徳川家康が戦場に出るようになって、時代が大きく変わっていった。織田が死に、豊臣が徳川に殺されて、変わってしまったのだ。周りは皆、戦に駆り出され命を落とす。一番変わったと感じたのは、屋根の下で槍を振るう真田幸村かもしれない。武田が臥せてからは、彼は苦しみの中で孤独に闘いながら、戦でその二槍を振るう。今までは恵まれていたのだろう、今では孤独だ。そしてそのそばにいる佐助は、常に孤独だった。 「織田軍はあんたを置いてみーんな戦場ねぇ」 「それが大谷殿の指示だ。従うしかないだろう?兵法で彼に敵うなどと思っていないよ」 「お互いに忍が舞台に立つことになって、情けねぇ」 「まったくだよ。……、本当に。と、昔は思っていたが、今はそうは思わないよ。姫様と共に入れない自分が情けないとは思うがな」 「織田は精一杯、ってことか。武田にきたら?とは言えねーな。あの姫さんじゃあ、もうねぇ」 「姫様が真田殿の事が鬱陶しくなって、殺してしまうよ」 「冗談」 「冗談ではないよ」 もう冗談を言えるほど余裕を持っていないんだ。 「で、どこと戦っているって?」 「さあ 知らない」 「おいおいそれでいいのかよ……一応あんたの姫さんが戦ってるんだぜ?」 「姫様なら刑部殿が側にいる、気に掛けることもない」 「…お前、お市の方に死んでほしいって、思ってるんだろ」 気付けば肩が触れ合うくらいに隣にいた佐助は、冷たい目と救う目でわたしに伝えた。そうだと答えれば、佐助は何をするだろう?違うと答えれば、佐助はどんな顔をするだろう? わたしにはもう、何もわからないのだ。求めるのは、記憶にある幸な光景、懐かしい、あの記憶だけ。わかるのはそれくらいだ。 ただ、武田…いや佐助には情けないところは見せられない。見せたら、佐助の思いのままだ。何をしでかすかわからない奴に、わたしの心の内や織田の現状など話すわけがないだろう。わたしだって忍だ、それくらいはわかる。それくらい、佐助と旧知の仲であれば、誰だってわかる。 「佐助と会話をすると終わりが見えそうで見えないのが怖いな。この黒い心の奥底で何を企んでいるのだろう?」 「あのなぁ 俺はお前の事が心配で」 「なぜ?」 「……お前は、変わったからな。浅井が死んでからは特に」 「わたしは……わたしは、そんなに変わっていない。変わったのは姫様だ。あの人は変わられた。悲しいほどにね」 「よく一緒にいるね 俺なら捨ててるよ」 わたしは声を出して笑い佐助の肩を叩いた。 「嘘言っちゃいけない」佐助の驚く顔など久しぶりに見た。 「君は主を捨てない そうだろう 絶対に捨てないよな」 「……へぇ そう思う?」 「真田がもし、第五天だとしても、きみは真田を捨てはしない。きみは孤独を見捨てられないからだ 佐助……きみは知っているからね、孤独と言うものを。だから見捨てない だから、今もわたしではなくお市を心配している」 「……ちげーよ、俺は、本当にあんたのことをね………」 はぁ。佐助は溜息を吐いて髪を無造作に掻いた。 「ああ、そうそう これ真田殿にと思って」隠していた菓子を佐助の手のひらに置いた。「まぁこれでも食べて休憩させてやってくれ」 それじゃあな、また機会があれば来るよ。と言って地を蹴った。そろそろ屋敷に戻って、石田三成の様子をみなくちゃならない。兵はいないといっても、もし大谷吉継の指示があって暴れられては困る。 「お前だよ 孤独を見捨てられないのは」 佐助の声は届かなかった。 姫様から離れるのはいつぶりの事だろう。織田が死んでからはずっと側にいたから忘れてしまった。それまでは、わたしはよく偵察で出かけていたから姫様から離れる時間のほうが長かった、だがしかし今は離れる事のほうが短い。 佐助に言った事は嘘だった。本当は心配で心配でたまらない。 「何を泣いている 貴様」 「(え?泣いてるって、誰がだよ)」 顔を上げると暇を持て余している石田三成が立っていた。頬に触れて確認したが、涙など出ていなかった。彼は一体何を言っているのだろうか?どこをどう見たら泣いてるというのだろう。……まぁ、石田三成も豊臣が死んでからは変わってしまったから、幻が見えたっておかしくないだろうな 「石田殿……涙はどちらに落ちましたか?」 石田三成が指を差す先は真下の、わたしから出た汗だった。この暑い季節だ。石垣の陰で涼もうたって、湿気で暑さが体から抜けないし、汗だって出る。 「石田殿は暑さを感じることは無さそうですね……汗一つない」 「…………それは汗か?」 「はい 汗ですよ。こう暑いと、自然と出てしまうものですね」 汗を拭うと、戦場へ赴いていた忠仲が帰って来た。「ご帰還でございます」口元に当てた布を外し、一礼し門へと走っていった。わたしも振り返って忠仲の後をついていき、近付く馬の足音に胸を躍らせ、そして目を閉じた。もし死んでいたら、わたしはどうしようか。怪我をしているのならまだいい、ただ死ぬ事だけは、致命傷となる傷だけは……。どうか無事で、あってくれ。 「……!姫様ッ!!」 大谷吉継の隣で歩く姫様の姿は、ここを出てから数刻しか経っていないのに、ひどく変わられた気がする。いや、近くに居なかったからそう感じるのかもしれない。 「そよ風さん……?市、頑張ったよ……?」 「ひ、ひめさっ……!ご無事で何よりです…! よかった…本当によかった……」 姫様は少し、ほんの少し、わたしの顔を見て綻んだように見えた。わたしはひどく安心し手で顔を押さえ、込み上げてくるものを抑え込む。ああ、よかった、怪我はないようだ。それだけで、いい。それだけでいい。本当に。ほんとうに。 「………?」ふと、耳元に何かの感触がある。 「姫様……?」 「そよ風さん……とても綺麗ね……。赤い椿の花がそよ風さんを飾っているわ」 椿の花。 「……姫、様……」 以前、まだ浅井長政が生きていた頃、彼は一度椿の花を姫様に贈ったことがある。嬉しそうに笑む姫様と、恥ずかしそうに、けれどあたたかい眼差しで姫様を見守る長政様を思い出し、ほろりと涙を零した。 しのびなのに。 わたしは、しのびであるのに。 「っ……ひめさま……」 わたしは……。 姫様の胸に飛び込んで、そのまま背中に手を伸ばし抱きつく形をとった。姫様は一体どのような表情をなされているのだろう?わたしは、わたしはどんな顔で涙を流しているのだろう? わたしはしのびなのに、何故涙を流すのだろう? 変わりなき、変わりなき、変わりなきあなたであられますよう。 姫様に湯浴びをさせ、夕餉を少し取って、眠る様に伝えた。今日は疲れたのだろうか、少し目を伏せており、素直に頷いた。わたしは姫様の様子を見送った後、忠仲の待つ部屋へ行き、その部屋にいた大谷吉継と石田三成に頭を垂れる。 「本日の戦はこび、部下からきいております。大変よろしい戦であったそうで」 「これも人形のためよなァ いやしかし、人形がいなければあのように幼子を握る程の戦、できなかったものよ」 「……そうでございましたか。織田軍の被害も僅かに押さえていただき感謝致します。 忠仲、茶を」 「はっ」忠仲が腰を上げ、部屋を静かに出ていく。 「私事で申し訳ありませぬ、戦中の姫様のご様子はいかがでしたか?何か変わったことや、……様子がおかしかったことや」 そう、椿の花だ。もしや、姫様は何か、何か思い出したのではないだろうか?耳元に椿の花を飾る、それはわたしが以前姫様にお伝えしたひとつ、長政様との思い出の一つだ。だが取り乱した様子もないし、わたしが見る限りでは変わりがあまり見られなかった。むしろ、なかったのかもしれない。 「人形は」 大谷吉継の瞳を見る。 「そうさな…人形は、主がいないところではあのように成るものだと思っただけよ それは見物だったよなァ ヒヒッ」 「………」石田三成が大谷吉継を見た。 「姫様は、姫様は変わりませぬ……」 俯く。 「大谷殿、ほんに、姫様をお守りしていただき、ほんに、ありがたき幸せでございます……大谷殿、このご恩は一生忘れませぬ……!」 本当は、聞いていた。姫様が睡眠を取られている時、忍び同士の会話で、大谷吉継が姫様のことをまもったというのを、聞いていたのだ。 言葉が震え、頭は白く、手が小刻みに揺れ、本日二度の涙を流した。汗ではない。 「………うむ われは利用しただけのこと 需要と供給よ」 それでも 「ぬしが姫でなくてよかったな そのように涙を流しては白粉が流れ落ちていた」 朝、大谷殿には姫様をお守りしていただいたこともあるので、佐和山まで戻る道のり、護衛をしたいとお願いした。大谷殿は考える暇なく、頷き、われよりも護らなくてはならない人がいるのではないか、と言われたがそれが誰なのか皆目見当もつかないまま、山道を歩いている。大谷殿は宙に浮き、石田三成は馬に跨り揺られている。これでは夕刻になってから佐和山へ着くだろう。 「忍び」石田三成が振り返りわたしを見た。 「お前は兵卒ではない、馬に乗れ」 「(なんと?)いえ、慣れていますので それに馬はもう」 「いや、いい。私の馬を貸す」 「(なんと……?)石田殿、わ、わたしはっ」 「相乗りすればよかろ」 「なっ……!刑部!貴様ッ 抜かせッ!」 「(なんと…………!?)」 石田三成が馬を止めれば、後ろに続く兵達も止まる。 「っ……刑部っ…!」 「…あ、あの、わたしは歩きますので…お気遣い痛み入ります」 「貴様もっ…!私に恥をかかせる気か!?」 「え!?」 そんなこんなで、わたしは石田三成の前に座り馬に揺られている。その細い腕のどこに力があるのだろう。気付けば首元を猫のように持ち上げられていて、そのまま相乗りといった形になった。このように異性と相乗りをしたことがないわたしはどのように後ろにいる石田三成と接すればいいのだろうか。 間者としての任であれば無理にでも会話をするが、今は任というよりも、そういうものではないのは確かだ……。 顔を上げる、後ろを振り向いて石田三成の表情を見ようとしたが、それまでの勇気が湧いてこないので、また俯いた。こんなこと、本当にしたことがないのだ。 「………あの」 「な、なんだ」 「初よの」 「刑部!!」 |