きみと色違いになる覚悟はあるよ



 ※松田視点


「あれ、松田くんだ。お疲れ様」
「おう。今昼だろ、飯行かねえか?」
「え、行きたい!」

 丁度どこに行こうかなって思ってたとこなの。
 そう言ってふにゃりと笑う顔を見て、やっぱり可愛いなコイツ、と声に出かけた言葉を残り僅かだった缶コーヒーと共に飲み込んだ。

 苗字名前は俺の同期で、捜査二課の紅一点。一課の佐藤、二課の苗字なんて言われてるらしいが、男ばかりの職場ではさながらマドンナのような存在のようだ。佐藤が綺麗系なら、苗字は可愛い系だろうか。少し周りよりも低めの身長とふんわりとした雰囲気は非常に加護欲をそそる。
 しかし、こいつは見た目によらずアクティブだ。現場仕事から事務処理まで、うまく息抜きを挟みながらも仕事の早さと処理能力はピカイチ。まさにキャリアウーマンといったところか。どこに行くかなと目ぼしい食事処を探していると、まばらに残っている室内から苗字の名前を呼ぶ声が響いた。

「おーい、苗字も飯行くか?」
「すみません中森警部、今日は同期と先に約束してしまって」

 直属の上司からの誘いよりも俺との約束を優先してくれたことに少し優越感を感じ、誤魔化すようにサングラスの柄をずらす。昼休憩になった瞬間に部屋を飛び出し、真っ先にここへと向かったのは正解だったようだ。
 俺を訝しげに見る警部へ軽く会釈をすると、可愛い部下に手ェ出すんじゃねえぞと言わんばかりの強い目線がビシビシとぶつかる。相変わらず過保護なことで。

「明日はいかがですか? ほら、あの角の定食屋さん。新しいメニュー出たそうですよ」
「ほぉ、相変わらず情報通だな。なら明日はそこで決まりだ、ちゃんとあけとけよ?」
「勿論です!」

 警部は最後までジロジロと目線をよこしながらにこにこ笑う彼女の頭をぽんと軽く撫で、部署に残っていた数名を引き連れて部屋を出て行った。「中森警部、すごく優しいよね」なんてお前は言うけど、それは他でも無いお前相手だからだろうよ。上司と部下という普段から近くに入れる関係性が羨ましくて、撫でられて少し乱れた前髪を直すようにそっと指先で触れた。

「ね、お昼どこ行こっか」
「あー、なんか麺類の気分だな」
「パスタ、うどん、お蕎麦……あとは、この時期なら冷やし中華とか?」
「いいな、近くに丁度いい店がある」
「え、松田くんのオススメ? 楽しみだな」

 どんなとこだろうな、と鼻歌まじりに歩き始めた苗字。サラサラと歩くたびに揺れる髪が艶やかで、なんだか良い匂いが鼻をくすぐる。そんな何でもない動作でさえ心臓が音を立てるのだから、ガキじゃあるまいしと学生から引きずったままの恋情を素知らぬ顔をして宥めた。
 上司や部下、同期への分け隔てなくするりと懐へと入り込むような立ち振る舞いは、どこか同期の優秀なアイツが頭をよぎる。連絡が取れなくなって久しいが、そういや元気にしているだろうか。

「多分、二人なら大丈夫でしょ」
「……なんで分かんだよ」
「ふふ、なんとなく」

 それに、松田くんって結構顔に出るし。そう言ってクスクスと笑う頬を軽く指先でつまむ。分かりやすくて悪かったな。ごめんごめん、と言いながらも苗字は発言を否定はしない。分かりやすいのはお前の前だけだって言ったら、どんな反応をするだろうか。いや、恐らくサラリと流されてしまうだけか。
 こいつの一番凄いと思うところはコミュニケーション能力の高さ、そして相手の考えていることを察する感知力だ。話のネタも豊富で情報通。そして顔がとんでもなく広い。警視庁内の各部署に知り合いがいると言っても過言ではない程に。彼女に聞けば翌日には他部署の内情を知ることも容易いだろう。だからといって、顔色から思ってることを読み取るのは程々にしてほしい。警察学校で一時期、コイツをエスパーだと疑っていた黒い歴史がぼやりと思い浮かんだがすぐに消し去った。

「苗字、午後の予定は?」
「今度のキッドの予告状が出てる美術館に行くの。萩原くんと下見の予定だよ」

 二年ほど前、苗字が捜査二課に配属された数ヶ月後。コイツを追いかけるに萩原が転属となり、それから暫くして二人はバディを組み始めた。実際は偶然タイミングが合わさっただけなのだが、警察学校時代から仲のいい二人が同じ所属先になるのはなんだか気に食わない。まあ、その偶然を利用して二課に通うキッカケとしたことぐらいは大目に見てほしいものだ。

「アイツ、上手くやってるか?」
「うん、寧ろ私が助けてもらってるよ」
「お前らが組んだらコミュ力がカンストしてそうだ」

 何それ、と苗字は笑うが、実際に萩原と苗字の二人が組むことで、聞き込みや実地捜査の情報収集力が格段に良くなったと噂に聞く。誰にでも人当たりの良い、コイツらならではの戦い方。
 だからこそ、いつからか俺はそんな苗字の息抜きのできる場所になりたいと思った。いつでも笑みを絶やさないコイツの拠り所になりたいのだと。辛い時には手を繋いで愚痴や吐き出したい言葉を聞き、悲しい時には抱きしめて流れる涙を受け止められるような。友人だけでは得られない、隣にずっと居られる名前のある関係性が欲しかった。心地の良い友人兼同期の関係性を壊してでも、彼女の心を揺らしたかったのだ。
 ふわふわと揺れる後ろ髪に指を滑らせると、くすぐったそうに目を細める。普段と変わらぬその笑みが、今では少しだけ憎らしい。少しぐらい、意識を変えられると思っていたんだけどな。

「お前って、本当にスゲェよな」
「えー、何が?」

 ──数週間前お前に告白した男相手に、いつも通りでいられることだよ。
 言葉で言わずともじとりとした目線で言いたいことがわかったのか、苗字は少し苦い笑みを浮かべてまあるい目を少し伏せた。分かってるくせに普段と同じように振る舞う。ずるい女だ。けれど、フラれたというのに諦めきれず、いつも通り彼女に声を掛け続ける俺も大概だろう。

「……何でもねぇよ。行くぞ、昼休憩終わっちまう」
「わ、待ってよ!」

 細っこい腕に指をかけ、軽く握って手を引く。俺よりも歩幅が小さく、小走りになってしまう様子が愛らしかった。急いてはダメだとは分かっている、長期戦になる覚悟はとっくに出来ているのだから。
 胸ポケットに忍ばせていた、煙草を吸えない時の口寂しさに買ったタブレットを口へと放り投げ奥歯でガリっと噛む。眠気覚まし用のミントの香りが鼻を通り抜け、すうと広がる涼しさがやけに口内へと染み渡った。

20230722


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