エレン | ナノ


 自分の知らない者の死や、自分をバカにする奴らなど死んだとしてもわたしは悲しみすら覚えない。ただ感じるのはまた兵士が死んだ、今度はどんな兵士が配属されてくるのだろう。だけ。少しあるとすれば、戦闘に駆り出される他の兵士の心情が気になるだけ……だ。
 ホットミルクを飲みながらパソコンに向かって約二時間が経つ。新人のエレンが入れてくれたホットミルクはすでにホットではなくなっている。ただホットミルクであった証拠は牛乳に膜が張られているのを飲んで「ああこれはホットだったのか」を確信したのだ。
 ここ最近のトレーニングの結果をパソコンにまとめ、特別戦闘部隊の団長であるエルヴィン氏と、我らがリヴァイ兵長にお渡しするのだ。
 エレンはというと、わたしの後ろにあるベッドに寝そべってテレビを観ている。兵士から特別に待遇されたアイドル、男優、女優、お笑い芸人を見る兵士の目は怖い。エレンもその一人に入るかと思ったが、見てみればそうでもない。案外受け入れる事のできる人間であるらしい。まあ、自分が不死であるし、テレビに映る人間達に対し何も思わないのだろう。

 エレンと体の関係を持って数日しか経たないが、わたしとエレンの仲は目まぐるしく変わっていった。そのひとつがこうしてエレンとの時間確保のために自室にいること。エレンを自室に呼んでいること。互いに見る目が穏やかになっているということ。地下室暮らしだと言われてきたが、こうして地上に出る事はある意味恐ろしいことだ。 彼がいた時のよう。
 近頃特別戦闘部隊の活動が激減していることについて、エレンはどう思う?キーボードを打ちながら尋ねると、エレンはうーん、と言ってシーツに皺を付ける。ガサゴソと音が鳴る。近付く気配もない、わたしはそのまま文字と数字を交互に打つ。

「まぁわたしからすれば仕事が減って、好きなことに費やす時間が出来て嬉しい限りなんだけど」
「好きなこと?」
「みんなの機体のデザインを考えるのが好きなんだ。そこの引き出しに、エレンのはないけど、特攻部のデザイン考えてるから見てみる?」
「もちろん、ぜひ!」
「そこねー」

 左指で引き出しを差す。ベッドから下りたエレンが引き出しを引くと、「ナナシさん!」と焦った声で顔を真っ赤にしこちらへ駆けてきた。眼鏡を外しエレンを見上げると、その手に摘まれているものを見てわたしもギョッとしてそれを奪った。
「ご、ごめっ……!」
 わたしの顔は赤くなっているだろう。エレンに背を向けて思わずゴミ箱に投げ捨てる。わたしの焦る息遣いが部屋を占め、音はそれのみ。空気は重い。その手に握りていたものはコンドームだった。

「……あ、その、巻き戻して 時間」
「はい……?何言ってるんですか……」

 エレンだってわたしが恋愛経験があることを知っているだろう。処女ではないことだって知っているはずだ。そんな怖い声を出さなくたっていいではないか。
 エレンが怖くて振り向けない。

ナナシさん」
「は、はい」
「こっち向いてくださいよ」
「は、はぁ」

 恐る恐るエレンの方へ振り向く。


「お誕生日おめでとうございます、ナナシさん」


 エレンの手の中にあったものは、ハート形のネックレスだった。
 エレンを見ると、顔を真っ赤にして視線を泳がせながら時々わたしと目を合わせる。ハッとして時計を見ると、もうそろそろ、短い針も長い針も12を差そうとしていた。視線をエレンに戻す。言葉が出てこない。視界はせまく、ぼやけていく。エレンの驚く顔も段々ぼやけていき、温かいものが頬を伝う。

「ありがとう」

 消え入る様な、震える声で答えた。エレンはネックレスを握ってわたしに近付き方を抱き、後頭部に手を回して抱きしめた。そういえば自分が明日誕生日である事を忘れていた。何度目かわからない誕生日を迎えた。
 不器用なエレンの、エレンなりの祝い方はやっぱり不器用で、もうちょっとタイミングとかムードとかあるんじゃないのとか思いながらも、やはりとても嬉しくて、エレンの服を掴んで涙を拭いた。もうバカだとかアホだとか、わたしも素直じゃない言葉がポロポロと零れていく。だがエレンは何も言わずにわたしを抱きしめ続けている。

「少しムードとか考えてよね」
「す、すみません、その、今ここしかないかなと思って。なんだかこの後、その、セックスもできる雰囲気だなと思って」
「バカ やっぱりバカじゃん アホッ」

 抱きしめ直し、顔を胸に押し当てた。苦しいがそれでもよかった。このまま死んだっていいとか物騒なことだって思った。

「大好き」

 エレンの腕と手に力が入る。
「俺も……」
 完全に息が出来なくなった。やっぱりわたしはこのまま、この時、この場面で死ぬべきなのではないだろうか?むしろ自分がそれを望んでいるのではないだろうか?このまま彼の腕に抱かれたまま海に還っていくのも、それもまた幸せの形だ。
 もう誰からも祝われない誕生日をこれから過ごしていくのだと思っていたわたしは、今この時、本当の幸せを感じた。彼と共に歩んできた道は途中、時間が止まってわたしの体だけ動いていた。でも今この時、いや、エレンに会った一ヶ月前から、時間が元に動き始めていたのだ。
 ネックレスを掛けて、金色に光るネックレスを見つめる。わたしの顔は映らずに輝いており、ダイヤモンドに見立てた透明の石が綺麗に光っていた。まるでエレンのように光っていて、ハート形のネックレスを摘み、エレンを見上げる。エレンは照れ臭そうに笑って、気に入ってもらえましたかと頭に言葉を零した。
 もちろん、だとか、かわいい、だとか、気など使わずに済む台詞を伝えようとしても、わたしの素直ではない心がそれを阻止してしまおうとする。口をもごもごと動かした。それにエレンは気付く様子もなく、わたしを見下ろしている。彼なら気付いていたかもしれないけれど、エレンは完全なる彼では、ないのだ。

「私まだ仕事が残ってるからセックスはお預けだよ」
「エッ」


 わたしは、死なないエレンを好きであるべきだ。自分の心を傷つけないためにも。

「明日、久しぶりに外に出ませんか 俺原付持ってるし」

 わたしが日ごろ外に出ない事を知った上での投げ掛けだった。いつでも何かしら仕事をしているわたしをエレン走っている。だからこそエレンはわたしに投げ掛けたのだ。いつだったか前にそんなに仕事をしていたらパンクしてしまうと言われたことがある。全くその通りだと思っていても、こうしてまだ健康体でいられているわけだから大丈夫だと適当にあしらった。でもエレンはそれが気掛かりだったのだろう。そうでなければ今の投げ掛けなどなかったはずだ。
 頷いて、昼からがいいと伝えた。明日は特攻部は訓練がない、休日だった。

 エレンは段々とわたしに対して遠慮に近い謙虚が無くなってきている。目を見ればわかる。恋人になりたいと、言った事もあった。だがわたしはそれを断った。エレンの事は好きだけど、まだ恋人になれないと。

「………ありがとう、エレン」


***


 一年前に植えられた菜の花は今も綺麗に基地を彩っている。特別な科学で一年中菜の花が咲いているようにしているらしい。菜の花の趣味は、昔この基地の創立者が一番好きな花が菜の花だったらしく、それからだった。わたしは菜の花が嫌いなわけではないから悪くないと思っている。ただ、菜の花のニオイは嫌いだった。こうもたくさん集まっていると独特なニオイがするからだ。だが一ヶ月もすれば慣れてしまったが。
 その菜の花畑の道を原付バイクを走らせるエレンと、その腰を掴んでいるわたし。あまり会話はない。
 彼はこの菜の花畑が大好きだった。わたしを見ているようなのだと言っていた。
 昼食を食べる前に行こうとエレンが提案し、それに頷いた。可愛くお弁当持っていこう、などは言わなかった。そんな面倒な事は言いたくないし、お弁当を作る時間があれば五分でも寝ていたかったからである。エレンは残念そうにしていたけれど、わかったと言って握っていたわたしの手を離しながら名残惜しそうに頷いた。

「エレンはさぁ」
「ハイ?」
「この菜の花畑どう思う?」
「え?キレイですよね」
「ふうん、じゃあ好き?」
「好きか嫌いかって訊かれたら、好きって答えますかね」
「そっか」
ナナシさんは嫌いなんですか?」
「ううん、嫌いじゃないよ」
「そうですか」

 兵士が戦場へ向かう時、この菜の花畑の上を飛んでいく。菜の花畑に「いってらっしゃい」と言われるようだとペトラが言っていたことを思い出した。戦場へ行くというのに、この瞬間だけは心が軽くなって緊張も感じなくなるのだと。
 ゆっくりゆっくり車輪は回る。
 わたしもゆっくりとエレンの腰に強くしがみ付いた。
 昨夜エレンから貰ったネックレスが光り、菜の花畑を映し出す。
 わたしはゆっくりと息を吐いた。
 走る速度が上がっていく。

ナナシさん」
「……なに?」
「実は俺、今日誕生日なんです」
「…………えっ?」

 驚いて顔を上げてエレンを見るがその顔は見えない。

「だから、俺に誕生日プレゼントください」
「えっ えっ ま、まって、わたし知らなくて何にも用意してないよっ」
「モノが欲しいわけじゃないです」
「じゃあ、何が欲しいの?」

ナナシさんが、ほしいです」


 彼もわたしも永遠に子どもでいるエニグマでありながら、不死ではない。愛し合った期間は、結局無駄なものだった。愛し合った記憶だけが残る。でも実際、彼はここにはいない。無駄だったのだ。

「わたし……?」

 エレンは永遠で子どもでいるエニグマであり、不死である。わたしが死ぬまで、彼と愛し合う期間は記憶に残るし、彼はいつまでも存在し続ける。無駄にはならないのだ。
 いつまでも振りまわされる人類であると日々思う。エニグマに成りえる薬を発明した科学者も誰かに指示されて、自分の地位の昇格や維持をしたくて。そして科学者に指示した者はまた別の者に指示されて。そして最後には何もなくなっていく。わたし達は誰かに操られるという確信ではなくて、神様のような存在に遊ばれていると確信を持っている。大きな、何キロメートルもあるチェスボードがあり、何万何億もある駒は趣味で動かされ、殺されてなくなっていく。
 エレンは、駒で言えば、キングだ。
 エレンは、確信できる関係が、ほしいのだ。

「確かに、俺とナナシさんは、すごく、そりゃあ、知り合って少ししか経ってないから、ナナシさんは気に食わなかったり、俺の事全部知ってるわけでもないから不安なんだろうけど、でも俺、本当に、ナナシさんのこと、好き………、愛してるんです」

「俺は、俺は本気です。嘘は言ってないです 本当なんです、ナナシさん、ナナシさっ」
「あっ」

 エレンとわたしの体は外に投げ出される。菜の花が絨毯になり、大きな怪我もせずかすり傷で済んだだろう。打撲は諦めることにした。原付バイクは一体どこに転がっていったのだろう。思い切り転がったから、きっと遠くの方まで行ってしまったかもしれない。
 咄嗟にわたしの体を抱きしめてくれたエレンの腕の中で短く呼吸をした。うっすらと目を開けるエレンは上体を起こし、わたしを見下ろして怪我はないかと体の至るところに触れた。

「ごめんなさい!お、俺、前見てなくて……!」
「エレンが無事ならいいよ。………あっ そういえば死なないんだったね」
「そういうの今はいいですから、ナナシさん痛いところは」
「ないよ 強いていえば、体中が痛い 打撲のせいで」
「す、すみませんっ」

 エレンの首に触れた。
エレンはわたしの体から視線を外し、瞳を見つめ、唇をわたしの唇に当てた。
 誰も永遠を誓ってはくれない。確かに好意を抱いていたリヴァイ兵長でも、こればかりは答えることができないだろう。確信もない、必ずいつか命は絶つという現実を投げ捨てることなんて兵長には絶対にできない。
 誓ってはくれないと、思っていた。

 わたしはもう何も失いたくない。誰も、何もかも。いつまでも子どものままだっていい、いつまでも戦争をしていたっていい、誰も失わないのなら、なんだって受け入れる。なのにそうはいかないのだ。エレン以外のみんなは、好き勝手に動かされていくのだから。

「わたしも永遠の命がほしい」

 わたしは、彼が好きだ。愛しているのだ。

 エレンの首に腕を回した。エレンはわたしの頭を抱いて、首に顔を埋める。

「永遠の命が ほしかったよ」


「神様のキング」
いつまでも忘れることのない彼へ届くはずのない願い

元ネタ「スカイ・クロラ」
BGM「生活音」