世界、継続的に回り続ける3 | ナノ


 わたしが姫様に仕えた頃、初めて姫様の前で披露した技はわたしが幼いころから暇を持て余して遊んでいたお手玉だった。
「ひらけ ねのこく ねのやしろ」里にいた頃、大婆様から教えてもらったお手玉を使って、いくら待っても寄ってこない姫様の気を引こうと必死になって思いついたのがそれだった。大婆様から教えてもらったやり方は、両手に一つずつお手玉を持ち、それを縦回しをし落ちるまでずっと歌いそれを続けるのが遊び方だ。お手玉が落ちた時点で「まおう きたりて ひと しょくす おちるはらわた なみだぬれ」と歌い、終わるのだ。
 わたしを見ては怯えていた姫様も段々と野良犬のようにゆっくりゆっくりと近付いて、始めは犬に餌をやっている気分になった。自分の本来の目的を忘れてしまったかのように、わたしは何故か姫様と接する事に徹した。なぜか、この時はわからなかったのだが。

 いつの間にか眠ってしまったことを後悔し、直後に忠仲が姫様のご様子を見守ってくれていたらいいと落ち着いた。大谷殿、石田三成を佐和山まで護衛し、帰りの途中で雨に降られてしまい森の傘に逃げ、木の側で腰を下ろして休息をとっていた。しかしわたしは寝てしまい、陽が沈み、梟がか細く無く暗闇の景色と移り変わっていた。
 ああ、やってしまった。わたしは立ち上がり服についた埃を払い、屋敷を目指して歩き出した。
 結局石田三成の相乗りをしたまま、佐和山へ到着し、茶でも飲んでいけという大谷殿の誘いを受けて、数分だけ座敷に座り、すぐに城を出た。わたしの実力が十分ならば姫様も城で住めるが、わたしの力では屋敷に住むくらいしかできない。申し訳ないと思っている。
「………かすが」
 懐かしい顔がわたしの前に現れた。
「お前……生きていたのか……?」
「……なぜここに?」
「…佐助から、聞いたんだ。お前が生きていると…。だから探していた。魔王の妹の事は知っている、知った上での問いだ。 上杉にこないか」
「え?」
「わかっている、お前はあの魔王の妹から離れられないことも、織田の指揮をとっていることも。だがこのままでは織田が壊滅するのは時間の問題だ、だから上杉に」
「かすが、やめてよ」
「わ、私は本当に心配しているんだぞ!」
 わたしを知っている人は、皆そう言う。皆、わたしのことを「かわいそう」と言った。伝えた。呟いた。零した。わたしにはそれがさっぱりわからないのだ。わからない、本当に、わからない。頭を抱えて蹲って、落ち着くまでいつまでも泣いていたい気分だった。
 かすがの行為は善悪で決められてしまうのならば、それは世間から見れば悪であろう。魔王の妹が上杉の元へ行ったとしれば。どうだろうか。だがよく考えれば、わたし達側からすれば、それは善の行為。貧しい生活を強いられている人の心は余裕など生まれない、変わる事のない目つきの悪さ、頭の悪さ、体調の悪さが目立ってしまう。
「あまり寝れてないんだろう」
「そうね 忍びにはよくあることでしょう」
 そう言えばかすがは口を閉じ、わたしから視線を逸らす。かすがはいつもそうだ。わたしの面倒を見よう見ようと何かとつっかかってきていた。里にいた頃が懐かしい。わたしの後をいつもついてきて、修行でついた傷を見ては慌てて看病をしてくれたし、修行でいつもわたしを監修していた。一緒に任務だってこなしていた。
「大丈夫だよ ありがとう」
「待てッ 本当に、わたしはお前のことが」
 この世はわたし中心で回っているわけでも、かすが中心で回っているわけでもない。誰かのこの世だなんてありえない。
「心配は無用だ。もう、いいだろう」
 かすがは伸ばしかけた手を元に戻し、そうか、といって踵を返す。その姿を見送ったらわたしも屋敷に戻ろうとしたのだが、かすがは一向に帰る素振りをみせてこない。なぜだろう?なぜなんだろう?
「かすが」
「………何だ」
「ありがとう」
 ありのままのわたしの言葉だった。わたしは姫様に出会ってから、ありのままというものを知った。わたしは姫様と幼少期からずっと一緒にいるような気がして、姫様のおかげでわたしが作られていった。今までは表情などなかった。けれどお手玉を見せて、笑った姫様を見て、わたしも初めて笑ったのだ。綺麗な笑顔の前で、ぎこちない笑顔を見せて。
 かすがは上の木へ飛んでいった。
 それでいいんだ。
「佐助の野郎………」
 鼻息を吐いて、髪を結わき歩き出す。忠仲も長くは姫様のことを見ていられないだろうし、暴走した時忠仲がもしも死んでしまったら、もう姫様は誰にも止めらなくなってしまう。
 ――ああ、早く帰らなければ。
 脚が重い。寝不足のせいでもある。

「…お前、お市の方に死んでほしいって、思ってるんだろ」

 違う。

 違う。
 違う。違う。違う。

「忍び!」
「っい、いしだどの……!?」
 わたしの手首を捕まえ、自分の頭の先まで上げた石田三成から普段あまり見せない焦りの表情が見られた。わたしは身長の大きい石田三成に釣りあげられたような形になってしかも驚きで言葉が出なかった。いたいです、とも言えず、石田三成が気付くまでわたしは宙に浮いていた。しかし一体、この刻に一体どうしたというのか?一人で歩いては危険だ。
「石田殿、夜道は危険です。馬は」
「そんなことはどうでもいい。……刑部がこの文を読めとの伝言を授かった」
 石田三成が差しだしてきたのは文。両手で受け取り、文を開き、その内容を目で追う。
「忠仲からですか?」まず、着目する点が違う。わたしでもわかっている。
「貴様、わかってるのか?」低い石田三成の声が上から降ってきたので、文を読んでから肩をすくめて「わかっています」と言う。文を閉じた。

「織田軍 徳川軍の傘下へ入らんことをここに願う」
 急いで書いたのだろう。これは読めたものではない。おそらく徳川家康の字ではない。忍び、だろう。ただ徳川家康であるという印は押されている。ここだけを見ると、今徳川はこのような文を送る時間も惜しく、人手不足ではないことは確かだが、彼も彼なりに何かしらの仕事があるのだろう。大方鍛錬だとは思っているが。
「なぜこれを石田殿が?」
「貴様を佐和山にいる事をききつけた忍びが、お前に宛てた文だ」
「……やり手ですね。おそらくわたし達の事も見ているのではないでしょうか」
 暗い森林の中、生い茂る緑であるはずの黒を見つめた。葉の音で、余計な足音や話声も聞こえてこない。
「(いや、いないか?本当に?)」考えすぎであってほしいのだが。もしかしたら織田軍から反逆者が出たのかもしれないし、元々潜り込んでいた・もしくは乗りこんでしまった、と考えるのが妥当だろう。
「忍び」
 隣にいる石田三成を見上げた。
「私は裏切りを最も憎む」
 わたしは石田三成を睨んだ。
 知るか、お前の事などわたしが知るか、どうでもいい、野たれ死んでしまばいい、お前など。
「織田がもし、豊臣を裏切るのであれば 覚悟しろ 裏切らないのであれば」
 わたしはネズミや犬を追いかけることに憧れを抱いていた。無邪気に自分よりも弱い存在を追いかけ回すことを酷なことだと思い、それをしなかったわたしの幼少期時代。だが今になってわかる。自分よりも弱い存在に手を掛けることが、人の存在意義なのだと。わたしもそうだ。姫様はわたしよりも弱い。わたしは護るという形で生きているのだ。
 だから豊臣だろうが石田であろうが徳川であろうが、こいつらが生きていようが死のうが、どうでもいいことなのだ。姫様がいればそれでいい。わたしは、わたしのすべては姫様を護ることなのだから。
「私と共に来い」
 この世は酷だ。




「只今戻った。忠仲はいるか」
「お市様の部屋の側で待機しております」
「わかった お前はもう下がっていい 後はわたしがする」
 わたしが石田三成の声に反応を見せなかったのは、織田が消滅しないことを願ったからだ。
 わたしの到着よりも早く、大谷殿が織田に文を出しており、数日後の戦に織田軍の要請を願う内容であった。もちろん、大谷殿には恩があるので、すぐに筆を手に取って返事を返し、忠仲が待機している姫様の部屋へと赴く。忠仲は正座をし、静かに月と襖を見比べていた。
「忠仲。遅くなってしまって申し訳ない」
「いえ あなたもお疲れになられている。今宵は私に任せていただきたい」
「しかし」
「休まれるべきだ。あなたの脚ならば佐和山からここまで、そんなに時間はかからなかった。夕刻からだとしても、月が映える刻まで掛からなかったろうさ。疲れている証拠だ」
「忠仲も、疲れているだろう」
「いえ 私は お気になさらないでください。私は、大丈夫」
 ポタ
 わたしの目から流れたのは涙だった。
「…………。」忠仲はわたしを見つめている。嗚咽は極力出さないように、口を閉じ、息をするのも我慢した。
 涙を流す事など、いつぶりだろう。痛みに涙を流したこともあった。戦で脚を負傷し、膿んで、それでも動かなくてはならなくて、戦が終わった後その場にうずくまって涙を流したことがあった。でも今は、外傷での痛みで泣いているのではないのだと、わかっている。
「徳川から、これが」袖口に手を入れ、忠仲に文を渡す。忠仲は躊躇いながらその文を目で追い、わたしを見る。
「下りましょう」
「  ただ、なか あなた、正気なの あなた本当に思って言ってるの……?」
「何を戸惑っておられる あなたは、未来に何を願う」
「変わりない わたしは姫様とずっと、共に いたい」
「私は 石田 いえ、大谷吉継の元にいては、いつかは織田が……お市様が滅びる。あなたは石田と徳川、どちらがこの戦で勝つと思っているんだ?」
「それは……わたしはどちらでも構わない 姫様が生きてくださいすれば……」
「………あなたはそれでいいのかもしれない。だが、世はそう単純には出来ていない。あなたが姫様を想うのであれば、私は徳川へ下ることが賢明だと判断します。私は、私はあなたに一生共にあることを誓う。あなたの幸は私の幸、あなたの苦しみは、私の苦しみです。 今が好機、あなたの判断で、私は動きます」
 拳を作り、涙を引かせ、息をのんだ。
「お市様を戦場に出したくない、生きてほしいとお考えになるのであれば、徳川の元へいくのが先決。あの方なら私達共を無駄な戦に駆り出す事はないでしょう。絆、絆絆と掲げてはいますが、我らが徳川に下ればお市様の戦力は失いたくないところ……悪いようにはならない。下れば、の話ですが。そうするのであればこの屋敷は離れ、徳川の元で暮らしましょう」
 まるで、この機を望んでいたかのようだ。
「あなたがお市様を護りたいように、私もあなたを護りたいのです」
「………ああ」
「俺は、あなたが大事だ」
 わたしの振るえる拳を忠仲の肉刺だらけのかたい手の平が包み込んだ。染み込んだ敬語が消えて、幼いころからの馴れ馴れしい言葉と共に、わたしは忠仲の腕に抱かれた。うん、そうしよう、そのほうがいいのかもしれない。
 姫様が長く生きられる道を。
 姫様が幸せになれる方法を。
 姫様がいつか笑ってくれる日を願って。
「下ろう。 徳川の傘下へ 下ろう」
 忠仲の忍装束を握った。
「忍びに恩など必要ない。あるのは忠誠のみ、主への忠誠のみだ 主へ捧ぐ命だけだ」
 ああ。ああ、そうだ。その通りだとも。

 すぐに、徳川へ忠仲を使わせ、わたしは少し襖をあけ姫様の様子を伺った。上体を起こし、お手玉をしている。落ち付いているようだ、今のところなんの心配もないだろう。忠仲がもし石田軍に襲われるということを前提に、三人の忍びも共に使わせた。これで織田は手薄になった。もしも大谷殿がこれを予期していたとすれば、今ここで織田は襲われるに違いない、そしてまた姫様は戦に駆り出される日々を送ることになる。
 万が一だ。織田が死んでも、姫様だけはわたしが死んでも護る。今もこれからもだ。
「まおう きたりて ひと しょくす おちるはらわた    なみだぬれ」
 あ、落ちたのか。


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