猿飛佐助 | ナノ


 思春期を迎える男児は好意を寄せる女児にどう思いを伝えるのだろうか。ただ一直線に好意を伝える、文を渡して好意を寄せているということを事細かに書く、贈り物をしてその贈りものの意味から伝える、などあらゆる方法で好意を伝える手段がある。人それぞれの表現方法があるが、その中にも素直になれずに思ったことと反対のものが口から出てしまう場合だってある。猿飛佐助もそのうちの一人だった。
 たまたま任務中に森の中で休んでいた時のことだった。すすり泣く声が聞こえ、興味本位で木の陰に隠れながらその人物の背中を見つけ、それが女だということはすぐにわかり、小汚い着物の裾を見つめ、何があったのかと考える。小汚い着物をカサカサと揺らすその背中を見て、佐助は初めて「恋心」に似たもの抱いた。それから佐助はその少女に近づいて、親に捨てられてしまったことを聞き出して、忍びになろうと、里に招いたのである。
 猿飛佐助はひょうきんな表情や言葉遣いを使う。そんなひょうきん者だが忍びとしての腕前は一流だった。空を切る忍びとして一目を置かれ、また里の皆に好かれていた。甘えることも上手であるし、下の者に厳しくするのも上手であり、上忍となってからは傭兵として任務に出かけたり下忍に稽古をつけたりもしていた。幼いころから里で過ごしてきたもので、腕もたつことから、里では重宝され大切にされた。
「素直でいい子だ」と上の者からは可愛がられていた猿飛佐助。来るもの拒まず、誰からも好かれるよい青年。しかしそんな佐助にも、苦手なことが一つあった。
 それは、好いた者に思いを伝えることだ。

 忍術も手裏剣術も当たり障りのない程度の腕前を持ち、獣と心を通わせることができる忍びがいる。小さな鼠から空を飛ぶ烏までも手懐けてしまう忍びは、小鳥というくのいちである。このくのいちは幼い頃に猿飛佐助に拾われたあの少女であった。脚を使った諜報活動はあまり得意とは言えなかったが、獣を使った諜報活動は、この里どこを探しても小鳥がいちばん得意としていた。
 また、猿飛び佐助のように里の皆に好かれていた。猿飛佐助に拾われ里に訪ねてきた日から、小鳥の師匠として任をまかされたかすがも、かすがの師匠も、里の長も小鳥をかわいがった。親に捨てられたという共通点からかすがは親近感を抱くようになって、また妹として彼女の手を引っ張ってやった。

「おいブス子ちゃん」
 今のひとことは素直になれない猿飛佐助によるもので、出会った時と同じような土が染み込んだ着物をたくしあげて声の主のほうに振り向いたのは小鳥である。聞きなれたひと言で、小鳥はいちいち声を上げるような反応は見せず、途中の畑仕事に取り掛かる。今日小鳥は畑の当番なのだ。もう少し畑を広げようと猫婆がぼやき仕方なく畑を広げている状態の中、佐助に声をかけられたということもあって、多少機嫌が悪く、鍬を強く握った。汗がこげ茶色の土に落ちる。
 命の恩人である佐助に恋心を抱いていた小鳥は、想い人にそう言われるのをひどく嫌がった。それを佐助にも伝えているし、やめてほしいともいった。しかし佐助は、「はいわかりました」と聞きわけのいい台詞を吐くわけがない。むしろ面白がってしまってだれから見ても度が過ぎてしまう。それに小鳥が自分のことを好きだということも、それは命の恩人としてや、昔から里の皆よりは少し近くにいる存在だからだと、捻くれた考えもあったので信用はしていない。今日もそうだった。朝餉を食べている最中も無駄に小鳥の部屋のあたりを歩きまわって「ねえブスおはよう」や「ブス、もうちょっと朝餉の量減らさないと肥えちゃうんじゃないの」とほほを膨らます小鳥を見てクスクスと心の中で笑っていた。
「佐助さんはどうしていつも、意地の悪い言葉しか言えないんですか、任務では普通なのに、普段はいっつも……」
 佐助に恋心を抱く女としては、やはり好いた人には優しくしてもらいたいものであるし、気にかけてほしいし、かわいいという一言がほしいものである。
「意地の悪い言葉?」
「い、意地の悪い言葉じゃないですか、ブスとか、肥えるとか」
「意地の悪いって、つまりじゃあどういうことがほしいんだよ」
「別に ほしい わけじゃ……」
「意地の悪いというか、本音なんだけどな?」
 佐助は、じゃあ可愛いとでも言ってほしいのかと尋ねようとしたとき、小鳥が鍬を放り投げて佐助と向き合った。小鳥は今まで佐助が自分に言い放つ「ブス」の数を忘れたことはなかった。幾度も幾度もブスブスといわれ続け、しまいには豚だと芋虫のようだとも言われ、自分が一番分かっている忍術も手裏剣術も、忍びとしての能力も卑下され、心の広い小鳥でもさすがに堪忍の緒が切れた。
 佐助は小鳥の異変に気づき、土の上に落ちた鍬から表情に視線を移動させた。この瞬間佐助は自分の小鳥に言い放った「ブス」が彼女にとってどれほど負荷になっていたものなのか気付いてしまった。というのも、今までも気付いてはいたのだが、小鳥の反応が面白くてついつい余計に言ってしまって、あまり重要視していなかったのである。だがここまできてやっと、小鳥の表情をみてやっと、分かった。
 出会った時と変わらない服装、ただ身長が伸びて、少しだけ色気づいた容姿は森へと向かっていく。立ち尽くしていた佐助はハッとその後ろ姿を追った。自分よりも足が遅いくせに必死になって駆けている少女を見ていると、段々と怒りが込み上げてきて、自分よりも弱いのに諦めずにいるのが堪らなくなって、少しだけ本気になって跳んだ。
 軽く背を蹴るだけで少女は転がって地に伏せた。起き上がらせる時間も与えないで、震える少女の胸倉に手を伸ばし、近くの大木に思い切り打ち当てる。自分を恐れるにも関わらず感情を探るような瞳を向ける小鳥に恐れを抱いて、肩を二度震わせた。
 恐かった。自分の心の中を探られ、掘り出されるような、忍びになって初めて本当の自分見つめられている気持ちになって、初めて自分から歳の近い同年代の忍びをそのような目でみられた。しかも好いている女にだ。息が上がる。
「ハッ ハッ ハッ」
 まるで鼠を捕まえた猫の気分。今からどう食べてやろう。一飲みにするか、それとも味わって食べるか。小汚い鼠をきれいに洗ってからでもいいし、草に押しつけて少々苦みをつけて食べるのもまたおいしいだろう。鋭い爪を首元にあてる、鼠の肌が張って、揺れていた髭が停止し、瞳は一点を見つめる。小汚い鼠ははねている茶色の髪色の猫の目をじっと。殺される前に少しでも逃げる時間が、希望が、あるならば。
「何しているんだ!!」
 他所の介入により佐助は自我を取り戻した。自分は今何をしていたのか、手を離して足の裏と手の平をついて静かに地に落ちた小鳥を見下ろして、手裏剣にほんの少しだけついていた鮮血が、自分の着ていた服に落ちて、小鳥を抱きしめるかすがの姿に手裏剣を持つ指を開いて、顔を青くさせた。
小鳥、どこか怪我は………」
「大丈夫……です………」
「佐助!貴様一体何をしていた!小鳥、一先ず私の部屋に行こう。明日は任務があるんだ、落ち着かなければ」
 細い女に支えられ、今にも倒れそうな小鳥は頷いてかすがに寄り添うように歩きだした。森々たる杉の木漏れ日が、流れた鮮血を照らした。自分よりも小さな手が鍬を持っていたこと、自分よりも細い腕が思い切り鍬を持ち上げていたこと、里に来てから着飾ることを意識していた服装、恩を返そうとする幼い丸い瞳、不揃いな前髪を師匠であるかすがに切ってもらっていた一昨日、木陰で休みながら友人と楽しそうにおしゃべりをしていた昨日。
 追いかけることもできず、佐助はその二人の後ろ姿を見送った。

 詫びを入れることもないままに本日を迎えた。本当は昨夜小鳥に詫びろうと部屋の前までは行ったものの、「悪かった」の一言が出てこないでいたので、それならば明日にしようと諦めた。佐助は疲れていたのか、布団にくるまった途端に一気に眠気が襲ってきたので自分がこんなにも疲れているとは思わなかった。なので、目を閉じてしまえば数刻もしないうちに眠りにつくことができて、初めてこんなに布団の中が気持ちいいことを思う。夢の中では小鳥が首を押えて静かにしくしくと泣いている。その背中に手を伸ばすことも近づくことすらもできなくて、動かない体で、ただ必死に「悪かった、悪かった」と叫んだ。
 朝起きて朝餉を済ませ、まだ任務に帰ってきていないぞ、なにかあったのか、という同僚たちの声を聞きながら空を仰いでただぼうっと見つめていると「わっ」という声が上がった。野太い声から黄色い声、そしてあわてて走り出す猫婆。そして門から出てきたかすがと頭と体、腕に包帯を巻いている小鳥。その姿にある一人の男が呟いた。
「欠損している」

 その夜、佐助は明かりのついている小鳥の部屋の前にやってきた。任務の報告や、片腕を欠損した小鳥の治療やらとなかなか話しかける時間が取れなかったのだ。きっと一人でいるかかすがといるかだろう。布団もろくに敷けないだろうから、書き物もいつもの倍以上かかるだろうから。
 自分の持つ手裏剣という刃がもし昨日小鳥の片腕を切り落としていたならばどうなっていたのだろうか。痛みに地を這っていたのだろうか、気を失っていたのだろうか、泣き叫ぶのだろうか、復讐を誓うのだろうか。昨日の小鳥の鮮血がついた服を破いて切り裂いてしまった。あの血は、初めて見た唯一の小鳥の鮮血であった。
小鳥
 声をかけ、反応がなかったので障子をあけた。部屋の中心で座り込んでいた小鳥が佐助を見つめる。憔悴しきった顔つきで、近づく佐助に怯えながら頭を垂れた。恐かったのである。
 できそこないと言われたくなかった。いらないと刃を向けられたくなかった。蹴られたくも殴られたくもなかった。ただ許しを乞うようにして頭を垂れていたのだ。
「悪かった」
 小鳥は頭をあげた。
「これからは俺がお前の片腕になる」
 梟の鳴く夜は、いつもおかしなことばかりが起きる。昨夜もそうだった。小鳥は梟が嫌いだった。首をひねる姿が嫌いだと、獣が好きな小鳥がそんな否定をするなど考えられなかった佐助は、おかしなもんだと言って、いつものようにブスと貶した。それが今になって、梟の声がおそろしい妖怪のように、錯覚を生んだ。生んで、まるで目の前にいる少女が梟のように見えて、佐助は瞳を四方八方に飛ばす。
「だから、許してくれ」
 このとき、佐助は、一生、この少女に「好きだ」という想いを伝えることができなくなったと、確信した。笑う小鳥が梟のようで、彼女の泣く声に、どれほど自分は揺さぶられるのだろうと、どれだけ振り回されるのだろうと、どれだけ惑わされるのだろうと、目の前の好いた女が愛しくなってしまって、佐助の下半身が熱を帯びながらもそれを本人にぶつけることができなくなって、欠損した腕の部分が強調されて、佐助も頭を垂れた。泣いた。


「ブスと欠損」
もう少し甘い感じで終わらせようとしたのに、「いいや片腕なくしちゃえ」という思いつきによりヒロインが片腕を欠損した作品になってしまった。本当に、任務に行く前までは甘めに行こうと思っていたのに、かわいい子をいじめたい症候群が急に指にきてしまったらしい。
かわいいかわいいとなでまわされてきたヒロインと、かわいいかわいいと気にかけていた佐助。幼いころは仲が良かったのだろうけど、自覚してしまうと、今までの自分にはどうしても戻れないものなのです。