家康と幸村 | ナノ


 ああ、世の中めんどくさい事だらけだ。めんどくさくて仕方のないことばかりが渦巻いて、離れてくれることがない。いち、に、さん、よんごろくななはち、布団を被って目を瞑ってまた開けて、薄く口を開けてまた閉じる。暖かい陽ざしが部屋に差しこんでいて、そこに視線をやって、どうすることもできない現実を噛みしめてそこの陽ざしを憎しみを込めて睨んだ。さて、この後どうにかなるでしょうか。いいえなりません。なるわけがないので、ベッドから体を離す事にしよう。
 リビングにはわたしが昨日投げ捨てた新しい洋服が入った袋があって、机の上にはカップラーメンと麦茶と、家康。突っ伏している家康は疲れで死んだように眠っている。酒を飲んできたわけでもないみたいだ。酒のくさいにおいはない。揺すっても起きる様子がないようで、わたしが憎しみをこめて睨んだ陽ざしを体の半分が受けて、もう半分はカーテンでできた影に隠れている。近くに会った毛布を体にかけて、冷蔵庫を開けて100%ジュースをコップに注いで椅子に座って半分くらいに注いだジュースを数秒のうちに体の中に流し込んだ。
「う、起きたのか」
「おはよう家康」
 陽ざしがあたっている部分に寄り添って、風呂に入っていない体を抱き締めて、かけてあげた毛布をわたしと家康で半分にして、家康がわたしの首元に腕を回して頭を撫で手を繋ぎながら憎しみが込められた陽ざしに当たる。
 そうか、朝になったのか。家康が起き上がると毛布が体から逃げていってしまって、さっきまで感じなかった寒さを体に染み込ませた。
「おかえり、何時に帰って来たの?」
「3時頃、だったかなァ」
「どこ行くの?」
「顔を洗ってくるだけだよ」
 わたしは家康に守られている。わたしの手をずっと握ってくれている家康の暖かさを忘れた事は一度もない。わたしよりもずっと素敵な人はたくさんいるのに、なぜわたしを選んだのだろう、と考えてはいけない。そこでわたしという女が死んでしまう。ああ
 それでも、わたしと一緒にいてくれる。わたしは彼が好きなのだ。わたしはわたし自身のことを思ってもいいだろう?
「昨日どこかに行ってきたのか?」
「バイト。その後にかすがと買い物行ってきた」
「これ新しい服だろう?着てみてくれないか」
「…それより早く風呂入ってくれば」
 目玉を天井に向けた家康は「うーん」と濁らせ、「そうだな」とわたしをまっすぐ見つめて風呂に向かって歩いて行った。
「一緒に入るか?」
 季節は春。新しいものが芽吹く季節。
 家康は振り返る。わたしは視線を落とす。


 「はあ?」とストローから唇を離したかすがはわたしを凝視するように見て、最後には大きく溜め息を吐いた。わたしはクッキーを食べながらかすがをきょとんと見ていると、かすがは眉の皺を歪めながら「それは」といくらか低い声で言う。かすがの気持ちもわからなくはないが、かすがもわたしの気持ちもわからなくはないだろう。お互いに、先程まで途切れなかった会話が途切れてしまった。
「家康の方が好きってだけで、別に嫌いなわけじゃないんだよ」
「……、それは、無理だ。籍だけ入れて、家康と同居していっていうのは。それに、真田はお前の事が好きなんだ」
「どっちも納得のいくかたちであればいいよね?」
「どっちも納得すると思うか?」
「家康は…きっと、幸村も」
「……はあ」
 現実を見ろとでもいう風なかすがの表情に、わたしもやっと現実に戻れたのか、今まで掃けなかった溜め息をどっと出して、口を付けていなかったストローに唇を付ける。
 真田幸村。その人はわたしの許嫁だった。特に近所ではお金持ちや貴族でもなんでもなかったわたしの家庭と、親の職業のおかげで少しだけお金持ちだった幸村の家庭は家も近く、それでいて引っ越した時期が同時だったということもあり、家族絡みで仲良くなった。親同士が勝手に決めた許嫁だったが、幸村のことが嫌いではなかったし、悪い気もなく、逆に好きであったため、許嫁ということを普段日頃から考えないで18年間を過ごしてきた。19年目に突入する、その時になって、幸村はわたしの手を取るようになってきた。顔を赤く染めて、震える声で「某と、」と。3年間付き合ってきた家康の行方、彼にはそれは映らなかったのだ。
 家康と幸村は似ている部分がいくらかあったけれど、違う部分は心の持ち方、そこが強かった。いつでも余裕に、広く、笑って構えている家康、反対に全力で、力んで、胸を張る幸村。どちらも輝いていた。けれど、わたしは、家康と共に生きたいと、思った。思ったのだけれど、現実はわたしが望むようには出来あがっていなくて、必然的に幸村の手を取る形となってしまった。
 けれどわたしは家康と一緒にありたい。だから、かすがにああいった提案をあげてみたのである。けれどわたしだってそれがいかに難しいか、どれほど難しいか、わかっていた。わかっていたからこそ、最後の足掻きだった。
 誰だって認めてくれはしない。



 じっと射抜くように見つめられ、思わず目の前の人物から目を逸らした。「何を今更になって照れる必要がある」とでも今すぐにでもそんな言葉が飛んできそうだ。
「だって、わたし達初めてじゃない」
「確かにそうかもしれぬ、なれど、こうして対面するのも今更だ。お主は、某でとは初めてだろうが……、行為自体は、初めてというわけではないだろうに」
「幸村は?」
「そ、某は……」
 そういえばかすがが幸村のこと童貞だっていってたよなあ。とぼんやりと考えて、幸村の硬く結ばれた手を見つめる。家康とは違う手つきをしている。きっとこの手が初めて異性に触れるのは、わたしが初めてなのかもしれない。わたしは、何度も違う男の人たちを触ってきたわけなのだが。といっても、頻繁にあったわけではない。セックスをしたのは家康が2人目だった。1人目はなんとなく、セックスをしたかしないか曖昧な形で終わってしまった。そして家康、である。2人目で相手の数はストップしているが、セックスの回数で言えば家康とは頻繁にしているし、慣れているとってもいい。
「意気地なし」
 わたしは幸村を見つめた。表情も体も硬直した幸村は、真意を突かれた犯罪者のような顔になって、次に悔しそうな顔をして俯いた。
「君、虎若子って有名でしょう?戦場じゃ、一番手切って敵の軍隊に突撃するだとかなんとか、かすがから聞いたよ?そんな幸村が見たい」
「なんと!おはな殿を戦場にお連れするなど!」
「そういうことじゃなくて……。まあいいや、今、ここで見せて」
 スイッチが入ったかのように動き出した幸村だったが、スイッチが切られてしまったのか、また硬直してしまった。やっぱり意気地なし。
 軍では家康よりも幸村の方が地位が上だ。恐らく武田信玄のお気に入りだからだと噂が広まっていたはず。これも諜報部員のかすがからの情報だった。
 ただ家康は特に階級を気にしてはいないようすで、昇格したいとも思っていないらしい。19の青年には高い地位は必要ないのだと考えているのだろう。あまり軍での生活や出来事を彼の口から出る事がないから知らない。ただ、友好関係くらいは把握している。家康は、幸村と仲が悪いわけではない。
「キスくらいはできるよね、した事あるもん。舌は入れた事ある?吸った事とか、ある?ないよね、じゃあ今日はそれしよう?」
 19だし、幸村は21だし、これくらい、しなければ。
 しなければと、焦る。
「しっしかしっ!」

 学生時代はCMや雑誌を見て結婚っていいなあと思っていた。高校を終えたわたしは許嫁の幸村と頻繁に会う事になって、会う度に、昔憧れていた「結婚」は次第に拒否するモノに変わっていってしまったが。好きな人と添い遂げることは、誰しもが願う幸せの一つなのかもしれない。違うと言うひとは気付いていないだけで、皆、そう思うはずなのだ。わたしは、そう考える。
「家康、おかえり」
「ああ ただいま」
 帽子を掛けた家康は上着を部屋のベッドに放り投げ、ソファーに座っていたわたしの隣に座った家康は机の上にあったわたしのコップを持って一気に飲み干した。「えー」「いいじゃないか、また作れば」わたしの一口しか飲んでいなかったココアは今家康の腹の中に入ってしまった。
「もう 作ってほしいなら言ってくれれば作ったのにさ」ムスリとしたわたしに家康は笑って「すまんすまん」と頭を掻いて、唇についたココアを舐め取り、背凭れに息を吐きながら沈んでいった。
 下っ端の家康は自分の仕事の他に、上から任された仕事を終わらせて帰ってくる家康がこんなに早く返ってくるのは珍しいことだった。体力にだけは自信がある家康だから、ストレスを溜めながら帰ってきて、少し仮眠を取ってからまた仕事に行く。そんな生活がここ最近続いていた。
「今日は早く切り上げることができたから、たくさん一緒にいれるぞ」
 優しく微笑む家康の胸に飛び込む。
「にしても、年中無休だな ココアは」
「だって……甘くて、あったかくて、好きだから」
「………ああ、確かに甘くてあたたかい、まるで、あなたのようだ。ワシを包み込んでくれるあたたかさだ」



「やほ、姫さん。元気してた?」
「佐助……?ちょっと、久しぶり!帰って来たの?一年ぶりくらい!?」
 少し疲れた様子である幸村の友人であり、武田信玄の部下である彼は優秀な諜報部員であり、また、隊を率いる地位と実力を持っている。先日まで敵国の軍へスパイ活動を行っていたのだそうだ。一年と二カ月、彼は疲れた顔と顎に髭をこしらえて帰って来た。上司の武田信玄には当然会って仕事を済ませてきたが幸村には会っていないという。幸村は多分野外の軍事訓練に当たっていたと思うが、どうだろうか、一週間前の情報なのでまったく当てにならない。ただ、暇さえあれば訓練場には行っているだろう。それに佐助はわたしよりも幸村の事を知っている。幸村の幼いころから、軍人になった今まで。
「今日から二週間も休暇貰ったよ あ、これ土産なんだけど」
「旅行に行ってきたわけじゃないでしょう?」
「まーまー、姫さん、アロマとかそういうの好きだったよな?」
 そう言って紙袋の中から、可愛らしい外国の文字がプリントされている袋を取り出した。服から見え隠れする傷は、今回の任務を物語っていた。


「……おはな殿……?」
「幸村、おつかれさま」
 真田幸村の許嫁だと言えば、すんなりと幸村の生活する軍事施設に入り、ご丁寧に部屋を案内させてもらった。軍でもわたしの顔は少しは通るらしい。自分の部屋の前で呆然と立ち尽くす幸村は首を左右に思い切り振って、大きく脚を広げて近付いてきた。
「な、なぜここに!」
「話があるから」
「話……とは」
「佐助が帰って来たよって、それと」
「佐助が!?俺に報告しないで、どこをほっつき歩いているのだ…!」幸村が胸ポケットに入れていた端末を取り出し、猿飛佐助を選択して電話を掛ける。その顔はどこか怒っているような、安堵しているような、泣きそうな、そんな顔をしている。
「佐助ッ!お前、俺に報告しないで、どこを歩いている!即刻俺の部屋に来い!」
「ちょ、ちょいちょい旦那何言ってんの、メールで連絡いれてあるでしょ!それに俺、気利かせて部屋に行かなかったんだよ!?あんたが夜まで仕事してるってお館様から聞いたもんだから、明日にでもって、あーもうわかんねーのかよ!」
「なッ、んな」
「姫さんから話聞いたけど、あんた、まだらしいな。俺言ったよな?任務から帰って来たら期待してる、って」
「さっ佐助!くそ!」
 幸村は電話を切り、メール画面を開いたあと、顔を真っ赤にして端末を閉じて胸ポケットにしまう。
 幸村は佐助と、佐助が任務に行っている間に事を済ませて、俺を安心させてくれよと頼んでいたらしい。事というのは、そういう事で、セックスのことである。いつまでも童貞真田幸村というのは彼も酷く悲しく、情けないと思ったのだそうだ。友人にどういう心配掛けさせてるんだと、何故か佐助を不憫に思った。
 ふと、幸村に影が落ちた。幸村を見上げると、虚ろになった目が、綺麗な床を見つめている。

「佐助は、あなたを一度抱けば、一生俺のものになると、そう言っていた」

「そんなことは、ないだろうに」

 某は、馬鹿者だ。蚊の鳴くような声で幸村は呟いた。
 家康が仕事で帰れない日があれば幸村を家に呼ぶ。彼はわたしが家康と恋人という関係であることを知っているから家に来て家康の私物を見ても何も言わなかった。洗面所へ行くときも、お風呂も、寝室もだ。寝室なんてそう頻繁に行き来するわけでもないし。
「………おはな殿、あなたがここにいるということは、そういう解釈をしてもよろしいのですか?」
「……え?」
「しがない某に抱かれ、某のものになってくれるという意味で、ここにいらっしゃったのか?」
 言葉を失い、息を飲む。
 幸村の顔は次第に赤くなって、耳も首も赤くなった。虚ろな目は瞑られて、どのような瞳であるか確認できない。
「……。許嫁、だもの」
「某はあなたを許嫁として見た事は一度もない……。某は、あなたという一人の人間を、」
 喉仏を見つめる。

「好いている」



 朝帰り、とはこういう事を言うのだろう。自宅に帰ったら、家康は寝室のベッドで寝ていた。朝五時半。今からまた寝るか、朝食の準備をするか、テレビを見るか、どちらか。この家で寝れるのも幸村のおかげであることを改めて実感する。
 幸村に抱かれた。何十年とかかってやっと幸村はわたしを抱いた。動物の本能のように、わたしを抱いた。
「ただいま」寝ているであろう家康に声を掛ける。ベッドの山を見つめ、やはり起床していないことを確認し、寝室に背を向ける。「おかえり」確かに家康の声だった。振り返る。「おはよう」山が動いた。
「ひどく疲れている顔をしているな」
 起きあがった家康は、ベッドから離れて、わたしを洗面台に引っ張っていく。
「さ、顔を洗おう」


「精子ときみと」
お気付きかと思いますが、幸村の「俺」は佐助のみに発動されます。
タイトルの意味は、各自で想像してください。あなたの解釈で正解です。

長年、没ネタフォルダであたためていたBASARA近未来風な内容でした。続きを書いてしまうとは思いませんでしたが、没ネタは取っておくものですね。