かつんかつんと、大理石の床に靴底が当たる音がする。暗い夜の城にその音はよく響き渡った。
男は出来る限りゆっくりと歩く。廊下の先の部屋で眠るはずの子供に、自らの足音を悟らせぬようにゆっくりと。かつん。何時もは気にも止めないその音が男の行動を責めている様で、ゲーチスは無意識に息を詰めた。

かつん。男は一つの部屋の前で足を止める。部屋には電気が点いたままだ。廊下に明かりが漏れている。何が恐ろしいのか、昔から暗闇で眠ることの出来ない子供だった。出来る限り静かに、そう思いながら扉を開ける。現れた明かりに暗闇に慣れた左目が痛んだ。

明るい部屋の中央に無造作に置かれたベット。床の青空に浮かぶ雲のように白く柔らかなそのなかで、Nは穏やかに眠っていた。部屋の隅には、先日この部屋に連れてきたシキジカが横になっている。見回せば壁は傷付き、玩具は壊れ至る所に散乱している。人間の罠にかかり怪我をおったシキジカは、なかなか少年に心を開いていないようだった。シキジカもNも、昼間に暴れまわり疲れたのか、今はぴくりとも動かない。


男は子供の寝顔を覗きこむ。幼い寝顔には幾つか傷が付いている。普通の子供ならば元気がいいという言葉で済んでしまうそれも、Nの青白い頬にあると痛々しく見えた。男はそっと手を伸ばす。傷に触れないように、慎重に頬を撫でる。その暖かな温度は、ゲーチスに懐かしい声を思い出させる。いや、忘れたことなど一日もなかった声。




(ねえ、ゲーチス)




ベットに横たわる細い体。白い肌。溶けていく青い瞳。暖かな体温。小さな窓が全てだった、狭い世界。






手に入れると約束したのだ。男は子供の頬を撫でる。彼女の為に、私が世界を手に入れる。約束を果たすその為には、もはやどんな手段をも選ばない。
例えその為に、自らの息子を狭い世界に閉じ込めたとしても。


男は視線を上げ、部屋に付けられた唯一の窓を見つめる。切り取られた世界は、星一つ輝かぬ深淵の闇。



(ねえゲーチス、わたしね)



闇の中から愛しい声が呼び掛ける気がして、ゲーチスは瞼を閉じる。世界と同じ脳裏の闇で、青い瞳が溶けていった。







愛しさの温度
(この温もりを忘れたくない、と)



2010/9/28
ハルモニア家三部作でした。



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