーん、なまえ、星が好きなの?」
「うん、大好き」

 そう言って笑う姿は、何よりもずっと美しくて、あたたかくて、愛おしくて。胸の奥深くまでぎゅっと掴まれた感覚がして、思わず抱き締めてしまったのを今でも覚えている。

「えっ、万次郎くん!?」
「おつかれ、迎えに来た」
「えっと、今日何か約束してたっけ?」
「んーん、オレが勝手に来ただけ」

 彼女の好きなものは、なんだって知りたいお年頃。早くなまえの喜ぶ顔が見たくて、翌日の放課後すぐに迎えに行った。……いや、二人で真夜中にバイクデートしたいっていうのが実は本音。

「今から天体観測行くぞ!」
「……ほ、ほんとう?」

 きらきらと輝くまあるい瞳、よほど気分が上がったのか少し紅を帯びた頬。かぁわいい、と耳元で囁くと、さらに真っ赤になる顔に思わず笑った。

 バブの後ろになまえを乗せ、この辺りで一番の高台まで。少し前までは服の裾を僅かに掴んでいた小さな手は、今ではぎゅっと腰のあたりに巻き付いている。細やかな、けれど確かな変化が愛おしくて、自然と弛む頬を誤魔化すように僅かにスピードを上げた。

「寒くねェ?」
「大丈夫、万次郎くんは?」
「オレも平気。でも手は繋ご」
「ふふ、もちろん」

 目的地へ辿り着いた頃にはすっかり夜の帳が下り、また一段と冷え込んだ空気が頬を撫でる。さくさく、と土を踏む音だけが辺りに響くほど静かな夜だった。ぽつんと置いてあるベンチに腰掛け、隙間を埋めるようにぴったりとくっついて上を見上げる。

「……きれい、」
「……すげぇな」

 街明かりの無い暗闇から見上げる空は、想像よりもずっと美しかった。濃紺の無限に広がる空と、あたり一面に敷き詰められたように輝く星々。いつかに行ったプラネタリウムとは比べ物にならないほど、美しくて、目に焼き付くような景色だった。それはきっと、隣に彼女がいるからでもあるんだろう。この世で一番好きなきらきらと輝く瞳は、まるで瞬きをする度に星を生んでいるかのように美しかった。

「連れてきてくれてありがとう万次郎くん。また、見に来ようね」
「ん、約束な」
「うん!」



 懐かしい、夢を見ていた。なんだって叶えられると思っていたあの頃。人生の中で、最も幸福だったのかもしれない時間に想いを馳せ、深呼吸をひとつ吐き出した。

「……約束、守れなくてごめんな」



 表通りの街頭が僅かに照らす、仄暗い路地裏。段々と肌寒くなってきた、冬を間近に控えた日。久しぶりに見たその姿は、懐かしい面影を残したままだった。
 柔らかい色の毛先がゆるく巻かれた髪の毛、長い睫毛に覆われたぱっちりと開く甘い瞳。形の良い淡く色づいた小さな唇が言葉を溢す前に、カチリとセーフティを外す音が辺りに響く。

「まん、じろうくん、?」
「……何か、言い残すことはあるか」
「そ、っか、……生きてたんだね」

 良かったぁ。穏やかな笑みと共に呟かれたそれは、心の底から、安堵したような声色だった。同時に、大きな瞳からぽろりと涙が玉のように次々と浮き出ては零れていく。ただただ静かに、雫がコンクリートに落ちる音だけが、二人の間に存在していた。

「ずっと、言いたかったことがあるの。それだけ、伝えても、いい?」
「……ああ」
「ふふ、相変わらず優しいね。……あのね、万次郎くん。私、あなたと出会えて本当に幸せだったよ」
「……、っ」
「私と出会ってくれて、私を好きになってくれて、ありがとう」

 オレが引き金を引く瞬間でさえ、涙をぽろぽろと落としながら笑うなまえはとても綺麗だった。

 短い衝撃音、広がる鉄の匂い。せめて、長く苦しまないようにと、僅かに震える指を抑え、両手で確実に心の臓を貫くための引き金を引いた。赤く染まっていく地面と、白い肌のコントラスト。非現実的なはずのその光景は、オレにとっては既に見慣れてしまったものだった。

「……もうすぐ、終わるから」

 微かに震える瞼が、指先が、その命が消えていくことを伝えている。力の抜けきった小さくて頼りない身体にようやく近寄り、血で汚れることも厭わずに抱き寄せた。まだ少しだけ意識があるようで、喉をひゅっと鳴らしながら、痛くて苦しくてたまらないはずなのに、呼吸まじりの最期の言葉を紡ぎ出していく。

「まんじろ、くん、……すき、だいすき、よ」
「…………っ、……オレも、すきだよ、なまえ」

 ごめん、ありがとう、……そしてごめん。すぐにオレもそっちへ行くから、もし赦してくれるのなら、あの世の入り口あたりで待っていて。

「あいしてる」

 瞼を手のひらで覆い、あの日の星空のような煌きが消えた瞳をそっと閉じる。沢山の愛を紡ぎ出してくれた唇に一度だけ口付け、一度も言えなかった、もう届かない言葉を呟いた。まだ暖かさの残る唇は、彼女の好きだった甘いミルクティーの味が微かに残っていた。

 どうか、本当に馬鹿でどうしようもないオレだけど、全てが終わったその時には、仕方ないなあって昔みたいに笑って抱き締めてよ。

20211017

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