ミルク色のにじみ



 ※成人済

「お待たせいたしました、生とカルーアミルクです。こちらお通しの塩キャベツです、ごゆっくりどうぞー」
「ありがとうございまーす。……蛍くんきたよー、また逆だった。一言聞いてくれてもいいのに」
「ありがと、もう慣れたから別に良いけどね」
 私の前に置かれたカルーアミルクと、蛍くんの前に置かれた生ビール。目の前に置かれたそれらを手慣れたように交換して、今週もお疲れ様とグラスを鳴らした。

 駅ビルの中にある、半個室のもつ鍋のお店。前から気になっていたそこにようやく来れた金曜日。一週間の疲労と引き換えに、二人で飲むお酒は格段に美味しく感じる。
 相変わらず蛍くんはカルーアミルクが好きで、私は疲れた時は生ビール一択で。最初は律儀に「逆です」って店員さんに言っていたけれど、今では置いてもらった後に交換するのが当たり前になっていた。このやりとりが当たり前になる程一緒にいるんだなって思うと、過ごした時間の長さを感じてなんだかくすぐったくなる。誤魔化すように半分ほど一気に飲み干していると、「ちょっと、飲みすぎないでよ」と呆れ半分、心配半分の声が聞こえてちょっとだけ勢いをセーブした。

「明日久しぶりにお休み合ったね、どこか行く? それともゆっくりする?」
「家で過ごしたいかな。DVD借りて帰ろう、名前が見たがってたやつ入荷してた」
「え、最高! じゃあお菓子とかも買って帰ろうよ」
「大袋は一つまでだからね」
「はあい」

 塩キャベツを一口食べて、グラスに口をつけながら明日の予定を考える。お菓子食べながら蛍くんがチェックしてくれたDVD見て、少しだけお昼寝して、遅めのお昼ご飯兼おやつにホットケーキとか焼いても良いな。私も甘いものは好きだけど、蛍くんと暮らすようになってから随分と甘党寄りになった気がする。甘いものの後はしょっぱいものも欲しい! というわがままな私の主張も、最近は一緒に付き合って食べてくれるから蛍くんの食の好みも私の影響が少なからずあると思う。

「そういえば風呂場の電球、昨日少し点滅してたよね」
「あ、たしかに。そろそろ寿命かな」
「そう思って今日買っといたから。もし切れたらすぐ言って」
「さすが蛍くん、助かるなあ」

 いつもありがとね。そう言うと、蛍くんは「……別に、普通でしょ」と目を逸らしながら一杯目のカルーアミルクを飲み干した。昔より伸びた髪の毛も、照れて少し染まった耳元はあまり隠せていなくて。頼られると嬉しくて照れる癖は、昔から好きな変わっていない彼の可愛い一面。可愛いと言うと少し拗ねてしまうから、これはいつも心の中でなんとかとどめている。たまに酔った勢いで言ってしまったりしてバレてしまうけど、今日はなんとか抑え込めているようだ。

「お待たせいたしましたもつ鍋ですー、お熱いのでお気をつけください」
「ありがとうございますー、うわ美味しそう!」
「柚子胡椒使う?」
「使う、ありがとう!」

 タイミングよく来てくれた店員さんに二杯目をお互い注文して、それと同時に運ばれてきたもつ鍋に目を輝かせる。めっちゃ良い匂いする、超美味しそう。そんな語彙力のない感想を言う私に、蛍くんは手際よく調味料や取り皿を渡してくれた。彼の細やかな優しさに、私はいつも甘やかされているなと本当に思う。

「蛍くん、すきだよ」
「……急に何?」
「ふふ、いま言いたくなっただけだよ」
「もう酔いが回ったの? 水頼もうか」
「違うよ! 優しいなあ、と思ったらつい言いたくなって」

 お酒が入っているからか、普段よりもすらすらと言いたいことが溢れてきて。酔っているわけじゃないけれど、好きだなあって思いがほろ酔い気分のふわふわとした気持ちよさと共に口からこぼれ落ちていく。

「私の好みを覚えてくれるとこも、必ず私の取り皿に先に料理入れてくれるとこも、甘いお酒が好きなとこも、バレーに真剣でひたむきなとこも、昔から、私のことがすきなところも。全部、すき」
「ちょっと名前、落ち着きなって」
「やだ、たまには言わせて」

 酔ってない、ってさっきは思ったけど、やっぱりちょっと酔ってるかも。二杯目のビールはまだ半分弱残っていて、普段よりも全然飲んでないはずなのに体は随分と温まっていた。目線を上げると、少し心配の色を滲ませた蛍くんの顔と、さっきよりも赤く染まっている耳元が見えて。
 「すきだよ、蛍くん」目を見てもう一度言うと、「わかったから、もう黙って」と明らかに嬉しいのに我慢するような表情で目を逸らした。いつも冷静沈着な彼の、きっと私しか見られないひどく愛おしい表情。私がこんな顔にさせてるんだなって思うと、きゅうと胸の奥の方が甘く締め付けられる。

「……ほんっと、ズルいよね、君」
「? 蛍くん、いま、」

 今、なんて言ったの。小さすぎて聞こえなかった彼の呟きを聞き返そうとしていた口が、柔らかな感触に塞がれた。あまい、カルーアミルクの味。音を立てないようにか、やさしく、唇の感触を楽しむように啄まれている。蛍くん、と呼ぼうとした声は、彼の艶っぽい視線一つで嗜められた。
 グツグツと、鍋が煮立っている音、パーテーションの向こうから聞こえてくる騒がしい飲み会の声。それらが一瞬聞こえなくなったような気がして、いまは目の前の彼のことしか考えられなかった。

「……けいくん、おなべ、吹きこぼれる」
「…………わかってる。あと、一回だけ」

 鼻先が触れ合う距離でそんなおねだりをされたら、断るなんて選択肢は最初から存在しない。もう一度、今度は触れるだけのキスをして、まだ物足りないけど、と言いたげな顔をしたまま蛍くんが離れていく。名前を呼んで、「続きは、あとでね」なんてわかりやすくお誘いをしてみると、グッと何かを我慢するように眉をひそめながら「……やっぱりズルい」と残りのカルーアミルクを飲み干した。

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